名前が強いアテーシア

桃井すもも

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公爵令嬢ともなれば、その誕生祝いとは、家を挙げて有力貴族家の子女等を招き盛大に祝うものなのだろう。
その身が王太子殿下の婚約者であり、未来の国母となるのであれば尚の事である。

しかし、アテーシアの場合はそうはならなかった。
モールバラ公爵家は王家の傍系で、筆頭公爵家として既に国政の場で揺るがない地位と権勢を誇っていた。向かい合う双子星の様に王家と共にあり続ける公爵家は、その邸には容易く人を招かない。天秤の主軸の様に、芯をずらすこと無く中庸を守りバランスを取る。
だから、息子も娘もその生誕は家族で集い祝うのが常であった。


十六歳の誕生日の早朝、寮には小振りな花束と焼菓子が届けられた。焼菓子には日持ちするバタークリームが添えられていた。
週末には邸に戻るから、その夜の晩餐が家族との祝いの席となる。

生まれて初めてたった一人で迎える誕生日である。初夏の気配を感じさせる、春の終わりと夏の始まり。そんな季節の狭間に生まれたのがアテーシアであった。

何故、女軍神の名を授けたのだろう。
十二歳のあの日に気付いたことを、これまで両親に尋ねた事はなかった。
女神は女神でも、戦神いくさがみなどではなくて、アフロディーテやヴィーナスなど美や愛の女神から名を得たならば、違う今があったのだろうか。

それでも家族がアテーシアの幸福な人生を願って付けた名であるのだろう。
母の美しい筆致で綴られたメッセージカードの自身の名は、確かな愛が込められているのだと感じられた。

こんな温かな感情を、アンドリューの文から得られた記憶は残念ながら覚えが無い。
月に一度の手紙が、先にアンドリューから齎された事は無かった。王妃との茶会に合わせてアテーシアがご機嫌伺いの文を出し、それに返信と言う形でその月に会えない理由が添えられる。

そんな形骸的な不毛なやりとりを、この先三年続けなければならない。これより三年後、二人の卒業を待って婚礼の儀が執り行われるのは、十歳の婚約の時には既に定められた事であった。


好物のレモンケーキは料理長が焼いてくれたのだろう。菓子を造る専門のパティシエはいるが、アテーシアの誕生日ケーキは毎年料理長が焼いてくれた。

「甘い。甘くてほんのり酸っぱくて美味しいわ。」

朝食もまだであるのに端なく菓子を頬張るも、一人住まいの室内でそれをたしなめる侍女はいない。

お嬢様は朝日と共にお生まれになったのだと、そう教えてくれたのは侍女頭である。この世を照らす姫君なのだと、そう言って誕生の祝いの言葉をくれたのは、アンドリューとの婚約が整う前だったと思う。

一人きりの誕生日の朝に、アテーシアは自分に向けて言ってみた。

「お誕生日、おめでとう。」



「何を読んでいるの?神話?」

授業が始まる前の図書室で、書物に触れるのは既に日常となっていた。それはパトリシアも同様で、どちらともなく向かい合わせに席に着き、時には隣に座ってみたりする。

アテーシアはこの日、神話を読んでいた。
これは邸から持ち出したもので、十二歳のあの日に自身の名の由来を教えてくれたのもこの本である。

「神話は好きなのです。」
「確かに面白いわよね。神様も案外人間らしくて。」
「パトリシア様もそう思われますか?」
「そうね。一層愚かなほど人間くさいと思えるわ。よく怒るし泣くし戦うし。それから案外色欲強めよね。」
「全く以って同感です。何故にあれほど気が多いのやら。貴族令嬢の方が余程自身を律しております。」

「アテーナがお好きなの?」

パトリシアの視線の先は、父王ゼウスの頭頂部より武装して鎧を纏った姿で産まれたアテーナの挿絵である。

「知恵と勇気の女神よね。」
「え?」
「彼女が誕生した時は、大地も海も揺れ動いて太陽すら止まったと言うじゃない。それって凄い事よね。」
「凄いのでしょうか。」
「凄いわよ。強いし賢いし美しい。」
「強くて厭われる事もあるのではないでしょうか。」
「ふふ、そんな事を思うのは、きっと自分が弱いからよ。」
「弱い?」

欠けるところの無い満月の様なアンドリューがアテーシアを厭うのは、決して自身が弱かったからではないだろう。けれどもこの日、アテーシアはアテーナ神に尊敬を覚えた。アテーナの名をもらった自身の名前が誇らしく思えた。

「シア、まるで貴女の様ね。」
「え?」
「強くて賢くて、それから小さくて眼鏡も前髪も可愛いわ。」
「それって、全然アテーナではありませんね。」
「良いじゃない。可愛いは正義よ。」
「それって、先週読んだ『週刊貴婦人』の見出し文句ですよね。」
「バレた?」

誕生を疎まれたパトリシアに、名前の由来を褒められた。アテーシアこそ、この世に生を受けたパトリシアを祝ってあげたい。聞くとは無しに誕生日を聞いて見れば、それは四月のうちに終わっていた。

「パトリシア様、いつか、いつか二人だけのお誕生会を致しませんか?二人でお互いが生まれた事をお祝いしてみませんか。」

そう言うとパトリシアは、

「素敵だわ。シア、貴女と一緒なら自分が生まれた事を喜ばしいと思えるかも知れない。」

翠の瞳に薄っすらと透明な膜が張り、それは清水を湛えた泉の様に見えた。
なんて美しい瞳なのだろうと、アテーシアはその瞳に見入った。



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