名前が強いアテーシア

桃井すもも

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【27】

教室まであと少しというところであった。

「おい、」

厄災とは、大抵いつもあちらからやって来る。

「おいと言ってるだろう。」

どちらともなく足を止めて、アテーシアは隣のパトリシアを見上げた。それから二人同時に後ろを振り返れば、

「うっ、」

呼んでおいて失礼である。
パトリシアを見てかアテーシアを見てか、パトリックは小さく呻き声を漏らした。

「何かしら。」
「お前ではない、いや、お前にも聞くことはあるが、お前だ。」

お前が多すぎて誰がお前なのか解らない。

「お前だ、お前。」
「パトリック、いい加減になさい。」
「お前は黙ってろ。」

廊下で態々わざわざ呼び止めておいてお前の連呼。斬ってしまいたい。
斬って良いかしら?とパトリシアを見上げれば、今は我慢なさいと目で諭された。

「何を仰りたいのか解りませんが、殿下のお側を離れて宜しいのですか。」

埒が明かないので、アテーシアから話し掛けた。

「良いんだ。お前の気にする事ではない。それより、お前っ、」

アテーシアは秘密兵器「吸い込まれる瞳」を発動しようか悩んだが、もう少し様子を見る。

「お前、何故、辺境に行くんだっ」
「バカンスですわ。」
「嘘を言えっ」
「紅茶が美味しいからですわ。」
「馬鹿にしているのか!」

全然馬鹿になどしていない。剣を振るう為のバカンスだし、彼処は紅茶の名産地である。

「しかもっ、何故辺境なのだっ、殿下が王立騎士団にお誘いしたというのにっ、」

あんまりパトリックが騒ぐから、人が集まって来てしまった。

「そんな事より、お前。何故騎士になるっ、私は聞いていない!」

知らんがな。

「お黙りなさい。」

すっかり呆れて何も言えないアテーシアに代わって、パトリシアが放った一言には侯爵令嬢の威厳があった。

「パトリック、いい加減になさい。貴方こそ騎士の精神を学び直した方が良いわよ。お兄様に文を書きます。きっと貴方に良いアドバイスをして下さるわ。」

「そんなのは無用だ。それよりお前、いつまで寮に籠もっているつもりだ。」
「卒業するまでかしら。」
「それでもリンジー家の人間かっ」
「残念ながら、生まれは選べないのだもの仕方無いでしょう。」

艶のある金の髪に翠の瞳。同じ色味と顔立ちの二人が向かい合わせになっている。男女の違いはあれど、鏡に映したようによく似た姉弟が対峙している。

パトリックがパトリシアの出生に触れようとする気配を悟って、アテーシアは瞬間的に抑えられない感情が湧き起こった。もしかしたらアンドリューより沸点が低いのはアテーシアの方であるかも知れない。

「お前。」
「何?!」

これには周囲も驚いた。子爵令嬢が侯爵令息をお前呼ばわりしている。学園内の平等も、これは流石に不味いだろう。

「お前が私をお前お前と連呼するから、こちらもそれに倣ったまで。
お前、いい加減にせよ。どうやらお前には紳士も騎士も早いようだな。私は良いガヴァネスを知っている。良い機会だからお前に紹介してやろう。邸でしっかり自習せよ。」

パトリシアに絡む姿にすっかり頭に来ちゃったアテーシアは、「シア」を脱ぎ捨てアテーシアに戻ってしまった。前髪ぱっつん赤縁眼鏡で身を偽っても、アテーシアの真髄は筆頭公爵家の令嬢である。その身分だけでパトリックを蹴散らせる。模擬戦では片足だけで蹴散らした。

驚いた事に、あれだけ騒いでいたパトリックは驚き過ぎてしまったのか、アテーシアを見つめたまま固まって動けずにいる。

その時、パトリックの肩越しにこちらへ向かって来る高貴な集団が目に入った。

「パトリック、何をしている?」

異様な空気に気付いたエドモンドが声を掛けるも、パトリックは未だ動かない。

「パトリック?」
「あ、ああ、」

漸く硬直の解けたパトリックは、それでも視線ばかりはアテーシアから離せずにいる。

「何があったのかな?パトリシア嬢。」
「弟が一人で騒いでいただけですわ。あまりに五月蝿いのをシアが止めてくれましたの。」
「へえ。」

エドモンドに尋ねられて、パトリシアがおっとり答えた。浮かべる笑みが美しい。アテーシアの興奮もみるみる治まり、いつものちんまい小動物シアになった。

「そうなのかい?シア嬢。」
「はい。」

嘘つけ、侯爵令息に噛みついてあんな不敬を堂々と晒しておいて、とギャラリーは思うも誰も口出し出来ずにいた。

リチャードがパトリックの肩をぽんと叩き彼を連れて先に教室へ向かう。まるで連行される様なその後ろ姿を眺めていたアテーシアに、

「騒がせたね。」

アンドリューが高貴な微笑みで鷹揚にのたまった。
全くですわ。殿下、子分の躾はきちんとなさって下さいな。
実はアンドリュー以上に沸点が低かったアテーシアは、パトリックのパトリシアへの無礼を思い出し内心ぷりぷり文句を漏らしていた。

だから、アテーシアの横を通り過ぎるアンドリューが、ちらりとこちらを見下ろした際には、眼ヂカラ強めに睨み付けてやった。この瞳に吸い込んでやる!

それにアンドリューは気を悪くする風も無く、ふっと笑いを漏らして去って行った。

重ね重ね不敬なアテーシアに、ギャラリーは狂犬を見るような眼差しを向けるも、当の本人は自分とは空気の様に目立たない地味令嬢だと思い込んでいたから、衆目を集めているのにも全然気付かず、

「パトリシア、行きましょう。」
なんて、何も無かった様に呑気に教室へと歩き出した。




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