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第1話 無能賢者、追放される
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王都アスラシアの白亜の城壁が、夕陽を染めて紅く輝いていた。
魔王軍との戦いに勝利し、凱旋した勇者パーティの帰還を祝う凱旋式。城下の広場には民衆が集まり、喝采と花びらが舞っている。
だが、その中心に立つべきはずの一人の男――ルディウス・グラントだけは、その輪の外に立っていた。
彼の胸には“賢者”の紋章が埋め込まれている。知識と魔法を司る者の証だ。
かつては、勇者パーティ「暁の剣」の参謀として名を馳せた男だった。
だが今、彼の存在は人々の記憶から消えようとしている。
「ルディウス。お前のことだが――もう、限界だ」
凱旋式が終わった直後、城内の謁見の間で、勇者アレンが冷ややかに言い放った。
アレン・グロリアス。聖剣アルマスを携え、王国に栄光をもたらした若き英雄。
背中に陽光を受けながら、彼はまるで神の裁きを下すように見下ろしていた。
「限界……? どういう意味だ、アレン」
ルディウスは静かに問う。
殿下付きの侍女たちは息を呑み、壁際で傭兵たちが嘲笑交じりに嗤った。
「先日の決戦、お前の計略が失敗に終わった。魔王の副将に多くの兵を失ったのを忘れたか? 今さら責任逃れは通らんぞ」
アレンの声には確信があった。だがそれは真実ではない。
ルディウスの計略は正しかった。敵の罠を見抜き、最短で撃破に導く策だった。
だが、その指示を無視して突撃したのはアレン自身だ。勇者としての名誉を焦った結果、多くの兵を失った。
「……俺の策を無視したのはお前だろう。俺は止めたはずだ」
「黙れ! 負け犬が言い訳をするな!」
床を拳で打ち鳴らすような怒号だった。
アレンの背後に控えていた、ルディウスの婚約者――セリナ・フィオーネが一歩進み出た。
彼女は王城魔術師団長の娘であり、希少な聖属性の魔導士。
ルディウスと並び称される才女だった。
だが、その顔にはもう一片の温もりもなかった。
「ルディウス様。申し訳ありませんが……あなたにはもう、ついていけません」
「……セリナ?」
「あなたはいつも理屈ばかりで、現実を見ていない。勇者様のような勇気も、力もない。そんな方と婚約していたなんて、私……恥ずかしくて堪えられません」
周囲がざわめく。
勇者が眉を吊り上げ、セリナの肩を抱いた。
「もういいだろう、セリナ。お前の幸せは俺が守る。
王国のため、民のため、この“無能”は追放させてもらう」
「……え?」
その一言が、ルディウスの生きる世界を音を立てて崩壊させた。
「王命だ。ルディウス・グラント、お前を賢者の地位から罷免する。
今後、王国領への立ち入りを禁ずる」
「な、何を言っている……俺を追放するつもりか!」
「そうだ。お前の存在は、これ以上、王国に不要だ。
もう帰る場所はない。失せろ」
勇者の声が響いた瞬間、周囲の騎士たちが動き、ルディウスの腕を乱暴に掴んだ。
抵抗する間もなく、彼は城外へと引き立てられる。
――その夜。
王都の門前。ひとり、雨の中に立ち尽くすルディウスの姿があった。
手元には杖ひとつ。
賢者の証である魔導刻印は、すでに熱せられた鉄で焼き潰されている。
「……そうか。これが、俺の終わりか」
冷たい風が頬を刺す。
脳裏に蘇るのは、セリナの笑顔。あれほど信頼していたはずなのに。
今ではその瞳に、自分への嫌悪しか映っていなかった。
「信じていたのにな……アレンも、セリナも」
声がわずかに震えた。
だが涙は出なかった。ただ、胸の奥の何かが静かに壊れた感覚だけが残った。
彼は夜の街道を歩き続け、やがて王国の境を越える。
そこには、誰も近づかぬとされる“死の森”が待っていた。
森は静まり返っている。
だが、その静寂の裏には息を潜めた魔獣たちの気配が満ちていた。
樹木から滴る黒い液体、腐敗した魔力。生者を拒むような瘴気が漂っている。
「……いい場所だ。俺みたいな捨てられた人間には、ちょうどいい」
ルディウスは呟き、倒木の陰に身を投げた。
疲れ切った体が地面に沈む。
意識が、闇に溶けようとしていた、そのときだった――。
――助けて……誰か、助けて。
微かな声が風に混じった。
幻聴かと錯覚するほど弱々しい声。
だが確かに、それは人間の少女の声だった。
ルディウスは反射的に立ち上がり、声の方向へと走った。
森の奥、古びた神殿のような遺跡。崩れた柱の間に、銀色の髪を持つ少女が倒れていた。
白いローブは破れ、腕に刻まれた紋章が闇に光っている。
「おい、大丈夫か!」
ルディウスは駆け寄り、少女の体を抱き起こした。
傷だらけの手首、冷たい肌。まだ息があった。
「ま、まさか……お前、人間じゃないな」
少女の額には、細い角が生えていた。
それはエルフでも人族でもない、古代種の証。
「わたし……封印を、解きに……きた……でも……魔力が……」
そこで言葉が途切れ、少女は意識を失った。
ルディウスは自分の回復魔法で応急処置を施すと、崩れかけた神殿の奥へと目を向けた。
奥からは、圧倒的な魔力の波動が漏れ出している。
「……封印、だと?」
彼が近づくたびに、空気が震えた。
壁に刻まれた古代文字。
その中央――黒い石棺が、光を放ちながら震動している。
「これは……まさか」
彼の脳裏に、遠い昔の記憶の断片が閃く。
知らぬはずの呪文が、自然と唇を離れた。
「――レヴァント・オメガ」
神殿が閃光に包まれた。
爆音と共に石棺が割れ、闇の奔流が空へと噴き上がる。
ルディウスの意識が一瞬、白に塗りつぶされた。
気がつくと、そこは光と闇が混じる広間だった。
目の前に立つ影が、ゆっくりと形を成していく。
それは黒い装束に包まれた男――いや、人ではなかった。
背後には魔翼、目は紅蓮に燃えている。
「やっと……戻ったか。転生者よ」
「な、何だ……お前は……」
「お前こそが私。かつて世界を支配した“古代魔王ルディアス”の輪廻。
そして今、我らの魂が再び一つになる時が来た」
「俺が……魔王?」
その瞬間、黒い魔力が彼の体へと流れ込んだ。
苦痛、混乱――そして歓喜。
世界が、かつての色を取り戻すように、鮮やかに見える。
頭の中に響く声が言った。
「裏切りの者どもを許すな。
その力で、この世界を——滅ぼせ」
ルディウスはゆっくりと目を開けた。
全身に漆黒の魔紋が浮かび上がり、世界中の魔力が呼応する。
「……いいだろう。俺を“無能”と呼んだ者たちに、思い知らせてやる」
夜の森が叫びを上げた。
魔獣たちが一斉にひれ伏し、彼に忠誠の意を示す。
雷鳴が空を裂き、雨は闇に飲まれる。
かつて“無能”と呼ばれた賢者が、世界を支配する力を取り戻す序章――。
その日、ルディウス・グラントは、再び“魔王”として目を覚ました。
(続く)
魔王軍との戦いに勝利し、凱旋した勇者パーティの帰還を祝う凱旋式。城下の広場には民衆が集まり、喝采と花びらが舞っている。
だが、その中心に立つべきはずの一人の男――ルディウス・グラントだけは、その輪の外に立っていた。
彼の胸には“賢者”の紋章が埋め込まれている。知識と魔法を司る者の証だ。
かつては、勇者パーティ「暁の剣」の参謀として名を馳せた男だった。
だが今、彼の存在は人々の記憶から消えようとしている。
「ルディウス。お前のことだが――もう、限界だ」
凱旋式が終わった直後、城内の謁見の間で、勇者アレンが冷ややかに言い放った。
アレン・グロリアス。聖剣アルマスを携え、王国に栄光をもたらした若き英雄。
背中に陽光を受けながら、彼はまるで神の裁きを下すように見下ろしていた。
「限界……? どういう意味だ、アレン」
ルディウスは静かに問う。
殿下付きの侍女たちは息を呑み、壁際で傭兵たちが嘲笑交じりに嗤った。
「先日の決戦、お前の計略が失敗に終わった。魔王の副将に多くの兵を失ったのを忘れたか? 今さら責任逃れは通らんぞ」
アレンの声には確信があった。だがそれは真実ではない。
ルディウスの計略は正しかった。敵の罠を見抜き、最短で撃破に導く策だった。
だが、その指示を無視して突撃したのはアレン自身だ。勇者としての名誉を焦った結果、多くの兵を失った。
「……俺の策を無視したのはお前だろう。俺は止めたはずだ」
「黙れ! 負け犬が言い訳をするな!」
床を拳で打ち鳴らすような怒号だった。
アレンの背後に控えていた、ルディウスの婚約者――セリナ・フィオーネが一歩進み出た。
彼女は王城魔術師団長の娘であり、希少な聖属性の魔導士。
ルディウスと並び称される才女だった。
だが、その顔にはもう一片の温もりもなかった。
「ルディウス様。申し訳ありませんが……あなたにはもう、ついていけません」
「……セリナ?」
「あなたはいつも理屈ばかりで、現実を見ていない。勇者様のような勇気も、力もない。そんな方と婚約していたなんて、私……恥ずかしくて堪えられません」
周囲がざわめく。
勇者が眉を吊り上げ、セリナの肩を抱いた。
「もういいだろう、セリナ。お前の幸せは俺が守る。
王国のため、民のため、この“無能”は追放させてもらう」
「……え?」
その一言が、ルディウスの生きる世界を音を立てて崩壊させた。
「王命だ。ルディウス・グラント、お前を賢者の地位から罷免する。
今後、王国領への立ち入りを禁ずる」
「な、何を言っている……俺を追放するつもりか!」
「そうだ。お前の存在は、これ以上、王国に不要だ。
もう帰る場所はない。失せろ」
勇者の声が響いた瞬間、周囲の騎士たちが動き、ルディウスの腕を乱暴に掴んだ。
抵抗する間もなく、彼は城外へと引き立てられる。
――その夜。
王都の門前。ひとり、雨の中に立ち尽くすルディウスの姿があった。
手元には杖ひとつ。
賢者の証である魔導刻印は、すでに熱せられた鉄で焼き潰されている。
「……そうか。これが、俺の終わりか」
冷たい風が頬を刺す。
脳裏に蘇るのは、セリナの笑顔。あれほど信頼していたはずなのに。
今ではその瞳に、自分への嫌悪しか映っていなかった。
「信じていたのにな……アレンも、セリナも」
声がわずかに震えた。
だが涙は出なかった。ただ、胸の奥の何かが静かに壊れた感覚だけが残った。
彼は夜の街道を歩き続け、やがて王国の境を越える。
そこには、誰も近づかぬとされる“死の森”が待っていた。
森は静まり返っている。
だが、その静寂の裏には息を潜めた魔獣たちの気配が満ちていた。
樹木から滴る黒い液体、腐敗した魔力。生者を拒むような瘴気が漂っている。
「……いい場所だ。俺みたいな捨てられた人間には、ちょうどいい」
ルディウスは呟き、倒木の陰に身を投げた。
疲れ切った体が地面に沈む。
意識が、闇に溶けようとしていた、そのときだった――。
――助けて……誰か、助けて。
微かな声が風に混じった。
幻聴かと錯覚するほど弱々しい声。
だが確かに、それは人間の少女の声だった。
ルディウスは反射的に立ち上がり、声の方向へと走った。
森の奥、古びた神殿のような遺跡。崩れた柱の間に、銀色の髪を持つ少女が倒れていた。
白いローブは破れ、腕に刻まれた紋章が闇に光っている。
「おい、大丈夫か!」
ルディウスは駆け寄り、少女の体を抱き起こした。
傷だらけの手首、冷たい肌。まだ息があった。
「ま、まさか……お前、人間じゃないな」
少女の額には、細い角が生えていた。
それはエルフでも人族でもない、古代種の証。
「わたし……封印を、解きに……きた……でも……魔力が……」
そこで言葉が途切れ、少女は意識を失った。
ルディウスは自分の回復魔法で応急処置を施すと、崩れかけた神殿の奥へと目を向けた。
奥からは、圧倒的な魔力の波動が漏れ出している。
「……封印、だと?」
彼が近づくたびに、空気が震えた。
壁に刻まれた古代文字。
その中央――黒い石棺が、光を放ちながら震動している。
「これは……まさか」
彼の脳裏に、遠い昔の記憶の断片が閃く。
知らぬはずの呪文が、自然と唇を離れた。
「――レヴァント・オメガ」
神殿が閃光に包まれた。
爆音と共に石棺が割れ、闇の奔流が空へと噴き上がる。
ルディウスの意識が一瞬、白に塗りつぶされた。
気がつくと、そこは光と闇が混じる広間だった。
目の前に立つ影が、ゆっくりと形を成していく。
それは黒い装束に包まれた男――いや、人ではなかった。
背後には魔翼、目は紅蓮に燃えている。
「やっと……戻ったか。転生者よ」
「な、何だ……お前は……」
「お前こそが私。かつて世界を支配した“古代魔王ルディアス”の輪廻。
そして今、我らの魂が再び一つになる時が来た」
「俺が……魔王?」
その瞬間、黒い魔力が彼の体へと流れ込んだ。
苦痛、混乱――そして歓喜。
世界が、かつての色を取り戻すように、鮮やかに見える。
頭の中に響く声が言った。
「裏切りの者どもを許すな。
その力で、この世界を——滅ぼせ」
ルディウスはゆっくりと目を開けた。
全身に漆黒の魔紋が浮かび上がり、世界中の魔力が呼応する。
「……いいだろう。俺を“無能”と呼んだ者たちに、思い知らせてやる」
夜の森が叫びを上げた。
魔獣たちが一斉にひれ伏し、彼に忠誠の意を示す。
雷鳴が空を裂き、雨は闇に飲まれる。
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