「役立たず」と追放されたが、俺のスキルは【経験値委託】だ。解除した瞬間、勇者パーティーはレベル1に戻り、俺だけレベル9999になった

たまごころ

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第8話 【閑話】その頃の勇者一行。木の棒でゴブリンと戦う日々

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「はぁ、はぁ……死ね! 死ねぇぇッ! なんで死なないんだよ、この雑魚がぁッ!」

バキッ。

鈍い音が響き、カイルの手の中で「武器」が折れた。
それは聖剣エクスカリバーでもなければ、ミスリルの剣でもない。
ただの、枯れた松の木の枝だった。

「ギャギャッ!」

対峙しているのは、一匹のスノーゴブリン。
本来なら、勇者カイルが鼻歌交じりに通り過ぎるだけで、その覇気に当てられて気絶するような最弱の魔物だ。
だが今のカイルにとって、それはドラゴンにも匹敵する強敵だった。

「くそっ、折れた!? おいニーナ! 加勢しろ! 早く!」

カイルは尻餅をつきながら、半狂乱で叫んだ。
雪に足を取られ、泥と垢にまみれたその顔には、かつての貴公子の面影は微塵もない。

「無理だよぉ! お腹空いて力が入らないもん……!」

武闘家のニーナが、数メートル離れた岩陰で膝を抱えて首を振る。
彼女の武器である自慢の脚線美は、今はあちこちに青あざを作り、寒さで紫色に変色していた。
一度蹴りを放ったら、ゴブリンの硬い皮に弾かれて足を挫いたのだ。それ以来、彼女は戦意を喪失していた。

「役立たずがッ! レオン! 魔法だ! 火を出せ!」
「だ、ダメです! MPが回復しないんです! この寒さで集中力が……!」

魔導師のレオンは、杖代わりの折れた棒切れを握りしめ、ガチガチと歯を鳴らしている。
彼のMPは現在『2/12』。
初級魔法の『ファイア・ボール』を一発撃つのが限界だが、失敗すれば残りのMPも尽き、命綱である「種火」すら起こせなくなる恐怖で、詠唱ができなかった。

「使えねぇ……どいつもこいつも、使えねぇよッ!」

カイルは悪態をつきながら、雪の上に落ちていた拳大の石を拾い上げた。
ゴブリンが棍棒を振り上げる。
遅い。
以前のカイルなら、止まって見える速度だ。
だが、今のレベル1の肉体は、脳の指令に反応してくれない。

「う、わぁぁッ!?」

ドガッ!

脇腹に衝撃が走る。
肋骨にヒビが入るような鈍痛。
カイルは雪の上を転がった。

「いってぇ……痛い、痛い、痛いッ!」

涙が滲む。
聖剣の加護も、防具の防御力もない生身の体で受ける暴力は、これほどまでに痛いものなのか。
彼は初めて「痛み」というものを理解した気がした。
今まで自分が無双していた時、魔物たちが感じていた痛みを。

だが、感傷に浸っている暇はない。
ゴブリンが追撃に来る。
その目は、完全に獲物を狩る捕食者のそれだった。
人間を恐れていない。舐めている。

「なめるな……俺は、勇者だぞ……!」

カイルは絶叫し、死に物狂いでゴブリンの足元に飛び込んだ。
プライドも剣技もかなぐり捨てた、泥臭いタックル。
ゴブリンがバランスを崩して倒れる。
カイルはその上に馬乗りになり、手に持った石を何度も、何度も振り下ろした。

グチャッ。グチャッ。

生々しい音が響く。
返り血が顔にかかるが、拭う余裕もない。
ゴブリンが動かなくなっても、カイルは石を振り下ろし続けた。
肩で息をして、腕が上がらなくなるまで。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

静寂が戻る。
カイルは血まみれの手を見つめ、虚ろな目で笑った。

「か、勝った……見たか……俺は、勝ったぞ……」

たった一匹のゴブリンに、四人がかり(実質一人)で、10分近くかけての辛勝。
得られた経験値は『5』。
レベル2への必要経験値『50』には程遠い。

   ***

「……で、これ、どうやって食べるの?」

ゴブリンの死体を囲み、聖女マリアが嫌悪感を隠そうともせずに言った。
彼女の純白だった法衣は、今や見るも無惨な雑巾のようになっている。
だが、その瞳にあるのは「空腹」という二文字だけだった。

「食べるって……ナイフもないんだぞ」
レオンが顔をしかめる。
「それに、ゴブリンの肉は有毒です。寄生虫もいますし、アンモニア臭が酷くて、とても人間が食べるものじゃ……」

「じゃあどうするのよ! 何か食べないと死んじゃう!」
マリアがヒステリックに叫ぶ。
「アレンなら! アレンがいれば、こんな時すぐにオーク肉のステーキを出してくれたわ! デザートに冷えた果物だって!」

その名前が出た瞬間、場の空気が凍りついた。

「言うな」
カイルが低い声で言った。

「アレンの名前を出すな。あいつは……あいつは俺たちの装備と食料を盗んで逃げた裏切り者だ」

自分たちが追放したという事実は、彼らの脳内で都合よく書き換えられていた。
そうでも思わなければ、自分たちの愚かさに押し潰されてしまうからだ。

「でもぉ、実際お腹すいたよぉ」
ニーナがゴブリンの死体を指でつつく。
「これ、焼けば食べられるかな?」

「……焼くしかないだろ」
カイルは吐き捨てるように言った。
「レオン、火だ。今度こそ失敗するなよ」

「は、はい……」

レオンが震える手で枯れ木を集め、必死に『イグニッション(着火)』の魔法を唱える。
プスン、と頼りない煙が上がり、何度かの失敗の末、ようやく小さな焚き火ができた。
だが、火力の調整などできない。
強風が吹けば消えそうになる儚い炎だ。

彼らは石を使ってゴブリンの皮を無理やり剥ぎ(その作業でマリアは三回吐いた)、肉をちぎって火に炙った。
調味料はない。
血抜きもしていない。
ただ焦げただけの、臭い肉塊。

「……いただきます」

カイルが最初にかぶりついた。
瞬間、口の中に広がる強烈な獣臭さと、ゴムのような硬さ。
そして吐き気を催す酸味。

「オェッ……!」

カイルは涙目でそれを飲み込んだ。
不味い。死ぬほど不味い。
王都の残飯漁りをしている浮浪者ですら、こんなものは口にしないだろう。
だが、今の彼らにとっては、これが唯一の命綱だった。

「うぅ……ママ……帰りたい……」
マリアが泣きながら肉を齧る。
ニーナは無言で咀嚼し、レオンは「これは栄養素だ、ただの有機物だ」と自分に言い聞かせながら食べている。

「おい、水はどうする?」
「雪を溶かすしかないでしょ」
「汚いじゃない……」
「贅沢言うな!」

空き缶のようなゴミすら落ちていないこの大自然の中で、彼らは手ですくった雪を口に含み、体温で溶かして飲んだ。
当然、体温は奪われる。
内臓から冷えていく感覚に、カイルは身震いした。

   ***

夜が来た。
『氷獄の霊峰』の夜は、死神の訪れと同義だ。
気温はマイナス40度近くまで下がる。

彼らは洞窟の奥、風が直接当たらない窪みに身を寄せ合っていた。
焚き火用の木はもうない。
互いの体温だけが頼りだった。

「寒い……ねぇカイル、私を温めてよ……」
マリアがカイルの胸に顔を埋める。
かつてなら、恋人同士の甘い時間だったかもしれない。
だが今は、カイルにとって彼女はただの「熱源」であり、同時に「重り」でしかなかった。

「くっつくな、動きにくい」
「ひどい……昔はあんなに優しかったのに」
「昔の話をするな!」

カイルは苛立ちを隠せない。
なぜだ。
なぜ俺がこんな目に遭わなきゃならない。
俺は選ばれし勇者だぞ。
世界を救うために聖剣に選ばれた、特別な存在なんだぞ。

(そうだ、これは試練だ)

カイルは朦朧とする意識の中で、必死に正当化を試みた。

(神が、俺に更なる高みを目指せと与えた試練なんだ。レベル1から這い上がり、真の強さを手に入れるための……)

だが、その思考はすぐに空腹と寒さによって断ち切られる。

「……ねぇ、覚えてる?」

ニーナが唐突に口を開いた。
彼女は体育座りをしたまま、虚空を見つめている。

「昔、まだ私たちが村を出たばかりの頃。野宿した時、雨が降ってきてさ」
「……なんだよ急に」

「あの時、アレンが自分の服を脱いで、雨除けにしてくれたよね。自分はずぶ濡れになりながら、『みんなが風邪引いたら大変だから』って」

沈黙が流れた。

「……アレンは、いつもそうだった」
レオンがポツリと呟く。
「僕が魔法の研究で徹夜した時も、夜食を作って差し入れてくれた。マリアが怪我をした時は、自分が傷つくのも構わずに薬草を取りに行ってくれた」

「やめろ……」
カイルが呻く。

「私たちが強くなって、天狗になって……アレンのこと、雑用係としか見なくなってたけど」
ニーナの声が震える。
「本当は、一番私たちを見ててくれたの、アレンだったんじゃないかな」

「やめろと言ってるだろ!!」

カイルが叫んだ。
洞窟内に反響するその声は、悲痛なほどに余裕がなかった。

「あいつは俺たちを裏切ったんだ! 俺たちの力を奪って、自分だけぬくぬくと逃げ出した卑怯者だ! そんな奴を美化するな!」

「でもっ! 実際、アレンがいなくなってから、私たち何もできないじゃない!」
マリアが叫び返す。
「テントの張り方も、火の起こし方も、魔物の捌き方も! 全部アレンがやってくれてたのよ! 私たちはただ、戦ってちやほやされてただけ! 生活能力なんて、赤ん坊以下だったのよ!」

「黙れ黙れ黙れぇッ!!」

カイルは耳を塞いだ。
認めたくない。
それを認めてしまえば、自分は「勇者」ではなく、ただの「無能な神輿」だったことになってしまう。

「俺は……俺は必ず戻る。ここを脱出して、力を取り戻して……そしてアレン、お前を見つけ出してやる」

カイルの瞳に、暗く濁った炎が宿る。

「お前が俺たちにしたこと、倍にして返してやるからな。土下座させて、俺の足の裏を舐めさせて……許しを請わせるんだ」

それはもう、勇者の志ではなかった。
ただの逆恨み。
復讐という名の妄執。

「寝るぞ。体力を温存するんだ」

カイルは会話を打ち切り、目を閉じた。
眠れるわけがない。
寒さが骨の髄まで沁みてくる。
遠くでウルフの遠吠えが聞こえる。

(アレン……今頃お前は、後悔で泣いているだろうな。俺たちという最強の仲間を失ったことを)

カイルは本気でそう思おうとした。
そう信じなければ、心が壊れてしまいそうだったからだ。

しかし現実は残酷だ。
彼が妄想の中で見下しているアレンは、今頃最高級宿のロイヤルスイートで、美少女たちに囲まれてふかふかのベッドで眠っている。
その事実を知った時、果たしてカイルの精神は耐えられるだろうか。

   ***

翌朝。
吹雪は止んでいたが、代わりに濃霧が立ち込めていた。

「うぅ……頭が痛い……」
レオンが額を押さえて起き上がる。
顔が真っ赤だ。熱がある。
風邪か、あるいは昨日のゴブリン肉に当たったか。

「カイル、レオンの様子が変よ。ヒールをかけたいけど、MPが……」
マリアが訴えるが、カイルにそれを解決する術はない。

「歩くぞ。じっとしてたら死ぬだけだ」

カイルは強引にレオンを立たせた。
足取りは重い。
目指すは山麓の街だが、この濃霧で方向すらわからない。

ザッ、ザッ、ザッ。

雪を踏みしめる音だけが響く。
数時間歩いた頃だろうか。
先頭を歩いていたニーナが、声を上げた。

「あ! 見て! 何かある!」

彼女が指差した先。
霧の中に、ぼんやりと人工物らしき影が見えた。
石造りの台座のようなもの。

「遺跡か? もしかしたら、アイテムがあるかもしれない!」
カイルの色めき立つ。
宝箱か、あるいは休憩所か。
希望にすがりつくように、四人は駆け出した。

だが、近づくにつれて、その「正体」が明らかになる。
それは遺跡でも宝箱でもなかった。

一本の、古びた剣が突き刺さった石碑だった。
そしてその剣の柄には、見覚えのある紋章が刻まれていた。

「これ……俺の……」

カイルが息を呑む。
それは、彼が以前、「切れ味が落ちた」と言ってアレンに預け、そのまま忘れていた予備の剣、『鋼鉄の長剣』だった。
アレンが手入れをし、大切に保管していたはずの剣。

石碑には、魔法で文字が刻まれていた。
真新しい文字だ。

『勇者御一行様へ。落とし物を拾っておきました。これくらいなら扱えるでしょう? ――元荷物持ちより』

「…………あ、アレンンンンンッ!!」

カイルは絶叫した。
これはメッセージだ。
アレンは知っているのだ。自分たちがこのルートを通ることを。
そして、今の自分たちには聖剣など扱えず、この安い量産品の剣がお似合いだと嘲笑っているのだ。

「ふざけるな! 馬鹿にしやがって!」

カイルは剣を引き抜こうとした。
だが。

「ぐっ、ぬ……! 重い……!」

抜けない。
錆びているわけではない。
単に、レベル1のカイルの筋力では、深く突き刺さった剣を引き抜くことすら困難なのだ。

「はぁ、はぁ……くそっ……!」

カイルは膝をついた。
目の前にある武器すら手に取れない。
その無力感が、彼の心を粉々に砕いた。

「ぷっ」

後ろで、誰かが笑った気がした。
幻聴かもしれない。
だがカイルには、アレンが耳元で「残念だったな」と囁いたように聞こえた。

「あああぁぁぁぁぁぁッ!!」

カイルは雪を殴りつけた。
拳から血が出る。

「覚えてろ……絶対に、絶対に殺してやる……!」

その殺意だけを糧に、勇者一行は再び歩き出した。
地獄の行軍はまだ終わらない。
彼らが街に辿り着き、そこでアレンの栄華を知って絶望の底に叩き落とされるまで、あと数日。

それまでの間、彼らは木の棒と石ころで、レベル1のまま戦い続けなければならないのだった。

(つづく)
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