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1話
エルミールは完全に行き遅れている。
アベジェール伯爵家の長女として生を受けた彼女は、優しい両親と五歳年の離れた穏やかな弟に恵まれた。
何一つ不自由せず暮らしてきたが、十二歳を過ぎた頃から彼女を悩ませている問題が一つだけあるのだ。
――それは、婚約者がいないこと。
十八歳になり、成人を過ぎてもエルミールには縁談の「え」の字もない。
彼女に好意を示してくれる令息は確かにいるのに、気づいたら縁遠くなっていたり、悪い噂が蔓延して縁組どころではなくなっていたり、そもそも家が没落していたりする。
そのせいでエルミールは社交界では『不幸を運ぶ令嬢』と呼ばれる始末だ。
両親は頭を抱え、弟には同情の眼差しを送られ続けている。
幸いなことに家族仲は良好なので、まったく縁談が決まらないエルミールに両親も弟も「ずっと屋敷にいればいい」と声をかけてくれる。
当主である父も、アベジェール家の後継である弟も許可をしてくれている。とはいえ、家族におんぶにだっこで一生を過ごすわけにもいかない。
いずれ後継である弟が妻を娶れば、明らかにエルミールは邪魔なのだ。
日夜ため息を吐きだしながら、周囲の目を気にしつつ夜会に足を運び続けた。
十八歳を過ぎても婚約者がおらず行き遅れている彼女は『不幸を運ぶ令嬢』として、不吉の代名詞である黒猫になぞらえ『黒猫令嬢』などと呼ばれていた。
エルミールの髪は柔らかいハシバミ色だし、瞳は宝石のように煌めく翡翠である。
それにも関わらず人々は『黒猫令嬢』と彼女を呼び、嘲笑う。
心が軋んで仕方なかったけれど、諦めるわけにはいかなかった。
両親や弟の耳にも彼女を冷笑する渾名は届いていて、無理をしなくていい、と何度も声をかけられた。
それでも無理やり笑みを浮かべて、エルミールは結婚相手を探し続けたのだ。
半分は意地になっていたのかもしれない。
黒猫令嬢だって幸せになれるのだと周囲を見返したい、と。
それでも結婚相手が決まることはなく、心が折れかけていた頃。
アベジェール伯爵家に激震が走った。
エルミールに縁談が申し込まれたのだ。
その相手は王家の次に力を持つバーデル公爵家当主――アルベール・バーテルだった。
▽▲▽▲▽
教会の控室で、白い婚礼衣装に身を包んだエルミールは磨き上げられた鏡に映る自分を見つめる。
丁寧に編み込まれた長いハシバミ色の髪。翡翠の瞳を大きく見せるための丁寧な化粧。
身を包むのは公爵家の財力を惜しみなく使って揃えられた白いウエディングドレスだ。
銀の糸で細やかな刺繍が施され、小さく砕いた宝石を散りばめ、レースを何重にも重ねた美しい衣装はエルミールの身体にぴたりとあっている。
その上で、これまた公爵家の財力をいかんなく発揮した宝飾品を身に纏っている。
女性ならば誰もが憧れるであろう贅を凝らした美しい花嫁衣装を身に付けてはいるが、彼女の顔はどこか浮かない。
(アルベール様は三十一歳。ご子息がいらっしゃって、先妻様は亡くなっている)
結婚相手の情報を改めて脳裏で反芻しながら、そっと息を吐く。
エルミールに申し込まれた縁談に、当初母は難色を示していた。
というのも、アルベールは結婚歴があり、先妻の奥方との間に跡取りたる息子がいるためだ。
後妻を望むのはいいとして、接点のないエルミールに白羽の矢がたったことは父も不思議がっていた。
弟のロイクなどは「案外一目惚れかもしれませんよ」と茶化していたが、その瞳には不安が見え隠れしていたほどだ。
今回の結婚の条件はあまりにもアベジェール伯爵家にとって都合がよかった。
エルミールが嫁に入る代わりに、莫大な資金援助、ロイクが伯爵家を継いだ時には後ろ盾になるとも言ってもらえたのだ。
最近領地で悪天候が続き税収が悪いことを見透かすように、領地への支援も約束してくれた。
ここまで条件が良すぎると逆に警戒してしまうというものだ。
だが、断るという選択肢はなかった。
公爵家から伯爵家に持ち込まれた縁談を角を立てずに断ることは不可能だ。
そもそも後妻とはいえ完全に貰い手がおらず行き遅れているエルミールを、妻にと望んでくれるだけありがたいことである。
(すでに後継たる息子がいるということは、後継ぎのことを考えなくていいのも楽なのよね)
男児を生めない女性は往々にして責められる。
それが王家に次ぐ発言力を持つバーデル公爵夫人となれば重圧はすさまじいものになってしまうだろう。
だからこそ、エルミールはあえて楽観的に捉えることにした。
もしかしたらアルベールはお飾りの妻を探していたのかもしれない。
邸宅に女主人がいないと何かと不便だろうし、夜会でもパートナーの存在は必須と言える。
偶然条件が合致したエルミールに声がかかったのだと自身を納得させている。
(……でも、やっぱり不思議だわ)
首を傾げてしまうのは、縁談が決まってからのアルベールのマメな態度故だった。
毎日、飾り切れないほどの花束が屋敷に届いたし、花ではなく装飾品や宝石が届くことも多かった。
体形など教えていないはずなのに、身体にぴったりとあうドレスだって数えきれないほど贈ってもらったのだ。
まるでエルミールに執着しているかのようなアルベールのマメさが、少しだけ不気味だ。
彼との間に面識がないからこそ、お飾りの妻にそこまでするだろうかと思ってしまう。
(先妻様が亡くなったのは事故だというし……なにか気に入られることをしたのかしら)
自問自答をしても答えは出ない。何度も考えたが、思考はいつだって行き止まりにたどり着く。
浅く息を吐き出した瞬間、控室の扉がノックされた。
返事をすれば礼装に身を包んだ父が入ってくる。
「エルミール」
「はい、お父様」
とうとう時間だ。今日をもってエルミールはアベジェール伯爵令嬢からバーデル公爵夫人になる。
ずいぶんと出世するのね、と小さく笑ってエルミールは差し出された父の腕に手を添える。
歩くのも一苦労なほど重いドレスを引きずりながら、結婚の誓いをするために大聖堂へとつながる扉の前に立つ。
(贈り物はたくさんいただいたけれど、最後まで顔合わせはできなかったわ)
夜会で見かけた記憶もない。果たしてアルベールはどんな人物なのか。
王城ですれ違うことがあるという父曰く、漆黒を溶かしたような黒髪にアメジストのような色合いの鋭い瞳を持った、整った顔立ちをした偉丈夫らしい。
かつては軍人として軍を率いた経験もあるという。
怖い人じゃないといいなぁと考えながら、ゆっくりと開かれた扉の奥の奥、司祭の前に立つ婚礼衣装を身に纏った男性を見る。
こちらを見ているアメジストの瞳は、ベール越しでもわかるほどに切れ長で鋭い印象を覚える。
きりっと吊り上がった眉、すっと通った鼻梁、薄い唇。無駄を極限までそぎ落とした肉体に凛々しく整った面差しが乗っている。
芸術品の彫刻のようだと緊張を逃すように、そうっと息を吐いた。
しずしずと毛足の長い赤い絨毯の上を歩いていくと、父から夫となる人に手を伸ばす。
「……綺麗だ、エルミール」
「ありがとうございます」
小さく落とされた言葉に、少しだけ驚いた。同時に、不安が掬っていた胸が温かなもので満たされていく。
ああ、この人となら。上手くやっていけるかもしれない。
不思議とそう思うことができた。
(今日からわたしは公爵夫人なのね)
伯爵令嬢が公爵家に嫁ぐのは、前例がないとは言わないが相当に珍しいことだ。
果たして公爵夫人としての重責に耐えられるのか。
司祭を前に何度も練習した愛を誓う言葉を口にしながらも、少しだけエルミールは不安だった。
公爵家で開かれた宴、両家と両家に縁のある貴族たちが酒を酌み交わし食事に舌鼓を打つその場を途中で中座する。
なぜなら、新婚の夫婦には初夜があるからだ。
妻となる女性の最初の関門であり、義務でもある。
家庭教師から一通り閨の作法は教わっているが、当然実践の機会などなかった。
緊張と不安で脈打つ心臓を抑えながら、メイドたちの手を借りて身体の隅々まで磨き上げる。
伯爵家で使っていたものより数段香り高い薔薇の香油を髪と全身に塗り込む。
薄いネグリジェを身に纏い、夫婦の寝室に案内された。
高鳴る心臓を抑えながら入ったそこは、エルミールの自室の五倍は広い。
薄暗い室内を興味深く見回す。
寝台には弦薔薇の模様が彫り込まれており、天蓋は深紅に染め抜かれていた。
白いシーツと赤いシーツのコントラストがいかにも少女が好きそうな趣である。
まだアルベールの姿はない。そっと寝台に腰を下ろすと、伯爵家の自室の寝台はいったいなんだったのかと疑問に思うほどにふかふかだった。
口から心臓が飛び出るのではないかと思うほど早鐘を打つ心臓を両手で抑える。
すべらかな肌触りのネグリジェは薄すぎて心もとないが、これから起こることはもっとすさまじいのだ。
想像して顔を赤らめていると、静かに扉が開かれる。
廊下の明るい光が差し込んで僅かに目を細めると、音もなく扉が閉められる。
「すまない、待たせたな」
「いえ、大丈夫です」
アルベールが仄かに赤い顔で微笑む。
少なからず酒を口にしたのだろう。先ほどまで宴席だったのだから当然なのだが。
「……綺麗だ」
アメジストの瞳がうっとりと目を細められる。ゆっくりと近づいてくるアルベールの放つ色香に、頭がくらくらとする。
アルベールもまた湯を浴びてきたらしい。少しだけ濡れた漆黒の髪が首筋に張り付いていて、それがとにかく色っぽいのだ。
こくんとつばを飲み込んだエルミールの前にアルベールが立ち、頬に大きな手が添えられる。
思ったより高い体温に頬を赤らめると、彼は甘やかに笑った。
「エルミール、ずっとこの日を待っていた」
腰をかがめて耳元で囁かれる。すぐに離れていったアルベールが、くいっとエルミールの腕を引いた。
立ち上がった彼女の膝裏を掬い上げ抱き上げる。丁寧な仕草で寝台の中央に寝かせられ、否応なく鼓動が高まる。
「美味しそうだ」
「っ」
上に覆いかぶさってきたアルベールの熱い吐息がかかる。目を見開いたエルミールのネグリジェの上から、そっとアルベールが豊かなふくらみを掴む。
「!」
初めて感じる刺激に、びくりと身体が跳ねる。そんな彼女を楽しそうに見つめる視線が恥ずかしい。
身体を捩ったエルミールは、これからする行為にそっと視線を伏せた。
初夜はまだ、始まったばかりだ。
▽▲▽▲▽▲▽▲▽
本日より新作の投稿を開始します!
完結まで書きあがっておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
面白いと思っていただけましたら『お気に入り』や『作者フォロー』をしていただけたら嬉しいです。
『♡』をたくさん押していただけますと、作者の活力になります!
アベジェール伯爵家の長女として生を受けた彼女は、優しい両親と五歳年の離れた穏やかな弟に恵まれた。
何一つ不自由せず暮らしてきたが、十二歳を過ぎた頃から彼女を悩ませている問題が一つだけあるのだ。
――それは、婚約者がいないこと。
十八歳になり、成人を過ぎてもエルミールには縁談の「え」の字もない。
彼女に好意を示してくれる令息は確かにいるのに、気づいたら縁遠くなっていたり、悪い噂が蔓延して縁組どころではなくなっていたり、そもそも家が没落していたりする。
そのせいでエルミールは社交界では『不幸を運ぶ令嬢』と呼ばれる始末だ。
両親は頭を抱え、弟には同情の眼差しを送られ続けている。
幸いなことに家族仲は良好なので、まったく縁談が決まらないエルミールに両親も弟も「ずっと屋敷にいればいい」と声をかけてくれる。
当主である父も、アベジェール家の後継である弟も許可をしてくれている。とはいえ、家族におんぶにだっこで一生を過ごすわけにもいかない。
いずれ後継である弟が妻を娶れば、明らかにエルミールは邪魔なのだ。
日夜ため息を吐きだしながら、周囲の目を気にしつつ夜会に足を運び続けた。
十八歳を過ぎても婚約者がおらず行き遅れている彼女は『不幸を運ぶ令嬢』として、不吉の代名詞である黒猫になぞらえ『黒猫令嬢』などと呼ばれていた。
エルミールの髪は柔らかいハシバミ色だし、瞳は宝石のように煌めく翡翠である。
それにも関わらず人々は『黒猫令嬢』と彼女を呼び、嘲笑う。
心が軋んで仕方なかったけれど、諦めるわけにはいかなかった。
両親や弟の耳にも彼女を冷笑する渾名は届いていて、無理をしなくていい、と何度も声をかけられた。
それでも無理やり笑みを浮かべて、エルミールは結婚相手を探し続けたのだ。
半分は意地になっていたのかもしれない。
黒猫令嬢だって幸せになれるのだと周囲を見返したい、と。
それでも結婚相手が決まることはなく、心が折れかけていた頃。
アベジェール伯爵家に激震が走った。
エルミールに縁談が申し込まれたのだ。
その相手は王家の次に力を持つバーデル公爵家当主――アルベール・バーテルだった。
▽▲▽▲▽
教会の控室で、白い婚礼衣装に身を包んだエルミールは磨き上げられた鏡に映る自分を見つめる。
丁寧に編み込まれた長いハシバミ色の髪。翡翠の瞳を大きく見せるための丁寧な化粧。
身を包むのは公爵家の財力を惜しみなく使って揃えられた白いウエディングドレスだ。
銀の糸で細やかな刺繍が施され、小さく砕いた宝石を散りばめ、レースを何重にも重ねた美しい衣装はエルミールの身体にぴたりとあっている。
その上で、これまた公爵家の財力をいかんなく発揮した宝飾品を身に纏っている。
女性ならば誰もが憧れるであろう贅を凝らした美しい花嫁衣装を身に付けてはいるが、彼女の顔はどこか浮かない。
(アルベール様は三十一歳。ご子息がいらっしゃって、先妻様は亡くなっている)
結婚相手の情報を改めて脳裏で反芻しながら、そっと息を吐く。
エルミールに申し込まれた縁談に、当初母は難色を示していた。
というのも、アルベールは結婚歴があり、先妻の奥方との間に跡取りたる息子がいるためだ。
後妻を望むのはいいとして、接点のないエルミールに白羽の矢がたったことは父も不思議がっていた。
弟のロイクなどは「案外一目惚れかもしれませんよ」と茶化していたが、その瞳には不安が見え隠れしていたほどだ。
今回の結婚の条件はあまりにもアベジェール伯爵家にとって都合がよかった。
エルミールが嫁に入る代わりに、莫大な資金援助、ロイクが伯爵家を継いだ時には後ろ盾になるとも言ってもらえたのだ。
最近領地で悪天候が続き税収が悪いことを見透かすように、領地への支援も約束してくれた。
ここまで条件が良すぎると逆に警戒してしまうというものだ。
だが、断るという選択肢はなかった。
公爵家から伯爵家に持ち込まれた縁談を角を立てずに断ることは不可能だ。
そもそも後妻とはいえ完全に貰い手がおらず行き遅れているエルミールを、妻にと望んでくれるだけありがたいことである。
(すでに後継たる息子がいるということは、後継ぎのことを考えなくていいのも楽なのよね)
男児を生めない女性は往々にして責められる。
それが王家に次ぐ発言力を持つバーデル公爵夫人となれば重圧はすさまじいものになってしまうだろう。
だからこそ、エルミールはあえて楽観的に捉えることにした。
もしかしたらアルベールはお飾りの妻を探していたのかもしれない。
邸宅に女主人がいないと何かと不便だろうし、夜会でもパートナーの存在は必須と言える。
偶然条件が合致したエルミールに声がかかったのだと自身を納得させている。
(……でも、やっぱり不思議だわ)
首を傾げてしまうのは、縁談が決まってからのアルベールのマメな態度故だった。
毎日、飾り切れないほどの花束が屋敷に届いたし、花ではなく装飾品や宝石が届くことも多かった。
体形など教えていないはずなのに、身体にぴったりとあうドレスだって数えきれないほど贈ってもらったのだ。
まるでエルミールに執着しているかのようなアルベールのマメさが、少しだけ不気味だ。
彼との間に面識がないからこそ、お飾りの妻にそこまでするだろうかと思ってしまう。
(先妻様が亡くなったのは事故だというし……なにか気に入られることをしたのかしら)
自問自答をしても答えは出ない。何度も考えたが、思考はいつだって行き止まりにたどり着く。
浅く息を吐き出した瞬間、控室の扉がノックされた。
返事をすれば礼装に身を包んだ父が入ってくる。
「エルミール」
「はい、お父様」
とうとう時間だ。今日をもってエルミールはアベジェール伯爵令嬢からバーデル公爵夫人になる。
ずいぶんと出世するのね、と小さく笑ってエルミールは差し出された父の腕に手を添える。
歩くのも一苦労なほど重いドレスを引きずりながら、結婚の誓いをするために大聖堂へとつながる扉の前に立つ。
(贈り物はたくさんいただいたけれど、最後まで顔合わせはできなかったわ)
夜会で見かけた記憶もない。果たしてアルベールはどんな人物なのか。
王城ですれ違うことがあるという父曰く、漆黒を溶かしたような黒髪にアメジストのような色合いの鋭い瞳を持った、整った顔立ちをした偉丈夫らしい。
かつては軍人として軍を率いた経験もあるという。
怖い人じゃないといいなぁと考えながら、ゆっくりと開かれた扉の奥の奥、司祭の前に立つ婚礼衣装を身に纏った男性を見る。
こちらを見ているアメジストの瞳は、ベール越しでもわかるほどに切れ長で鋭い印象を覚える。
きりっと吊り上がった眉、すっと通った鼻梁、薄い唇。無駄を極限までそぎ落とした肉体に凛々しく整った面差しが乗っている。
芸術品の彫刻のようだと緊張を逃すように、そうっと息を吐いた。
しずしずと毛足の長い赤い絨毯の上を歩いていくと、父から夫となる人に手を伸ばす。
「……綺麗だ、エルミール」
「ありがとうございます」
小さく落とされた言葉に、少しだけ驚いた。同時に、不安が掬っていた胸が温かなもので満たされていく。
ああ、この人となら。上手くやっていけるかもしれない。
不思議とそう思うことができた。
(今日からわたしは公爵夫人なのね)
伯爵令嬢が公爵家に嫁ぐのは、前例がないとは言わないが相当に珍しいことだ。
果たして公爵夫人としての重責に耐えられるのか。
司祭を前に何度も練習した愛を誓う言葉を口にしながらも、少しだけエルミールは不安だった。
公爵家で開かれた宴、両家と両家に縁のある貴族たちが酒を酌み交わし食事に舌鼓を打つその場を途中で中座する。
なぜなら、新婚の夫婦には初夜があるからだ。
妻となる女性の最初の関門であり、義務でもある。
家庭教師から一通り閨の作法は教わっているが、当然実践の機会などなかった。
緊張と不安で脈打つ心臓を抑えながら、メイドたちの手を借りて身体の隅々まで磨き上げる。
伯爵家で使っていたものより数段香り高い薔薇の香油を髪と全身に塗り込む。
薄いネグリジェを身に纏い、夫婦の寝室に案内された。
高鳴る心臓を抑えながら入ったそこは、エルミールの自室の五倍は広い。
薄暗い室内を興味深く見回す。
寝台には弦薔薇の模様が彫り込まれており、天蓋は深紅に染め抜かれていた。
白いシーツと赤いシーツのコントラストがいかにも少女が好きそうな趣である。
まだアルベールの姿はない。そっと寝台に腰を下ろすと、伯爵家の自室の寝台はいったいなんだったのかと疑問に思うほどにふかふかだった。
口から心臓が飛び出るのではないかと思うほど早鐘を打つ心臓を両手で抑える。
すべらかな肌触りのネグリジェは薄すぎて心もとないが、これから起こることはもっとすさまじいのだ。
想像して顔を赤らめていると、静かに扉が開かれる。
廊下の明るい光が差し込んで僅かに目を細めると、音もなく扉が閉められる。
「すまない、待たせたな」
「いえ、大丈夫です」
アルベールが仄かに赤い顔で微笑む。
少なからず酒を口にしたのだろう。先ほどまで宴席だったのだから当然なのだが。
「……綺麗だ」
アメジストの瞳がうっとりと目を細められる。ゆっくりと近づいてくるアルベールの放つ色香に、頭がくらくらとする。
アルベールもまた湯を浴びてきたらしい。少しだけ濡れた漆黒の髪が首筋に張り付いていて、それがとにかく色っぽいのだ。
こくんとつばを飲み込んだエルミールの前にアルベールが立ち、頬に大きな手が添えられる。
思ったより高い体温に頬を赤らめると、彼は甘やかに笑った。
「エルミール、ずっとこの日を待っていた」
腰をかがめて耳元で囁かれる。すぐに離れていったアルベールが、くいっとエルミールの腕を引いた。
立ち上がった彼女の膝裏を掬い上げ抱き上げる。丁寧な仕草で寝台の中央に寝かせられ、否応なく鼓動が高まる。
「美味しそうだ」
「っ」
上に覆いかぶさってきたアルベールの熱い吐息がかかる。目を見開いたエルミールのネグリジェの上から、そっとアルベールが豊かなふくらみを掴む。
「!」
初めて感じる刺激に、びくりと身体が跳ねる。そんな彼女を楽しそうに見つめる視線が恥ずかしい。
身体を捩ったエルミールは、これからする行為にそっと視線を伏せた。
初夜はまだ、始まったばかりだ。
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