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第4話 初めての薬湯と村人の涙
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夜明け前、まだ空が群青色を残す頃。
工房の灯がぽつりと点っていた。
リオネルは燃える薪の音を聞きながら、大鍋を前に腕を組んでいた。
木製の棚から数種類の薬草を取り出し、順に机の上へ並べていく。
乾燥した銀葉草、刻んだ青蘭草、そして村の南で採れた野花の根。
鍋の中では水が微かに波打っていた。
「さて……今日は村のための“薬湯”を作ってみるか」
井戸が再び使えるようになってから、一週間が経った。
水は澄み、香りも良い。だが、疲れ切った村人たちの顔色はまだ暗い。
怪我や病の治療よりも、日々の疲れを癒す方が今は大事だとリオネルは考えた。
疲労や冷えを取る薬湯は、錬金術師が得意とする調合のひとつだ。
湯気に混じる薬草の香りが、身体と心の両方をほぐしてくれる。
リオネルは杖の先を湯にかざし、小さく呪文を唱えた。
青い光がゆらりと走り、鍋の中に薄い膜が張る。
それは精霊の加護を引き出す錬金陣であり、薬草の力を穏やかに混ぜ合わせる役目を持っている。
ピルカが足元でくしゃみをした。
薬草の香りが少し強すぎたらしい。
「もう少し柔らかくしてみようか」
リオネルは指で止め具を回し、湯の温度を下げた。
ほのかな甘みと森の香りが漂いはじめる。
湯気は工房の隙間からもれ、風に運ばれて村の通りへと流れていった。
朝が来る頃、工房の前に人々が集まり始めた。
「なんだか良い匂いがする」「朝からスープか?」
そんな声が飛び交う中、モルド婆さんが杖を突いて現れる。
「リオネル、朝っぱらから何を煮てるんだい?」
「温泉……いえ、薬湯です。今日はみんなに振る舞おうと思いまして」
「薬湯? 飲むのかい?」
「いえ、浸かるんです。身体を温める薬の湯ですよ」
ぽかんとする村人たちを前に、リオネルは工房の裏手に案内した。
そこには、昨夜のうちに木桶を幾つも並べて作った簡易浴場があった。
桶の中では湯気が立ちのぼり、金色に光る薬の葉が浮かんでいる。
「疲れている方からどうぞ。泉ではなく井戸の水を使いましたから、清潔です」
最初に桶に近づいたのはガルドだった。
「俺が人柱ってわけか」
そう言いながら靴を脱ぎ、桶の縁に腰を下ろして足を入れる。
「……お、おお? なんだ、これ……あったけぇな」
彼は思わず声を上げた。
湯は優しく肌にまとわりつき、冷えた足先からじんわりと温めていく。
すぐに他の村人たちも我慢できずに次々と桶へ入った。
「こりゃたまらねぇ……」「まるで春の湖みたいだ」
笑い声が上がり、久しく聞かなかった明るい響きが村に満ちた。
モルドさえも、静かに湯桶に足を浸けて目を細めている。
「……懐かしいねぇ。昔はこうやって薬師が湯を焚いてくれてた」
リオネルはその言葉に耳を傾けながら、湯の色を見守った。
青に近い緑色――成功だ。
魔力の流れが穏やかに整っている証である。
子どもたちは桶の周りをはしゃぎ回り、ピルカまでその輪に加わった。
その様子に、リオネルは深く息をついた。
ただ湯を沸かしただけなのに、人々が笑っている。
それが何よりの報酬だった。
昼を過ぎる頃、村の片隅に年配の男が現れた。
顔色が悪く、身体を曲げて歩いている。
「すまねぇ、錬金術師さん……腰を痛めてから、座ってるだけでもきつくてな……」
モルドが慌てて支える。
「この人はタマスだよ。昔は狩人だったが、今は歩くのもやっとでね」
リオネルは穏やかに頷いた。
「湯に入りましょう。薬の効果を確かめるいい機会です」
男は躊躇いながらも湯に体を沈めた。
その瞬間、顔をしかめて息を呑む。
「熱すぎましたか?」
「いや……不思議だ。痛ぇのが、薄らいでいく……」
彼の体を包む湯気が、微かに金色を帯びた。
錬金陣が反応し、魔力の滞りをほぐしているのだ。
周囲の村人たちが息を呑んで見守る。
数分後、タマスが湯から上がり、試しに腰を伸ばす。
ポキリと音がして、一瞬沈黙が生まれた。
「……痛くねえ。……立てるぞ」
誰かが思わず拍手し、それが波紋のように広がった。
タマスの目に涙が滲む。
「もう山には行けねぇと思ってた……これで畑仕事ぐらいは手伝えそうだ」
リオネルはそっと微笑んだ。
「身体が固まっていただけです。湯はそれを解しただけですよ」
モルドは小さく頷き、衣の袖で目を拭った。
「ありがとよ……あんた、奇跡の人だよ。村が息をしてるのが分かる」
その夜、村の広場では小さな宴が開かれた。
パンとスープ、井戸水を薄めた果実酒。
それらが並べられ、子どもも大人も一緒に笑った。
薬湯はまだ湯気を立てながら裏手に残っている。
「明日も火を入れておくよ」とリオネルが言うと、村人たちは一斉に歓声を上げた。
「なあリオネルさんよ」
ガルドが皿を片手に近づいてきた。
「今日は久しぶりに村の空気が軽い。みんな笑ってる。あんたが来てから、いい風が吹くようになった」
「風なんて、誰にでも吹くさ。ただ、吹き抜ける先が変わっただけだろう」
「へぇ、うまいこと言うじゃねぇか」
二人は声を立てて笑った。
やがて夜が更け、祭りの音が静まる頃。
リオネルは工房の扉を開け、湯気の残る桶を見つめた。
ピルカが隣で丸くなって眠っている。
ふいに風が吹き、薬草棚の瓶がかすかに揺れた。
その中の一つ、精霊樹の欠片を封じた小瓶が淡く光る。
「……君か。見ていたんだな?」
リオネルの呟きに応えるかのように、小さな光が宙に浮かぶ。
まるで虫のように flutter(ふわり)と漂い、やがて消えた。
「守り神の残滓……まだこの村に在る」
穏やかな胸の鼓動を感じながら、リオネルは炉の火を落とした。
明日はまた、新しい調合を試そう。
湯だけでなく、食事にも癒しを――村の心を温める錬金を。
眠りにつく前、ピルカが小さく鳴いた。
その安心した声を聞きながら、リオネルは古い椅子にもたれた。
窓の外、月明かりの下で、薬草畑が静かに呼吸をしているように見えた。
凍っていた村の時が、確かに動きはじめていた。
工房の灯がぽつりと点っていた。
リオネルは燃える薪の音を聞きながら、大鍋を前に腕を組んでいた。
木製の棚から数種類の薬草を取り出し、順に机の上へ並べていく。
乾燥した銀葉草、刻んだ青蘭草、そして村の南で採れた野花の根。
鍋の中では水が微かに波打っていた。
「さて……今日は村のための“薬湯”を作ってみるか」
井戸が再び使えるようになってから、一週間が経った。
水は澄み、香りも良い。だが、疲れ切った村人たちの顔色はまだ暗い。
怪我や病の治療よりも、日々の疲れを癒す方が今は大事だとリオネルは考えた。
疲労や冷えを取る薬湯は、錬金術師が得意とする調合のひとつだ。
湯気に混じる薬草の香りが、身体と心の両方をほぐしてくれる。
リオネルは杖の先を湯にかざし、小さく呪文を唱えた。
青い光がゆらりと走り、鍋の中に薄い膜が張る。
それは精霊の加護を引き出す錬金陣であり、薬草の力を穏やかに混ぜ合わせる役目を持っている。
ピルカが足元でくしゃみをした。
薬草の香りが少し強すぎたらしい。
「もう少し柔らかくしてみようか」
リオネルは指で止め具を回し、湯の温度を下げた。
ほのかな甘みと森の香りが漂いはじめる。
湯気は工房の隙間からもれ、風に運ばれて村の通りへと流れていった。
朝が来る頃、工房の前に人々が集まり始めた。
「なんだか良い匂いがする」「朝からスープか?」
そんな声が飛び交う中、モルド婆さんが杖を突いて現れる。
「リオネル、朝っぱらから何を煮てるんだい?」
「温泉……いえ、薬湯です。今日はみんなに振る舞おうと思いまして」
「薬湯? 飲むのかい?」
「いえ、浸かるんです。身体を温める薬の湯ですよ」
ぽかんとする村人たちを前に、リオネルは工房の裏手に案内した。
そこには、昨夜のうちに木桶を幾つも並べて作った簡易浴場があった。
桶の中では湯気が立ちのぼり、金色に光る薬の葉が浮かんでいる。
「疲れている方からどうぞ。泉ではなく井戸の水を使いましたから、清潔です」
最初に桶に近づいたのはガルドだった。
「俺が人柱ってわけか」
そう言いながら靴を脱ぎ、桶の縁に腰を下ろして足を入れる。
「……お、おお? なんだ、これ……あったけぇな」
彼は思わず声を上げた。
湯は優しく肌にまとわりつき、冷えた足先からじんわりと温めていく。
すぐに他の村人たちも我慢できずに次々と桶へ入った。
「こりゃたまらねぇ……」「まるで春の湖みたいだ」
笑い声が上がり、久しく聞かなかった明るい響きが村に満ちた。
モルドさえも、静かに湯桶に足を浸けて目を細めている。
「……懐かしいねぇ。昔はこうやって薬師が湯を焚いてくれてた」
リオネルはその言葉に耳を傾けながら、湯の色を見守った。
青に近い緑色――成功だ。
魔力の流れが穏やかに整っている証である。
子どもたちは桶の周りをはしゃぎ回り、ピルカまでその輪に加わった。
その様子に、リオネルは深く息をついた。
ただ湯を沸かしただけなのに、人々が笑っている。
それが何よりの報酬だった。
昼を過ぎる頃、村の片隅に年配の男が現れた。
顔色が悪く、身体を曲げて歩いている。
「すまねぇ、錬金術師さん……腰を痛めてから、座ってるだけでもきつくてな……」
モルドが慌てて支える。
「この人はタマスだよ。昔は狩人だったが、今は歩くのもやっとでね」
リオネルは穏やかに頷いた。
「湯に入りましょう。薬の効果を確かめるいい機会です」
男は躊躇いながらも湯に体を沈めた。
その瞬間、顔をしかめて息を呑む。
「熱すぎましたか?」
「いや……不思議だ。痛ぇのが、薄らいでいく……」
彼の体を包む湯気が、微かに金色を帯びた。
錬金陣が反応し、魔力の滞りをほぐしているのだ。
周囲の村人たちが息を呑んで見守る。
数分後、タマスが湯から上がり、試しに腰を伸ばす。
ポキリと音がして、一瞬沈黙が生まれた。
「……痛くねえ。……立てるぞ」
誰かが思わず拍手し、それが波紋のように広がった。
タマスの目に涙が滲む。
「もう山には行けねぇと思ってた……これで畑仕事ぐらいは手伝えそうだ」
リオネルはそっと微笑んだ。
「身体が固まっていただけです。湯はそれを解しただけですよ」
モルドは小さく頷き、衣の袖で目を拭った。
「ありがとよ……あんた、奇跡の人だよ。村が息をしてるのが分かる」
その夜、村の広場では小さな宴が開かれた。
パンとスープ、井戸水を薄めた果実酒。
それらが並べられ、子どもも大人も一緒に笑った。
薬湯はまだ湯気を立てながら裏手に残っている。
「明日も火を入れておくよ」とリオネルが言うと、村人たちは一斉に歓声を上げた。
「なあリオネルさんよ」
ガルドが皿を片手に近づいてきた。
「今日は久しぶりに村の空気が軽い。みんな笑ってる。あんたが来てから、いい風が吹くようになった」
「風なんて、誰にでも吹くさ。ただ、吹き抜ける先が変わっただけだろう」
「へぇ、うまいこと言うじゃねぇか」
二人は声を立てて笑った。
やがて夜が更け、祭りの音が静まる頃。
リオネルは工房の扉を開け、湯気の残る桶を見つめた。
ピルカが隣で丸くなって眠っている。
ふいに風が吹き、薬草棚の瓶がかすかに揺れた。
その中の一つ、精霊樹の欠片を封じた小瓶が淡く光る。
「……君か。見ていたんだな?」
リオネルの呟きに応えるかのように、小さな光が宙に浮かぶ。
まるで虫のように flutter(ふわり)と漂い、やがて消えた。
「守り神の残滓……まだこの村に在る」
穏やかな胸の鼓動を感じながら、リオネルは炉の火を落とした。
明日はまた、新しい調合を試そう。
湯だけでなく、食事にも癒しを――村の心を温める錬金を。
眠りにつく前、ピルカが小さく鳴いた。
その安心した声を聞きながら、リオネルは古い椅子にもたれた。
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凍っていた村の時が、確かに動きはじめていた。
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