追放された万能聖魔導師、辺境で無自覚に神を超える ~俺を無能と言った奴ら、まだ息してる?~

たまごころ

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第16話 枯れた井戸に声がする

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 ルーデン村の朝は不思議な静けさが漂っていた。  
 いつもは水汲みの音や家畜の鳴き声で賑やかな広場にも、今日は人の姿がまばらだ。  
 アレンが小屋の戸を開けると、ひんやりとした風が頬を撫でた。  
 冬の足音が近い。吐く息が少し白く見える。  

 鍋で朝食のスープを煮ながら外を眺める。  
 リィナとミーナの二人は井戸の方で大きな桶を抱えていた。  
 その近くには子どもたちも集まり、何やら不安げな様子で井戸の中を覗き込んでいる。  

「アレンさん!」  
 ミーナが駆け寄ってきた。  
「大変なんです! 井戸の水が……枯れちゃったみたいで。」  
「昨日まで普通に使えていたのに?」  
「ええ。夜のうちに音がして、それから一滴も出なくなったって。」  

 アレンはスープの火を止め、外套を掛けた。  
「調べてみましょう。」  

 村の中央にある井戸は、半年前にアレンが修復したものだ。  
 瘴気を浄化し、地脈を整えたおかげで清水が溢れるようになっていた。  
 それが、今は沈黙している。  

 井戸の縁まで歩み寄り、覗き込むと底は真っ暗だ。  
 水面の反射もなく、ただ冷たい風が下から吹き上がる。  
 アレンは掌をかざした。  

 魔力を最小限に抑え、探査の光を放つ。  
 井戸の深部に細い光の筋が伸びていく。  
 その光の先で――響いた。  

 “声”が。  

(……おいで。)  

 誰かが囁く。  
 女とも男とも判別できない、湿った音。  
 アレンの背に薄い鳥肌が立つ。  

「……声?」  
 思わず呟くと、ミーナが不安そうに顔を覗き込んだ。  
「中で何か聞こえました?」  
「……ええ。ただの風ではありません。」  

 リィナが一歩前に出た。  
「アレンさん、私が感じます。あれ……“人の魂”かも。」  
 その瞳に一瞬だけ銀の光が宿る。  
 彼女の中に眠るリュシアの記憶が反応しているのだろう。  

「行ってみましょう。」  
「え!? 井戸の中ですよ?」  
「はい。何が閉じ込められてるのか確かめなければ。」  

         ◇  

 アレンは縄を結び、井戸の縁に腰を下ろした。  
 リィナがとなりに立ち、手をぎゅっと握ってくる。  
「無茶はしないでくださいね。」  
「大丈夫です。すぐ戻ります。」  
 軽く笑い、アレンは暗闇の中へと降りていった。  

 空気が湿っている。  
 地上の喧騒が遠のき、深くなるほどに冷気が増していく。  
 井戸の底は十メートルほど。足が水ではなく、泥の上に着いた。  

 周囲の石壁に古い文字が刻まれているのを確認する。  
 それはただの模様ではない。  
 光を当てると淡く浮かび上がる、古代教会式の封印術式。  

「やはり、これも……」  

 アレンが触れた瞬間、壁面の紋章が脈動した。  
 沈黙していた井戸が、まるで息を吹き返したように響く。  
 低いうなり音。微かな光。  
 そして、再び“声”が届く。  

(――クロード。)  

 アレンの目が細められる。  
「私の名を呼ぶとは……あなたは誰です?」  

(聞こえる……つながった……)  

 壁面が割れ、淡い青光が空間を満たした。  
 光の中に、ぼんやりと“人”の形が見える。  
 だがそれは肉体ではなかった。ただの気配。虚像。  

 その姿が明確になるにつれて、アレンの呼吸が止まる。  
 柔らかな髪、穏やかな瞳。  
 十年前に消えたはずの少女――リュシアだった。  

「……リュシア。」  
(アレン……やっと見つけた。)  
 声は確かに彼女のもの。だが温度を感じない。  
 魂だけが、封印に囚われて存在していた。  

「あなたの思念がまだ残っていたとは。」  
(残ったのではないの。呼ばれたの。……この村に、同じ“波長”を持つ存在ができたから。)  

 リィナ。  
 森で再構築した少女――まさか。  
 アレンの表情が険しくなる。  
「つまり、彼女に共鳴した?」  
(そう。だけど……私はもう“私”ではない。記憶の亡霊にすぎない。)  

 リュシアの光が揺れる。  
 彼女の後ろにはぼんやりと歪んだ影が見えた。  
 黒く蠢く瘴気のようなものが、彼女の体を引きずり込もうとしている。  

「それが……君を縛っているのか。」  
(この村の地脈。かつて神核が崩壊したとき、私の一部が流れ出した場所……。)  
「では、ここが“神核封印領”のひとつか。」  
(お願い……アレン。私を……完璧に終わらせて。)  

 穏やかな表情、それでも瞳だけは哀しみを湛えていた。  
 アレンの心が強く揺れる。十年前――救えなかった命。  
 再び目の前に現れ、今度は“殺してくれ”と懇願している。  

「どうして……こんな形で。」  
(あなたが望んだから。あなたが、あの時“再生”を祈ったから。私の魂は、滞留したの。)  

 アレンは目を閉じ、長い呼吸をした。  
 手を胸に当て、光を集める。  
「……なら、責任を取ります。」  

 掌の光が井戸全体を満たした。  
 古代の封印紋が崩れ、青光がさらに強く輝く。  
 リュシアの輪郭が薄れていく。  

(ありがとう、アレン。あなたが望んだ“平穏”を……今度こそ歩んで。)  
「安らかに。君の光は、必ずこの地で受け継がれる。」  

 彼女は笑った。  
 それは十年前と変わらない、柔らかい笑顔だった。  
 次の瞬間、光は弾け、闇が静かに沈む。  

         ◇  

 アレンが地上に戻ると、朝の霧がすっかり晴れていた。  
 ミーナとリィナが心配そうに見上げる。  
「大丈夫ですか!? 顔が真っ青ですよ!」  
「少し……昔の知り合いに会いました。」  
「人がいましたの?」リィナが驚いたように言う。  
 アレンは優しく微笑んだ。  
「いや、きっともういません。でも、彼女の願いは今も生きています。」  

 その言葉の意味を理解したのは、リィナだけだった。  
 彼女の胸の奥で、何かが締めつけられるように疼いた。  
 知らないはずの記憶。懐かしくて、懐かしくて、涙がこぼれそうになる。  

「リィナ?」  
「……なんでもありません。」  
 少女は空を見上げて微笑む。  
 薄い雲の向こうに、陽光が差し込んでいた。  

 その光が井戸に反射し、青く輝いた瞬間、村人たちが歓声を上げた。  
 井戸から再び水が湧き出したのだ。流れ落ちる水音が広場に響く。  

「出た! 水が戻ったぞ!」  
「やっぱりアレンさんだ!」  

 アレンは手を振り、笑顔を返したが、その手はわずかに震えていた。  
 手の中に残る温もり。それは確かにリュシアの最後の“意思”だった。  

         ◇  

 その夜。  
 丘の上から村を見下ろす影がひとつ。  
 ハイゼル・エクレールは風に翻る外套を押さえながら、低く呟いた。  

「魂の再構築を完了させるとはな。……まったく、君は私の想像のはるか先を行く。」  
 手にした報告書には、“封印領反応安定、神性波形沈静”の文字が並ぶ。  
 ルーデン村で起きた超常現象は、すべて一人の男の手によるもの。  

「アレン、お前は神に告げるのか。『奇跡を奪い、人が行う』と。」  

 東の空に白い月が昇る。  
 ハイゼルは視線を夜空に向け、そして静かに笑った。  
「次の段階へ行こう。君の“答え”を見るためにな。」  

 その声が夜の風に溶け、丘に立つ一本の木を揺らした。  
 その根元には、青く光る小石――かつてリュシアの封印に使われた神核の欠片が静かに埋まっていた。
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