囚われて

桃井すもも

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「クリスティナ。真実を知ると決めたのはお前だ。私から離れないと誓ったのはお前だ。引き返せないことを覚悟したのだろう。腹を括るんだ。」

ローレンに抱きすくめられたまま力を無くしていたクリスティナは、そこで息を吹き返す様に意識を浮上させた。

そうだ。覚悟をしたんだ。
「ローレン様、大丈夫です。そのまま続けて下さい。」

ローレンはクリスティナを抱き締めて動かない。

「ローレン様?」

クリスティナの問い掛けが聞こえたらしいローレンは、それから堰を切った様に話し出した。


「令嬢を汚さねばならないなど、したくてした訳では無い。相手は公爵令嬢だ。処罰は免れない。家を潰されるかも知れない。だが、アランにはそんな事はさせたくなかった。あいつに令嬢を汚すだなんて無理だろう。まして宰相の子息が公爵令嬢に手出しなどしたら、政が荒れる。騎士の息子も同じだった。強姦して騎士になれるか?だから私が引き受けた。」

ローレンが告解をしている。
クリスティナは自分の心の痛みを忘れて、思わずローレンの胸元にしがみ付いた。その胸に額を埋めてローレンの告解に耳を傾けた。

「物品庫に入って来た令嬢を確かめなかった。何も見ず何も感じないように。感情を殺す事だけを考えていた。だから髪の色が違う事にも気付かなかった。

マリアンネでないと気が付いて絶望した。
一体誰を汚してしまったのかと。そうして、私が汚したのはクリスティナ、お前だった。お前が当然、親や教師に話すと思った。責めは受ける覚悟をして待っていた。
ひと月経っても誰も何も言ってこない。だからお前に確かめた。孕んだならばそのまま娶ろうと思った。お前は私のものだと、あの時から思っていた。あれからもずっと。」

クリスティナは尚もローレンにしがみ付く。クリスティナの身体が震えているのに気が付いて、ローレンがその背中を擦った。上に下にと、不器用な擦り方だ。

ローレンの告解は続く。

「殿下とマリアンネは完全なる政略だ。互いにその意味を理解して、その上で殿下がマリアンネに疵を付けようと企てたのは、側妃に君を据える事を認めさせる為であった。」

驚きの事実に、クリスティナは思わず面を上げた。途端にローレンの顎を強かに打ってしまった。クリスティナの頭がローレンの顎を強打した。

目から星が飛んだらしいローレンが低く呻く。

「ご、御免なさいローレン様!大丈夫?痛かったでしょう!」
慌ててローレンの顎に手を伸ばして、逆にその手を取られた。
ローレンがクリスティナの指先を握る。

「大丈夫だ」
「凄い音がしたわ!」
「問題無い」

それから漸く痛みを逃したらしいローレンは、クリスティナの指先を握ったまま話し始めた。

「マリアンネは殿下の企てを知っていた。そうしてその仕返しを企てた。殿下のお気に入りを生贄にした。お前は最初からマリアンネの手の中だった。
アンダーソン男爵。お前に物品庫での作業を命じた教師は、マリアンネの公爵家の寄り子貴族だ。」

クリスティナの中で、断片的に散らばっていた物事が、ひとつ、またひとつと繫がって行く。
みんなみんな巻き込まれたんだわ。
ローレンもアレンも騎士の子息も教師も。
フレデリックとその婚約者に利用された。

「喧嘩なら二人っきりでしてほしいわ。」
「全くだ。」

あまりに時間が経ち過ぎて、誰に何を怒ってよいのか分からない。
マリアンネとは当時は挨拶程度の面識しか無かったし、贄にされるだなんて意趣返しにしては悪質過ぎる。

ああ、そうか。あの人達は王家の血筋だ。半端な事など仕掛けない。いつだって命懸けで戦っている。
私達はその戦の巻き添えになったのだ。

「なぜ、子爵に言わなかった。」
「言えなかったのです。怖くて。月のものが来て地獄の底から救われた気がしました。」
「...すまなかった。」

初めてローレンの謝罪を受けた。
六年も前の出来事を、今、認めてくれた。クリスティナを傷付け辱めたと。

クリスティナの中の少女が漸く報われた。
涙が溢れて零れ落ちる。

「すまなかった」
きつく抱きすくめられて、涙はローレンの服に染み込んだ。そのままローレンの胸に染み込んだ。



室内が冷え込んで来たことに気が付いたローレンが、暖炉に火を起こす。
小さく炎が爆ぜるのを二人並んで見つめる。

幼子が寄り添う様に、二人暖炉の前に座り込んでいる。

ローレンが内ポケットからボトルを取り出した。ウイスキーのボトルだ。

蓋を開けて瓶をクリスティナに手渡してきた。
クリスティナはそれを受け取り、ひと口ゆっくり口に含んだ。
初めて口にした時に噎せた蒸留酒は、今は深い香りと舌先を刺激する苦味、飲み下した後に鼻腔を擽る余韻まで味わい深く感じられた。

「いつもウイスキーを?」
「いや、勤めの後に嗜む程度だ。」
「お好きだから持って歩くのでしょう?」
「クローム領はお前の血が生まれた土地だ。お前の故郷だ。」
「それでクローム領産のウイスキーを?」
「駄目か?」
「いえ、そんな事は...」

六年越しに知った真実は、とてもこの一刻で整理出来る内容では無かった。
ただただ他人の思惑に利用されて振り回された事実は、簡単に消化出来そうにない。

けれども、この四年を皮肉にも王族に近く仕えて、今なら常軌を逸したフレデリックやマリアンネの所業が理解出来てしまう。

彼等は徹底的に潰す。そうでなければ後に残った禍根が必ず己の首を絞めると解っている。
その方法を学園に持ち込んだなら、それはあり得ない暴挙になるのは当然で、クリスティナはその中心に据えられてしまった。

彼等に側仕えするローレンもアランも、他にもクリスティナが知り得ぬ苦渋を飲んで来たのかも知れない。

陛下の王太子時代から側にいた父にも、そんな経験があったのだろうか。
  
父の口からそれらしい事を聞いたことは無かった。言わないだけなのかもしれない。けれど、父の場合は平気な顔で嫌な事は嫌だと断りそうで、ローレンと二人肩を並べているというのに思わず吹き出しそうになって、必死にそれを我慢した。


パチンと火の粉が爆ぜて、クリスティナははっと我に返った。
大切な事を思い違いしていた。

「ローレン様。貴方はテレーゼ様を愛していらっしゃるのでしょう?」

ローレンが苦いものを噛んだ様に顔を顰めたのが、暖炉の火に照らされて見えた。



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