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その後は、ロバートと手分けをして新作ドレスの販売先の確認や取引先への発注依頼に諸々の書類の作成やらを熟してから、ロバートと連れ立って銀行へ向かった。
職人達が最も欲するのは報酬である。激励の言葉は確かに労いにはなるが、言葉で腹は膨れない。彼等を支えるのは金銭である。これから増産で繁忙期を迎えるのを見越して、手当は少しばかり多めに計上した。
銀行から資金を下ろしジョージへ預ける頃には昼時を迎えていた。
「グレース、そろそろ昼食はどうだろう。」
「まあ、もうそんな時間?ええ、今日はどちらに致しましょう。」
「良ければ知人が新しく始めたカフェがある。軽食ばかりだろうが、評判らしいから覗いてみないか?」
昼時は大抵ロバートと一緒に食事を摂っていた。この界隈では二人がビジネスパートナーであることは知られているから、仮に二人きりで歩いていたとしても可怪しな噂にはならない。大抵はジョージとフランシスも一緒であるから、二人きりというのは殆ど無いのだが。
この日も四人が連れ立って出掛けることとなった。
ロバートは交友関係が広い。
人脈を大事にして義理堅く約束事を反故にする事が無い為に、彼は頗る人望が厚い。ロバートこそ経営者の鑑であるとグレースは常から思っていた。
新しいカフェと云うのは噂に聞いたことがあった。どこかの茶会でも話題に上がっていたのを耳にして、いつか行ってみたいと思ったまま忙しさに忙殺されてすっかり忘れていた。
「噂通りのとても素敵なお店だわ。」
「そうだろう。気に入ってもらえたかな?」
「ロバート様、それではまるでご自分の店のような言い様ですよ。」
ロバートの得意気な言い様をジョージが揶揄う。グレースは、そんな気の置けない関係の二人を微笑ましく見ていた。
「グレース様。」
そんなグレースに、フランシスが小声で呼び掛ける。その表情にグレースはそっと周囲に目を配る。
「まあ、旦那様ね。」
グレースが囁けばフランシスは小さく頷いた。
本当に仕方の無い方。大方、恋人に強請られたのだろう。それとも昨晩本邸に泊まった為のご機嫌取りであるのか。まあ、どちらにしても恋人と連れ立って話題のカフェに来たのだろう。
グレースは背を向ける恰好で座っていたから、多分このまま気付かれる事はないだろうと思った。
隣に座るロバートの袖を少しばかり引っ張って、後方に視線を流す。釣られて視線を動かしたロバートも、二人に気が付いたらしい。
「大丈夫かい?今日は別の店にしようか?」
ロバートにそんな気遣いまでさせてしまって、グレースはなんだか情けなくなった。
「いいえ、ご心配には及びません。あの方達も楽しんでいらっしゃるのですし、私達が邪魔をしている訳でもありませんから。」
そう言えば、フランシスが気遣わしげにこちらを見る。
大丈夫よ、とそれに笑みを向けて食事を待つことにした。
程なく料理が配られ、目新しい食材や斬新な盛り付けに目を奪われて料理を楽しんでいるうちに、いつしか夫達の事も忘れていた。グレースは背を向けていたので彼等が視界に入る事も無かった。
そうして食事も終わりに差し掛かるころ、
「グレース。」
行き成り声を掛けられて驚いたのはグレースばかりではない。
「こんなところで何をしている。」
貴方こそ、恋人を前にして私に声を掛けて良かったの?
そう尋ねたとして、今の夫には通じないかも知れない。
何とも憮然とした表情である。
貴方は次期侯爵当主なのですよ。
席を見れば見知った面々ばかりであるのだから、先ずは挨拶をしてほしい。
「商会のお仲間と昼食を摂っておりましたの。」
仕方無しにそのままを伝えれば、
「君一人に男ばかり三人も?」
何人いても関係ありません。
そう言えたならどれほど楽だろう。
「フランシスは私の従者です。一緒にいて当然です。」
「ふん」
ふん、ですって?旦那様ったら、真逆そんな大人気無い事を本気で言ってるの?
余りの悪態に、今朝の可愛い夫とは別人に思えて来る。
「昨晩ぶりだね、リシャール殿。」
助け舟はロバートであった。
「奥方は私のパートナーであるから、仕事の合間の食事はいつもの事だよ。そんなことより、」
ロバートはそこで、後ろに座っているイザベルへ視線を向けたらしい。生憎グレースは背を向けているので彼女がどんな様子であるのか分からない。分からない方が良いかも知れない。
「愛人殿は放っておいて宜しいのかな?」
ロバートは、はっきりとイザベルを愛人と呼んだ。誰も彼もそう思うのを、実際口にする者はこれまでいなかったのだろう。
「君、失礼だぞ。」
「君こそ可怪しくないか?いつまで学生気分で浮かれているのか甚だ呆れてしまうね。」
ロバートは、平素は分を弁えて決して好戦的な男ではない。経営者である彼は忍耐もあるし作法も心得ている。
それが生家の爵位が上であるリシャールを相手に、こんな公衆の面前で愛人を伴う夫を詰っている。
夫と共同経営者、どちらとも深く関わっているグレースは居た堪れない気持ちになった。
果たしてリシャールは、今にも手袋を投げ捨てて表へ出ろと言い出しそうな勢いである。朗らかな彼らしくなく感情的になっている。
「旦那様。お連れの方が案じていらっしゃるご様子です。」
冷静なフランシスの言葉に、反射的にリシャールがイザベルを振り返った。
「失礼する!」
リシャールが謝罪の言葉も無くそのまま踵を返して戻って行くのを、グレースはこれで終いなのかと見送った。視線の先には、このまま店を出るのだろう、イザベルの腰を抱いて扉へ向かうリシャールの後ろ姿が見えた。
「フランシス、有難う。」
「いえ、グレース様。」
「君は何も悪くないよ。非常識なのは夫君だ。」
「え?」
「君が遠慮する必要があるのか?何故君ばかりが背負い込む。私は彼等を学生の頃より知っている。だから敢えて言わせてもらった。彼等こそいい加減大人になるべきだと思うよ。」
グレースは、リシャールが恋人を手放さない事を解った上でこの婚姻を受け入れた。リシャールなりにグレースを妻と認めているのは理解出来ていたし、夜を共に過ごす夫をグレースなりに愛おしく思っていた。
だからと言ってグレースが、彼等と自身との関わりに無関心でいた訳では無い。
それを言葉にしてしまえば、漸く均衡を保っているものが崩れる事を解っていたから、それを壊さぬ様にやり過ごして来ただけなのであった。
職人達が最も欲するのは報酬である。激励の言葉は確かに労いにはなるが、言葉で腹は膨れない。彼等を支えるのは金銭である。これから増産で繁忙期を迎えるのを見越して、手当は少しばかり多めに計上した。
銀行から資金を下ろしジョージへ預ける頃には昼時を迎えていた。
「グレース、そろそろ昼食はどうだろう。」
「まあ、もうそんな時間?ええ、今日はどちらに致しましょう。」
「良ければ知人が新しく始めたカフェがある。軽食ばかりだろうが、評判らしいから覗いてみないか?」
昼時は大抵ロバートと一緒に食事を摂っていた。この界隈では二人がビジネスパートナーであることは知られているから、仮に二人きりで歩いていたとしても可怪しな噂にはならない。大抵はジョージとフランシスも一緒であるから、二人きりというのは殆ど無いのだが。
この日も四人が連れ立って出掛けることとなった。
ロバートは交友関係が広い。
人脈を大事にして義理堅く約束事を反故にする事が無い為に、彼は頗る人望が厚い。ロバートこそ経営者の鑑であるとグレースは常から思っていた。
新しいカフェと云うのは噂に聞いたことがあった。どこかの茶会でも話題に上がっていたのを耳にして、いつか行ってみたいと思ったまま忙しさに忙殺されてすっかり忘れていた。
「噂通りのとても素敵なお店だわ。」
「そうだろう。気に入ってもらえたかな?」
「ロバート様、それではまるでご自分の店のような言い様ですよ。」
ロバートの得意気な言い様をジョージが揶揄う。グレースは、そんな気の置けない関係の二人を微笑ましく見ていた。
「グレース様。」
そんなグレースに、フランシスが小声で呼び掛ける。その表情にグレースはそっと周囲に目を配る。
「まあ、旦那様ね。」
グレースが囁けばフランシスは小さく頷いた。
本当に仕方の無い方。大方、恋人に強請られたのだろう。それとも昨晩本邸に泊まった為のご機嫌取りであるのか。まあ、どちらにしても恋人と連れ立って話題のカフェに来たのだろう。
グレースは背を向ける恰好で座っていたから、多分このまま気付かれる事はないだろうと思った。
隣に座るロバートの袖を少しばかり引っ張って、後方に視線を流す。釣られて視線を動かしたロバートも、二人に気が付いたらしい。
「大丈夫かい?今日は別の店にしようか?」
ロバートにそんな気遣いまでさせてしまって、グレースはなんだか情けなくなった。
「いいえ、ご心配には及びません。あの方達も楽しんでいらっしゃるのですし、私達が邪魔をしている訳でもありませんから。」
そう言えば、フランシスが気遣わしげにこちらを見る。
大丈夫よ、とそれに笑みを向けて食事を待つことにした。
程なく料理が配られ、目新しい食材や斬新な盛り付けに目を奪われて料理を楽しんでいるうちに、いつしか夫達の事も忘れていた。グレースは背を向けていたので彼等が視界に入る事も無かった。
そうして食事も終わりに差し掛かるころ、
「グレース。」
行き成り声を掛けられて驚いたのはグレースばかりではない。
「こんなところで何をしている。」
貴方こそ、恋人を前にして私に声を掛けて良かったの?
そう尋ねたとして、今の夫には通じないかも知れない。
何とも憮然とした表情である。
貴方は次期侯爵当主なのですよ。
席を見れば見知った面々ばかりであるのだから、先ずは挨拶をしてほしい。
「商会のお仲間と昼食を摂っておりましたの。」
仕方無しにそのままを伝えれば、
「君一人に男ばかり三人も?」
何人いても関係ありません。
そう言えたならどれほど楽だろう。
「フランシスは私の従者です。一緒にいて当然です。」
「ふん」
ふん、ですって?旦那様ったら、真逆そんな大人気無い事を本気で言ってるの?
余りの悪態に、今朝の可愛い夫とは別人に思えて来る。
「昨晩ぶりだね、リシャール殿。」
助け舟はロバートであった。
「奥方は私のパートナーであるから、仕事の合間の食事はいつもの事だよ。そんなことより、」
ロバートはそこで、後ろに座っているイザベルへ視線を向けたらしい。生憎グレースは背を向けているので彼女がどんな様子であるのか分からない。分からない方が良いかも知れない。
「愛人殿は放っておいて宜しいのかな?」
ロバートは、はっきりとイザベルを愛人と呼んだ。誰も彼もそう思うのを、実際口にする者はこれまでいなかったのだろう。
「君、失礼だぞ。」
「君こそ可怪しくないか?いつまで学生気分で浮かれているのか甚だ呆れてしまうね。」
ロバートは、平素は分を弁えて決して好戦的な男ではない。経営者である彼は忍耐もあるし作法も心得ている。
それが生家の爵位が上であるリシャールを相手に、こんな公衆の面前で愛人を伴う夫を詰っている。
夫と共同経営者、どちらとも深く関わっているグレースは居た堪れない気持ちになった。
果たしてリシャールは、今にも手袋を投げ捨てて表へ出ろと言い出しそうな勢いである。朗らかな彼らしくなく感情的になっている。
「旦那様。お連れの方が案じていらっしゃるご様子です。」
冷静なフランシスの言葉に、反射的にリシャールがイザベルを振り返った。
「失礼する!」
リシャールが謝罪の言葉も無くそのまま踵を返して戻って行くのを、グレースはこれで終いなのかと見送った。視線の先には、このまま店を出るのだろう、イザベルの腰を抱いて扉へ向かうリシャールの後ろ姿が見えた。
「フランシス、有難う。」
「いえ、グレース様。」
「君は何も悪くないよ。非常識なのは夫君だ。」
「え?」
「君が遠慮する必要があるのか?何故君ばかりが背負い込む。私は彼等を学生の頃より知っている。だから敢えて言わせてもらった。彼等こそいい加減大人になるべきだと思うよ。」
グレースは、リシャールが恋人を手放さない事を解った上でこの婚姻を受け入れた。リシャールなりにグレースを妻と認めているのは理解出来ていたし、夜を共に過ごす夫をグレースなりに愛おしく思っていた。
だからと言ってグレースが、彼等と自身との関わりに無関心でいた訳では無い。
それを言葉にしてしまえば、漸く均衡を保っているものが崩れる事を解っていたから、それを壊さぬ様にやり過ごして来ただけなのであった。
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