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【38】
公国から王都まで片道一週間。その間、リディアはノアと共に過ごした。
同じ学園に通っているのに、普通の婚約者として過ごせずにいた二人。
ルパートと対面してからのノアは、少しの間寡黙な風で、リディアもメリンダと過ごすことが多かったから、帰路についてようやく落ち着いて向き合うことができた。
他愛のない話ばかりをしたと思う。
アルレスのこともキャロラインのことも、これから戻る王都のことも、敢えて互いに触れることはしなかった。
代わりに、今まで話せずにいた当り前のことを話した。
苦手な科目の内容や、秋の剣術大会や、来年互いに受ける王城での試験についてや。
それからノアは、辺境伯領で見てきたことを細かに教えて、リディアは公国の街で見たことを話した。
当り前の婚約者の会話。メリンダに手を差し伸べてもらえずにいたら、あの鬱屈したような王都にいてノアと会えない日々をどうやり過ごしていただろう。
そこでリディアはふと気がついた。
夢の中、リディアはそんな日々にノアを諦めたのか。
そんなことは考えられなかった。確かにキャロラインに追い詰められていたと思う。だが、そんなことでノアを諦めただろうか。
もしかしたら、もっと何か決定的なことが起こって、それがノアへの思慕を手放す切っ掛けになったのではないだろうか。それはきっと絶望したくなるほどの、覚悟の末のことだろう。
ノアとの未来に絶望して、ルパートの優しさに溺れてしまったのだろうか。
夢で夫だったルパートを、リディアは初見で馴染んだ人物だとわかってしまった。
だからだろう。ルパートには不思議な安心感を抱いてしまう。
彼は身近な人物を不安にさせることなど無いのだろう。圧倒的な安心感で包み込んで、余所見をする隙を与えない。
大人の貴族青年に、ノアを失い心が空っぽになったリディアは、求められるまま抗うこともせずに愛を受け取ることを選んだのか。
ルパートを怖いと思うのは、彼を嫌いになれないからだ。不快を一つも起こさせず、リディアの心に入り込む。気をつけないと、うっかり彼を見つめてしまいそうで、ルパートに引き込まれまい、ノアから引き離されまいとノアの顔を思い浮かべる。
「リディア、疲れた?」
揺れる馬車の振動に、つい、うとうとしていたらしい。眠ったつもりはなかったし、頭の中では夢と現実の出来事についてを考えていた。ずっとノアとルパートのことを考えていた。そのうち微睡みに誘い込まれていたようだ。
「いいえ、大丈夫よ。ノア様はお疲れではなくて?」
「手綱を持たないだけ楽をしている。騎士としては体たらくなことだ」
ノアは小柄ながら騎士の才覚がある。辺境伯領で鍛えてから、首回りが太くなったように見えるし、何よりあの白い肌が浅黒く焼けていた。
王都とは異なる荒行のような鍛錬から、毎日ヘトヘトになりながら帰ってくるノアは、辺境の夕日を背にして清々しく見えた。
「ノア様は、今も近衛騎士をお望みなの?」
「そうだな」
「辺境騎士とか、そんなことは考えなかったの?」
「考えたよ。キツいけれど、辺境は嫌いじゃない。寧ろ性に合っている。危険はあるが、生きてることを毎日実感する」
誰も知らない遠くの土地で生きたなら、ノアはきっと伸び伸びと羽を広げて、彼らしい人生を生きることができるだろう。近衛騎士だなんて望まずとも、騎士爵なんて得られずとも、剣の才を生かしていける。
そんなノアと一緒に生きることができるなら、リディアは貴族の身分を惜しいだなんて思わない。
けれどもそんな考えは、王都が近づくにつれて甘い考えだと思い直すのだった。
貴族に生まれて相応の教育を与えられて、それを放棄することは許されない。
どんな身分になろうとも、享楽的な生き方や、ましてや個人の幸福ばかりを望むことは、リディアたち貴族の子女には許されない。
「でもリディア。僕は別に王都が嫌な訳ではないよ」
「ノア様……」
「僕が目指すのは近衛騎士だ。君は王城の侍女を目指すだろう?王都で育ててもらった僕らだ、王都で役目を果たそうと思う」
リディアはここにきて初めて尋ねた。
「アルレス殿下の側近におなりになるの?」
「どうだろうな。リディア、君はそう思う?」
メリンダとの婚約を解消したアルレス。彼は侯爵家という後ろ盾を手放した。だからと言って直ぐ様キャロラインと結びつけるのは浅慮なことだ。
王子としての役割を、彼も果たさねばならない。王子には側近が必要だ。
「メリンダ様から聞いたんだ」
「それは、なにを?」
「アルレス殿下にも縁談があるだろうと」
それは聞かずともわかることだった。来春にはメリンダと婚姻す予定だったアルレスは、その全ての手筈を塵にした。
招待した貴族も設えていた衣装も、二人が暮らすための準備は既に用意されていたのを、全てが元の木阿弥となった。
「その……キャロライン嬢とは、」
「有り得ない」
テリュースからの書簡では、三国の共同事業で生産される絹製品は、キャロラインの生家であるヴィリアーズ百貨店は販売の代理権を得られないだろうと思われた。
そうなれば、販売するには公爵家が経営するキャリントン百貨店から仕入れなければならないだろう。キャリントン家が売ってくれるのなら。
「では、ノア様はこれからどうなるの?アルレス殿下の側近候補から正式に外して頂けるの?」
「君はそれでも良い?」
「え?どういうこと?」
「僕が王族付きの栄誉に預かれなくても、一介の騎士でしかいられなくても恥ずかしくない?」
「そんなこと、一度だって思ったことはないわ。寧ろ貴方が望むなら、一緒に辺境の地で生きてもいい」
その言葉にノアは、一瞬息を詰まらせた。
「君の言葉が聞けて良かった」
そう言って、リディアを見つめて笑った。
同じ学園に通っているのに、普通の婚約者として過ごせずにいた二人。
ルパートと対面してからのノアは、少しの間寡黙な風で、リディアもメリンダと過ごすことが多かったから、帰路についてようやく落ち着いて向き合うことができた。
他愛のない話ばかりをしたと思う。
アルレスのこともキャロラインのことも、これから戻る王都のことも、敢えて互いに触れることはしなかった。
代わりに、今まで話せずにいた当り前のことを話した。
苦手な科目の内容や、秋の剣術大会や、来年互いに受ける王城での試験についてや。
それからノアは、辺境伯領で見てきたことを細かに教えて、リディアは公国の街で見たことを話した。
当り前の婚約者の会話。メリンダに手を差し伸べてもらえずにいたら、あの鬱屈したような王都にいてノアと会えない日々をどうやり過ごしていただろう。
そこでリディアはふと気がついた。
夢の中、リディアはそんな日々にノアを諦めたのか。
そんなことは考えられなかった。確かにキャロラインに追い詰められていたと思う。だが、そんなことでノアを諦めただろうか。
もしかしたら、もっと何か決定的なことが起こって、それがノアへの思慕を手放す切っ掛けになったのではないだろうか。それはきっと絶望したくなるほどの、覚悟の末のことだろう。
ノアとの未来に絶望して、ルパートの優しさに溺れてしまったのだろうか。
夢で夫だったルパートを、リディアは初見で馴染んだ人物だとわかってしまった。
だからだろう。ルパートには不思議な安心感を抱いてしまう。
彼は身近な人物を不安にさせることなど無いのだろう。圧倒的な安心感で包み込んで、余所見をする隙を与えない。
大人の貴族青年に、ノアを失い心が空っぽになったリディアは、求められるまま抗うこともせずに愛を受け取ることを選んだのか。
ルパートを怖いと思うのは、彼を嫌いになれないからだ。不快を一つも起こさせず、リディアの心に入り込む。気をつけないと、うっかり彼を見つめてしまいそうで、ルパートに引き込まれまい、ノアから引き離されまいとノアの顔を思い浮かべる。
「リディア、疲れた?」
揺れる馬車の振動に、つい、うとうとしていたらしい。眠ったつもりはなかったし、頭の中では夢と現実の出来事についてを考えていた。ずっとノアとルパートのことを考えていた。そのうち微睡みに誘い込まれていたようだ。
「いいえ、大丈夫よ。ノア様はお疲れではなくて?」
「手綱を持たないだけ楽をしている。騎士としては体たらくなことだ」
ノアは小柄ながら騎士の才覚がある。辺境伯領で鍛えてから、首回りが太くなったように見えるし、何よりあの白い肌が浅黒く焼けていた。
王都とは異なる荒行のような鍛錬から、毎日ヘトヘトになりながら帰ってくるノアは、辺境の夕日を背にして清々しく見えた。
「ノア様は、今も近衛騎士をお望みなの?」
「そうだな」
「辺境騎士とか、そんなことは考えなかったの?」
「考えたよ。キツいけれど、辺境は嫌いじゃない。寧ろ性に合っている。危険はあるが、生きてることを毎日実感する」
誰も知らない遠くの土地で生きたなら、ノアはきっと伸び伸びと羽を広げて、彼らしい人生を生きることができるだろう。近衛騎士だなんて望まずとも、騎士爵なんて得られずとも、剣の才を生かしていける。
そんなノアと一緒に生きることができるなら、リディアは貴族の身分を惜しいだなんて思わない。
けれどもそんな考えは、王都が近づくにつれて甘い考えだと思い直すのだった。
貴族に生まれて相応の教育を与えられて、それを放棄することは許されない。
どんな身分になろうとも、享楽的な生き方や、ましてや個人の幸福ばかりを望むことは、リディアたち貴族の子女には許されない。
「でもリディア。僕は別に王都が嫌な訳ではないよ」
「ノア様……」
「僕が目指すのは近衛騎士だ。君は王城の侍女を目指すだろう?王都で育ててもらった僕らだ、王都で役目を果たそうと思う」
リディアはここにきて初めて尋ねた。
「アルレス殿下の側近におなりになるの?」
「どうだろうな。リディア、君はそう思う?」
メリンダとの婚約を解消したアルレス。彼は侯爵家という後ろ盾を手放した。だからと言って直ぐ様キャロラインと結びつけるのは浅慮なことだ。
王子としての役割を、彼も果たさねばならない。王子には側近が必要だ。
「メリンダ様から聞いたんだ」
「それは、なにを?」
「アルレス殿下にも縁談があるだろうと」
それは聞かずともわかることだった。来春にはメリンダと婚姻す予定だったアルレスは、その全ての手筈を塵にした。
招待した貴族も設えていた衣装も、二人が暮らすための準備は既に用意されていたのを、全てが元の木阿弥となった。
「その……キャロライン嬢とは、」
「有り得ない」
テリュースからの書簡では、三国の共同事業で生産される絹製品は、キャロラインの生家であるヴィリアーズ百貨店は販売の代理権を得られないだろうと思われた。
そうなれば、販売するには公爵家が経営するキャリントン百貨店から仕入れなければならないだろう。キャリントン家が売ってくれるのなら。
「では、ノア様はこれからどうなるの?アルレス殿下の側近候補から正式に外して頂けるの?」
「君はそれでも良い?」
「え?どういうこと?」
「僕が王族付きの栄誉に預かれなくても、一介の騎士でしかいられなくても恥ずかしくない?」
「そんなこと、一度だって思ったことはないわ。寧ろ貴方が望むなら、一緒に辺境の地で生きてもいい」
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「君の言葉が聞けて良かった」
そう言って、リディアを見つめて笑った。
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