幽閉妃ルドヴィカ

桃井すもも

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終章

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 ルドヴィカの名を初めて聞いたのは、弟からだった。

 第二王子のアーチボルトには、バーナーズ侯爵家の嫡男が友人となっていた。
 将来、弟の後ろ盾となるために引き合わされていたのだが、少年たちにはそんなことは関係なかったようである。

 侯爵家嫡男はフレデリクといって、アーチボルトは彼を王城に呼んだり自身が侯爵家を訪ねたりして、友情を深めているようだった。

 そのアーチボルトから、度々令嬢の名を聞くようになったのは、いつ頃のことだろう。

「ルドヴィカは、領地で小作人の娘と間違えられたんだって」

 アーチボルトはその話をするときに、思い出してしまったのか、ふふっと笑った。

 フレデリクには一つ年上の姉がいる。
 ルドヴィカというその令嬢は、どうやら生家の領地を好んでいるらしい。
 王都住まいの侯爵家の令嬢にしては、珍しいことだろう。

 バーナーズ侯爵家は王国の西側に広大な穀倉地帯を領地に持ち、傘下貴族を合わせれば小麦の生産高は王国の食糧庫と呼ばれるほどのものになる。
 そのバーナーズ侯爵家の長子であるルドヴィカは、幼い頃から領地に馴染んでいた。

 少し前まで、ルドヴィカは収穫期の領地を訪れていたという。そこで領民の子らとも顔馴染みとなって、ある日、カントリーハウスの使用人の子も交えて屋敷の傍の道端で話し込んでいた。

 そこへ、馬に乗った行商人らしい者が通りかかり、ルドヴィカたちの傍で馬を止めて尋ねた。

「そこの娘、カレンズ商会への道はここでよかったかい?」

 ルドヴィカのほかにも子供たちが数人いたのに、男は迷うことなくルドヴィカに尋ねた。

「ん?知らないのか?小作人の子なら知っていると思ったんだが」

 カレンズ商会とは、食料品や日用品ほかに農機具を取り扱う店である。農民の子なら知っていて当然と思ったのだろう。

 門扉には門番がおり、護衛も侍女もほんの僅か距離を置いて傍にいた。ルドヴィカの身なりも、確かに控えめであったが質の良い服を着ていた。

 それなのに、旅人はルドヴィカを、ちょっとめかしこんだ平民の子だと疑うことはなかったらしい。

「それで、ルドヴィカが言ったんだって。『御免遊ばせ。わたくし、カレンズ商会は存じ上げませんの』って」

 マクシミリアンは、そこでうっかり吹き出してしまった。
 小作人の子に間違えられて、そこに拘ることなくルドヴィカは、素直に知らないと答えた。

 その後行商人は、護衛や侍女に散々とっちめられて、平謝りになりながら這々ほうほうていで馬を引いて去ったという。

「ね?兄上、ルドヴィカって面白いよね。ほかにもあるんだ」

 アーチボルトには、まだまだルドヴィカに関する持ちネタがあるようだった。先日、バーナーズ侯爵家を訪問した時に、ルドヴィカを遊びの場に呼んだと話す。

「ルドヴィカったら、忙しいって言ったんだ。僕が誘っているのにだよ?」

 ルドヴィカは、すでに淑女教育を受けており、生真面目な彼女は第二王子のお誘いよりも家庭教師を優先したという。

「お約束は先生が先でしたもの。今度は先生より前にお誘いくださいませ」

 それがルドヴィカの返答だった。

 こんな調子で、アーチボルトは色んなルドヴィカの話をした。

 マクシミリアンはルドヴィカに会ったことはなかった。だが、弟のフレデリクとは、王城で何度か会っている。
 ダークブロンドの髪に濃い翠の瞳。フレデリクの容貌を思い出した。

「それで、ルドヴィカ嬢とはどんなご令嬢なんだ?」

 マクシミリアンが尋ねると、アーチボルトはそこで、うーんと考える素振りをした。面白い小ネタなら幾つもあるのに、ルドヴィカのことを尋ねられて、考え込んでいる。

「可愛い、かな」

 マクシミリアンはこの日、弟の口から初めて「可愛い」という言葉を聞いた。



 第二王子の側近候補の姉である。
 父も母も重鎮たちも、初めは渋り顔をした。貴族間の勢力に偏りを生むことは、考えずともわかることだった。

 あれから数年が経ち、マクシミリアンは立太子を控えて、同時に婚約者の選定に入っていた。そこで、国内の有力貴族から齢の合う令嬢が数人候補に挙げられていた。

 だが、マクシミリアンは真っ先にルドヴィカを願った。
 彼女は候補に入っていなかった。フレデリクがアーチボルトの側近候補であることが理由だった。

「バーナーズ侯爵家は王党派ではありますが、まつりごとには中立を保っております。侯爵の勤勉実直な気質は陛下もご存知でしょう。今も変わらず領地の繁栄に尽力する一門です」

 尚も渋る面々にマクシミリアンは続けた。

「一族全てが私とアーチボルトを支援するなど、これほど心強いことはありますまい」

 なにより、とマクシミリアンは重ねて言った。

「気に入ってしまったんです。彼女のことを。彼女以外は考えつかない」

 少年の頃に、王城で茶会が催された。丁度、アーチボルトからルドヴィカが小作人の子に間違えられた話を聞いた後だった。
 その茶会の席に、ルドヴィカは弟のフレデリクとともに現れた。

 彼女は、思った通りの姿だった。
 ダークブロンドの髪が風に揺れて、深翠の瞳には隠し切れない好奇心が滲んで見えるようだった。

 二人が姿を現すと、アーチボルトは足早になって歩み寄った。

「やあ、ルドヴィカ。その、久しぶり」
「まあ、殿下。先週お会いしたばかりですわ」

 ルドヴィカはアーチボルトに微笑んだ。その途端、マクシミリアンの胸が熱くなった。どうしてかわからない。わかるはずがない。

 誰かに心を奪われるなんて、そんなことは初めてだった。得ることはあっても奪われるなんてことは、マクシミリアンにはなかったのだ。

 その後、同い年の彼女とは揃って同じ学園に入学した。一度廊下ですれ違うときに、隅に寄って頭を下げるルドヴィカに、マクシミリアンがつい立ち止まってしまったことを、彼女はきっと気づいていなかっただろう。

 デヴュタントでは、王族席まで挨拶に来たルドヴィカと真正面から対面した。
 初めて会った頃よりソバカスが薄くなったことも、目を伏せると長い睫毛が深翠の瞳を覆うことも、マクシミリアンはルドヴィカを見つめたまま確かめて、目を離すことができなかった。

 マクシミリアンの抱く想いは、言葉にせずともわかりきった恋情となっていた。

 その後のマクシミリアンの婚約者選定は、ルドヴィカの知らぬところで何度も話し合いが重ねられた。
 そして関係各所への根回しやら調整がなされた後に、王家は正式な書簡をもってマクシミリアンとルドヴィカの婚姻をバーナーズ侯爵家へ申し込んだのである。

 ルドヴィカは、マクシミリアンが初めて自力で勝ち得た存在だった。両親と宰相を相手に、何度も熱意を隠すことなく訴えた。

 ルドヴィカだけを望みます。
 ルドヴィカ以外はあり得ない。

 冷静と評価されるマクシミリアンの、誰も知らなかったその姿に、アーチボルトはルドヴィカを親しく呼び捨てにすることをやめたのだった。



「美しい紅葉だな」

 休憩のために馬から降りたマクシミリアンは、そこで周囲をぐるりと見渡した。

 最後にここを通ったときは、深い雪に覆われて辺り一面白銀の世界だった。
 横から強い風が吹くと、目の前は真っ白になって一寸先も見えないほどだった。

 それが今は、赤、黄、緑と、とりどりに彩られた山脈の景色が美しい。

 ルドヴィカが産み月を迎えていた。
 第一子の誕生を、アーチボルトに任せておくつもりはなかった。

 お産とは果てしない苦しみの末に、命を削って成すものなのだと王妃から聞いた。
 ルドヴィカが命を削る。それは耐え難いことだった。せめて傍にいたいと望んだ。

 秋の日は短く、北の地は夕暮れから急に気温が下がる。
 マクシミリアンは休憩もそこそこに先を急いだ。日のあるうちに屋敷に着いて、素朴で生真面目で誰よりも可愛い、妻の顔を見たいと思った。


 王国には、その後間もなく王女が生まれた。
 マクシミリアンに見目のよく似た、生真面目で味のある心根の温かな姫君は、後に数代ぶりの女王となる。

 山裾に沈む夕日を追いかけるように馬を駆けるマクシミリアンには、まだそんな未来は知り得ないことだった。








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