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第9話 誰も住めない「死の森」を購入。ここを俺たちの楽園にする
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高級宿『王の休息』亭のロイヤルスイートに、爽やかな朝の光が差し込んでいた。
俺はキングサイズのベッドで目を覚ました。
隣を見ると、銀髪の美少女フェリスが俺の腕を枕にして、幸せそうな寝息を立てている。その無防備な寝顔は、かつて雪山でSSランクドラゴンと対峙していた神獣とは思えないほど愛らしい。
「ん……アレン様……むにゃ……お肉……」
どんな夢を見ているんだ。
俺は苦笑しながら、そっと腕を抜いて起き上がった。
リビングの方へ向かうと、そこには既に身支度を整えたハイエルフの少女、セラムの姿があった。
「おはようございます、アレン様」
セラムは姿勢良く立ち上がり、深々と頭を下げた。
昨日までのボロボロだった奴隷姿とは打って変わり、今はフェリスと一緒に買った冒険者用の服――動きやすいチュニックとショートパンツ、そしてニーソックスという活動的な格好をしている。
ただ、その腰には昨日ドワーフの鍛冶屋で購入した(暫定の)ミスリルの短剣が帯びられており、その立ち姿からは隠しきれない王族の気品と、剣士としての鋭い覇気が漂っていた。
「おはよう、セラム。体調はどうだ?」
「はい。おかげさまで、魔力も体力も完全に回復いたしました。それどころか……以前よりも力が溢れていて、体が軽いのです」
セラムは自分の手を見つめ、不思議そうに握りしめた。
それはそうだろう。
俺のスキル【経験値委託】によって、彼女には一晩中、俺の余剰経験値が流れ込み続けていたのだ。
現在の彼女のレベルは250。
かつてのエルフ王国の最強剣士ですらレベル80程度だったというから、彼女はすでに伝説級の強さを手に入れていることになる。
「それはよかった。今日は忙しくなるぞ」
「はい。どのようなご命令でも」
セラムは凛とした表情で頷いた。
彼女の中にある復讐の炎は消えていないが、それ以上に、今の彼女を支えているのは「俺への忠誠」のようだ。
昨日の夜、「貴方の剣になる」と誓った彼女の言葉に嘘はないらしい。
「フェリス、起きろ。朝飯だぞ」
「はっ! お肉!? お肉ですか!?」
俺の声に反応して、寝室からフェリスが弾丸のように飛び出してきた。
銀色の耳と尻尾が激しく揺れている。
朝から元気なやつだ。
***
朝食を済ませた俺たちは、ギルドへと向かった。
目的は「土地探し」だ。
俺たちの拠点を作るためには、まずは土地を手に入れなければならない。
それも、普通の家一軒分ではなく、国が作れるほど広大な土地を。
「土地、ですか?」
ギルドマスター室で、ガンザスは呆れたように俺を見た。
「お前、昨日Cランクになったばかりで、今度は不動産王にでもなるつもりか? バルガの街中なら、空いている屋敷をいくつか紹介できるが」
「いや、街中は窮屈だ。もっと広くて、誰も干渉してこない場所がいい。できれば未開拓の土地を丸ごと買いたいんだが」
「未開拓地を丸ごと……?」
ガンザスは眉をひそめ、そして大きなため息をついた。
「アレン、お前な……未開の土地ってのは、つまり魔物の巣窟ってことだぞ? 開拓するだけでも軍隊が必要になるレベルだ。お前ら三人だけでどうにかできる規模じゃねぇ」
「軍隊なら、ここにいる三人で十分だろ?」
俺が親指で後ろの二人を指すと、フェリスは「えへへ」とVサインをし、セラムは無言で剣の柄に手を置いて頷いた。
Sランク相当の神獣と、レベル250の剣帝。
確かに、小国の軍隊くらいなら余裕で蹴散らせる戦力だ。
「……はぁ。化け物揃いなのは認めるがな。まあいい、本気なら領主の代官を紹介してやる。辺境の土地管理はギルドじゃなくて領主の管轄だからな」
ガンザスは羊皮紙に紹介状をサラサラと書き、俺に渡した。
「ただし、変な土地を買って後悔するなよ。この辺りには『手を出してはいけない場所』ってのがいくつかあるんだからな」
「忠告ありがとう。心に留めておくよ」
俺たちはギルドを後にし、街の中央にある領主の館へと向かった。
***
領主の館は、堅牢な石造りの建物だった。
受付でガンザスの紹介状を見せると、すぐに土地管理官の執務室へと通された。
出てきたのは、神経質そうな細身の男、ハミルトン男爵だった。
彼は鼻眼鏡の位置を直しながら、俺たちを値踏みするようにジロジロと見た。
「ふむ……ギルドマスターからの紹介とはいえ、随分とお若い冒険者ですね。未開拓地の購入をご希望とか?」
「ああ。広くて、水資源が豊富で、将来的に街を作れるくらいの平地がある場所がいい」
「街を作る……?」
ハミルトンは鼻で笑った。
「夢を見るのは若者の特権ですがね、開拓事業というのは莫大な資金がかかるんですよ。土地代だけでなく、人件費、資材費、防衛費……金貨数百枚あっても足りませんよ?」
「金ならある」
俺は懐から、ギルドで発行してもらった預金証明書(残高5億ガルド)をテーブルに置いた。
ハミルトンがそれを手に取り、目を丸くした。
「ご、5億……!? き、君は一体……?」
「素材を売ったらこうなった。これで足りるか?」
「た、足りますとも! 十分すぎます!」
ハミルトンの態度が一変した。
揉み手をしながら、彼は部屋の奥から巨大な地図を広げた。
「いやはや、若くしてこれほどの資産家とは素晴らしい! では、おすすめの土地をご紹介しましょう。例えば、東の街道沿いのこの平原などは……」
「いや、街道沿いは人が多くて煩わしい」
「では、南の湖畔エリアは? リゾート地としても有望ですが」
「地盤が緩そうだな。もっとこう、要塞化しやすくて、外部からの侵入が難しい場所はないか?」
「要塞化……君は独立戦争でも始めるつもりかね?」
ハミルトンは苦笑しながら地図を指でなぞる。
そして、ある一点で指を止めた。
「……条件に合う場所となると、ここしかありませんが……ここはおすすめできませんな」
彼の指が差していたのは、バルガの北西、険しい山脈と深い森に囲まれた広大なエリアだった。
地図上では赤く塗りつぶされ、『危険地帯』と記されている。
「ここは?」
「通称『死の森(ヘル・フォレスト)』。広さは小国一つ分ほどありますが、Sランク級の魔物が跋扈し、環境マナが濃すぎて普通の人間なら立ち入るだけで魔力酔いを起こす魔境です。過去に3度、王国が開拓団を送りましたが、いずれも全滅して撤退しました」
ハミルトンは恐ろしげに語る。
「さらに、森の奥には『迷宮(ダンジョン)』の入り口があるという噂もあり、魔物が無限に湧いてくるとか。この土地はタダ同然で放置されていますが、買う物好きなどいませんよ」
「へぇ」
俺は地図を見つめた。
Sランク魔物の巣窟。
濃密なマナ。
ダンジョン付き。
そして、周囲を山と森に囲まれた天然の要塞。
(……最高じゃないか)
魔物は素材(金と経験値)の宝庫だ。
濃いマナは、俺やフェリス、セラムのような高レベル者にとっては最高の栄養源になる。
ダンジョンがあれば、希少なアイテムも手に入る。
そして何より、「誰も近づかない」というのがいい。
「ここにする」
俺は即決した。
「は?」
ハミルトンが眼鏡を落としそうになった。
「い、今なんと? 『死の森』ですよ? 死にに行くだけですよ?」
「問題ない。ここをいくらで売ってくれる?」
「い、いや、売るも何も……国としても管理しきれていない放棄地ですから、所有権を譲渡するのは構いませんが……本気ですか?」
「本気だ」
俺は真剣な眼差しで彼を見た。
ハミルトンは俺の目が狂気ではなく、確固たる自信に満ちていることに気づき、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「……わかりました。では、金貨1000枚。それだけで、この森の全域と、そこに付随する地下資源、および統治権をすべてお譲りしましょう。ただし! 命の保証は一切しませんし、死んでも返金はしませんからね!」
金貨1000枚。
約1億円。
小国一つ分の広さと資源がある土地にしては破格だ。
まあ、普通なら「買っても使えないゴミ土地」なのだから当然か。
「商談成立だ」
俺はその場で支払いを済ませ、土地の権利書と、領主代行としての身分証明書を受け取った。
これで俺は、今日から『死の森』の領主様だ。
「アレン様、すごいお買い物でしたね」
フェリスが目を輝かせている。
「私、森は大好きです! 早く走り回りたいです!」
「私も……あのような魔境を拠点に選ぶとは、アレン様の器の大きさには驚かされます。修行の場としても最適かと」
セラムも武者震いしているようだ。
俺たちは呆気に取られるハミルトンを残し、館を後にした。
***
さっそく現地へ向かうことにした。
バルガから北西へ、馬車で半日ほどの距離だが、俺たちにはもっと速い移動手段がある。
「フェリス、頼めるか?」
「はい! お任せください!」
街の外れで、フェリスは再び銀狼の姿に戻った。
今回はセラムも一緒だ。
俺とセラムが背中に乗り、フェリスが風のように大地を駆ける。
「速い……! これが神獣の脚力……!」
セラムが驚愕の声を上げる。
彼女はエルフなので自然との親和性が高く、フェリスの走りが風のマナと調和していることに気づいているようだ。
一時間もしないうちに、景色が変わった。
明るかった平原が終わり、鬱蒼とした暗い森が姿を現した。
空気が重い。
肌にピリピリと刺さるような魔力の濃度。
空は枝葉に覆われ、昼間だというのに薄暗い。
ここが『死の森』の入り口だ。
「グルルゥ……」
フェリスが足を止め、低く唸った。
警戒しているのではない。興奮しているのだ。
「アレン様、ここ、凄いです! 美味しそうな匂いがたくさんします!」
「美味しそうって、魔物のことか?」
「はい! 強い魔物の気配がいっぱいです!」
「なるほど、狩り場としても優秀そうだな」
俺たちはフェリスから降り、森の入り口に立った。
目の前には、「立入禁止」「危険」と書かれた古びた看板が倒れている。
その先からは、何者かの視線が無数に感じられた。
ガサガサッ。
茂みが揺れ、魔物が姿を現した。
体長3メートルはある巨大な猪。
『キラーボア』。
通常種はCランク程度だが、こいつは違う。
全身が鋼鉄のような棘で覆われ、目は赤く発光している。
『アイアン・キラーボア(変異種)』。Aランク相当の魔物だ。
それが、群れをなして5体も現れた。
「ブモォォォォォッ!!」
猪たちが鼻息荒く突進してくる。
木々をなぎ倒し、地面を揺らすその突進は、戦車すら粉砕する威力があるだろう。
普通の冒険者パーティーなら、これだけで全滅コースだ。
「私がやります」
俺が動く前に、セラムが一歩前に出た。
彼女は腰のミスリルの短剣を抜く。
リーチの短い短剣だが、彼女の構えには一点の隙もない。
「アレン様の領地を汚す害獣ども……排除します」
ヒュンッ。
セラムの姿が掻き消えた。
いや、速すぎて目にも止まらぬ速度で駆け抜けたのだ。
ザンッ、ザンッ、ザンッ――。
すれ違いざま、5回の斬撃音が一瞬で重なった。
セラムが猪たちの背後に着地し、静かに短剣を納める。
カチン。
鍔が鳴った瞬間。
ドサドサドサドサドサッ!!
5体の巨大な猪の首が、同時に地面に落ちた。
切断面は鏡のように滑らかで、血が出る間すら与えられていない。
『次元斬』。
空間ごと切り裂く、剣帝の奥義だ。
「……鈍っていますね。もう少し綺麗に斬れたはずですが」
セラムは不満げに呟いたが、Aランク魔物の群れを瞬殺しておいてそれは贅沢というものだ。
「いや、十分凄いよ。ナイスだ、セラム」
「! あ、ありがとうございます!」
俺に褒められ、セラムはパァッと表情を明るくした。
クールな姫騎士がデレる瞬間、プライスレス。
「さて、まずは拠点の場所を決めようか」
俺たちは死体を【亜空間倉庫】に収納し(今夜のディナーは猪鍋だ)、森の奥へと進んだ。
道なき道を行く。
毒々しい色の花が咲き乱れ、木々はねじれ、時折空から怪鳥が襲ってくるが、フェリスが氷のブレスで撃ち落とし、セラムが剣で斬り伏せるので、俺は散歩気分で歩くだけだ。
しばらく進むと、森が開けた場所に出た。
そこは、澄んだ水を湛える巨大な湖のほとりだった。
湖の中心には小さな島があり、そこには古びた遺跡のようなものが見える。
背後には断崖絶壁がそびえ、天然の防壁となっている。
「ここがいいな」
俺は直感した。
ここなら、水も確保できるし、背後の崖を利用して城も築きやすい。
湖の島にある遺跡も気になる。
「アレン様、あそこからすごい魔力を感じます」
フェリスが湖の中心を指差す。
「あれが、ダンジョンの入り口かもしれません」
「好都合だ。ダンジョンを裏庭にして、毎日素材狩りができるな」
俺は湖畔の広場に立ち、両手を広げた。
ここを俺たちの国『アレン・キングダム(仮)』の首都とする。
「よし、まずは家を建てよう」
俺はスキルリストから【建築】【土魔法(極)】【錬金術(極)】を選択した。
レベル9999の俺にかかれば、家を建てるのに大工も時間も必要ない。
「イメージするのは、頑丈で、快適で、そしてこの森の主(あるじ)に相応しい威厳のある城」
俺は地面に手を当て、魔力を流し込んだ。
「『クリエイト・フォートレス(要塞創造)』!」
ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
大地が激しく揺れ、土砂が生き物のように盛り上がる。
土は圧縮されて石材となり、石材は結合して壁となる。
錬金術によって成分が変質し、ただの岩石が強固な『ミスリルコンクリート』へと生まれ変わる。
さらに、森の木々から抽出した成分で美しい木材が生成され、内装を彩っていく。
わずか数分後。
そこには、白亜の城壁に囲まれた、壮麗な屋敷――いや、小規模な城塞が出現していた。
三階建ての主塔を中心に、居住区、訓練場、倉庫、そして大浴場まで完備された、完璧な要塞だ。
「え……えええええっ!?」
「こ、これは……魔法……? いえ、神の御業……?」
フェリスとセラムが腰を抜かさんばかりに驚いている。
まあ、普通は建築に数年はかかる規模だからな。
「とりあえずの仮拠点だ。気に入らないところがあれば後で改築しよう」
俺は涼しい顔で言った。
城門には、俺の魔力で『A』の紋章が刻まれている。
「すごい……すごいです、アレン様! 魔法で一瞬でお城を作っちゃうなんて!」
フェリスが俺に飛びついてくる。
「これほどの要塞を……アレン様、貴方はやはり、伝説の建国王の生まれ変わりなのでは……」
セラムが真剣な顔で跪く。
「さあ、中に入ろう。今日からここが俺たちの家だ」
俺たちは完成したばかりの城へと足を踏み入れた。
まだ家具はないが、広々としたホールや、清潔な部屋は快適そのものだ。
窓からは美しい湖と、広大な森が見渡せる。
この森の全てが、今日から俺の領土だ。
「アレン様、この森の名前はどうしますか? 『死の森』のままでは縁起が悪いです」
セラムが尋ねてきた。
「そうだな……」
俺は少し考えた。
死の森と呼ばれ、誰もが恐れた場所。
だが、俺たちにとっては資源の宝庫であり、自由の楽園だ。
「『楽園の森(エデン・フォレスト)』……いや、ちょっと気取ってるな。シンプルに『アレン領』でいいか」
「『アレン様の森』! 素敵です!」
フェリスが賛成した。
こうして、俺たちはバルガ近郊の最恐地帯『死の森』を手に入れ、そこに拠点を築いた。
このニュースはすぐに街中に広がり、「死に急ぎ野郎」「頭のおかしい成金」と噂されることになるが、それが間違いだと気づく頃には、俺の領地は世界最強の国家へと変貌していることだろう。
***
その夜。
俺たちは城のテラスで、狩ったばかりの『アイアン・キラーボア』の肉を使ったバーベキューを楽しんだ。
俺の【料理(極)】スキルで調理された肉は、臭みなど皆無で、極上の牛肉のような旨味と甘味が溢れ出していた。
「んん~っ! 美味しいです~! アレン様、天才です~!」
フェリスが口いっぱいに肉を頬張り、幸せそうに体を揺らす。
「……信じられません。あの硬いキラーボアの肉が、こんなに柔らかくなるなんて。それに、食べた瞬間から力が湧いてきます」
セラムも上品に、しかし物凄い勢いで肉を平らげている。
高ランク魔物の肉は、食べるだけで経験値やステータスアップの効果があるのだ。
「たくさん食えよ。明日は家具を揃えたり、森の調査をしたりで忙しくなるからな」
俺はワイングラス(中身は果汁100%ジュース)を傾け、夜空を見上げた。
森の空は澄んでいて、星が降るように綺麗だ。
騒音もない。
煩わしい人間関係もない。
最高の仲間と、美味い飯と、安全な家。
これ以上の幸せがあるだろうか。
ふと、俺はポケットに入っていた「あるもの」を取り出した。
それは、ギルドでガンザスからこっそり渡された手紙だった。
差出人は不明だが、内容はカイルたちに関する情報だった。
『勇者パーティーの反応が消滅。捜索隊を送るも、ドラゴンの死体によりルート遮断され断念。生存絶望的』
短い報告。
彼らは「死んだ」と判断されたようだ。
世間的には、悲劇の英雄として語られるのだろうか。
それとも、無謀な挑戦の末の愚か者として忘れ去られるのだろうか。
「……ま、どっちでもいいか」
俺は手紙を魔法の炎で燃やした。
灰となって風に舞う。
彼らがどうなろうと、もう俺の人生には関係ない。
もし生きていて、いつかこの森に迷い込んでくることがあれば……その時は、俺の城の門番(フェリスかセラム)が相手をしてくれるだろう。
「アレン様? どうなさいました?」
セラムが心配そうに聞いてくる。
「いや、なんでもない。さあ、宴の続きだ」
俺は笑って、二人の美女との楽しい夜に戻った。
薪の爆ぜる音が、心地よく響いていた。
***
一方その頃。
『死の森』から遠く離れた山麓の洞窟で。
「かゆい……体中がかゆい……」
カイルは全身を掻きむしっていた。
風呂に入っていない体にはシラミが湧き、不衛生な環境とストレスで湿疹が出ていた。
装備を失い、食料もなく、プライドすら砕かれた元勇者。
彼らはまだ生きていた。
ゴブリンの肉と雪解け水で食いつなぎ、執念だけで下山を続けていた。
「アレン……アレン……」
カイルの口から漏れるのは、もはや呪詛のようなその名前だけだった。
極限状態の中で、彼の精神は限界を超え、狂気へと片足を突っ込んでいた。
「待ってろよ……必ず……必ず会いに行くからな……」
その瞳は暗く濁り、しかし異様な光を放っていた。
彼らがバルガの街に辿り着くのは、まだ数日先のことである。
(つづく)
俺はキングサイズのベッドで目を覚ました。
隣を見ると、銀髪の美少女フェリスが俺の腕を枕にして、幸せそうな寝息を立てている。その無防備な寝顔は、かつて雪山でSSランクドラゴンと対峙していた神獣とは思えないほど愛らしい。
「ん……アレン様……むにゃ……お肉……」
どんな夢を見ているんだ。
俺は苦笑しながら、そっと腕を抜いて起き上がった。
リビングの方へ向かうと、そこには既に身支度を整えたハイエルフの少女、セラムの姿があった。
「おはようございます、アレン様」
セラムは姿勢良く立ち上がり、深々と頭を下げた。
昨日までのボロボロだった奴隷姿とは打って変わり、今はフェリスと一緒に買った冒険者用の服――動きやすいチュニックとショートパンツ、そしてニーソックスという活動的な格好をしている。
ただ、その腰には昨日ドワーフの鍛冶屋で購入した(暫定の)ミスリルの短剣が帯びられており、その立ち姿からは隠しきれない王族の気品と、剣士としての鋭い覇気が漂っていた。
「おはよう、セラム。体調はどうだ?」
「はい。おかげさまで、魔力も体力も完全に回復いたしました。それどころか……以前よりも力が溢れていて、体が軽いのです」
セラムは自分の手を見つめ、不思議そうに握りしめた。
それはそうだろう。
俺のスキル【経験値委託】によって、彼女には一晩中、俺の余剰経験値が流れ込み続けていたのだ。
現在の彼女のレベルは250。
かつてのエルフ王国の最強剣士ですらレベル80程度だったというから、彼女はすでに伝説級の強さを手に入れていることになる。
「それはよかった。今日は忙しくなるぞ」
「はい。どのようなご命令でも」
セラムは凛とした表情で頷いた。
彼女の中にある復讐の炎は消えていないが、それ以上に、今の彼女を支えているのは「俺への忠誠」のようだ。
昨日の夜、「貴方の剣になる」と誓った彼女の言葉に嘘はないらしい。
「フェリス、起きろ。朝飯だぞ」
「はっ! お肉!? お肉ですか!?」
俺の声に反応して、寝室からフェリスが弾丸のように飛び出してきた。
銀色の耳と尻尾が激しく揺れている。
朝から元気なやつだ。
***
朝食を済ませた俺たちは、ギルドへと向かった。
目的は「土地探し」だ。
俺たちの拠点を作るためには、まずは土地を手に入れなければならない。
それも、普通の家一軒分ではなく、国が作れるほど広大な土地を。
「土地、ですか?」
ギルドマスター室で、ガンザスは呆れたように俺を見た。
「お前、昨日Cランクになったばかりで、今度は不動産王にでもなるつもりか? バルガの街中なら、空いている屋敷をいくつか紹介できるが」
「いや、街中は窮屈だ。もっと広くて、誰も干渉してこない場所がいい。できれば未開拓の土地を丸ごと買いたいんだが」
「未開拓地を丸ごと……?」
ガンザスは眉をひそめ、そして大きなため息をついた。
「アレン、お前な……未開の土地ってのは、つまり魔物の巣窟ってことだぞ? 開拓するだけでも軍隊が必要になるレベルだ。お前ら三人だけでどうにかできる規模じゃねぇ」
「軍隊なら、ここにいる三人で十分だろ?」
俺が親指で後ろの二人を指すと、フェリスは「えへへ」とVサインをし、セラムは無言で剣の柄に手を置いて頷いた。
Sランク相当の神獣と、レベル250の剣帝。
確かに、小国の軍隊くらいなら余裕で蹴散らせる戦力だ。
「……はぁ。化け物揃いなのは認めるがな。まあいい、本気なら領主の代官を紹介してやる。辺境の土地管理はギルドじゃなくて領主の管轄だからな」
ガンザスは羊皮紙に紹介状をサラサラと書き、俺に渡した。
「ただし、変な土地を買って後悔するなよ。この辺りには『手を出してはいけない場所』ってのがいくつかあるんだからな」
「忠告ありがとう。心に留めておくよ」
俺たちはギルドを後にし、街の中央にある領主の館へと向かった。
***
領主の館は、堅牢な石造りの建物だった。
受付でガンザスの紹介状を見せると、すぐに土地管理官の執務室へと通された。
出てきたのは、神経質そうな細身の男、ハミルトン男爵だった。
彼は鼻眼鏡の位置を直しながら、俺たちを値踏みするようにジロジロと見た。
「ふむ……ギルドマスターからの紹介とはいえ、随分とお若い冒険者ですね。未開拓地の購入をご希望とか?」
「ああ。広くて、水資源が豊富で、将来的に街を作れるくらいの平地がある場所がいい」
「街を作る……?」
ハミルトンは鼻で笑った。
「夢を見るのは若者の特権ですがね、開拓事業というのは莫大な資金がかかるんですよ。土地代だけでなく、人件費、資材費、防衛費……金貨数百枚あっても足りませんよ?」
「金ならある」
俺は懐から、ギルドで発行してもらった預金証明書(残高5億ガルド)をテーブルに置いた。
ハミルトンがそれを手に取り、目を丸くした。
「ご、5億……!? き、君は一体……?」
「素材を売ったらこうなった。これで足りるか?」
「た、足りますとも! 十分すぎます!」
ハミルトンの態度が一変した。
揉み手をしながら、彼は部屋の奥から巨大な地図を広げた。
「いやはや、若くしてこれほどの資産家とは素晴らしい! では、おすすめの土地をご紹介しましょう。例えば、東の街道沿いのこの平原などは……」
「いや、街道沿いは人が多くて煩わしい」
「では、南の湖畔エリアは? リゾート地としても有望ですが」
「地盤が緩そうだな。もっとこう、要塞化しやすくて、外部からの侵入が難しい場所はないか?」
「要塞化……君は独立戦争でも始めるつもりかね?」
ハミルトンは苦笑しながら地図を指でなぞる。
そして、ある一点で指を止めた。
「……条件に合う場所となると、ここしかありませんが……ここはおすすめできませんな」
彼の指が差していたのは、バルガの北西、険しい山脈と深い森に囲まれた広大なエリアだった。
地図上では赤く塗りつぶされ、『危険地帯』と記されている。
「ここは?」
「通称『死の森(ヘル・フォレスト)』。広さは小国一つ分ほどありますが、Sランク級の魔物が跋扈し、環境マナが濃すぎて普通の人間なら立ち入るだけで魔力酔いを起こす魔境です。過去に3度、王国が開拓団を送りましたが、いずれも全滅して撤退しました」
ハミルトンは恐ろしげに語る。
「さらに、森の奥には『迷宮(ダンジョン)』の入り口があるという噂もあり、魔物が無限に湧いてくるとか。この土地はタダ同然で放置されていますが、買う物好きなどいませんよ」
「へぇ」
俺は地図を見つめた。
Sランク魔物の巣窟。
濃密なマナ。
ダンジョン付き。
そして、周囲を山と森に囲まれた天然の要塞。
(……最高じゃないか)
魔物は素材(金と経験値)の宝庫だ。
濃いマナは、俺やフェリス、セラムのような高レベル者にとっては最高の栄養源になる。
ダンジョンがあれば、希少なアイテムも手に入る。
そして何より、「誰も近づかない」というのがいい。
「ここにする」
俺は即決した。
「は?」
ハミルトンが眼鏡を落としそうになった。
「い、今なんと? 『死の森』ですよ? 死にに行くだけですよ?」
「問題ない。ここをいくらで売ってくれる?」
「い、いや、売るも何も……国としても管理しきれていない放棄地ですから、所有権を譲渡するのは構いませんが……本気ですか?」
「本気だ」
俺は真剣な眼差しで彼を見た。
ハミルトンは俺の目が狂気ではなく、確固たる自信に満ちていることに気づき、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「……わかりました。では、金貨1000枚。それだけで、この森の全域と、そこに付随する地下資源、および統治権をすべてお譲りしましょう。ただし! 命の保証は一切しませんし、死んでも返金はしませんからね!」
金貨1000枚。
約1億円。
小国一つ分の広さと資源がある土地にしては破格だ。
まあ、普通なら「買っても使えないゴミ土地」なのだから当然か。
「商談成立だ」
俺はその場で支払いを済ませ、土地の権利書と、領主代行としての身分証明書を受け取った。
これで俺は、今日から『死の森』の領主様だ。
「アレン様、すごいお買い物でしたね」
フェリスが目を輝かせている。
「私、森は大好きです! 早く走り回りたいです!」
「私も……あのような魔境を拠点に選ぶとは、アレン様の器の大きさには驚かされます。修行の場としても最適かと」
セラムも武者震いしているようだ。
俺たちは呆気に取られるハミルトンを残し、館を後にした。
***
さっそく現地へ向かうことにした。
バルガから北西へ、馬車で半日ほどの距離だが、俺たちにはもっと速い移動手段がある。
「フェリス、頼めるか?」
「はい! お任せください!」
街の外れで、フェリスは再び銀狼の姿に戻った。
今回はセラムも一緒だ。
俺とセラムが背中に乗り、フェリスが風のように大地を駆ける。
「速い……! これが神獣の脚力……!」
セラムが驚愕の声を上げる。
彼女はエルフなので自然との親和性が高く、フェリスの走りが風のマナと調和していることに気づいているようだ。
一時間もしないうちに、景色が変わった。
明るかった平原が終わり、鬱蒼とした暗い森が姿を現した。
空気が重い。
肌にピリピリと刺さるような魔力の濃度。
空は枝葉に覆われ、昼間だというのに薄暗い。
ここが『死の森』の入り口だ。
「グルルゥ……」
フェリスが足を止め、低く唸った。
警戒しているのではない。興奮しているのだ。
「アレン様、ここ、凄いです! 美味しそうな匂いがたくさんします!」
「美味しそうって、魔物のことか?」
「はい! 強い魔物の気配がいっぱいです!」
「なるほど、狩り場としても優秀そうだな」
俺たちはフェリスから降り、森の入り口に立った。
目の前には、「立入禁止」「危険」と書かれた古びた看板が倒れている。
その先からは、何者かの視線が無数に感じられた。
ガサガサッ。
茂みが揺れ、魔物が姿を現した。
体長3メートルはある巨大な猪。
『キラーボア』。
通常種はCランク程度だが、こいつは違う。
全身が鋼鉄のような棘で覆われ、目は赤く発光している。
『アイアン・キラーボア(変異種)』。Aランク相当の魔物だ。
それが、群れをなして5体も現れた。
「ブモォォォォォッ!!」
猪たちが鼻息荒く突進してくる。
木々をなぎ倒し、地面を揺らすその突進は、戦車すら粉砕する威力があるだろう。
普通の冒険者パーティーなら、これだけで全滅コースだ。
「私がやります」
俺が動く前に、セラムが一歩前に出た。
彼女は腰のミスリルの短剣を抜く。
リーチの短い短剣だが、彼女の構えには一点の隙もない。
「アレン様の領地を汚す害獣ども……排除します」
ヒュンッ。
セラムの姿が掻き消えた。
いや、速すぎて目にも止まらぬ速度で駆け抜けたのだ。
ザンッ、ザンッ、ザンッ――。
すれ違いざま、5回の斬撃音が一瞬で重なった。
セラムが猪たちの背後に着地し、静かに短剣を納める。
カチン。
鍔が鳴った瞬間。
ドサドサドサドサドサッ!!
5体の巨大な猪の首が、同時に地面に落ちた。
切断面は鏡のように滑らかで、血が出る間すら与えられていない。
『次元斬』。
空間ごと切り裂く、剣帝の奥義だ。
「……鈍っていますね。もう少し綺麗に斬れたはずですが」
セラムは不満げに呟いたが、Aランク魔物の群れを瞬殺しておいてそれは贅沢というものだ。
「いや、十分凄いよ。ナイスだ、セラム」
「! あ、ありがとうございます!」
俺に褒められ、セラムはパァッと表情を明るくした。
クールな姫騎士がデレる瞬間、プライスレス。
「さて、まずは拠点の場所を決めようか」
俺たちは死体を【亜空間倉庫】に収納し(今夜のディナーは猪鍋だ)、森の奥へと進んだ。
道なき道を行く。
毒々しい色の花が咲き乱れ、木々はねじれ、時折空から怪鳥が襲ってくるが、フェリスが氷のブレスで撃ち落とし、セラムが剣で斬り伏せるので、俺は散歩気分で歩くだけだ。
しばらく進むと、森が開けた場所に出た。
そこは、澄んだ水を湛える巨大な湖のほとりだった。
湖の中心には小さな島があり、そこには古びた遺跡のようなものが見える。
背後には断崖絶壁がそびえ、天然の防壁となっている。
「ここがいいな」
俺は直感した。
ここなら、水も確保できるし、背後の崖を利用して城も築きやすい。
湖の島にある遺跡も気になる。
「アレン様、あそこからすごい魔力を感じます」
フェリスが湖の中心を指差す。
「あれが、ダンジョンの入り口かもしれません」
「好都合だ。ダンジョンを裏庭にして、毎日素材狩りができるな」
俺は湖畔の広場に立ち、両手を広げた。
ここを俺たちの国『アレン・キングダム(仮)』の首都とする。
「よし、まずは家を建てよう」
俺はスキルリストから【建築】【土魔法(極)】【錬金術(極)】を選択した。
レベル9999の俺にかかれば、家を建てるのに大工も時間も必要ない。
「イメージするのは、頑丈で、快適で、そしてこの森の主(あるじ)に相応しい威厳のある城」
俺は地面に手を当て、魔力を流し込んだ。
「『クリエイト・フォートレス(要塞創造)』!」
ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
大地が激しく揺れ、土砂が生き物のように盛り上がる。
土は圧縮されて石材となり、石材は結合して壁となる。
錬金術によって成分が変質し、ただの岩石が強固な『ミスリルコンクリート』へと生まれ変わる。
さらに、森の木々から抽出した成分で美しい木材が生成され、内装を彩っていく。
わずか数分後。
そこには、白亜の城壁に囲まれた、壮麗な屋敷――いや、小規模な城塞が出現していた。
三階建ての主塔を中心に、居住区、訓練場、倉庫、そして大浴場まで完備された、完璧な要塞だ。
「え……えええええっ!?」
「こ、これは……魔法……? いえ、神の御業……?」
フェリスとセラムが腰を抜かさんばかりに驚いている。
まあ、普通は建築に数年はかかる規模だからな。
「とりあえずの仮拠点だ。気に入らないところがあれば後で改築しよう」
俺は涼しい顔で言った。
城門には、俺の魔力で『A』の紋章が刻まれている。
「すごい……すごいです、アレン様! 魔法で一瞬でお城を作っちゃうなんて!」
フェリスが俺に飛びついてくる。
「これほどの要塞を……アレン様、貴方はやはり、伝説の建国王の生まれ変わりなのでは……」
セラムが真剣な顔で跪く。
「さあ、中に入ろう。今日からここが俺たちの家だ」
俺たちは完成したばかりの城へと足を踏み入れた。
まだ家具はないが、広々としたホールや、清潔な部屋は快適そのものだ。
窓からは美しい湖と、広大な森が見渡せる。
この森の全てが、今日から俺の領土だ。
「アレン様、この森の名前はどうしますか? 『死の森』のままでは縁起が悪いです」
セラムが尋ねてきた。
「そうだな……」
俺は少し考えた。
死の森と呼ばれ、誰もが恐れた場所。
だが、俺たちにとっては資源の宝庫であり、自由の楽園だ。
「『楽園の森(エデン・フォレスト)』……いや、ちょっと気取ってるな。シンプルに『アレン領』でいいか」
「『アレン様の森』! 素敵です!」
フェリスが賛成した。
こうして、俺たちはバルガ近郊の最恐地帯『死の森』を手に入れ、そこに拠点を築いた。
このニュースはすぐに街中に広がり、「死に急ぎ野郎」「頭のおかしい成金」と噂されることになるが、それが間違いだと気づく頃には、俺の領地は世界最強の国家へと変貌していることだろう。
***
その夜。
俺たちは城のテラスで、狩ったばかりの『アイアン・キラーボア』の肉を使ったバーベキューを楽しんだ。
俺の【料理(極)】スキルで調理された肉は、臭みなど皆無で、極上の牛肉のような旨味と甘味が溢れ出していた。
「んん~っ! 美味しいです~! アレン様、天才です~!」
フェリスが口いっぱいに肉を頬張り、幸せそうに体を揺らす。
「……信じられません。あの硬いキラーボアの肉が、こんなに柔らかくなるなんて。それに、食べた瞬間から力が湧いてきます」
セラムも上品に、しかし物凄い勢いで肉を平らげている。
高ランク魔物の肉は、食べるだけで経験値やステータスアップの効果があるのだ。
「たくさん食えよ。明日は家具を揃えたり、森の調査をしたりで忙しくなるからな」
俺はワイングラス(中身は果汁100%ジュース)を傾け、夜空を見上げた。
森の空は澄んでいて、星が降るように綺麗だ。
騒音もない。
煩わしい人間関係もない。
最高の仲間と、美味い飯と、安全な家。
これ以上の幸せがあるだろうか。
ふと、俺はポケットに入っていた「あるもの」を取り出した。
それは、ギルドでガンザスからこっそり渡された手紙だった。
差出人は不明だが、内容はカイルたちに関する情報だった。
『勇者パーティーの反応が消滅。捜索隊を送るも、ドラゴンの死体によりルート遮断され断念。生存絶望的』
短い報告。
彼らは「死んだ」と判断されたようだ。
世間的には、悲劇の英雄として語られるのだろうか。
それとも、無謀な挑戦の末の愚か者として忘れ去られるのだろうか。
「……ま、どっちでもいいか」
俺は手紙を魔法の炎で燃やした。
灰となって風に舞う。
彼らがどうなろうと、もう俺の人生には関係ない。
もし生きていて、いつかこの森に迷い込んでくることがあれば……その時は、俺の城の門番(フェリスかセラム)が相手をしてくれるだろう。
「アレン様? どうなさいました?」
セラムが心配そうに聞いてくる。
「いや、なんでもない。さあ、宴の続きだ」
俺は笑って、二人の美女との楽しい夜に戻った。
薪の爆ぜる音が、心地よく響いていた。
***
一方その頃。
『死の森』から遠く離れた山麓の洞窟で。
「かゆい……体中がかゆい……」
カイルは全身を掻きむしっていた。
風呂に入っていない体にはシラミが湧き、不衛生な環境とストレスで湿疹が出ていた。
装備を失い、食料もなく、プライドすら砕かれた元勇者。
彼らはまだ生きていた。
ゴブリンの肉と雪解け水で食いつなぎ、執念だけで下山を続けていた。
「アレン……アレン……」
カイルの口から漏れるのは、もはや呪詛のようなその名前だけだった。
極限状態の中で、彼の精神は限界を超え、狂気へと片足を突っ込んでいた。
「待ってろよ……必ず……必ず会いに行くからな……」
その瞳は暗く濁り、しかし異様な光を放っていた。
彼らがバルガの街に辿り着くのは、まだ数日先のことである。
(つづく)
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