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 私は電車で旅をするのが好きだ。車窓から見える日常の風景が、だんだんと非日常に変化していく。まるでテレビのスクリーンのような窓からは、新たな風景が飛び込んでくる。

「……あ、あそこに山がある」

 いつも通り、ロングシートに座った私は未知の空間に視線を向けていた。スマホを取り出すと、山を画角に入れる。未知の物を見つけると、私は決まって写真を撮った。

 始点から遠ざかるにつれ、辺りは喧騒に呑まれていった。部活帰りの学生や、疲労困憊の社会人。先程までの観光気分は、周囲の人々によって上書かれてしまった。スマホに視線を落とす。特に意味もなく開いた、SNSのタイムラインをスクロールする。

 車窓から視線をそらして数十分が経っただろうか。ふと視線を上げると、周囲から群衆は消え去っていた。代わりに存在したのは、夕陽と山脈の壮美な調和だった。私はこの光景に心を奪われてしまった。しばらくの間、私は何も行動することができずに呆然と窓を眺めていた。

「……あ、そうだ写真――」

 そう呟いた瞬間、車両はトンネルへと侵入した。窓ガラスは漆黒に染まり、まるで鏡のようになっていた。それを見て私は驚愕した。私の左隣に同年代の女の子が座っていた。そして彼女は窓ガラス越しに私と視線を合わせる。私は咄嗟に左側を見た。彼女も私に直接視線を合わせる。彼女は暗闇に似合わない、透き通った声で私に話しかける。

「写真、要ります?」

「えっ? あ、はい」

 突然の声掛けに困惑した私は、条件反射的に了承してしまった。

「あなたも電車旅、好きなんですね」

 そう言われ、私の戸惑いは指数関数的に増加していった。

「まぁ、そうですけど……」

「わたしも始点から乗ってたの、気づいてました?」

 微笑みながら彼女は言った。どうしてだろうか、彼女の笑みを見ると心が安心する。先程の不安はその笑顔によって、跡形もなく消え去った。

「いや、気づかなかった」

「ふふ、本当に風景を眺めるのが好きなんだね」

 そう言って、彼女は私に連絡先を見せた。それを追加した私は、彼女から写真を受け取る。

「うわぁ、綺麗……」

「わたしって写真撮る才能、結構あるでしょ?」

 彼女の悪戯っぽい笑い方に、私は魅了されてしまう。言葉を返すことすらままならず、沈黙を続けていると彼女はこう続けた。

「ねぇ、もし良かったらさ、わたしと旅しない?」

 夕焼けは太陽が沈みかけている一瞬しか見ることができない。夕焼けとともに現れた彼女も、そのような儚さを秘めていた。少しでも長くこの時間が続けばいいのにと思いながら、私は返事をする。

「……いいね」

 その瞬間、世界は橙色の光に包まれた。先程よりも深いオレンジ。その光景は、永遠に私の記憶から消えることはなかった。
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