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「ローレン様は勝手だわ!」
自身の身の内を焦がす恋情を認めて、クリスティナは開き直った。
この心に湧き上がる感情を如何にしよう。
勝手にクリスティナの身を暴き、勝手に何年も支配して、勝手に放置し省みることも無い。
それで、少しばかり羽を伸ばしただけなのに、まるで不貞を咎める様に追って来る。
しかも、令嬢の秘めたい事情を暴露して、それは天上人やら国の重鎮やら真逆の父親で、これっぽっちも相談も無く、勝手に婚約を取り結ぶ。
クリスティナは、キリキリと眦が吊り上がって行くのを感じた。
きっと酷い顔をしている。これまで従順に大人しくローレンの言う通りにして来たのに、もう我慢がならなかった。
面白いものを観るように、片方の口角を上げてイヤらしい笑みを浮かべるローレンの胸倉を掴んだ。
渾身の力を込めてローレンを引き寄せ、まだ切り傷も生々しいその唇に自分の唇を押し当てた。
ローレンが、「いっ」と小さな声を漏らしたから、多分傷に触れて痛んだのだろうが、そんなの知ったこっちゃない。
前歯がカチリとぶつかった。口の中に鉄の味が広がる。それら全てを丸々無視して、胸倉を掴む手も緩めない。
自分から口付けするなんて、とそこまで思ってフレデリックを思い出した。
フレデリックに触れるだけの口付けを与えた。
「自分から襲っておいて考え事か。」
こちらから掴み上げた筈なのに、いつの間にか囚われているのはクリスティナの方であった。
「いい根性をしているじゃないか、クリスティナ。何を考えていた。」
口の端に赤い鮮血が滲んでいる。
それさえローレンの美しい肌を飾る彩りにしか見えない。
顎を持ち上げられて、青い瞳がクリスティナを覗き込む。
その瞳の中に、はっとした表情を晒す自分の顔が映っていて、こんな顔をしてローレンを偽る事など無理だと悟った。
「何故、連絡をくれないの?」
「何故、会ってくれないの?」
「何故、放っておくの?」
「貴方にとって私は何なの?」
「いつもいつも私を軽く見て誤魔化して、貴方は狡いわ!」
「あ、貴方は、貴方は、」
温かくて大きな両の手がクリスティナの頬を包む。美麗な姿に似つかわしく無い大きな手にある剣ダコが、ザラリと頬を擦る。
そんなところまでフレデリックを思い出させた。
「クリスティナ。誤魔化しているのはお前だろう。何があった、クリスティナ。」
ローレンは何を言っているのか。
クリスティナは思い当たる事を考えようとして、どうしても辿り着くのは一つであった。
「殿下と何があった。」
「...」
「言うんだ、クリスティナ。私は夫婦に隠し事を望まないと言った筈だ。」
「何も。何も有りません。」
「はっ、私を侮る?」
「殿下の御心の内を、少しばかり伺っただけです。」
「あの部屋で?散々お前を啼かせたあの部屋でか?」
「ローレン様が何を疑っているのか存じませんが、答えられるのは一つです。
殿下のお話しを僅かばかり伺っただけです。それ以上の答えは有りません。」
クリスティナは、喩えローレンであっても、フレデリックと過ごしたあの夜に、何人(なんぴと)も関わらせたくは無かった。
あの夜のフレデリックは、クリスティナを真実信頼して心の内を預けてくれた。
王族の身分も脇に置いて、ただフレデリックとしてクリスティナと向き合った。
そうしてクリスティナに愛を乞うた。
この世の最後に願う望みの様に、純心からクリスティナに縋ったのだ。
あの部屋で、二人で過ごした事もそこで話した事も与えたものも全て全て、クリスティナは胸の奥底に仕舞い込み墓場まで抱えて行くことを心に決めていた。
それがフレデリックとの信頼の証なのだとクリスティナは思うのだった。
だからこの話は終いである。
寧ろこちらがローレンに問い質したい。
「ローレン様こそ隠し事ばかりではありませんか。それで本当に私を娶ると仰るの?ローレン様こそ私を騙して利用して都合よく扱いたいのでは?
でなければ、この数ヶ月の内、ほんのひと時も時間を割けないだなんて、そんな事ありっこ無いですもの。」
「私を疑っているのか?クリスティナ。」
「疑うも何も、私達に信頼に値する何があるというのでしょう。貴方こそ私を信じていらっしゃらないではないですか。私の愛を信じていないのは貴方だわ!」
「お前は私を愛していると?」
「当たり前でしょう!ずっと待っていたのよ!貴方が私に会いに来るのを、呼んでくれるのを、毎日毎晩待っていたわ!」
昂ぶる感情を抑え切れない。
人生でこれ程感情を昂らせた事があっただろうか。
気付かぬ内に涙が頬を伝っていた。
それを拭う事もせずに、零れ落ちるままにしていれば、
「私の奥方は何とも甘え上手でいけない。折角私が抑えているのを、態々呼び起こして。クリスティナ、覚悟しろよ。手加減などできぬからな。
私がお前を忘れるとでも?
殿下がのべつ幕無し下らん仕事を押し付けてくる。お前に会う時間が無かったのは真の事だ。殿下に一切合切拘束される毎日だった。漸く王女の輿入れで城を開けたと思えば、お前の兄を充てがわれた。
疑いたくもなるだろう。まるでお前と会わせぬ様に人の時間をもぎ取って行く。殿下とお前に何か有ったと考えるのも当然だろう。それを問うて妻に泣かれて、おまけにあらぬ疑いまで掛けられた。」
「ま、まだ妻ではないわ。」
「もう直ぐなる。」
「え?」
「お前は城に戻って誰に仕える?」
親指の腹でクリスティナの濡れた頬を拭きながら、ローレンが問うて来る。
「お前が私の妻となれば、じきにお前は乳母にも望まれるだろう。私とて、殿下に仕えるのに妻帯するのが望ましい。独身の身で妃殿下に近くいるのはよろしくない。殿下の婚礼は来年と迫っているのだから。」
フレデリックは来年の婚姻式を控えていた。そして、クリスティナは、これからも高貴なお方に仕える事が決まっていた。
自身の身の内を焦がす恋情を認めて、クリスティナは開き直った。
この心に湧き上がる感情を如何にしよう。
勝手にクリスティナの身を暴き、勝手に何年も支配して、勝手に放置し省みることも無い。
それで、少しばかり羽を伸ばしただけなのに、まるで不貞を咎める様に追って来る。
しかも、令嬢の秘めたい事情を暴露して、それは天上人やら国の重鎮やら真逆の父親で、これっぽっちも相談も無く、勝手に婚約を取り結ぶ。
クリスティナは、キリキリと眦が吊り上がって行くのを感じた。
きっと酷い顔をしている。これまで従順に大人しくローレンの言う通りにして来たのに、もう我慢がならなかった。
面白いものを観るように、片方の口角を上げてイヤらしい笑みを浮かべるローレンの胸倉を掴んだ。
渾身の力を込めてローレンを引き寄せ、まだ切り傷も生々しいその唇に自分の唇を押し当てた。
ローレンが、「いっ」と小さな声を漏らしたから、多分傷に触れて痛んだのだろうが、そんなの知ったこっちゃない。
前歯がカチリとぶつかった。口の中に鉄の味が広がる。それら全てを丸々無視して、胸倉を掴む手も緩めない。
自分から口付けするなんて、とそこまで思ってフレデリックを思い出した。
フレデリックに触れるだけの口付けを与えた。
「自分から襲っておいて考え事か。」
こちらから掴み上げた筈なのに、いつの間にか囚われているのはクリスティナの方であった。
「いい根性をしているじゃないか、クリスティナ。何を考えていた。」
口の端に赤い鮮血が滲んでいる。
それさえローレンの美しい肌を飾る彩りにしか見えない。
顎を持ち上げられて、青い瞳がクリスティナを覗き込む。
その瞳の中に、はっとした表情を晒す自分の顔が映っていて、こんな顔をしてローレンを偽る事など無理だと悟った。
「何故、連絡をくれないの?」
「何故、会ってくれないの?」
「何故、放っておくの?」
「貴方にとって私は何なの?」
「いつもいつも私を軽く見て誤魔化して、貴方は狡いわ!」
「あ、貴方は、貴方は、」
温かくて大きな両の手がクリスティナの頬を包む。美麗な姿に似つかわしく無い大きな手にある剣ダコが、ザラリと頬を擦る。
そんなところまでフレデリックを思い出させた。
「クリスティナ。誤魔化しているのはお前だろう。何があった、クリスティナ。」
ローレンは何を言っているのか。
クリスティナは思い当たる事を考えようとして、どうしても辿り着くのは一つであった。
「殿下と何があった。」
「...」
「言うんだ、クリスティナ。私は夫婦に隠し事を望まないと言った筈だ。」
「何も。何も有りません。」
「はっ、私を侮る?」
「殿下の御心の内を、少しばかり伺っただけです。」
「あの部屋で?散々お前を啼かせたあの部屋でか?」
「ローレン様が何を疑っているのか存じませんが、答えられるのは一つです。
殿下のお話しを僅かばかり伺っただけです。それ以上の答えは有りません。」
クリスティナは、喩えローレンであっても、フレデリックと過ごしたあの夜に、何人(なんぴと)も関わらせたくは無かった。
あの夜のフレデリックは、クリスティナを真実信頼して心の内を預けてくれた。
王族の身分も脇に置いて、ただフレデリックとしてクリスティナと向き合った。
そうしてクリスティナに愛を乞うた。
この世の最後に願う望みの様に、純心からクリスティナに縋ったのだ。
あの部屋で、二人で過ごした事もそこで話した事も与えたものも全て全て、クリスティナは胸の奥底に仕舞い込み墓場まで抱えて行くことを心に決めていた。
それがフレデリックとの信頼の証なのだとクリスティナは思うのだった。
だからこの話は終いである。
寧ろこちらがローレンに問い質したい。
「ローレン様こそ隠し事ばかりではありませんか。それで本当に私を娶ると仰るの?ローレン様こそ私を騙して利用して都合よく扱いたいのでは?
でなければ、この数ヶ月の内、ほんのひと時も時間を割けないだなんて、そんな事ありっこ無いですもの。」
「私を疑っているのか?クリスティナ。」
「疑うも何も、私達に信頼に値する何があるというのでしょう。貴方こそ私を信じていらっしゃらないではないですか。私の愛を信じていないのは貴方だわ!」
「お前は私を愛していると?」
「当たり前でしょう!ずっと待っていたのよ!貴方が私に会いに来るのを、呼んでくれるのを、毎日毎晩待っていたわ!」
昂ぶる感情を抑え切れない。
人生でこれ程感情を昂らせた事があっただろうか。
気付かぬ内に涙が頬を伝っていた。
それを拭う事もせずに、零れ落ちるままにしていれば、
「私の奥方は何とも甘え上手でいけない。折角私が抑えているのを、態々呼び起こして。クリスティナ、覚悟しろよ。手加減などできぬからな。
私がお前を忘れるとでも?
殿下がのべつ幕無し下らん仕事を押し付けてくる。お前に会う時間が無かったのは真の事だ。殿下に一切合切拘束される毎日だった。漸く王女の輿入れで城を開けたと思えば、お前の兄を充てがわれた。
疑いたくもなるだろう。まるでお前と会わせぬ様に人の時間をもぎ取って行く。殿下とお前に何か有ったと考えるのも当然だろう。それを問うて妻に泣かれて、おまけにあらぬ疑いまで掛けられた。」
「ま、まだ妻ではないわ。」
「もう直ぐなる。」
「え?」
「お前は城に戻って誰に仕える?」
親指の腹でクリスティナの濡れた頬を拭きながら、ローレンが問うて来る。
「お前が私の妻となれば、じきにお前は乳母にも望まれるだろう。私とて、殿下に仕えるのに妻帯するのが望ましい。独身の身で妃殿下に近くいるのはよろしくない。殿下の婚礼は来年と迫っているのだから。」
フレデリックは来年の婚姻式を控えていた。そして、クリスティナは、これからも高貴なお方に仕える事が決まっていた。
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