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【34】
「リディア」
背中から掛けられた声に、リディアは閉じた瞼を見開いた。
「ノア様」
慌てて振り返った先にはノアがいた。
「警護に当たられていたのではなくて?」
「メリンダ様からお呼びがあったから」
ノアをここへ呼んだのはメリンダだった。
思わず上座に座るメリンダを見た。メリンダもまたリディアを見ていた。彼女はあそこで、リディアがルパートと話し込むのを見ていたのだろう。それでノアを呼び寄せたのだと思った。
話し込むと言っても、会話の主導権は始終ルパートにあった。
ノアはそれからキュッと口元を引き結んだ。そうしてルパートに向き合い挨拶をした。
「初めまして。リディアの婚約者です」
ノアは猫目の瞳を吊り上げて、きつい視線をルパートに向けていた。目元の黒子はいつもはノアを中性的に見せるのに、今、目の前にいるノアはどこから見ても立派な貴族青年だった。
「名を伺っても?」
眦を釣り上げるノアに、ルパートは顔色を変えることなく名を尋ねた。
「ノア・グレイブ・フォートマスです。フォートマス伯爵家の三男です」
「ああ。存じ上げているよ」
ルパートは、ノアが誰であるのか、家名もリディアの婚約者であるのも知った上で、ノアに身分を明かせと促したようだった。
まるで噛みつく仔猫をあしらうような大人の振る舞い。それに気づいたノアが眉を顰めた。
「警戒させたのなら謝ろう。リディア嬢とは面識があってね」
その言葉に、ノアがリディアを振り返った。そうなのか?とその瞳が尋ねている。
「ノア様。こちらにいらっしゃるのはルパート様と仰います。兄の同僚でいらっしゃるの。それで、王城の夜会で倒れた私を「知ってるよ」
ノアに言葉を遮られたのは初めてだった。
「知ってる」
そしてノアもまた、ルパートが夜会で倒れたリディアを控えの間まで運んだ男性であることを知っているようだった。
リディアに記憶がなかったとしても、ノアにも触れられていない身体を異性に抱きかかえられた。その恥ずかしさが今になって蘇る。
思わず俯いてしまったリディアを見て、ノアは小さく舌打ちをした。辺境騎士らに揉まれるうちに、この頃のノアは粗野な仕草を見せることがある。
「婚約者殿。リディア嬢を責めないでくれないか。彼女に話し掛けたのは私のほうだ。ギルフォード伯爵家には幾度か晩餐に招かれている。リディア嬢が言ったように、私は彼女の兄上とは同僚だ。お父上には色々とご教授頂いている」
ルパートの言葉はつまり、自分はリディアの家族とは親しい間柄なのだと示している。
「すまない、リディア」
ノアが小さな声で詫びた。先ほどまで唸るような顔をしていたのに、今は情けなく目元を下げて、八つ当たり的にリディアを詰ってしまったことを謝罪している。
「大丈夫です。ノア様」
リディアはノアを見上げて微笑んだ。確かに、ノアらしくない粗暴な仕草やいつにないキツい声音に驚きはしたが、ノアは異性と話し込んでみえたリディアに立腹したのである。
それは初めてみるノアの悋気で、ノアがリディアに異性を近づけたくないと思う心の表れだった。
ノアがリディアを女性として見てくれている。それがリディアは嬉しかった。
「大した話をしていたわけではない」
そんな二人に入り込んだのはルパートだった。
「君も当然ご存知だろう。私がこれから小国へ渡るのは」
ノアはそれには答えなかった。ルパートとは最低限の言葉以外交わすつもりはないらしい。
「これから我が国は、小国と公国との共同事業に取り組む。その成果を彼女に贈らせてほしいと願い入れていたところなんだ」
それ以上をノアの耳には入れたくなかった。どうにかして、ノアをこの場から引き離したい。思わずリディアはノアの腕に掴まった。その場から離れたいと思った。だが、ノアはリディアの引き寄せる力にはびくともしなかった。
「リディア嬢に、ドレスをお贈りしたいと思っている」
「その必要はございません。リディアのドレスは僕が贈ります」
「ほう?」
ルパートは榛色の瞳を細めた。紳士的なルパートは、戦える男性でもあった。そんな彼だから今回の使節団に選ばれたのだろう。
負けないで、ノア様。ルパートは学生では太刀打ち出来ない練れた大人の男性だ。それでもノアを応援せずにはいられない。
果たしてルパートは、本気でノアに仕掛けてきた。
「ならばしっかり護られよ。主が誰であろうと筋道の通らぬことに本質を見抜けないのは愚かなことだ。主君に過ちがあるのなら、それを正すのも臣下の役割。君たちは猶予を与えられていたんだよ。君はメリンダ嬢をお助けしたことで辛くも合格点だったようだが、それで女狐一人あしらえぬまま婚約者を疲弊させるのは別の話だ」
ノアがぐっと奥歯を噛み締めたのがわかった。ルパートの言葉は確かにそうで、けれどそれでノアにそんな顔をさせたいわけではない。
「しっかりすることだ。リディア嬢の心ひとつだと、そう理解することだ」
ルパートの言葉はどれも辛辣で、ノアを傷つけるものだった。だが、その声音はとても穏やかなもので、周囲からは緊張気味の令息と文官が他愛のない話をしているようにみえただろう。
ルパートはそれからリディアに視線を移して、そこで笑みを見せた。
「またお会いしよう、リディア嬢」
リディアはそれには言葉を返せぬまま、ノアの腕を掴む手に力がこもるのだった。
背中から掛けられた声に、リディアは閉じた瞼を見開いた。
「ノア様」
慌てて振り返った先にはノアがいた。
「警護に当たられていたのではなくて?」
「メリンダ様からお呼びがあったから」
ノアをここへ呼んだのはメリンダだった。
思わず上座に座るメリンダを見た。メリンダもまたリディアを見ていた。彼女はあそこで、リディアがルパートと話し込むのを見ていたのだろう。それでノアを呼び寄せたのだと思った。
話し込むと言っても、会話の主導権は始終ルパートにあった。
ノアはそれからキュッと口元を引き結んだ。そうしてルパートに向き合い挨拶をした。
「初めまして。リディアの婚約者です」
ノアは猫目の瞳を吊り上げて、きつい視線をルパートに向けていた。目元の黒子はいつもはノアを中性的に見せるのに、今、目の前にいるノアはどこから見ても立派な貴族青年だった。
「名を伺っても?」
眦を釣り上げるノアに、ルパートは顔色を変えることなく名を尋ねた。
「ノア・グレイブ・フォートマスです。フォートマス伯爵家の三男です」
「ああ。存じ上げているよ」
ルパートは、ノアが誰であるのか、家名もリディアの婚約者であるのも知った上で、ノアに身分を明かせと促したようだった。
まるで噛みつく仔猫をあしらうような大人の振る舞い。それに気づいたノアが眉を顰めた。
「警戒させたのなら謝ろう。リディア嬢とは面識があってね」
その言葉に、ノアがリディアを振り返った。そうなのか?とその瞳が尋ねている。
「ノア様。こちらにいらっしゃるのはルパート様と仰います。兄の同僚でいらっしゃるの。それで、王城の夜会で倒れた私を「知ってるよ」
ノアに言葉を遮られたのは初めてだった。
「知ってる」
そしてノアもまた、ルパートが夜会で倒れたリディアを控えの間まで運んだ男性であることを知っているようだった。
リディアに記憶がなかったとしても、ノアにも触れられていない身体を異性に抱きかかえられた。その恥ずかしさが今になって蘇る。
思わず俯いてしまったリディアを見て、ノアは小さく舌打ちをした。辺境騎士らに揉まれるうちに、この頃のノアは粗野な仕草を見せることがある。
「婚約者殿。リディア嬢を責めないでくれないか。彼女に話し掛けたのは私のほうだ。ギルフォード伯爵家には幾度か晩餐に招かれている。リディア嬢が言ったように、私は彼女の兄上とは同僚だ。お父上には色々とご教授頂いている」
ルパートの言葉はつまり、自分はリディアの家族とは親しい間柄なのだと示している。
「すまない、リディア」
ノアが小さな声で詫びた。先ほどまで唸るような顔をしていたのに、今は情けなく目元を下げて、八つ当たり的にリディアを詰ってしまったことを謝罪している。
「大丈夫です。ノア様」
リディアはノアを見上げて微笑んだ。確かに、ノアらしくない粗暴な仕草やいつにないキツい声音に驚きはしたが、ノアは異性と話し込んでみえたリディアに立腹したのである。
それは初めてみるノアの悋気で、ノアがリディアに異性を近づけたくないと思う心の表れだった。
ノアがリディアを女性として見てくれている。それがリディアは嬉しかった。
「大した話をしていたわけではない」
そんな二人に入り込んだのはルパートだった。
「君も当然ご存知だろう。私がこれから小国へ渡るのは」
ノアはそれには答えなかった。ルパートとは最低限の言葉以外交わすつもりはないらしい。
「これから我が国は、小国と公国との共同事業に取り組む。その成果を彼女に贈らせてほしいと願い入れていたところなんだ」
それ以上をノアの耳には入れたくなかった。どうにかして、ノアをこの場から引き離したい。思わずリディアはノアの腕に掴まった。その場から離れたいと思った。だが、ノアはリディアの引き寄せる力にはびくともしなかった。
「リディア嬢に、ドレスをお贈りしたいと思っている」
「その必要はございません。リディアのドレスは僕が贈ります」
「ほう?」
ルパートは榛色の瞳を細めた。紳士的なルパートは、戦える男性でもあった。そんな彼だから今回の使節団に選ばれたのだろう。
負けないで、ノア様。ルパートは学生では太刀打ち出来ない練れた大人の男性だ。それでもノアを応援せずにはいられない。
果たしてルパートは、本気でノアに仕掛けてきた。
「ならばしっかり護られよ。主が誰であろうと筋道の通らぬことに本質を見抜けないのは愚かなことだ。主君に過ちがあるのなら、それを正すのも臣下の役割。君たちは猶予を与えられていたんだよ。君はメリンダ嬢をお助けしたことで辛くも合格点だったようだが、それで女狐一人あしらえぬまま婚約者を疲弊させるのは別の話だ」
ノアがぐっと奥歯を噛み締めたのがわかった。ルパートの言葉は確かにそうで、けれどそれでノアにそんな顔をさせたいわけではない。
「しっかりすることだ。リディア嬢の心ひとつだと、そう理解することだ」
ルパートの言葉はどれも辛辣で、ノアを傷つけるものだった。だが、その声音はとても穏やかなもので、周囲からは緊張気味の令息と文官が他愛のない話をしているようにみえただろう。
ルパートはそれからリディアに視線を移して、そこで笑みを見せた。
「またお会いしよう、リディア嬢」
リディアはそれには言葉を返せぬまま、ノアの腕を掴む手に力がこもるのだった。
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