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Ⅰ
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しおりを挟む「そろそろ来る頃だと思っていました」
普段通りのパティシエの格好をしている慶秋さんが、低くて渋い、いい声で僕に向かって言った。僕は苦笑する。
「そうなんです、今日もマダムのお使いです」
マダムと慶秋さんはどうやらずっと前から知り合いのようで、マダムに関するどんなことを言ってもちっとも驚かなかった。それどころか、僅かにだが夢見心地に楽しそうにする。ずっと昔、二人はどういう関係だったんだろう。
〈DEAR ROI〉のコーヒーと紅茶に、秋のお菓子屋のお菓子はとてもよく合う。前に、一緒にお店を出せばいいのに、となんとなく言ったことがあったけど、マダムは、いいのよ、と軽く言うだけだった。詳しくは知らないけれど、マダム曰く、秋のお菓子屋は秋のお菓子屋に、〈DEAR ROI〉は〈DEAR ROI〉にあることに意味があるようだ。
「今日はお一人ではないのですね」
慶秋さんが続ける。意外だった。慶秋さんはあまり無駄話をする人ではないと思っていたから。客と店主の距離感と関係性をとても大事にしてしていて、楽しんでいるみたいだったし、僕もあまり気兼ねなくいろんな人と話すことが得意なほうではないから、余計に距離を詰めたりはしなかった。
でも今日は少し違うみたい。どうしてかな。
「お友達ですか」
僕はその言葉にどう答えていいのか分からなかった。
僕たちはお友達というには出会った時間が短すぎる気がするし、知り合いというにはよそよそしい感じがした。僕は少し悩んで言った。
「……ついさっき会ったばかりです」
慶秋さんがいつもと変わらない笑顔を向ける。
「仲のよさに、月日は関係ありませんよ」
「同感です」
翔が突然話に入ってきた。隣に並ばれ、距離を詰められる。翔の香りがして、僕はつい口ごもった。
「俺たちついさっき会ったばかりなのに、なんだかずっと前から知り合いだったみたい、だよね?」
そう言うと翔は僕のほうを見て困ったように笑ったんだった。僕の心臓はスタッカートの音符みたいに跳ねた。春の嵐みたいに、心がざわつく。
翔はノエルのことを、そして僕のことを、そんな風に思ってくれているのかな。そうだとしたら、それは、僕にとってとても特別な意味を持つかもしれない。今の気持ちを言葉にするには、僕は言葉を知らなさすぎたし、伝えかたも未熟すぎて、とうとううろたえることしかできない。僕のそんなようすを見ていた翔は、不意に慶秋さんのほうに向き直った。
「そういうことってありますよね」
慶秋さんが軽やかに応える。
「ええ、あると思います」
翔は面白おかしそうに言っていたけど、僕はすごく変な気持ちになった。
そのあと、慶秋さんと翔はお店のことについてずいぶん話し込み始めた。これ全部慶秋さんが作ってるんですか、とか、慶秋って名前すごくいいですね、とか、話はどんどん変わっていっていたけれど慶秋さんは嫌そうじゃなかったし翔も面白そうだった。
翔は話をするのが好きみたいだ。初対面の人とも魔法を使ったみたいに簡単に打ち解けていろんな話ができるのは少し羨ましいとも思ったし、恨めしい。僕にはなかなかできない。不思議だった。翔はいろんな人と、どうしてこんな風にすぐ仲良くできるんだろう? 僕は、その中のたった一人にしかすぎないのかもしれない、って、思った。情緒不安定すぎて自分でも変だなって思う。
手持ち無沙汰になったし、気分が沈んでしまいそうになったので、マダムに頼まれたものを探すために店内を見渡した。大きなアップルパイに、クロワッサンが二つ。受け取ったがま口の小銭入れには、予算より少し多めの金額が入っていたので、これは他にお茶菓子を買って来なさいということなのだと理解した。こういう心配りができないと駄目なのよ、と出会った頃の僕に対して、楽しそうにマダムが言ったことは今でも簡単に思い出せる。
僕はマダムが美味しいと言っていた花の形のクッキーを買おうかなと思った。紅茶の茶葉が練り込んである生地は爽やかで品のある香りがして美味しいし、真ん中に乗っているいちごのジャムが綺麗で甘酸っぱくて口の中が幸せになる。ノエルもいちごが好きみたいだしちょうどいい。
僕は翔との会話の合間に、慶秋さんに大きなアップルパイとクロワッサンを二つ、そして残りのお金で買えるだけの紅茶とジャムのクッキーをお願いした。
慶秋さんはかしこまりました、と言って手際よく注文の品々をショウケースから取り出し始める。
「優月おにいちゃん! ノエル、これがいい!」
すっかり存在を忘れていたノエルがとても大きな声で僕を呼んだ。
慶秋さんと話をしていた翔が、おや、という顔をしてノエルを見る。その目はしっかりしていた。
僕がノエルに近づいてノエルの指差す場所を見てみると、そこにはうさぎの顔をかたどった白いケーキが並んでいる。赤目はラズベリーのグラッセでできていて、とてもツヤツヤしてつぶらな感じがした。耳はふわふわの生クリーム。プレートによると、中は色とりどりのフルーツが挟まった濃厚なスポンジとバタークリームが層になっているようで、想像しただけでも美味しそうだった。
でも、僕は首を横に振る。
「今日は違うものを買いに来たんだよ」
「いや! これがいい」
僕はノエルと同じ目線になるように身を屈めたあと、うさぎのノエルを差し出した。
「うさぎのノエルで我慢して」
僕が諭すと、僕から黒うさぎをふんだくったノエルがとても不満そうな顔で僕に訴える。
「うさぎのノエルはケーキじゃない!」
確かに。
だけど『駄目』とか『買えない』とか……強い言葉、僕にはとても言い辛い。どんなふうに気をそらしたらいいのか検討もつかなかった。ノエルはとても真面目に憤慨している。どうしてもこのケーキが食べたいらしい。僕が個人的に買ってあげようかなぁ、とも思った。そうすることが一番丸く収まるような気がする。それに嫌な気持ちもしない。正直言って、僕はこの子にケーキを三つでも四つでも買い与えてあげたいくらいだ。だけど……そうすることがノエルのためになるのかな。
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