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26 愛に満ちあふれた君の姿。
ある日僕は、街を散歩していた。
春が過ぎ心地よい日差しが僕を包み込んでくれていた。目に映る木々は青々とした葉が生い茂り、生命力に満ち溢れていた。
僕はあてもなくただ歩いて、気になったお店があればそこに入る。僕はたまにこうやって街中を散歩するのが好きだった。思わぬ出会いがあるからだ。
その出会いとは人との出会いではなく、古着だったり、食器だったり、雑貨だったり、アートだったり…。
“こんなものがあったんだ”と、発見するのが楽しかった。
今日も色々なお店を覗いた。
ちょっとおしゃれなキッチン用品を扱うお店があったからそこに立ち寄った。
便利そうなキッチン雑貨があったから僕はそれを買い、またふらふらと歩いていた。
すると、フリーで入れる写真展があった。
そこには“桜フォトコンテスト入賞作品”と書いてあった。僕は桜が好きだ。
迷わずそのギャラリーへと入った。
まずはぐるりと周りを見渡した。
それから順番に端から見ていこうと思っていた。
でも…
ぐるりと見渡した中に、目を奪われた写真があった。その写真は遠くにあったからよく見えなかった。それなのになぜか惹かれてしまった。
その写真が全体的に淡いピンク色をしていたからだ。
他の写真は桜をアップで撮ったものや、青空が写り込んでいるもの、緑色の芝生やビルなどが写り込んでいるものが多かった。
でも僕が惹かれた写真は、被写体こそいるものの、その背景が淡いピンク色一色で僕は興味をそそられた。
端から見るのをやめて、真っ先にその写真に向かって足を進める。
その写真の目の前に来た時…
僕は…涙があふれ出た…。
淡いピンク色の桜を背景に、そこに写っていたのは…
純白のウェディングドレスを身に纏った葵の姿だった…。
葵…
葵はカメラ目線ではないものの、柔らかく…そして優しい満面の笑みを浮かべていて、その瞬間が捕えられているものだった。
その視線の先にはきっと葵の愛する人がいるのだろう。そうはっきりとわかるほど、その写真からは愛があふれ出ていた。
葵の愛で…満ちあふれていた…。
僕は久々に呼吸を詰まらせながら泣いていた。
でもその涙はネガティブなものではない。
後悔だとか、妬み嫉みなんかではない。
僕は立っていられなくなり、その場にしゃがみ込んで泣きじゃくった。
その写真は僕にとって…
息を呑むほどに…とても美しかった…。
僕がそう思ったのは2回目だ。
初めてそう思ったのは葵に別れを告げた時…僕がケジメをつけた時。
でも…その時の葵とは比じゃないほど、この写真の葵はとても綺麗だった。
僕は嬉しかった。
この写真がいつ撮られたものかはわからない。今年かもしれないし、去年かもしれない。
でも葵がこんなふうに笑っているのを見て、僕はすごく嬉しかった。
よかった…。
葵は幸せなんだ…。
しばらくして落ち着くと、僕は立ち上がった。
その後もずっとその写真を眺めていた。
そこから動けなくなっていた。
すると、1人の男性が声を掛けてきた。
「この写真気に入った?」
「…はい…とても…。」
僕は素直にそう答えた。
「これね、俺が撮ったんだ。今日はこの辺りに用事があったから、たまたまここに立ち寄ってみたんだけど、君が熱心に見ているからつい声を掛けちゃった。」
僕は涙を拭いた。
「泣いてたの?」
「はい…。あまりにも…この写真の女性からの愛を感じたんで…。」
「ははっ。それはよかった。」
僕はその写真の撮影者の名前を確認した。
“河野和樹”…コウノ?カワノ?カズキ…
知らない名前だ。
「ここに写ってる女の子ね、俺の奥さんの弟のお嫁さんなんだ。…なんかこう言葉にすると少しややこしいね。はははっ。」
その男性…和樹さんはそう言うと、柔らかく笑っていた。
葵は結婚したんだ…。
…おめでとう…。
そのままずっと幸せでいて…。
「弟さん夫婦は仲良くやっていますか?」
「うん。仲良くしてるよ。いつ見ても幸せそうだし…ここに写ってる女の子ね、普段からこういう顔をよくするんだ。旦那さんに向けてね。」
そっか…葵は幸せなんだ…。
そう思うと僕はまた嬉しくなった。
よかった。
本当によかった…。
前までの僕だったらきっと、その笑顔は僕に向けられていたかったと思っていただろう…。
葵の隣にいるのは僕でありたいと…。
でも今そう思わないのは、茜がそばにいてくれるからだ。
だから僕は素直に葵の幸せを喜べている。
「本当に素敵な写真です。桜が背景なのも…っ…」
僕はまた涙が出てきてしまい、そこで言葉を詰まらせた。
「ははっ。君はきっと純粋なんだね。それか感受性が高いのかな。」
違う…。
この写真に写っている女性が葵だからだ。僕は純粋でも感受性が高いわけでもない。
欠けているんだ。
僕は色々と欠けていて、普通がわからない。人の気持ちや、相手が嫌がること…どうやって愛せばいいのか、どうすれば愛されるのか…何もかもわからなかった。
今少しずつそれを勉強しているところだ。
「そんなんじゃないです。でも…桜が背景なのもすごく素敵です。この女性にぴったりです。」
「おっ。君もそう思う?これね、提案したのはこの子の旦那さんなんだ。桜を背景にウェディングドレス姿のこの子の写真を撮りたいって。本当にいいチョイスだよね。この子のことをよくわかってる。」
僕もその立場なら絶対にそう提案している。
葵と桜はすごくお似合いだから…。
それに…僕は桜に思い入れがあるから…。
「ちょっとだけ俺の話を聞いてくれる?時間ある?」
「はい。大丈夫です。」
僕は本当に何も予定がなかったから、その人の話を聞くことにした。葵の話が聞けるかもしれないし…。
「俺ね…孤児院育ちなんだ。きょうだいも親もいない。」
孤児院…。
かつて僕が行きたかった場所だ。
「このままずっと天涯孤独なんだろうなって思ってたんだ。彼女ができても長続きしなくてね。でもそんな時に今の奥さんと出会って…なんとね、ゼロ日婚をしたんだよ。僕の奥さんは太陽みたいな人でさ、あっけらかんとしているんだ。悪く言えばいつでも俺から離れていってしまいそうな人…。それくらいサッパリしてる人なの。」
和樹さんはそう話しだした。
「でもね…そんな奥さんの弟が結婚をして、それからその弟夫婦と、そのお嫁さんの弟の5人でよく集まるようになったんだ。…なんだかまたややこしくなっちゃったね。ははっ。」
和樹さんはそう言うとまた、柔らかく笑っていた。
「俺はね、その時間がすごく楽しいんだ。家族ができたって思えて。ずっと…“家族”に憧れていたから…。」
僕もそうだ。“家族”に憧れている。
僕は愛されたい。
「今は賑やかなんだよ。定期的に5人で会えば酒を飲んでさ。みんなで好き勝手にあーだこーだと言っては笑い合って…。」
いいな…。
「この写真の子が酔っちゃうと、この子の旦那さんがこの子に水を飲ませたり、優しく声を掛けたり、そうやって介抱して…そんな姿が微笑ましくってさ。」
葵の話が出てきた…。
「この子は旦那さんに優しくされるたびに嬉しそうにしていて、それから旦那さんに甘えて…。本当に仲がいいんだよ。」
僕は当時2人の仲を邪魔した…。
「俺はそんな2人の姿を見るのがすごく好きでさ。俺の奥さんもどうやらそうらしいんだ。普段は弟のことをあしらってるけど、2人が仲良さそうにしている姿を優しく見つめていてさ…。」
「あれ…?何を話したかったのかわからなくなっちゃった。はははっ。」
「とにかくね、俺と奥さんはこの2人に助けられている感じがするんだ。この2人がいるから俺たちも夫婦でいられる…。そんな感じ。変な話だよね。」
僕にはそれがよくわからなかった。でも…そう話す和樹さんの表情はとても穏やかだった。
「ごめんね?こんなつまらない話をするつもりはなかったんだ。ははっ。うまく話をまとめられなかった。」
「いえいえ。
僕も…家族がいないんです。天涯孤独なんです…。だから和樹さんが羨ましいです。」
「そうなの?」
「はい。」
「でも…きっと君にもいつか家族ができるよ。俺にだってできたんだ。君はこの写真を見て涙を流すような優しい心を持ってるんだからさ。だから希望を捨てずにひたすら前を向き続けて?きっと大丈夫だから。」
そう言う和樹さんの声はとても柔らかく優しいものだった。
「ありがとうございます。こんな素敵な写真が見られて、僕は嬉しいです。」
「わぁ。嬉しいな、そんなふうに言ってくれて。」
「色々とお話が聞けて楽しかったです。」
「俺の方こそありがとう。」
それから僕は他の写真はほとんど見ずにそのギャラリーを出た。
僕は説明がしようのない高揚感を覚えた。
あの葵の姿が目に焼き付いてしまった。
本当に綺麗だった。美しかった。
僕に向けられたものではないけど、あの写真の葵からは愛が満ちあふれていてとても温かい気持ちになった。
僕はその葵の姿をそっと…頭の中の葵のフォルダにしまい込んだ。
引っ越そう…
もうあの部屋を出よう…。
僕は自然とそう思った。やっと決心ができた。
葵の…あんな幸せそうな顔を見たら自然とそう思えた。
次の日、僕は茜とランチをしていた。
「僕、引っ越そうと思うんだ。」
「…どこに?」
茜が不安そうな顔をした。
「まだ決めてない。あの家を出たいだけ。」
「…。」
「だから茜、僕と一緒に住まない?」
茜の目が見開いた。
「…一緒に?」
「うん。」
「本当?」
「本当。」
茜は少しだけ泣きそうな顔になっていた。
「うん。斗羽くんと一緒に住みたい。」
「待たせちゃってごめんね。」
「ううん。大丈夫だよ。」
「いつも僕のそばにいてくれてありがとう。」
「私がそうしたかっただけ。」
優しい声で茜はそう言ってくれた。
「僕、茜のそばにいたい。茜が寒くならないように温めたい。」
「…嬉しい…。」
目の前の茜は目に涙を溜めていた。
「僕がそうしたいだけ。」
僕は茜の真似をしてそう言った。
茜、本当にありがとう。
僕は…やっと立ち直れた気がした。そう思った。長かった。本当に長かった。
葵と一緒にあの部屋で過ごしたのはたったの1ヶ月半。でも僕にとってはとても濃くて、愛おしくて、本当に幸せな時間だったんだ。
やっと…葵のことをちゃんと吹っ切れた気がした。
茜と一緒に住むことが決まり、僕は引っ越しの準備をしていた。
今僕の手には葵の服がある。
もう…この服とはお別れしよう…。
葵が部屋着に使っていた僕のTシャツも。それから葵がよく握り込んでいたこの枕も。
他にも僕は葵が使っていたマグカップやお茶碗、お箸などの食器類、お弁当箱や歯ブラシなんかも隠し持っていた。それに僕が葵にプレゼントした淡いピンク色の桜のグラス。これも全部お別れだ。
グラスを手に取ると、僕はそれを太陽の光にかざした。葵がそうしていたように。
…。
そのグラスはキラキラと光を反射させていて、とても綺麗だった。
これが…あの時の葵が見ていた光景…。
僕はそのグラスにアイスミルクティーを作りそそぐと、それを飲みながら少し休憩をする。
葵…
飲み終わるとグラスを綺麗に洗い拭いた。
僕は桜色の紙袋に葵関係の物すべてを丁寧に入れた。僕用に色違いで買ったグラスも一緒に。それからその紙袋をゴミ袋へとまとめた。
でも…スマホの中の葵の写真だけはどうしても削除する気にはなれなかった。だからそれだけはとっておくことにした。
僕は目を瞑った。
瞼の裏には桜を背景にしたウェディングドレス姿の葵が浮かぶ。
幸せそうな葵。
愛に満ちあふれた葵。
優しい笑顔の葵…。
僕はそんな葵の姿を思い出しただけで心が温かくなった。
「葵…。」
久々に声を出してそう呟いた。
葵。
僕は葵と過ごしたこの部屋を出ることに決めたよ。
ダンボールだらけになった部屋を見渡した。
それからベッドにも目を向けた。
このベッドも処分する。
葵を抱いている時のことを思い出した。優しくゆっくりと、葵に好きだと伝えながら抱いた時のことを。手を握り指を絡め、葵の感じている顔を見ながら何度も「好きだよ」と伝えた。
ねぇ葵。
まだ僕はこうやって君を思い出すことをすると思う。それでも前よりは思い出さなくなったんだ。すごいでしょ?僕成長したでしょ?ちゃんと前を向いてるでしょ?
でもね、僕はこれからもこうやって葵を思い出して、心の中で葵に話しかけたいんだ。
これはたぶん…ずっと続けると思う。そうしたいんだ。
忘れたくない。
君のことを。
僕がはじめて愛した人だから…。
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