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第二章
閑話(アクエルド王国の建国神話と元王子の現状)
しおりを挟む建国神話は語る。
むかし、一柱の竜神が人族の娘と恋に落ちた。
竜は自分を目覚めさせた大切な番だとその娘を敬い、彼女はのちに『目覚めの聖女』と人々から呼ばれた。
竜は彼女と生涯を共にするために神格を放棄し人の姿をとり、人界へ降りた。
竜と聖女が力を携え建国したのが、このアクエルド王国である。
初代国王となった竜はすべての精霊を従え魔法を能く使いこなした。それは彼の子どもたちも同様であった。
たとえ神格を放棄したとはいえ、すべての生き物の頂点である竜の威は桁違いの影響を人界に齎した。彼がそこにいるだけで魔獣どもは怯え退いた。
草木は青々と茂り、作物はたわわに実った。
初代国王の亡骸は損なわれないよう丁寧に棺に納められ、その霊廟の上に現在のアクエルド王国の王宮が建設されている。
初代国王は英霊となり、いまもアクエルド王国の大地と王国民を守護している。
尊き竜の血を受け継ぐアクエルド王家。その第一王子として生まれたエウティミオ・ラミロ・デ・アクエルド。
彼はいま、砂嵐の中クエレブレの砦を目指し一歩一歩足を進めていた。
乗って来た馬から降り、手綱を引きながらゆっくりとだが確実に砂を踏みしめる。風に舞う砂が目に入って痛い。戸惑いながらのその歩みは遅々として進まない。
辺境の地クエレブレ。
王都から見て西の果てにあるこの地の神話で語られる役割は『竜神が最後に旅立った場所』である。
初代国王となった竜に、祝福と加護を与えたほかの竜神たちがここから神域へ帰ったのだ。
彼らがこの地を去るまえ、一柱の竜神が初代国王になった仲間のためにと小さなオアシスと堅牢な砦を用意し境界線とした。
『ここまでが初代国王の治める土地だ』と。
だがそれにより、この地は『この世の果て』あるいは『神が去った土地』などと呼ばれることになった。
実際、死の山と呼ばれる草木も生えない山々の麓に位置するクエレブレは、砂漠に覆われ魔獣が我が物顔で跋扈する危険地域でもある。
竜神が境界線を決めて以来、クエレブレは魔獣と戦う最前線となったのだ。
なぜ高貴な血を引く王子であるエウティミオ・ラミロ・デ・アクエルドがこんな魔獣と戦う最前線へみずから赴くに至ったのか。それもたったひとりで。
エウティミオは騙されていたからだ。
キルシェに。最愛だと思っていた女に騙されていたのだ。
彼女に媚薬を飲まされ、正道を歩むはずだったエウティミオは堕落させられた。少しずつ洗脳され、まともな考えすら持てなくなっていた。
エウティミオが学園で出会ったキルシェは最高の女だと思った。
彼女は庶民の子どもだったが、三代前に爵位を賜った新興のブローサ男爵家の庶子であったことが認められ引き取られた。そして貴族ならば全員通うことが義務づけられている貴族学園へ途中入学した。
そこでエウティミオと出会ったのだ。
彼女は愛らしく天真爛漫で笑顔がはじけるようで、他の女生徒にはない魅力に満ち溢れていた。やさしく親切な彼女にエウティミオはすぐ虜になってしまった。これは伝説で謳われる目覚めの聖女の再来だと感じた。
そうでなければ、竜の血を引く自分がここまで惹かれるわけはないと。
初代国王は人族の娘を自分の番だと高らかに謳った。
それと同じで、いずれ国王になる自分を真の愛に目覚めさせた娘がキルシェなのだと、彼女が自分の番なのだと強烈に思ったのだ。
残念ながらエウティミオには幼いころ決められた婚約者がいた。ラミレス公爵の娘だ。彼女のことは幼馴染みとして信頼してはいたが、女性としてみたことは一度もなかった。
真実の愛に目覚めたエウティミオが、真に結ばれるべきなのはキルシェなのだと思いこんだ。
それにキルシェは彼の婚約者であるラミレス公爵令嬢からさまざまないやがらせを受けていたらしい。涙ながらの訴えに義憤を覚えた。
愛らしいキルシェ。可哀想なキルシェ。彼女に相応しい正しい地位を用意したかった。
陰でこそこそといじめをするような女性を、いくら公爵令嬢だからといって見逃してもいいのか。第一王子である彼と結婚すればいずれは王妃となる。王国第一位の女性に、そんな卑怯な女がなってもいいものなのか。許されざる愚挙だと側近たちとも話し合い、言い逃れのできない夜会の場で断罪しようとした。
貴族の面々に囲まれての場所で、婚約者の悪徳の数々を披露したならば、狡猾な公爵令嬢でも覆しようがない。婚約は速やかに破棄され、エウティミオは正しい愛を勝ち取るのだと確信していた。
……なぜ、そんな突拍子もない考えになったのか。
今ならば冷静に考えることができる。
エウティミオはキルシェに操られていたのだ。
サティロスとハーピーの血から作られた媚薬で狂わされていたのだ。
彼の側近たちも同じ媚薬を飲まされ、言うことを聞かざるを得ない状態に陥っていたのだ。
キルシェは、あの女は平気でエウティミオたちに媚薬を使うような人間だった。
あのとき。
ラミレス公爵令嬢の頭から流れる真っ赤な血に呆然としていた彼らの前に、あの、鬼のように恐ろしいじじいが突然乱入して騎士団長子息を引き倒した。あっという間の出来事だった。
漆黒の騎士服を身に纏った白髪のじじいは、凄まじい闘気を発してエウティミオたち五人を捕縛した。勇名を馳せた騎士団長でさえ、彼の一喝に震えあがっていたのを目撃したエウティミオは、このじじいに逆らったら命はないと直感した。
だが、自分たちを引きずるように連行する衛兵にはなにかの間違いなんだと説得を試みようとしたが、すべて黙殺された。衛兵の後ろからあの鬼のように恐ろしいじじいが見張っていたからだ。奴はエウティミオたちが収監されるまで見張り続けていた。愛しいキルシェとはこのときに引き離された。
その翌日からだ。
些細な違和感を覚えた。
なぜエウティミオたちはあんな短絡的な暴挙にでてしまったのだろうと、自然に思ったのだ。
公爵令嬢と結婚したくないのなら、事前に国王陛下たちに申し出るべきだったのに。王妃陛下ならば、エウティミオの訴えを聞いてくれただろうに。
せめて公爵令嬢は第二夫人にするとか、もっと波風立てず穏便に方を付ける方法などいくらでもあっただろうにと。
エウティミオは騒動の責任をとらなければならなかった。
廃嫡されたが、キルシェとの結婚は認められた。それは……良いと思った。
誤算だったのは、臣下に降りるにしてもブローサ男爵家に婿入りしなければならなかったことである。既に決定済であった。
両陛下に抗議したが、おまえの望んだ結果だとして訴えは却下された。
本来予定していた公爵令嬢との結婚式のような、立派な式は挙げられなかった。国王両陛下とラミレス宰相の立ち合いの元、結婚証明書にサインをしただけだった。
夜会の日から十日後にはブローサ男爵家にいた。まるで宮殿を追い出されるような勢いであった。
宮殿から男爵邸に移り、周囲のすべての環境が変化して。
やっと、冷静になって。
これは違うと思い始めた。
エウティミオが本当にしたかったのは、なりたかったのは、こんなものではなかったはずだ。
いくら好きな女のためであっても王族位を捨てても構わないなんて、考えたこともなかったはずなのだ。
立派な国王になろうと、本気でそう思っていたはずだったのだ。
自分の在り方に疑問を持ち始めたとき、偶然エウティミオは聞いてしまった。ブローサ元男爵(今回の騒動の責任を取る形で、爵位をエウティミオにむりやり譲位させられた)とキルシェとの怒鳴り合いの親子喧嘩を。
おまえが欲をかいて王子の正妻の地位など望むからこんなことになるのだ、おまえが愛妾程度で納まっていればアクエルド王家に潜り込めたのに、そうすれば情報など欲しいだけ引き出せたのに、せっかくアクエルドを瓦解させる一手を打てるはずだったのに、などなど。
聞けば聞くほど恐ろしい会話であった。
ブローサ男爵家は家族ぐるみで隣国から潜入していたスパイだったのだ。
三代前の、ただの貿易商人だったときから。
そのとき、エウティミオたちに媚薬を使って取り入っていたことも判明した。
すぐに王宮のラミレス宰相へ連絡し、ブローサ男爵家の使用人、ブローサ商会の従業員や関係者、すべて諸共に逮捕した。
スパイは捕まえることができたが、それだけであった。
『家族』だった義父、義母、妻は体調を崩し療養地へ赴いたことになり、エウティミオの手に残ったのは『ブローサ男爵』という地位とささやかな邸宅だけであった。貿易商人として成り上がった家だったので、ろくな領地もない。
なんとか王族に戻れないかと相談したのだが、スパイ捕縛の手柄を公にできないせいで却下された。公表すれば、スパイだったブローサ男爵家へ爵位を与えた先々王陛下の名誉を汚すことになるからだ。
それに『スパイ逮捕』で情報流出を阻止したが、国益になったわけではない。手柄と判断することはできないと国王から直接ことばをもらった。
エウティミオは苦悩した。これからいったいどうしたらいいのか、わからなくなった。
思いついたのは彼の元婚約者の存在であった。
彼女は幼いころから才媛の誉れ高く、さらにうつくしく、火の精霊とも契約を交わした優秀な魔法使いでもあった。
困ったことがあったとき、彼女に相談し一緒に解決法を探した。
彼女がそばにいたときのエウティミオには、できないことなどなにもなかった。
あの令嬢を手放してはいけなかったのだ。
王宮を離れるまえ、ラミレス宰相に公爵令嬢の容態を聞いた。
すぐに目を覚ましたが、人とまともに話せるような状態ではない。あれはクエレブレ辺境伯の後添いとしてすでに辺境の地にいるという返事に驚いた。
エウティミオは驚愕したが、同時に理解もした。
王子である自分におおぜいの貴族たちの中で婚約破棄を言い渡されたのだ。
まともな令嬢ならばとんでもない醜聞だ。
あの冷徹なラミレス宰相は、自分の娘に対しても一線を引いたような態度で接していた。冷徹な彼は、汚名を負った娘の処置に困り辺境へ追いやったのだろう。
憐れなことだ。
エウティミオはそう考えた。
まるで自分のように憐れだと。
ろくに領地もない名ばかり男爵のエウティミオのように。
間違っている。
エウティミオはそう思った。
竜神から人になった初代国王の血を引く自分が、こんな惨めな立場であっていいはずがない。間違いは是正しなければならない。
だが、どうしたらいいのかわからない。
わからないときは……婚約者に、フォルトゥーナに相談するのだ。彼女に相談して解決しなかった問題などないのだから。
エウティミオが誠心誠意謝罪して、また婚約者になって欲しい、一から関係を築き直そうと提案すれば、彼女は頷いてくれるに違いない。
彼女の名誉もそれで回復できる。
クエレブレ辺境伯の後添いになってしまったのは残念である……が、そんな年寄りよりも若くてうつくしいエウティミオが直接足を運んで説得すれば、彼女は彼を選ぶはずだ。
彼女さえいればなんとかなるはずだ。
フォルトゥーナに会いさえすれば。きっと、願いはかなう。
◇
アクエルド王国の元第一王子、現在の正しい名前はブローサ男爵エウティミオ・ラミロ。
彼は今年で十八歳になった。
彼はクエレブレ辺境伯とは公式には面会したことがない。
辺境伯は二十年も王都へ姿を見せなかったからだ。
いまクエレブレの砂漠の中を突き進む彼は、辺境伯がどんな人間なのか知らない。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
次回から第三章!
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