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【36】
夢から覚めると、夜はすっかり明けていた。
白んだ空を見た筈がそのまま微睡んで、ノアと婚約した日の夢をみた。
ほんの二年前には、二人の未来に暗い雲はひと欠片も見えなかった。半年後に学園へ入学してから、梯子が一つまた一つと下ろされるように足元が揺らいで見えなくなった。
夏はあっという間に過ぎていく。
リディアとノアは、間もなく王都へ帰らなければならない。
メリンダはこのまま暫くは公国に身を置くそうで、復路はノアとリディアの二人になる。
ノアは帰りの行程では騎乗しないことを選んだ。
「君と過ごせる時間を、馬の上で終わらせたくない」
来る時には護衛を兼ねて騎乗していたノアが、こんな自己主張をしたのはきっと、王都に戻れば再びままならない環境が待っていることと、もう一つ、ルパートから浴びせられた辛辣な言葉に影響されたからだろう。
ノアに傷ついてほしくない。けれどリディアが口出しできることではない。
ただ、ノアには夢で語った同じ言葉を伝えたいと思った。
『私たちの間に、例えば何かトラブルや越えられそうにない事が起こったとしても、ノア様。私を信じて下さいね?私も貴方を信じて、決して離さないと誓います』
それは今こそノアに伝えたいリディアの本心だった。
王都に向けて出発する、三日前のことだった。
使節団として小国に渡っていたテリュースから書簡が届いた。早馬で届けられた書簡はメリンダ宛で、彼女はそれに目を通してからノアとリディアを呼び寄せた。
「三国の共同事業が無事締結されるとのことよ」
共同事業締結を足掛かりに、王国と小国との国交樹立と軍事同盟が締結されることとなった。締結式は王国で執り行われる。小国の使節団を招いて結ばれる運びとなるらしい。
「テリュース様の大公即位が早まるかもしれないわ」
そうなれば、メリンダは婚姻後には大公妃となる。
「おめでとうございます、メリンダ様」
「ふふ、まだまだ先のことだわ。公国は王国と小国を結ぶ中継国としてますます大きな役目を担うでしょう。街道の整備もあれば、物流の拠点ともなる。忙しくなるわ、折角の新婚気分も味わえそうにないわね」
第二王子妃として生きる運命を、メリンダは自分の意志とは違う力で曲げられて、結果、更に重い立場に据えられた。
けれどもその表情は晴れやかで、メリンダがアルレスとの切なく苦しい別れを越えた今、彼女は確かに幸せなのだと思えた。
「まだ、何かおありで?」
そう尋ねたのはノアだった。どうやらメリンダの表情から、話には続きがあると気づいたようだ。
「キャリントン公爵家」
「まさか」
「ノア様、おわかりになった?」
リディアは、何やら考えが通じたらしいノアとメリンダを交互に見た。
「販売取扱の権利を、キャリントン公爵家が勝ち取ったようね。共同生産されるシルク製品の販売はキャリントン百貨店が代理店となって請け負うわ」
「それは……」
確かめようとするリディアに、メリンダは笑みを浮かべて答えた。
「ヴィリヤーズ百貨店は大きな販路の獲得に失敗したわ。表向きは正式な競争入札が為されたでしょう。けれど国営事業に裏取引は付きものよ。王家を侮る平民商家にみすみす力を与えるかしら。三国協定の王国代表は王太子殿下が担うのよ。弟を破談に導いた家にあの御方は忖度なんてなさらない」
それからメリンダは、「王都に戻るのが楽しみね。学園もようやく静かになるでしょう」
そう言った後に、更に続けた。
「お二人にも、きっと道が開けるわ。喩え越えられそうにない事が起こったとしても、お互いを信じて決して離れては駄目よ」
それは夢の中でリディアがノアに語った言葉そのままだった。
メリンダにはきっと、アルレスに残した心がある。あんな最後となってしまっても、二人が過ごした時間は長い。やんちゃが過ぎる王子とともに、メリンダはアルレスとの未来を思い描いてきた筈だ。
二人は道が分かれてしまって、メリンダはテリュースの妃となる。その道をメリンダは幸福なものとして受け入れながら、幼馴染であり恋人であったかつての婚約者を忘れきったわけではないのだろう。
そのメリンダに、ノアとリディアは励まされている。同じ轍を踏みないように、心を通わせろと告げられている。
「リディア」
メリンダと別れて部屋に戻る通路で、隣を歩くノアに名を呼ばれた。
「ノア様、私、貴方にどうしてもお伝えしたいことがあったのです」
ノアの言葉を待たずに話し出したリディアに、ノアは黙ってその言葉を聞いてくれる。
そうだノアは無口な質であるが、会話を厭う人ではなかった。リディアは改めてそう思った。
「メリンダ様に先を越されてしまいました。私、王都に帰る前に貴方にどうしても言いたかったの」
「なに?それは」
「私を信じて下さる?何があっても何が起こっても、私はノア様を諦めない。ずっと貴方の側にいるわ」
夢の世界でノアを選ばなかったリディア。
それは何かがあって何かが起こった末に、ノアを信じきれずにその手を離してしまったからだ。
今回は、そんなことにはしない。
なぜだか夢が最初の世界で、現実が二度目のように思えてくる。そんなことは小説や物語の中の出来事なのに、この世にはそんな不思議なことが一つくらいありそうに思えた。
だからリディアは思ったのだ。
今度こそ、ノアの手を離さない。あんな哀しい顔は一度たりともさせやしない。
白んだ空を見た筈がそのまま微睡んで、ノアと婚約した日の夢をみた。
ほんの二年前には、二人の未来に暗い雲はひと欠片も見えなかった。半年後に学園へ入学してから、梯子が一つまた一つと下ろされるように足元が揺らいで見えなくなった。
夏はあっという間に過ぎていく。
リディアとノアは、間もなく王都へ帰らなければならない。
メリンダはこのまま暫くは公国に身を置くそうで、復路はノアとリディアの二人になる。
ノアは帰りの行程では騎乗しないことを選んだ。
「君と過ごせる時間を、馬の上で終わらせたくない」
来る時には護衛を兼ねて騎乗していたノアが、こんな自己主張をしたのはきっと、王都に戻れば再びままならない環境が待っていることと、もう一つ、ルパートから浴びせられた辛辣な言葉に影響されたからだろう。
ノアに傷ついてほしくない。けれどリディアが口出しできることではない。
ただ、ノアには夢で語った同じ言葉を伝えたいと思った。
『私たちの間に、例えば何かトラブルや越えられそうにない事が起こったとしても、ノア様。私を信じて下さいね?私も貴方を信じて、決して離さないと誓います』
それは今こそノアに伝えたいリディアの本心だった。
王都に向けて出発する、三日前のことだった。
使節団として小国に渡っていたテリュースから書簡が届いた。早馬で届けられた書簡はメリンダ宛で、彼女はそれに目を通してからノアとリディアを呼び寄せた。
「三国の共同事業が無事締結されるとのことよ」
共同事業締結を足掛かりに、王国と小国との国交樹立と軍事同盟が締結されることとなった。締結式は王国で執り行われる。小国の使節団を招いて結ばれる運びとなるらしい。
「テリュース様の大公即位が早まるかもしれないわ」
そうなれば、メリンダは婚姻後には大公妃となる。
「おめでとうございます、メリンダ様」
「ふふ、まだまだ先のことだわ。公国は王国と小国を結ぶ中継国としてますます大きな役目を担うでしょう。街道の整備もあれば、物流の拠点ともなる。忙しくなるわ、折角の新婚気分も味わえそうにないわね」
第二王子妃として生きる運命を、メリンダは自分の意志とは違う力で曲げられて、結果、更に重い立場に据えられた。
けれどもその表情は晴れやかで、メリンダがアルレスとの切なく苦しい別れを越えた今、彼女は確かに幸せなのだと思えた。
「まだ、何かおありで?」
そう尋ねたのはノアだった。どうやらメリンダの表情から、話には続きがあると気づいたようだ。
「キャリントン公爵家」
「まさか」
「ノア様、おわかりになった?」
リディアは、何やら考えが通じたらしいノアとメリンダを交互に見た。
「販売取扱の権利を、キャリントン公爵家が勝ち取ったようね。共同生産されるシルク製品の販売はキャリントン百貨店が代理店となって請け負うわ」
「それは……」
確かめようとするリディアに、メリンダは笑みを浮かべて答えた。
「ヴィリヤーズ百貨店は大きな販路の獲得に失敗したわ。表向きは正式な競争入札が為されたでしょう。けれど国営事業に裏取引は付きものよ。王家を侮る平民商家にみすみす力を与えるかしら。三国協定の王国代表は王太子殿下が担うのよ。弟を破談に導いた家にあの御方は忖度なんてなさらない」
それからメリンダは、「王都に戻るのが楽しみね。学園もようやく静かになるでしょう」
そう言った後に、更に続けた。
「お二人にも、きっと道が開けるわ。喩え越えられそうにない事が起こったとしても、お互いを信じて決して離れては駄目よ」
それは夢の中でリディアがノアに語った言葉そのままだった。
メリンダにはきっと、アルレスに残した心がある。あんな最後となってしまっても、二人が過ごした時間は長い。やんちゃが過ぎる王子とともに、メリンダはアルレスとの未来を思い描いてきた筈だ。
二人は道が分かれてしまって、メリンダはテリュースの妃となる。その道をメリンダは幸福なものとして受け入れながら、幼馴染であり恋人であったかつての婚約者を忘れきったわけではないのだろう。
そのメリンダに、ノアとリディアは励まされている。同じ轍を踏みないように、心を通わせろと告げられている。
「リディア」
メリンダと別れて部屋に戻る通路で、隣を歩くノアに名を呼ばれた。
「ノア様、私、貴方にどうしてもお伝えしたいことがあったのです」
ノアの言葉を待たずに話し出したリディアに、ノアは黙ってその言葉を聞いてくれる。
そうだノアは無口な質であるが、会話を厭う人ではなかった。リディアは改めてそう思った。
「メリンダ様に先を越されてしまいました。私、王都に帰る前に貴方にどうしても言いたかったの」
「なに?それは」
「私を信じて下さる?何があっても何が起こっても、私はノア様を諦めない。ずっと貴方の側にいるわ」
夢の世界でノアを選ばなかったリディア。
それは何かがあって何かが起こった末に、ノアを信じきれずにその手を離してしまったからだ。
今回は、そんなことにはしない。
なぜだか夢が最初の世界で、現実が二度目のように思えてくる。そんなことは小説や物語の中の出来事なのに、この世にはそんな不思議なことが一つくらいありそうに思えた。
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