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第十六章
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「うっ」
うつ伏せに倒された男から小さな呻き声が漏れた。
アーチーに乗りかかられて首筋に剣の刃を当てられ、身動き一つできずにいる。
「貴様、どこから来た。いや、どうやってこの国に……」
アーチーが問うたのは、男の褐色の肌が近隣諸国には見られない民族だと判断したからだろう。
「……!まさか貴様、」
「アーチー殿、そこまでです」
今にも首に切りつける勢いだったアーチーは、何かに気づいたようで押し当てていた剣の刃を離した。同時にウォルターが、アーチーの背後に回り込んだ。
ウォルターはいつの間に用意していたのか、腰から縄を取り出すと、アーチーに乗っかられたままの男の手を掴み、後ろ手にして両手首を結わえた。あまりの鮮やかさに、ルドヴィカは呆気に取られて何も言えずにいた。
「ルドヴィカ様、大丈夫ですか」
なおも男の背中に乗ったまま、アーチーが尋ねてきた。他人の背中を踏みつけにして、なのに表情はルドヴィカを案じている。そのアンバランスな姿に、ルドヴィカはなにを言ってよいのか戸惑った。
あろうことかアーチーは、男の髪を掴み、そのまま顔を持ち上げた。アーチーを乗せたまま海老のように身体を反らされて、男が再び小さく呻いた。
アーチーの、美麗な顔立ちからは想像できない手荒さに、彼が騎士であることを改めて知らされたような気持ちになる。
そんなアーチーにランプを持たせて、毎日毎日暗闇の通路を歩かせていたなんて。彼は本来なら、こんな腑抜けの幽閉妃に付き合わせてよい人物ではない。
男の頭をぐいぐい掴み上げるアーチーに、ルドヴィカは闖入者よりもアーチーの将来に思いを馳せた。
だがそこで、異変に気づいたのはルドヴィカだった。
「アーチー、そちらのお方、顔が赤く見えるのだけれど」
それは髪をむんずと鷲掴みにされて海老反りにされているからだろう。息が詰まって顔が紅潮しているのだが、ルドヴィカはなにを思ったのか、老司祭の背中から出て男のほうへ歩み寄った。
「こちらに来てはなりません、司祭殿のおそばにおいでください」
アーチーの制止を無視して、ルドヴィカは男の正面までくると、
「やっぱり、可怪しいわ。この方、熱があるのではなくて?」
そう言って、おもむろに男の額に手を当てた。
「なにをなさっているんです!」
「アーチーが押さえているから大丈夫よ、それより、額が熱いわ、発熱しているんだわ」
叫ぶように制止したアーチーに、ルドヴィカが言う。
「看護しなくては」
「なにを馬鹿なことを言っているんですか」
「病人よ?」
「それがどうしたと。此奴は旅人などではありません。熊の毛皮なんて、そんなものを被る旅人などおりません。この肌も、私は一度しか見たことがない」
熊の毛皮が脱げてしまった男は、ルドヴィカと同じ年頃の青年だった。アーチーの言葉に、ルドヴィカもまた記憶の中に男と同じ褐色の肌を思い出した。
「アーチー、この方……」
「ルドヴィカ様が関わってよい人物ではないんです。司祭殿、ここに牢はありますか」
アーチーは青年を牢に収監する気でいる。
「神の家に牢なんてものはございません。人間はこの世に生まれ落ちたその瞬間から、抗うことのできない牢に囚われている身なのですから」
「……」
説法めいたことを言いだした老司祭に、アーチーは彼を当てにすることをやめたようだった。
「アーチー、この方から降りてちょうだい」
「なにを考えておいでです。此奴はここにいてよい男などではないんです。直ちに王都に移送します」
「移送ですって?」
「当たり前でしょう。そもそも此奴、どこからここへ来たんだ?」
アーチーは尚も青年の髪を掴み上げて、その耳元で問い詰めた。
「どこから入国した。どこからここへ来た。辺境伯領からか?王都からか?」
青年が苦しげに呻く。頬ははっきりわかるほど赤く染まっていた。
「アーチー殿、確かに発熱しているようですな」
ウォルターはルドヴィカの横に来ると、青年の顔をまじまじと眺めて、彼が発熱していることを確かめた。
「麓にやるか、屋敷に連れて行くか。いや、取り敢えずここに置いて麓の人間を呼ぼう。ルドヴィカ様と引き離すことのほうが先だ」
そう言ったアーチーは、青年が発熱していようが苦しかろうが構わないのだろう。完全に密入国者と決めつけて、関所の憲兵に引き渡すことまで考えている。
「病人をこのままにはできないわ」
「貴女は甘すぎだ」
アーチーは、ルドヴィカを叱った。
「何のために貴女をここへ移したとお思いか」
ルドヴィカは他者と接することを許されてはいない。老司祭はウォルターが身元と為人を保証しているから接触を許された、それだけである。
「殿下のお気持ちを無下になさらないでいただきたい」
ルドヴィカはその言葉に、何も言えなくなってしまった。思いがけずマクシミリアンを持ち出されて、息を呑んだ。
「マ、マクシミリアン様は……、マクシミリアン様は私には何も言ってはくださらなかったわ。これからどうするのか、何一つ教えてはくださらなかった」
「ルドヴィカ様」
マクシミリアンはあの夜、寝込みを襲うように寝台にいたルドヴィカを抱き上げて、着替えることも許さずにそのまま馬車に放り込んだ。
別れ際に言ったのは、逃げずに大人しくしていろということだった。
ルドヴィカが逆の立場であるなら言っただろう。どこにいても貴方を忘れない、どこにいても愛している。
マクシミリアンはルドヴィカに、愛しているとは言ってくれなかった。あれが今生最後の別れだったかもしれないのに。
「私がマクシミリアン様に言われたのは、逃げるなということよ。だから私は逃げも隠れもしていないわ。ここでそのお方の看護をいたします」
勝手を言っているのだと承知の上だった。だが、マクシミリアンはここにはいない。文の一つも送ってはくれない。
言いつけを守っているなら、あとはルドヴィカのする事に彼は口出しなんてできないのである。
「アーチー殿、この青年、死なせてはなりませんぞ」
ウォルターの言葉に、アーチーが微かに表情を変えたのがわかった。
うつ伏せに倒された男から小さな呻き声が漏れた。
アーチーに乗りかかられて首筋に剣の刃を当てられ、身動き一つできずにいる。
「貴様、どこから来た。いや、どうやってこの国に……」
アーチーが問うたのは、男の褐色の肌が近隣諸国には見られない民族だと判断したからだろう。
「……!まさか貴様、」
「アーチー殿、そこまでです」
今にも首に切りつける勢いだったアーチーは、何かに気づいたようで押し当てていた剣の刃を離した。同時にウォルターが、アーチーの背後に回り込んだ。
ウォルターはいつの間に用意していたのか、腰から縄を取り出すと、アーチーに乗っかられたままの男の手を掴み、後ろ手にして両手首を結わえた。あまりの鮮やかさに、ルドヴィカは呆気に取られて何も言えずにいた。
「ルドヴィカ様、大丈夫ですか」
なおも男の背中に乗ったまま、アーチーが尋ねてきた。他人の背中を踏みつけにして、なのに表情はルドヴィカを案じている。そのアンバランスな姿に、ルドヴィカはなにを言ってよいのか戸惑った。
あろうことかアーチーは、男の髪を掴み、そのまま顔を持ち上げた。アーチーを乗せたまま海老のように身体を反らされて、男が再び小さく呻いた。
アーチーの、美麗な顔立ちからは想像できない手荒さに、彼が騎士であることを改めて知らされたような気持ちになる。
そんなアーチーにランプを持たせて、毎日毎日暗闇の通路を歩かせていたなんて。彼は本来なら、こんな腑抜けの幽閉妃に付き合わせてよい人物ではない。
男の頭をぐいぐい掴み上げるアーチーに、ルドヴィカは闖入者よりもアーチーの将来に思いを馳せた。
だがそこで、異変に気づいたのはルドヴィカだった。
「アーチー、そちらのお方、顔が赤く見えるのだけれど」
それは髪をむんずと鷲掴みにされて海老反りにされているからだろう。息が詰まって顔が紅潮しているのだが、ルドヴィカはなにを思ったのか、老司祭の背中から出て男のほうへ歩み寄った。
「こちらに来てはなりません、司祭殿のおそばにおいでください」
アーチーの制止を無視して、ルドヴィカは男の正面までくると、
「やっぱり、可怪しいわ。この方、熱があるのではなくて?」
そう言って、おもむろに男の額に手を当てた。
「なにをなさっているんです!」
「アーチーが押さえているから大丈夫よ、それより、額が熱いわ、発熱しているんだわ」
叫ぶように制止したアーチーに、ルドヴィカが言う。
「看護しなくては」
「なにを馬鹿なことを言っているんですか」
「病人よ?」
「それがどうしたと。此奴は旅人などではありません。熊の毛皮なんて、そんなものを被る旅人などおりません。この肌も、私は一度しか見たことがない」
熊の毛皮が脱げてしまった男は、ルドヴィカと同じ年頃の青年だった。アーチーの言葉に、ルドヴィカもまた記憶の中に男と同じ褐色の肌を思い出した。
「アーチー、この方……」
「ルドヴィカ様が関わってよい人物ではないんです。司祭殿、ここに牢はありますか」
アーチーは青年を牢に収監する気でいる。
「神の家に牢なんてものはございません。人間はこの世に生まれ落ちたその瞬間から、抗うことのできない牢に囚われている身なのですから」
「……」
説法めいたことを言いだした老司祭に、アーチーは彼を当てにすることをやめたようだった。
「アーチー、この方から降りてちょうだい」
「なにを考えておいでです。此奴はここにいてよい男などではないんです。直ちに王都に移送します」
「移送ですって?」
「当たり前でしょう。そもそも此奴、どこからここへ来たんだ?」
アーチーは尚も青年の髪を掴み上げて、その耳元で問い詰めた。
「どこから入国した。どこからここへ来た。辺境伯領からか?王都からか?」
青年が苦しげに呻く。頬ははっきりわかるほど赤く染まっていた。
「アーチー殿、確かに発熱しているようですな」
ウォルターはルドヴィカの横に来ると、青年の顔をまじまじと眺めて、彼が発熱していることを確かめた。
「麓にやるか、屋敷に連れて行くか。いや、取り敢えずここに置いて麓の人間を呼ぼう。ルドヴィカ様と引き離すことのほうが先だ」
そう言ったアーチーは、青年が発熱していようが苦しかろうが構わないのだろう。完全に密入国者と決めつけて、関所の憲兵に引き渡すことまで考えている。
「病人をこのままにはできないわ」
「貴女は甘すぎだ」
アーチーは、ルドヴィカを叱った。
「何のために貴女をここへ移したとお思いか」
ルドヴィカは他者と接することを許されてはいない。老司祭はウォルターが身元と為人を保証しているから接触を許された、それだけである。
「殿下のお気持ちを無下になさらないでいただきたい」
ルドヴィカはその言葉に、何も言えなくなってしまった。思いがけずマクシミリアンを持ち出されて、息を呑んだ。
「マ、マクシミリアン様は……、マクシミリアン様は私には何も言ってはくださらなかったわ。これからどうするのか、何一つ教えてはくださらなかった」
「ルドヴィカ様」
マクシミリアンはあの夜、寝込みを襲うように寝台にいたルドヴィカを抱き上げて、着替えることも許さずにそのまま馬車に放り込んだ。
別れ際に言ったのは、逃げずに大人しくしていろということだった。
ルドヴィカが逆の立場であるなら言っただろう。どこにいても貴方を忘れない、どこにいても愛している。
マクシミリアンはルドヴィカに、愛しているとは言ってくれなかった。あれが今生最後の別れだったかもしれないのに。
「私がマクシミリアン様に言われたのは、逃げるなということよ。だから私は逃げも隠れもしていないわ。ここでそのお方の看護をいたします」
勝手を言っているのだと承知の上だった。だが、マクシミリアンはここにはいない。文の一つも送ってはくれない。
言いつけを守っているなら、あとはルドヴィカのする事に彼は口出しなんてできないのである。
「アーチー殿、この青年、死なせてはなりませんぞ」
ウォルターの言葉に、アーチーが微かに表情を変えたのがわかった。
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