囚われて

桃井すもも

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「まあ、旅を?」
「ええ、領地なしの文官の娘に生まれて王都から一度も出た事が無かったの。人生で一度くらい旅をしてみたくて。」

昼食をアリシアと摂りながら、クリスティナは軽い気持ちで言葉に出してみた。

昼時の食堂は人で賑わい、気軽に口にした言葉もさざめく音がかき消してくれる。
だから少しばかり気を大きくして話してみた。どうやらそれが漏れ聴こえたのだろう。

文官の詰め所に書類を届けて戻る途中、やはり詰め所に行った帰りらしいアランに声を掛けられた。
アランは、クリスティナが遠巻きに見ていた「高貴な集団」の一人である。

「ああ、クリスティナ嬢、少し話しても良いだろうか。」
「ご機嫌よう、アラン様。何か御用でしょうか。」

アランは侯爵家の嫡男である。
父は宰相を務める王の側近で自身は王太子に侍る、親子で王家に仕える貴族のサラブレッドである。
黒髪に青い瞳の丹精な容姿が、一見人を寄せ付けない冷やかな雰囲気を纏って見えるが、思慮深く温厚な気質をクリスティナは好ましく思っていた。

「クリスティナ嬢、体調はもう良いのか?」
「ええ、すっかり良くなりました。お心遣い頂き有難うございます。」
「いや、その、先程、旅をしたいと話していたから。」
「まあ、お恥ずかしい事をお耳に入れました。」
「いや、そんな事は無い。ただ、良ければその、」
アランの物言いは要領を得ない。

「いや、すまない。気軽に考えて欲しいのだが、どうだろう、君さえ良ければ小旅行など誘いたいのだが、」
「え?」

アランの予想もしない発言に、思わず声が出た。

「いや、その良ければ郊外に日帰りでだな、私の姉も一緒にだな、それで、良ければ君の兄上も一緒にだな、」
「ふっ、」
そこで堪え切れなくて、クリスティナは吹き出してしまった。

「あー、クリスティナ嬢、その、笑わないで欲しいのだが、」
「ええ、アラン様の仰りたい事が解りました。お心遣いに感謝致します。」
「解ってくれるか?」
「ええ。」
「では!」
「はい。私がお供して宜しいのでしたら、必ず兄を連れて参ります。」
「そうしてくれるか?」
「勿論です。」
「姉が喜ぶ。」
「兄も喜びますわ。」

そこで二人は見つめあい共に笑みを浮かべた。

「早速、兄に伝えます。執務室は無理でしょうから、邸に戻って話してみます。」

「手数を掛ける、申し訳無い。だが、実のところ私も楽しみにしているんだ。その、互いの家族を交えて散策と云うのを。」

「私もお誘い頂けて光栄ですわ。お蔭様で夢が叶って旅が出来ますもの。」

「いや、それは大袈裟だ。旅などと誘って恥ずかしい。」
「ふふふ、」
「あー、クリスティナ嬢、からかわないでくれないか。」

平素は王太子に侍る寡黙な美丈夫が慌てている。
学園では同窓でありながら、身分の違いもあって気軽に会話などした事は無かった。
それより何より、同窓であっても無くても、異性との会話は殆どせずにいた。
言葉にするとなんだか悲しい青春である。

アランはある企てを持ち掛けて来た。

アランの姉であるキャサリンとクリスティナの兄は、学園生の時からの恋仲にある。
侯爵令嬢と子爵家の嫡男では爵位が釣り合わない。二人は婚姻を望むも、未だ両家から許されずにいた。

兄が婚約者を持たないのは、兄の心の中にはキャサリン嬢唯一人が住んでいるからで、キャサリン嬢も、貴族令嬢の婚姻に最も適する時期を逃しても、兄だけを想い誰にも心を許さずに婚姻話も跳ね除けて来たのであった。

アランはそんな二人を連れ出して、逢瀬の機会を作ろうとクリスティナに持ち掛けたのであった。
郊外への小旅行とは云え、親の束縛を離れて恋人同士が二人の時間を過ごせる事は、二人の立場からも得難い貴重な機会なのだ。

クリスティナはそこに便乗させてもらって、秋の行楽を楽しめる。

何だかわくわくするわ。

塞ぎ込んだ後であったから、思いも掛けない楽しみが出来て胸が踊った。


「アラン殿が?」
「ええ、キャサリン様をお誘い下さると。」
「クリスティナ、何が欲しい。兄が何でも買ってやろう。」
「まあ、本当に?」
「本当だ。」

嬉しそうな兄の顔に、クリスティナも笑みが溢れる。
貴族という恵まれた地位に生きるには、立ちはだかる壁もある。相応の義務もある。
好いたという感情だけでは結ばれない。
けれども、思い合う心を咎められる必要などこれっぽっちも無いのだから、兄にもキャサリンにも、互いを思い合う気持ちを捨てないで欲しかった。


それからは、兄とアランとクリスティナで、休暇の調整をした。キャサリンは侯爵邸にいるから予定を合わせやすい。
三人で示し合わせて休むと言う事に悪戯を仕掛ける背徳感を覚えて、クリスティナは当日が楽しみになった。


当日は、郊外の森林公園の入口で待ち合わせをした。
落ち合うまでの馬車の中で、兄は言葉少なであった。クリスティナもそんな兄の思考を邪魔しない様に、話しかけぬままアラン達の到着を待っていた。

侯爵家の馬車が着いて、アランとキャサリンが降りて来る。
キャサリンは頬を染めて、恋をする乙女の表情が眩しかった。
クリスティナはキャサリンと入れ替わって侯爵家の馬車に乗り込んだ。
子爵家の馬車には、兄とキャサリンの二人きりである。

「危なくないだろうか?」
「今更ですわ。」
「クリスティナ嬢は肝が据わっておられる。」

未婚の男女、それも思い合う恋人達を二人きりにすることに、アランが心配をしている。
兄はああ見えて本懐を見失わない。考えなしでも無い。

「二人を信用致しましょう。」
「君が言うと万事納まる様に思えて来るよ。」
「まあ、そんな事を仰って頂けて光栄ですわ。」

軽口を言いながら、馬車は森の中を走る。

「この先に湖があるんだ。小さなものだが透明度が高くて美しい。紅葉も見頃であるだろう。」

アランの言葉に、クリスティナは幼子の様に逸る気持ちを抑えるのに苦労した。



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