囚われて

桃井すもも

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今朝も自称婚約殿は見目麗しい。

王太子の側近にして次期伯爵家当主であるローレンは、まだ寝足りない様子で朝餉の席にいる。
朝日が差し込む宿の食堂は平民も泊まる宿であるから、貴族が利用するそれとは違い派手な装飾も無く、隣のテーブルには平民の旅人達が座っており、こちらをちらりと覗き見ている。

それもこれもこの男が麗し過ぎるからだろう。
顎のラインで切り揃えた白金の髪は、朝日を反射する様に艷やかである。
伏し目がちだが、何かの拍子に正面を見やる瞳は、一目で尊い血の生まれであることが分かるロイヤルブルー。

何かの拍子とは、婚約ほやほやの恋人に向けて何やら話し掛ける時なのだが、その恋人は暗色のブルネットに榛の瞳と云う、落ち着いているというか地味と云うか。
二人の対比はその日の食堂で多くの目を引いていた。

「クローム領内には夕刻迄には入るだろう。」
今日も意気消沈気味なイワンが言う。

「して、君は馬で良いのだな?」
「そんな訳無かろう。婚約者が馬車にいるのに。」
「では、馬は如何する。」
「そちらの護衛に随分と懐いているから、そのまま彼に乗ってもらおう。」 
「それでは車内の護衛が居なくなる。」
「護衛とは本来、騎乗して外から護るものだろう。剣なら些かながら私にも嗜みがある。」
「嗜みだろう。」
「貴殿自身で確かめるか?ならばお相手致そう。」

同じテーブルには侍女も護衛も一緒にいるのだが、彼等は影を潜めて気配を消している。なるべく貴公子二人の会話に関わらぬようにしているらしい。

分かります、そのお気持ち。

クリスティナは、言葉の端々で火花を散らす男達を見ながら、護衛と侍女に申し訳なく思った。


朝から色々あったが、出立すれば後はスムーズな旅であった。
車窓の風景は次々と姿を変えて、クリスティナは見知らぬ木々や路傍の花、点在する家屋の形や草原の風景に目を奪われて、いつしか旅の行程を心から楽しんでいた。

昼食は、宿泊した宿屋に頼んだランチボックスを景色の良い木立の陰に広げて、護衛も侍女も御者も皆一緒に食した。
護衛は自身は見張りをするからと遠慮をしたが、男達は皆帯剣しているし剣の心得もあるからと、結局同席させたのであった。

小高い丘の上から見える風景が美しい。
麦畑の青い色が眼下を染めている。
冬を越えて春の日差しに力を得て、青々とした葉を伸ばしていた。

遠くに山脈が見えて、そこから河川が伸びている。何処から来て何処へ流れて行くのだろう。王都郊外には大きな運河があるが、流れの無い淀んだ河であったから、遠目で判る川の青緑色がとても美しく思えた。

馬車はそれから更に進み、幾つかの集落と幾つかの森を抜けて、地平線が仄かに紅く染まる頃にはクローム領内に入った。

「河だわ。なんて大きな河。」
「ああ、我が領は大河が領内を縦断している。山脈からの湧水が流れ込んだ硬水なんだが、清流であるからモルトウイスキーに適しているんだ。河の流域に醸造所がある。明日、案内しよう。」

目を輝かせるクリスティナに、イワンが説明をする。

この河が領地を潤しているんだわ。
自身のルーツである大地に触れて、クリスティナは胸が熱くなるのを感じた。



夕刻にクローム男爵邸へ到着すると、父からの文が既に届いていたらしく、男爵夫妻に縁者達がクリスティナ一行の到着を待っていた。

何世代もの間疎遠であった血族が、春の雪解けの如く過去の確執など初めから無かった様に再び縁を得る。それは、クリスティナにとっても大きな喜びであった。

父の言った様に、高祖父達の間に実際は何が起こっていたのか、確かな事を知る人はいなかった。
けれども、現在は王族に仕える文官揃いのルース子爵家との縁を再構築したいとクローム男爵一族が望んでいるらしい事は、クリスティナにも見て取れた。

初め不審に思ったらしい王家の色を纏う美丈夫ローレンの存在に、彼がクリスティナの婚約者である事を明かすと何やら残念な空気が漂って、其処ばかりは些か戸惑いもあったが、直ぐにそれも収まった。

着いたばかりであるのに明後日には王都へ戻らねばならない事から、早速翌日には領内を散策する事となった。


北の大地は、王都に比べてゆっくりと季節が進むのか、まだ春の初めのようであった。
春の花の盛りを迎えているらしく、北国は何処もそうらしいのだが、あらゆる植物が一斉に開花を迎えるのだと言う。
領地は山脈と大河を抱いて、ミネラルを含んだ良質の水が醸造と云う利を齎している。
山に分け入れば直ぐに渓谷が見えて来て、切り立つ岩壁と雪解けで水量を増した河の流れを望む景色は圧巻であった。

ひんやりと大地の湿度を含んだ空気を吸い込む。
この大地と水と緑に育まれた細胞の末端に自分が生まれたことが不思議に思えた。

王都には、領地を代官に任せて王都を終の棲家として領地には戻らない貴族も多い。皆、元はそれぞれの土地があり暮らしがあったはずなのだが、都の中で生まれて育つクリスティナの様な子孫は大勢いるのだ。

その中で、縁を得られて自身のルーツに触れられた幸運に、クリスティナは感謝した。

「力強くすっきりとしているのに滋味深い。人も酒もよく似るものだな。」

案内された醸造所で振る舞われたモルトウイスキーを口に含んで、ローレンはそう言ってクリスティナを見つめた。

「まるでお前の様だ。」

暗色の髪も榛の瞳も、この土地の民は皆そうであった。
まるで大地の申し子の様な見目に、貴族としては地味であると自負していたクリスティナは、自身が纏う色に確かな祖先の繋がりを感じて、それが少しばかり誇らしかった。

逆に現当主の血筋であるイワンが、他領から嫁いだ母の瞳の色を継いでいるのも時代の流れを感じさせた。

勤めの合間の僅かな休暇であったのが惜しまれる。春を謳歌する北の大自然を、高祖父が生きた大地を心行くまで体感したいところであったが、宮仕えの性で城に待つ諸々が頭を掠めて、クリスティナを現実に引き戻すのであった。


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