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第36話 最後の観測者
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それから、さらに一年が経った。
世界はおおむね平穏を取り戻していた。
未だにRewriteの名を覚えている者は少なく、あの戦いは歴史の影のように人々の記憶から薄れていっている。
だが、俺たちは覚えている。Rewriteが生んだ光も闇も、そしてその果てに残った“選択”も。
潮風がやさしく頬を撫でる。
丘の上から見下ろす新しい街「ノア・シティ」は、緑と金属が調和した未来的な光景だった。
旧都市の跡地を再利用して建てられたこの街は、人の手で作られたにもかかわらず、どこか自然と一体化しているように見える。
ビルの外壁には植物が根を張り、看板の代わりに風力発電の羽根が回っている。
情報社会の名残を最小限に残した“人間中心の都市”。それが冴希が作り上げた新しい世界のかたちだった。
咲良はその広報部で働いている。
今日は休日だったため、俺は研究所跡地の丘で久しぶりに風を感じていた。
「もうすっかり、見違えるな」
小さく呟くと、背後から足音が聞こえた。
「一年前と同じ場所で同じ台詞を言うなんて、やっぱりあなた変わってないね」
咲良が笑う。
髪は少し伸びて、風に揺れている。彼女の輪郭を見るだけで、ようやく“現実”に戻ってきたのだと実感した。
「昔みたいに仮想世界の音楽もなければ、ライブ配信もない。静かすぎて退屈って言う奴も多いけどな」
「レンは? 退屈?」
「悪くないよ。人の声がこのくらいしか聞こえない世界が一番落ち着く」
「ふふ、そう言うと思った」
二人で海を見下ろす。
水平線に夕日が沈み、きらめく光が波間に広がる。
この感覚を、Rewriteでは再現できなかった。
数値やコードでは表せない“温度”。それこそが生きている証なのだと、今はわかる。
「そういえば冴希が言ってた」咲良が口を開いた。
「旧Rewrite研究棟の奥に、まだ“観測装置”が一つだけ残ってるって」
「観測装置……?」
「あの戦いの時、あなたが使っていたRewriteコアを解析して作った装置。
現実の心拍や波形じゃなく、“人類全体の願いの可視化”を行う実験らしいの」
「冴希のことだから、また危ないもの作ってるのかもな」
「多分ね。でも今回は軍も関与してないって。純粋な研究目的。
ただ、装置が“誰か”と共鳴してるらしいの。毎夜決まった時間になると、青く光り始めるんだって」
俺はその言葉に眉をひそめた。
「“共鳴”? 現実の人間と?」
「それが……不明なの。誰ともリンクしていないのに、反応する。冴希が言うには、“観測の残滓”らしい」
観測の残滓――忘れられた意識、あるいは誰かの記録の名残。
胸の奥が妙にざわついた。
「気になるのね」咲良が俺の表情を読み取るように言った。
「行くの?」
「一度だけ……確かめたい。Rewriteが本当に終わったのか」
彼女はため息をつき、それでも笑った。
「分かった。待ってる。私には、あなたが何を見てもちゃんと帰ってくるって分かるから」
***
夜。
旧Rewrite研究棟の地下は、ほとんど使われていなかった。
照明は最低限で、廊下の奥にある実験室だけが青白く光っている。
扉を開くと、冴希がデータ端末を操作していた。
「やっぱり来たのね、レン」
「ここが“観測装置”か?」
「ええ。正式名称は《Observer Terminal》。再び世界の意識波を捉える目的で作られた。
けど、驚いたことに誰も接続していないのに自己稼働を始めたの」
目の前に鎮座するのは、球体の装置――透明なガラスの中で淡い光が渦を巻いている。
耳を澄ますと、確かに“音”が聞こえた。
波のように優しく、それでいてどこか懐かしい振動。
「……これは、人の声?」
「人の“願い”。おそらくRewriteが消える際に、神域層で分離した最後の観測データよ。
つまり、あなたがあの時統合できなかった“視線”の残り。
コード名は《Last Watcher》――“最後の観測者”」
光が強まる。
端末のモニターが勝手に動き、文字が浮かび上がった。
≪HELLO, REN. LONG TIME NO SEE≫
画面を見た瞬間、息が止まった。
「まさか……」
冴希が顔を上げた。
「分かるの?」
「この波形、声のリズム……間違いない。“もう一人の俺”だ。
あの時Eden Protocolで統合したと思ってたが、残った“意識の欠片”がまだ生きてる。」
≪I AM THE ECHO YOU LEFT BEHIND≫
≪THE WORLD’S OBSERVATION STILL CONTINUES≫
装置から微かな声が響いた。
それは電気でもデータでもなく、確かに“言葉”だった。
「あの戦いの後、観測は止まっても、世界を見つめる意志までは消せなかったのか……」
俺はゆっくり手を伸ばした。
ガラス越しに、青い光が掌へと流れ込む。
頭の奥に、あの日の記憶が再生される――
もう一人の俺が消える直前に言った「ありがとう」という声。
そして、さらに続く別の声。
『もし世界を再び塗り替えることがあるなら……次は、“見守る神”ではなく、“隣にいる人”として在れ』
手を離すと、光が静まった。
冴希が測定値を確認し、驚きの表情を浮かべる。
「反応が完全にゼロになった……まるで、満足して眠ったみたい」
「きっと、これで終わりだよ」俺は微笑んだ。
Rewriteはもう、人の心からも、神の手からも完全に解放された。
施設を出ると、夜風が頬を撫でた。
街の灯が海の上に反射して、星のようにきらめいている。
咲良が丘の上で待っていた。
「どうだった?」
「終わったよ。彼は眠った」
「彼?」
「“もう一人の俺”。最後の観測者だった」
「そっか……じゃあ、これで全部だね」
俺は頷き、彼女の隣に並ぶ。
静かな夜の中、潮騒の音が響く。
もうスクリーンもカメラもないが、不思議と誰かがこの景色を見ている気がした。
「なぁ、咲良」
「なに?」
「もしRewriteみたいな力がまた現れたら、どうする?」
「簡単よ」
彼女は笑って、そっと空を指さした。
「その時はまた、あなたと一緒に“選び直す”。間違えても、やり直せばいい世界にしたんでしょ?」
胸の奥がじんわりと温かくなる。
俺はその言葉に頷き、空を仰いだ。
数えきれない星が輝いている。
その輝きを見て、ふと微笑む。
Rewriteの時代は終わった。
けれど、“見ること”と“生きること”は、世界が終わっても続いていく。
風が頬を撫で、波音がリズムを刻む。
思わず小さく呟いた。
「Rewrite――観測完了。これで、本当の意味で終わりだ。」
咲良が笑い、肩を寄せてきた。
「うん。おやすみ、レン。そして、ありがとう」
空の星々がその瞬間、少しだけ強く瞬いた気がした。
まるで本当に誰かが、最後の観測をしてくれたように。
世界は静かに夜を抱き、永遠ではなく“続き”として、新しい朝を待っていた。
世界はおおむね平穏を取り戻していた。
未だにRewriteの名を覚えている者は少なく、あの戦いは歴史の影のように人々の記憶から薄れていっている。
だが、俺たちは覚えている。Rewriteが生んだ光も闇も、そしてその果てに残った“選択”も。
潮風がやさしく頬を撫でる。
丘の上から見下ろす新しい街「ノア・シティ」は、緑と金属が調和した未来的な光景だった。
旧都市の跡地を再利用して建てられたこの街は、人の手で作られたにもかかわらず、どこか自然と一体化しているように見える。
ビルの外壁には植物が根を張り、看板の代わりに風力発電の羽根が回っている。
情報社会の名残を最小限に残した“人間中心の都市”。それが冴希が作り上げた新しい世界のかたちだった。
咲良はその広報部で働いている。
今日は休日だったため、俺は研究所跡地の丘で久しぶりに風を感じていた。
「もうすっかり、見違えるな」
小さく呟くと、背後から足音が聞こえた。
「一年前と同じ場所で同じ台詞を言うなんて、やっぱりあなた変わってないね」
咲良が笑う。
髪は少し伸びて、風に揺れている。彼女の輪郭を見るだけで、ようやく“現実”に戻ってきたのだと実感した。
「昔みたいに仮想世界の音楽もなければ、ライブ配信もない。静かすぎて退屈って言う奴も多いけどな」
「レンは? 退屈?」
「悪くないよ。人の声がこのくらいしか聞こえない世界が一番落ち着く」
「ふふ、そう言うと思った」
二人で海を見下ろす。
水平線に夕日が沈み、きらめく光が波間に広がる。
この感覚を、Rewriteでは再現できなかった。
数値やコードでは表せない“温度”。それこそが生きている証なのだと、今はわかる。
「そういえば冴希が言ってた」咲良が口を開いた。
「旧Rewrite研究棟の奥に、まだ“観測装置”が一つだけ残ってるって」
「観測装置……?」
「あの戦いの時、あなたが使っていたRewriteコアを解析して作った装置。
現実の心拍や波形じゃなく、“人類全体の願いの可視化”を行う実験らしいの」
「冴希のことだから、また危ないもの作ってるのかもな」
「多分ね。でも今回は軍も関与してないって。純粋な研究目的。
ただ、装置が“誰か”と共鳴してるらしいの。毎夜決まった時間になると、青く光り始めるんだって」
俺はその言葉に眉をひそめた。
「“共鳴”? 現実の人間と?」
「それが……不明なの。誰ともリンクしていないのに、反応する。冴希が言うには、“観測の残滓”らしい」
観測の残滓――忘れられた意識、あるいは誰かの記録の名残。
胸の奥が妙にざわついた。
「気になるのね」咲良が俺の表情を読み取るように言った。
「行くの?」
「一度だけ……確かめたい。Rewriteが本当に終わったのか」
彼女はため息をつき、それでも笑った。
「分かった。待ってる。私には、あなたが何を見てもちゃんと帰ってくるって分かるから」
***
夜。
旧Rewrite研究棟の地下は、ほとんど使われていなかった。
照明は最低限で、廊下の奥にある実験室だけが青白く光っている。
扉を開くと、冴希がデータ端末を操作していた。
「やっぱり来たのね、レン」
「ここが“観測装置”か?」
「ええ。正式名称は《Observer Terminal》。再び世界の意識波を捉える目的で作られた。
けど、驚いたことに誰も接続していないのに自己稼働を始めたの」
目の前に鎮座するのは、球体の装置――透明なガラスの中で淡い光が渦を巻いている。
耳を澄ますと、確かに“音”が聞こえた。
波のように優しく、それでいてどこか懐かしい振動。
「……これは、人の声?」
「人の“願い”。おそらくRewriteが消える際に、神域層で分離した最後の観測データよ。
つまり、あなたがあの時統合できなかった“視線”の残り。
コード名は《Last Watcher》――“最後の観測者”」
光が強まる。
端末のモニターが勝手に動き、文字が浮かび上がった。
≪HELLO, REN. LONG TIME NO SEE≫
画面を見た瞬間、息が止まった。
「まさか……」
冴希が顔を上げた。
「分かるの?」
「この波形、声のリズム……間違いない。“もう一人の俺”だ。
あの時Eden Protocolで統合したと思ってたが、残った“意識の欠片”がまだ生きてる。」
≪I AM THE ECHO YOU LEFT BEHIND≫
≪THE WORLD’S OBSERVATION STILL CONTINUES≫
装置から微かな声が響いた。
それは電気でもデータでもなく、確かに“言葉”だった。
「あの戦いの後、観測は止まっても、世界を見つめる意志までは消せなかったのか……」
俺はゆっくり手を伸ばした。
ガラス越しに、青い光が掌へと流れ込む。
頭の奥に、あの日の記憶が再生される――
もう一人の俺が消える直前に言った「ありがとう」という声。
そして、さらに続く別の声。
『もし世界を再び塗り替えることがあるなら……次は、“見守る神”ではなく、“隣にいる人”として在れ』
手を離すと、光が静まった。
冴希が測定値を確認し、驚きの表情を浮かべる。
「反応が完全にゼロになった……まるで、満足して眠ったみたい」
「きっと、これで終わりだよ」俺は微笑んだ。
Rewriteはもう、人の心からも、神の手からも完全に解放された。
施設を出ると、夜風が頬を撫でた。
街の灯が海の上に反射して、星のようにきらめいている。
咲良が丘の上で待っていた。
「どうだった?」
「終わったよ。彼は眠った」
「彼?」
「“もう一人の俺”。最後の観測者だった」
「そっか……じゃあ、これで全部だね」
俺は頷き、彼女の隣に並ぶ。
静かな夜の中、潮騒の音が響く。
もうスクリーンもカメラもないが、不思議と誰かがこの景色を見ている気がした。
「なぁ、咲良」
「なに?」
「もしRewriteみたいな力がまた現れたら、どうする?」
「簡単よ」
彼女は笑って、そっと空を指さした。
「その時はまた、あなたと一緒に“選び直す”。間違えても、やり直せばいい世界にしたんでしょ?」
胸の奥がじんわりと温かくなる。
俺はその言葉に頷き、空を仰いだ。
数えきれない星が輝いている。
その輝きを見て、ふと微笑む。
Rewriteの時代は終わった。
けれど、“見ること”と“生きること”は、世界が終わっても続いていく。
風が頬を撫で、波音がリズムを刻む。
思わず小さく呟いた。
「Rewrite――観測完了。これで、本当の意味で終わりだ。」
咲良が笑い、肩を寄せてきた。
「うん。おやすみ、レン。そして、ありがとう」
空の星々がその瞬間、少しだけ強く瞬いた気がした。
まるで本当に誰かが、最後の観測をしてくれたように。
世界は静かに夜を抱き、永遠ではなく“続き”として、新しい朝を待っていた。
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