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【11】
眩く烟る金の髪にロイヤルブルーの鮮やかな瞳。
短髪に前髪が少し長めであるのを後ろに流している。執務を執るのに俯いていたらしく、その前髪がはらりと額に落ちていた。
幼い頃には姫君と間違えられるほどの愛らしさであったと聞く。その面影を僅かに残して、清も濁も全て飲み込み一層清廉さを増したと思われる王太子の涼し気な目元。
フレデリック王太子殿下は、御年二十三歳を迎える青年王族である。
学園では、彼を護るように宰相令息のアランにローレン、護衛を兼ねた近衛騎士団長の令息に、他にも名だたる高位貴族の令息達が周りを囲む様に侍っていた。
「高貴な集団」
クリスティナは心の中で彼等をそう呼んでいたのだが、それは今も変わらない。
学園でフレデリック殿下に侍っていた貴族令息達は、今も側近として彼に仕えている。
学園で高貴な集団の中心にいたフレデリック殿下は、近い将来国王として国の中枢に君臨することになる。
子爵家の末娘が親しく接する事の出来る身分ではない。
その王太子を間近にして、クリスティナは彼の放つ独特の威圧感を受け流せずに、毎回毎回息を詰めることになるのだった。
「テレーゼの報告書かな?クリスティナ。」
王太子の近くに侍る侍従に書類の入った執務箱を渡そうとしたところで、
「ああ、そのままこちらへ。」
フレデリック殿下が直接受け取ると言う。
そんな事は稀も稀。
何処に王太子を傷付ける物が潜んでいるかも解らないのに、ましてや毒など仕込まれでもしていたなら、なんて事はこれっぽっちも気にならない風のフレデリックが手を伸ばしてくる。
え?と内心逡巡するも、侍従が構わない的な目線を送って来たので、畏れ多くも殿下の執務机の前まで歩みを進めた。
それから両手で執務箱を掲げて殿下の御前に差し出した。
互いの両手が箱に掛かり箱の重さが無くなった事で、確かに殿下が持ち上げたのを感じ取って、クリスティナは両の手を箱からそっと外した。
その直前、するりと指先に殿下の指が触れた。
それだけの事であった。
けれども迂闊に高貴な指先に触れてしまった失態が恥ずかしく、クリスティナは見習い侍女でもあるまいしと自身の失態に頬が熱を帯びるのを感じた。
「ふっ」
フレデリック殿下が小さく笑う気配に、思わず俯いた顔を上げる。
「クリスティナ。」
名を呼ばれて、何を命じられるのかと構えていると、
「ご苦労であった。テレーゼのところに後で行くよ。」
テレーゼ王女への言付けであった。
畏まってそのまま後方まで数歩下がって、それから改めて御前を辞する挨拶を述べた。
そのまま退室するまで殿下はおろか室内にいる側近達にも護衛騎士にも目を合わせる事は無かった。
王太子の執務室を出て、元来た回廊へ向かい数歩歩き出したところで、背中に扉が開く音がした。
クリスティナの後ろにいた近衛騎士もその気配に気付いたらしく、二人同時に後ろを振り返る。
「忘れ物だ。君のではないか?」
ローレンがペンを手に扉の前にいた。
「え?」
「先程落としたのだろう。」
「え、あ、申し訳ございません。」
クリスティナはローレンの方へ向き直り数歩近付く。
見覚えのあるペンはクリスティナのものではない。クリスティナのペンは薄い桃色の軸である。
いつもローレンの胸ポケットにある黒い軸のペンを受け取り、今度こそは本当に来た道を戻る。そうしてクリスティナはテレーゼの私室に向かった。
その晩、クリスティナはいつもの部屋へ行かなかった。
その部屋は、王城で働く文官達が仮眠を取る為の部屋で、王城内には何箇所かその様な部屋がある。
二人がいつも落ち合う部屋は、そのうちでも高位貴族が使用するもので、調度品も整えるられて沐浴も出来る仕様になっていた。限られた人物しか使用を許されない部屋を、ローレンは自由に使っていた。
クリスティナは、毎回下穿きさえ満足に身に付けず逃げるように自室へ戻るから、その部屋をゆっくり眺めたことなど無かった。
そこは自分がローレンに捕食される部屋であり、底なしの快楽に沈められる部屋である。
王城勤めになって四年。
その間、何度もここに囚われた。
合図を受ければ、それは大抵落とし物であったりすれ違いざまに肘や手を触れられる様なものであったが、兎に角何らかの合図を受けたなら、クリスティナは必ずその部屋に向かうのだった。
クリスティナは思う。
囚われるのにクリスティナを拘束するものなど何も無かった。会えば酷く乱され辱められたけれど、強制された訳では無かった。
良く躾られた犬の様に、呼ばれたならそれに従って自分の意志でその部屋に向かっていたのだ。
「私は一体何をしていたのかしら。」
夏の盛りを過ぎて、夜風が涼しくなっていた。
欠けるところが無いと見上げた満月は、今は随分と痩せてきて、あと数日で消えてなくなる。
新月で夜空はあるべき光を失って、これから新たに生まれる月に再び照らされる。
自分はローレンと言う光を無くしたら、次にはどんな光を見つけられるのだろう。
そんな事を考えたのは初めての事であった。
それは、遠い時代に同じ血が通ったその末裔である青年が、貴族の勤めを投げ出すこと無く生業を守っている、その姿に影響を受けたからなのかもしれない。
彼とは違って自分は非力な令嬢で、貴族の力を持たぬ末子に過ぎない。
けれども、次の光を探す事くらいは出来るのではないだろうか。
そんな事を考えて、クリスティナはこの夜初めてローレンの誘いに従わなかった。
短髪に前髪が少し長めであるのを後ろに流している。執務を執るのに俯いていたらしく、その前髪がはらりと額に落ちていた。
幼い頃には姫君と間違えられるほどの愛らしさであったと聞く。その面影を僅かに残して、清も濁も全て飲み込み一層清廉さを増したと思われる王太子の涼し気な目元。
フレデリック王太子殿下は、御年二十三歳を迎える青年王族である。
学園では、彼を護るように宰相令息のアランにローレン、護衛を兼ねた近衛騎士団長の令息に、他にも名だたる高位貴族の令息達が周りを囲む様に侍っていた。
「高貴な集団」
クリスティナは心の中で彼等をそう呼んでいたのだが、それは今も変わらない。
学園でフレデリック殿下に侍っていた貴族令息達は、今も側近として彼に仕えている。
学園で高貴な集団の中心にいたフレデリック殿下は、近い将来国王として国の中枢に君臨することになる。
子爵家の末娘が親しく接する事の出来る身分ではない。
その王太子を間近にして、クリスティナは彼の放つ独特の威圧感を受け流せずに、毎回毎回息を詰めることになるのだった。
「テレーゼの報告書かな?クリスティナ。」
王太子の近くに侍る侍従に書類の入った執務箱を渡そうとしたところで、
「ああ、そのままこちらへ。」
フレデリック殿下が直接受け取ると言う。
そんな事は稀も稀。
何処に王太子を傷付ける物が潜んでいるかも解らないのに、ましてや毒など仕込まれでもしていたなら、なんて事はこれっぽっちも気にならない風のフレデリックが手を伸ばしてくる。
え?と内心逡巡するも、侍従が構わない的な目線を送って来たので、畏れ多くも殿下の執務机の前まで歩みを進めた。
それから両手で執務箱を掲げて殿下の御前に差し出した。
互いの両手が箱に掛かり箱の重さが無くなった事で、確かに殿下が持ち上げたのを感じ取って、クリスティナは両の手を箱からそっと外した。
その直前、するりと指先に殿下の指が触れた。
それだけの事であった。
けれども迂闊に高貴な指先に触れてしまった失態が恥ずかしく、クリスティナは見習い侍女でもあるまいしと自身の失態に頬が熱を帯びるのを感じた。
「ふっ」
フレデリック殿下が小さく笑う気配に、思わず俯いた顔を上げる。
「クリスティナ。」
名を呼ばれて、何を命じられるのかと構えていると、
「ご苦労であった。テレーゼのところに後で行くよ。」
テレーゼ王女への言付けであった。
畏まってそのまま後方まで数歩下がって、それから改めて御前を辞する挨拶を述べた。
そのまま退室するまで殿下はおろか室内にいる側近達にも護衛騎士にも目を合わせる事は無かった。
王太子の執務室を出て、元来た回廊へ向かい数歩歩き出したところで、背中に扉が開く音がした。
クリスティナの後ろにいた近衛騎士もその気配に気付いたらしく、二人同時に後ろを振り返る。
「忘れ物だ。君のではないか?」
ローレンがペンを手に扉の前にいた。
「え?」
「先程落としたのだろう。」
「え、あ、申し訳ございません。」
クリスティナはローレンの方へ向き直り数歩近付く。
見覚えのあるペンはクリスティナのものではない。クリスティナのペンは薄い桃色の軸である。
いつもローレンの胸ポケットにある黒い軸のペンを受け取り、今度こそは本当に来た道を戻る。そうしてクリスティナはテレーゼの私室に向かった。
その晩、クリスティナはいつもの部屋へ行かなかった。
その部屋は、王城で働く文官達が仮眠を取る為の部屋で、王城内には何箇所かその様な部屋がある。
二人がいつも落ち合う部屋は、そのうちでも高位貴族が使用するもので、調度品も整えるられて沐浴も出来る仕様になっていた。限られた人物しか使用を許されない部屋を、ローレンは自由に使っていた。
クリスティナは、毎回下穿きさえ満足に身に付けず逃げるように自室へ戻るから、その部屋をゆっくり眺めたことなど無かった。
そこは自分がローレンに捕食される部屋であり、底なしの快楽に沈められる部屋である。
王城勤めになって四年。
その間、何度もここに囚われた。
合図を受ければ、それは大抵落とし物であったりすれ違いざまに肘や手を触れられる様なものであったが、兎に角何らかの合図を受けたなら、クリスティナは必ずその部屋に向かうのだった。
クリスティナは思う。
囚われるのにクリスティナを拘束するものなど何も無かった。会えば酷く乱され辱められたけれど、強制された訳では無かった。
良く躾られた犬の様に、呼ばれたならそれに従って自分の意志でその部屋に向かっていたのだ。
「私は一体何をしていたのかしら。」
夏の盛りを過ぎて、夜風が涼しくなっていた。
欠けるところが無いと見上げた満月は、今は随分と痩せてきて、あと数日で消えてなくなる。
新月で夜空はあるべき光を失って、これから新たに生まれる月に再び照らされる。
自分はローレンと言う光を無くしたら、次にはどんな光を見つけられるのだろう。
そんな事を考えたのは初めての事であった。
それは、遠い時代に同じ血が通ったその末裔である青年が、貴族の勤めを投げ出すこと無く生業を守っている、その姿に影響を受けたからなのかもしれない。
彼とは違って自分は非力な令嬢で、貴族の力を持たぬ末子に過ぎない。
けれども、次の光を探す事くらいは出来るのではないだろうか。
そんな事を考えて、クリスティナはこの夜初めてローレンの誘いに従わなかった。
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