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3話
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サンドルに告白されたルーチェは、彼に「俺が養うから、仕事は辞めてほしい」と言われたのもあって、迷いはしたが結局彼の不安を取り除くのを優先して、オーナーに話を通した。
オーナーは看板娘がいなくなることをそれはそれは嘆いたが、それでも「貴女の幸せが一番ね」と笑って送り出してくれた。
昨日の今日で突然辞めるのはさすがに迷惑なので、オーナーと話し合った結果あと二週間は働くことにした。
二週間以内に次の従業員を雇うのだとオーナーは張り切っている。
ルーチェのような看板娘がほしいわぁといいながら求人のポスターを作るオーナーの言葉に笑ってしまった。
残った期間で常連たちに結婚の報告をし、仕事を辞める旨を伝えていた。
ルーチェとサンドルを知る誰もが「とうとうかぁ!」と我がことのように喜んでくれる。
ただ「オスクロは大丈夫かねぇ」と言われることだけが、ルーチェにはよくわからなかった。
(確かに、仕事を辞めたらオスクロさんとは会えなくなるのね)
貴族と庶民では住む世界が違う。
食堂だけがオスクロとルーチェの接点なので、仕事を辞めれば会うこともなくなるだろう。
店員と客の関係を超えて、時々話す程度には良き友人になれたと思っていたが仕方ない。
身分の差はどうしようもないのだ。
食堂を一週間に一度は訪れるオスクロだが、時折二週間以上の間が空くこともある。
せめて、最後の別れの挨拶はしたいな、と思った。
「あ、オスクロさん!」
「やあ、ルーチェ」
食堂のドアを開けて入ってきた人影に、ぱっとルーチェは表情を輝かせた。
目立たない商人風の服装をしたオスクロがいつものように涼やかに微笑んでいる。
いつも彼が食堂を訪れる時間よりやや早い。その分、食堂には常連客がたくさんいて、二人の様子を伺っている。
どこか緊張した面持ちの常連たちを不思議に思いながら、偶然空いていたいつもの席を案内する。
席に座った彼がコーヒーを注文した。
オーナーが手早く淹れてくれたコーヒーをテーブルに運んで、ルーチェは言い忘れる前に、と口を開いた。
カップを優雅につかんだオスクロがコーヒーに口ををつける。
「オスクロさん、私、お仕事を辞めることになりました」
「え?」
カップから口を離して驚いた様子で瞠目したオスクロに、彼女は頬を薔薇色に染めてはにかみながら告げる。
幸せで仕方ないと全身で伝える彼女の様子に彼は青い瞳を驚愕に染めていた。
「結婚するんです。挙式は半年後で」
先日、教会には予約を入れた。ドレスはお金がないので借り物になる予定だ。
長年の想い人と結ばれる幸せを噛みしめながら、ふわふわとした口調で問われてもいないことまで喋るルーチェに、がたんと荒い動作でカップをテーブルに置いたオスクロが低い声音を出す。
少しだけ、コーヒーがテーブルにこぼれた。
「この間の男?」
「はい、サンドルといいます」
声音のトーンが変わったことに気づかず、にこにこと笑って答えたルーチェに絶対零度の冷えた雰囲気を纏ってオスクロが口元を吊り上げる。
周囲の常連客は互いに目配せをしながら恐る恐る成り行きを見守っている。
「そうか。わかったよ」
にこりと笑ったサンドルの声音は冷ややかで、そこでようやく違和感に気づいたルーチェが軽く首を傾げると彼はかたりと静かに席から立ち上がった。
「オスクロさん?」
「ごめん、急用を思い出した。帰るね」
「わかりました」
いつもなら視線を合わせて話してくれるオスクロと目が合わない。
不思議に思いつつ立ち去る背中を見つめる。
息を飲んで二人のやり取りを見守っていた他の常連たちが、彼の背中が完全に扉の向こうに消えてから大きく息を吐いた。
「可哀そうだなぁ」
「苦いねぇ」
「青春の味がするなぁ」
うんうんと頷く常連たちの言葉も右から左に素通りしていく。
ルーチェはじっと扉を見つめながら、きっとこれが最後の会話になるのだろうと感じて、少しだけ寂しく思った。
仕事を終え、自宅に帰る。
途中の露店で購入した食材をキッチンのテーブルに置いて一息つく。
本当は帰宅してすぐに料理をしたいのだが、仕事上がりで疲れた体では難しい。
温かいミルクを入れてほっと息を吐き出すと、こんこんと玄関がノックされた。
「サンドルかしら?」
立ち上がって玄関に向かう。はーい、と声をあげながら玄関の扉を開いた瞬間。
「っ!」
大柄な男の手がルーチェに伸びる。身を翻して叫ぼうとした彼女の口を甘い香りがする布が塞ぐ。
薬だと気付いて息を止めようとしたときには、意識が遠ざかっていた。
(さん……どる……!)
たすけて、と声にならない声をあげて、ルーチェは意識を手放した。
オーナーは看板娘がいなくなることをそれはそれは嘆いたが、それでも「貴女の幸せが一番ね」と笑って送り出してくれた。
昨日の今日で突然辞めるのはさすがに迷惑なので、オーナーと話し合った結果あと二週間は働くことにした。
二週間以内に次の従業員を雇うのだとオーナーは張り切っている。
ルーチェのような看板娘がほしいわぁといいながら求人のポスターを作るオーナーの言葉に笑ってしまった。
残った期間で常連たちに結婚の報告をし、仕事を辞める旨を伝えていた。
ルーチェとサンドルを知る誰もが「とうとうかぁ!」と我がことのように喜んでくれる。
ただ「オスクロは大丈夫かねぇ」と言われることだけが、ルーチェにはよくわからなかった。
(確かに、仕事を辞めたらオスクロさんとは会えなくなるのね)
貴族と庶民では住む世界が違う。
食堂だけがオスクロとルーチェの接点なので、仕事を辞めれば会うこともなくなるだろう。
店員と客の関係を超えて、時々話す程度には良き友人になれたと思っていたが仕方ない。
身分の差はどうしようもないのだ。
食堂を一週間に一度は訪れるオスクロだが、時折二週間以上の間が空くこともある。
せめて、最後の別れの挨拶はしたいな、と思った。
「あ、オスクロさん!」
「やあ、ルーチェ」
食堂のドアを開けて入ってきた人影に、ぱっとルーチェは表情を輝かせた。
目立たない商人風の服装をしたオスクロがいつものように涼やかに微笑んでいる。
いつも彼が食堂を訪れる時間よりやや早い。その分、食堂には常連客がたくさんいて、二人の様子を伺っている。
どこか緊張した面持ちの常連たちを不思議に思いながら、偶然空いていたいつもの席を案内する。
席に座った彼がコーヒーを注文した。
オーナーが手早く淹れてくれたコーヒーをテーブルに運んで、ルーチェは言い忘れる前に、と口を開いた。
カップを優雅につかんだオスクロがコーヒーに口ををつける。
「オスクロさん、私、お仕事を辞めることになりました」
「え?」
カップから口を離して驚いた様子で瞠目したオスクロに、彼女は頬を薔薇色に染めてはにかみながら告げる。
幸せで仕方ないと全身で伝える彼女の様子に彼は青い瞳を驚愕に染めていた。
「結婚するんです。挙式は半年後で」
先日、教会には予約を入れた。ドレスはお金がないので借り物になる予定だ。
長年の想い人と結ばれる幸せを噛みしめながら、ふわふわとした口調で問われてもいないことまで喋るルーチェに、がたんと荒い動作でカップをテーブルに置いたオスクロが低い声音を出す。
少しだけ、コーヒーがテーブルにこぼれた。
「この間の男?」
「はい、サンドルといいます」
声音のトーンが変わったことに気づかず、にこにこと笑って答えたルーチェに絶対零度の冷えた雰囲気を纏ってオスクロが口元を吊り上げる。
周囲の常連客は互いに目配せをしながら恐る恐る成り行きを見守っている。
「そうか。わかったよ」
にこりと笑ったサンドルの声音は冷ややかで、そこでようやく違和感に気づいたルーチェが軽く首を傾げると彼はかたりと静かに席から立ち上がった。
「オスクロさん?」
「ごめん、急用を思い出した。帰るね」
「わかりました」
いつもなら視線を合わせて話してくれるオスクロと目が合わない。
不思議に思いつつ立ち去る背中を見つめる。
息を飲んで二人のやり取りを見守っていた他の常連たちが、彼の背中が完全に扉の向こうに消えてから大きく息を吐いた。
「可哀そうだなぁ」
「苦いねぇ」
「青春の味がするなぁ」
うんうんと頷く常連たちの言葉も右から左に素通りしていく。
ルーチェはじっと扉を見つめながら、きっとこれが最後の会話になるのだろうと感じて、少しだけ寂しく思った。
仕事を終え、自宅に帰る。
途中の露店で購入した食材をキッチンのテーブルに置いて一息つく。
本当は帰宅してすぐに料理をしたいのだが、仕事上がりで疲れた体では難しい。
温かいミルクを入れてほっと息を吐き出すと、こんこんと玄関がノックされた。
「サンドルかしら?」
立ち上がって玄関に向かう。はーい、と声をあげながら玄関の扉を開いた瞬間。
「っ!」
大柄な男の手がルーチェに伸びる。身を翻して叫ぼうとした彼女の口を甘い香りがする布が塞ぐ。
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