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第六章
31.初めから知っていたはずなのに
しおりを挟む日はずいぶんとまえに沈み、すでに真夜中になっている。
昼間働くものたちが寝静まった夜の街を、ひとりルーカスは城へ向かって歩いていた。
(あーあ。今日はフォルトゥーナさまと夕餉、ご一緒できなかったなぁ)
騎士団の訓練所で魔導具の性能実験をした日。
たくさんの魔導騎士たちの目の前で披露した新しい魔導具は、彼らの好奇心を著しく刺激したらしい。ルーカスは彼らに拉致される勢いで鍛冶職人の工房へ連れていかれた。そこで新しい剣や甲冑などなどを数点用意し、次に連れていかれたのは魔法騎士たちが使う実験場だった。
ここでは魔法に長けた騎士たちが、新しい魔法を修得したり実験したりしている。
今まで魔導具といえば、防御結界を張るために魔石を研磨しそこに光の魔法を封じた物だったり、魔石に火の魔法を封じそのまま燃料にしたり、水の魔法を封じ水の移送に使う物を指した。
魔石以外の物に魔法を封じることが出来なかったからだ。
だがルーカスが彼らの前であっさりやってみせたのは魔石以外にも魔法を封じる方法だったから、彼らの熱狂ぶりもいたしかたない。だが発案者であるルーカスは彼らの狂喜乱舞モードにたじろいでしまった。
どうして⁈ どうやって⁈ と詰め寄る騎士たちに、ルーカスは彼なりに説明したのだがどうにもうまく伝わらず、ならば実践して! 目の前で見せて! と強請る彼らに何度か目の前で魔法の付与を披露した。
人間は精霊を召喚するとき、ことばに魔力を乗せている。ルーカスとしてはそれと同じように、文字に魔力を含ませ書いただけなのだ。
魔法騎士たちがそれぞれの精霊を召喚させ、彼らにつきっきりになってもらい、一文字一文字声にだしながら剣に文字列(魔法詠唱のことば)を記入していく。ただのインクよりは魔石を粉にしたものを含ませたほうが効率が良かったことも伝えた。
「これは、インクから開発しなおしたほうが……」
「フォルトゥーナさまのイヤーカフはミスリル合金だとおっしゃってましたよね? 金とミスリルの比率を教えてください」
「ペンにも秘密が⁈」
「サンドスパイダーの糸で作った布は魔法と相性がいいぞ!」
「そうか、魔物素材をいろいろ試してみよう!」
「インクで書くのではなく、彫り込むというのはどうだ?」
「あ。そういえば、イヤーカフには彫り込んだ上にインクを流し込んだ」
「「「それを早く言ってくださいっ‼」」」
魔法使いたちの探求心と熱意はすさまじく、食事も忘れて没頭していた。心配してようすを見にきたシエラ副団長がいなかったら、ルーカスは今も彼らの開発・実験に付き合わされていただろう。
(シエラのお陰で解放されたし……シエラの持ってきたご飯もみんなと一緒に食べたし……疲れちゃったけど、おおむね良い日だった、かな)
フォルトゥーナ嬢はあのイヤーカフを着け続けているだろうか。
あの金剛石のネックレスも、あのまま着けているのだろうか。
フォルトゥーナ嬢へ『風の便り』を使いルーカスのメッセージを届けたから、今でもあれを着けているだろう。そう信じたいところである。
ルーカスの魔力を込めた金剛石は、なぜか色が付いてしまった。ルーカスの瞳のような紅玉に見えるそれは、まるで自分の執着心のようで気恥ずかしい。
自分を構成する色を好きな相手への宝飾品として渡すなんて、まるで嫉妬深い男のようだし、そもそも愛の告白のようでもあるし。
とはいえ、フォルトゥーナ嬢はルーカスを恋愛対象にはしないだろう。よくてかわいい弟だと認識しているにちがいない。
それに、偶然だがフォルトゥーナ嬢のあの艶やかな髪も同じような赤なので、あれを着けていても違和感はなかった。金色のイヤーカフも彼女によく似あっていた。
きっと彼女の髪に合わせて用意したものだと認識して、ルーカスの恋心など伝わってはいないだろう。
(あれを使い続けている限り、彼女はほぼ不死身状態だから安心だな)
あの魔導具を身に着けていれば、外的要因でフォルトゥーナ嬢が傷つくことはない。
ルーカスがいないところで不測の事態に見舞われても――たとえば階段から落ちたとしても――だいじょうぶ。
ルーカスはすべての事象から彼女を守りたいのだ。だから魔導具を作成した。
(病気や心理的ダメージからは守れないけど……)
けれどルーカスは万能ではない。
そのことに少しだけ気落ちしつつ、物理衝撃からだけでも彼女を守れるのならそれにこしたことはないと自分自身を納得させた。
帰城は遅くなると連絡済だったので、城の門番はルーカスを見るとすぐに出入り門を開けてくれた。
本当は門など開けてもらわずとも、城壁を越えて出入りすることなど簡単だ。だがそれは不審者のようだから止めるようにと父からも老執事からも言われている。
たしかに夜陰に乗じて城壁を越える姿は不審者のそれだ。万が一、人に見られたら大騒ぎになるだろう。
できることでも、やってはいけないことは存在するのだとルーカスは学んでいる。
使用人も大部分は寝てしまったからか、城内はとても静かだった。
西翼棟に入り階段を上る。音も無く軽快に進んでいたら、三階で人の気配があるのに気がついた。
よく知る人物の声がしたのだ。
「本当に送らなくてもいいのか?」
父の、声だ。
「閣下に送っていただくなんて恐れ多いですわ。それにだいじょうぶです。この城の中でわたくしに不埒なまねをするような輩はおりませんでしょ?」
フォルトゥーナ嬢の、とても気さくな、声だった。
心臓が凍りついてしまったような錯覚。
違いないと返す父の声も、どこか、やさしくて。
ふたりはおやすみなさいと夜の挨拶をして。
フォルトゥーナ嬢は階段の方へ、呆然と立ち竦むルーカスの方へ足を向けた。
とっさに『陽炎』を自分にかけたルーカスは息を潜める。
この魔法はひとに見破られたことがない。
案の定、フォルトゥーナ嬢も気がついていない。ルーカスが自分の目の前にいることに。
「階段は手摺りをちゃんと握って下りるのだぞ」
父の声が、たぶん私室の前から投げられた。
その声を聞いたフォルトゥーナ嬢は、振り返るとはにかんだように笑い。
会釈をして。
階段の手摺りをしっかりと掴んだ。
どこか楽しそうな笑顔。
……ルーカスの目の前で。
(ちちうえと、話をしてたの? こんな夜遅くに、ちちうえの私室で)
彼女は一度立ち止まると階段の上の階を見上げ。
不思議そうに首を傾げ。
苦笑して。
ゆっくりと階段を下りていった。
南棟にある彼女の私室へ帰るために、いったん二階に下りなければならない。三階は直接繋がっていないからだ。
二階ならば、西翼棟と南棟は回廊でつながっている。
階段を下りきったであろう彼女の足音がやがて聞こえなくなったころ、ルーカスは『陽炎』を解いた。
(そうか……フォルトゥーナさまは、決めちゃったのか)
階段を上り、四階にあるルーカスの自室を目指すつもりなのだが、やけに足が重い。
急に一段の高さが変わったような気がする。
やけに自室が遠い。
(ちちうえも……だめでしょ。こんな夜遅くに女の子をひとりで歩かせちゃあ……そりゃあ、城の中は安全だけどさ)
思い出すのは、フォルトゥーナ嬢を気遣う父のやさしい声。
それに応える令嬢のはにかんだような笑顔。
ふたりの醸し出した親し気で気安い空気。
(どうしよう……吐き気がする……)
なんとかやっとの思いで自室に辿り着くと、寝台に倒れ込んだ。
(……寝よう……)
胸の奥底に渦巻く、どす黒い思いが辛い。
息苦しくて堪らない。
知っていた。
初めから知っていたはずだ。
ラミレス公爵令嬢フォルトゥーナ・クルスさまは、クエレブレ辺境伯の後妻になるために来たのだということを。
(覚悟、足りなかったかな……)
たまたま、彼女の具合が悪くて延期になっていただけだということを。
いまはもう回復し、おとなの女性として、完璧な淑女として振る舞っている。だからもう、最初の予定どおり父は彼女を娶るのだろう。
さいきんのフォルトゥーナ嬢が、なにかに悩んでいたことをルーカスは察していた。
それはシエラに結婚式の話題を出されてからだった。
やりたいことややるべきことを模索しているフォルトゥーナ嬢だから、きっと結婚してからのことを思案していたのだろうとルーカスは思っていた。
たぶん、結論が出たのだ。
結論が出たから、彼女と父は親睦を図っていたのだろう。
とてもとても、親密なようすだった。
たぶん、もう。彼女は決めてしまったのだ。父と結婚して辺境伯夫人になることを。
フォルトゥーナ嬢は若くうつくしく、さらに聡明で博識で勉強熱心である。
クエレブレのこともよく知ろうとしてくれて、城のみんなともすぐ仲良くなった。
辺境伯夫人として、すぐに活躍するだろう。
居住場所も、南棟からすぐにこの西翼棟へ移されるに違いない。
けれど。
(母上、だなんて……ぜったい呼べないよ……)
大好きな女性が。
大好きな父に嫁ぐ。
灼熱の鉄の塊を飲みこんだとしても、こんなに苦しくならないだろうとルーカスは思った。
なぜこんなにも裏切られたような心地になるのだろう。こうなることは分かっていたはずなのに。覚悟していたはずなのに。
きっと祝福できない。おめでとうなんて言えない。
(あぁでも無理だ。ぜったい、むり……)
大好きな人同士が結婚して自分と家族になる。
それだけをみればそこにあるのは幸せな情景のはずなのに、自分はそれを望まない。
なんて自分は心の狭い男なんだと絶望が深くなる。
大好きな父を憎んでしまいそうで。
大好きな女性を恨んでしまいそうで。
そんな自分自身を嫌いになりそうで。
夜明け前、ルーカスは出奔した。
一睡もせず。
衝動的に。
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