囚われて

桃井すもも

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クローム男爵邸を辞したその足で、クリスティナは生家に寄った。

その晩餐の席で、両親と兄に王城での夜会でイワンに声を掛けられた事、それからクローム男爵家のタウンハウスを訪問した事、食事に誘われそれを承知した事を話した。

文官職の父や兄が夜会に参加する事は少ない。寧ろ、裏方として会場にいる方が多く、そこは王女に侍るクリスティナと同じである。
両親が他家の夜会に夫婦で出席することも少なく、今まで夜会の場でイワンに会うことは無かったのだろう。


渋い表情を浮かべた父の横で、兄は好奇心を隠そうともしなかった。

「なんだクリスティナ、急に関心を持ったと思ったら既に接触していたか。」

「お兄様、変な言い方をしないで頂戴。偶々よ。偶然。」

「そんな上手い話しがあるか?さてはお前、イワン殿を狙っていたのか?」

「もう!違うと言っているでしょう!からかわないで。」

「トーマス、その辺にしないか。」

面白可笑しくからかう兄を父が制してくれた。
兄はまだニヤニヤとこちらを見ている。後でとっちめてやる。

「それでクリスティナ、食事に誘われたと言うのは真なのか?」

「ええ、領地の蒸留酒を卸しているレストランがあるからと。親戚のよしみと思ってほしいと仰るので。それに、なんだか興味が湧きましたの。イワン様ではなくてよ、お兄様! その、自分のルーツが北の領地にあると云うのを初めて実感したのです。それで..」
まだニヤニヤ見つめる兄にキッと視線を送ってから、クリスティナは父に胸の内の変化があった事を話した。

父は暫く何かを考えているようであった。
それから、

「良いだろう。行ってくると良い。但し、侍女は付けて行きなさい。」

「私が行こうか。」
「お兄様は黙ってて。」

からかう兄に睨みを利かせていると、

「うむ。それも良かろう。」
真逆の父がそれを許した。


生家から王城の自室に戻って、クリスティナはイワンに文を書いた。
約束していた食事に兄も同席してもよいだろうかと。返信は直ぐに届いて、「こちらこそ光栄な事である。兄君とお会い出来るのを楽しみにしている」と書かれていた。



「クリスティナ、これをお兄様へ届けてくれる?」
「承知致しました、テレーゼ様。」

学園を卒業したテレーゼは、この春から兄と姉の公務を手伝っていた。
先日は姉が管理を任されている救護院を訪問したのだが、その報告を兄である王太子に上げる事となっていた。

王太子がその報告の内容を精査して、それから正式に事務方へ回すのだ。

成人王族として、テレーゼ王女は経験を積む途中であった。

テレーゼ様、頑張っていらっしゃる。
先日の救護院での王女の様子を、クリスティナは思い出していた。

救護院は王都内にいくつかあって、その全てが第一王女の管轄である。
第一王女には公務が他にも割り当てられているが、勤勉な王女はその全てを満遍なく統括して管理を怠らない。

テレーゼは、既に姉が地均しした後を訪問したのだから新たな報告など無いのだが、自身の目で見て確かめた末に彼女が何をどう判断したかを兄は確かめたいのだろう。

末の妹も何れは嫁ぐ身である。
他国の王族の下へ嫁ぐのか国内の貴族へ降嫁するのかは未だ定められてはいないが、何れこの王宮を抜ける妹に少しでも為政者としての経験を積ませたい親心ならぬ兄心だろう。

いつかの晩餐の席で、ニタニタ笑みを浮かべながら妹をからかう兄の顔を思い出しながら、兄とは色々いるものだと思い返していた。


王太子の執務室があるエリアに入ると周囲の空気が一変する。

王女達の私室のある区域は、窓から階下の庭園が見える眺めの良い場所に位置している。日当たりが良く天井や壁の装飾も華やかで、侍女の行き来も多く全体に女性的な雰囲気が漂っている。

対して王太子の住まう区域は、等間隔で近衛騎士が護衛しており、足早に行き交う文官達も男性ばかりである。
装飾は控えられ落ち着いた色合いに統一されている。


「テレーゼ王女殿下より王太子殿下へ書類をお届けに参りました。」

王太子の執務エリアに入る直前、そこから更に進んで執務室が見える手前、其々を護る近衛騎士に決まり文句の様に用件を告げる。
そうして漸く執務室に辿り付いて、扉の前の近衛騎士に同じ文句を告げるのだ。

侍従がクリスティナの訪問を取り次ぐ間、微動だにしない騎士と対面したまま待つこの時間は、何度経験しても落ち着かない。

王女の書類を届ける為にクリスティナにも護衛が一人付いており、扉を護る騎士とクリスティナの背後に立つ騎士は近距離で真正面から対面する形となるのだが、その間に挟まれるクリスティナの着心地の悪さと言ったら。

やや時間があって侍従が扉を開けたと思ったら、それは真逆のローレンであった。

内心の驚きは侍女の仮面の下に隠して、何度目かの訪問の理由を述べる。

「テレーゼ王女殿下より王太子殿下へ書類をお届けに参りました。」

「クリスティナかな?」

それ程大きな声では無かった筈なのに、王太子はクリスティナの声だと聴き取ったらしく、ローレンで見えない執務室の奥から声を掛けて来た。

「入って。」
その声を背中に受けたローレンが、クリスティナを室内に招き入れる。

「王国の若き太陽、王太子殿下にご挨拶申し」「ああ、いいよクリスティナ。そう気を遣わないで。」

高貴な御身に対面して挨拶を述べるクリスティナを王太子が片手でやんわり制する。

執務箱を待ったままカーテシーで礼をしていたのを、クリスティナはそこで直って面を上げた。

色を抑えた執務室。
国王陛下の絵姿を背に、クリスティナの姿を認めて立ち上がった眩く高貴な存在に、クリスティナは圧倒される。



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