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第一章 斉彬暗殺
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七月に入った頃、鹿児島城下に妙な噂が流れた。
「蘭癖があっ新しきお殿様は、鶴丸城ん中に天狗を匿うちょらるっげな」
「そんた本当ん話しか?」
「嘘じゃなか。本当ん話や。殿様が藩主とおなり遊ばしたそん日に、琉球ん方でお役人に天狗がとっ捕まったげな」
斉彬が藩主の座に就いた二月二日、薩摩藩に服属していた琉球にアドベンチャー号で上陸を図った一人の男がいた。土佐国幡多郡中ノ浜村出身の貧しい漁師の倅だ。名を万次郎という。
天保十二年(一八四一年)一月五日、足摺岬沖での鯵鯖漁に出航する漁船に炊係として乗り込んだ万次郎は、そこで操業中に遭難して、鳥島に辿り着く。その後、たまたま付近を航行していたアメリカ合衆国の捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助された。
漂流から十年目、意を決した万次郎は帰国するが、この当時の日本は、徳川幕府の下鎖国状態にあった。万次郎は、琉球の番所で薩摩藩の役人による詰問を受け、薩摩本土へ移送された。幸運にもこの時の薩摩藩主は、蘭癖大名として名高い斉彬だったため、厚遇を受けることになった。
「島津のお殿様、メリケンじゃー将軍様のことをプレジデントというがやきす」
万次郎は身振り手振りを交え語った。
「プレジデント?」
斉彬は問い返した。
「はい、プレジデントやか。このプレジデントは、メリケンの民が入れ札で決めるのぜよ」
「入れ札だと……? 世襲ではなく入れ札で?」
「はい、入れ札やか」
万次郎は平然と頷いた。
斉彬は、思いもよらないことを告げられ、呆気に取られた。
その後万次郎は、薩摩藩士や船大工らに洋式の造船術や航海術について教示し、長崎に送られ、長崎奉行所での取り調べの後、その身柄を土佐藩に引き渡されることになった。
年が替わり嘉永五年(一八五二)、吉之助は両親の勧めで薩摩藩士伊集院兼善の娘須賀を嫁にもらった。須賀が吉之助の許に嫁いで間もなくして、労咳を患っていた祖父竜右衛門が他界した。七月のことだ。その二ヶ月後の九月には父吉兵衛が、更に二ヶ月後の十一月には母政佐が相次いで他界した。
「呪われちょっ、こん嫁は……」
祖母が孫の吉之助に耳打ちする。
すると吉之助は台所に立つ須賀を見やり、
「ばっばん、そげんこっをいってはいけん」
と祖母に意見した。
この年、西暦でいう一八五二年十一月、アメリカ合衆国第十三代大統領ミラード・フィルモアの親書を携え、東インド艦隊司令長官マシュー・カルブレイス・ペリーは、フリゲート艦ミシシッピー号に乗船し、バージニア州ノーフォークを出航した。
翌一八五三年七月八日(嘉永六年六月三日)、フリゲート艦サスケハナ号を旗艦とした四隻の黒船は、相模国浦賀に入港。
同月十四日(六月九日)、ペリーは江戸幕府側が指定した久里浜に僅かな護衛を引き連れ上陸し、浦賀奉行の戸田伊豆守氏栄と井戸石見守弘道に開国を求める合衆国大統領の親書を手渡した。
老中首座阿部正弘は、早期開国を求めるペリーに対し、翌年までの猶予を提示する。ペリーは幕府側の意の汲む形を取り日本を離れた。
鎖国政策存続の危機に対し、幕政の中心にいる正弘は、朝廷、諸大名、市井からも意見を募った。しかし、抜本的な打開策が見出せないまま無駄に時間だけが経過した。その間正弘は、越前福井藩主松平左近衛権中将慶永(春嶽)や薩摩藩主島津薩摩守斉彬の意見を取り入れ、御三家の一つ常陸水戸藩の前藩主権中納言徳川斉昭を海防掛参与に任命した。
嘉永六年(一八五三)の五月に入って間もなくことだった。吉之助の友である正助は、漸く謹慎を解かれ記録所に復職し御蔵役となった。
数日後、正助の復帰を祝う宴が、大久保家で催された。
「よかな、正助さぁ」
「これも吉之助さぁを始めとした精忠組ん皆さぁのお蔭ごわす」
正助は、酒席に集まった精忠組の面々に頭を下げた。
「で、今でも吉之助さぁは殿に建白書を書いちょっとか」
薩摩の焼酎をなみなみと注いだ杯を片手に、税所喜三左衛門が訊ねる。
「ああ」
頷く吉之助を見やり、正助は、
「亡き赤山様んいいつけを今も守っちょっとか、吉之助さぁは」
「ああ、さすりゃおいん名も何れ殿が覚えて下さっ」
吉之助は焼酎を飲み干すと、ぐつぐつと煮え滾る鍋に箸を伸ばした。薩摩の地鶏の水炊きだ。
「美味かぁ」
更に箸を進めながら、吉之助は口を開いた。
「俊斎さぁと大山どんが早よ江戸に来えと、五月蠅くてかなわん」
有村俊斎と大山格之助の二人は、ともに精忠組の中心人物で、西郷、大久保に先駆けて斉彬の供を務め江戸入りしていたのであった。
内心、吉之助は俊斎と格之助の両名を羨み、嫉んでいた。些か焦っていた。
そして吉之助以上に焦っていたのが正助だった。
「江戸か……おいも行こごたっ」
しみじみと呟くと、正助はあまり酒が強くないくせに、杯を口に運んで一気に飲み干した。
黒船来航が薩摩に届いたのは数日後だった。
「江戸は夷狄ん襲来で大騒ぎじゃちゅう」
吉之助の直ぐ下の弟吉二郎が、夕刻訊ねて来た。正助は床に臥せる母副を見やると、顎を屋敷の外に向けた。吉二郎が小さく頷く。
「そいで夷狄はないちゆちょっ」
歩きながら正助は吉二郎に問い掛けた。
「おいもよう分かりもはん」
兄吉之助に似て体躯のよい吉二郎は、憮然とかぶりを振ると、
「夷狄など、こんおいがぶった斬ってやっ」
薩摩藩で盛んな示現流の構えをしてみせた。蜻蛉の構えだ。
「勇ましかことじゃな吉二郎さぁは」
正助は、その酷薄な唇に涼し気な笑みを浮かべた。彼は幼い頃から胃腸が弱く、剣術の方は駄目だった。その分学問に励み、加治屋町の郷中一の秀才と謳われる程までになった。
「吉之助さぁなどうゆちょっ」
正助の問い掛けに、吉二郎は怪訝そうに眉根を寄せた。
「兄さぁは、今それどころじゃなか」
「ないごてだ」
訝しく思い、正助は下顎を摩りながら訊ねる。
「去年、爺様お父っどん、お母っかんに死なれ、日々ん暮らしら儘なりもはん。兄さぁは、家んこっをこんおいに任せて、朝から晩までお役目に追われちょります」
「……そんた気ん毒じゃな。まあ、おいもあまり変わらんどんな」
日々の暮らしぶりの困窮は、大久保家も西郷家と大して変わりなかった。この頃の薩摩藩下級武士は皆貧困に喘いでいた。
昨年亡くなった父の吉兵衛は、弘化四年(一八四七)吉之助とともに、薩摩郡水引郷の油問屋の板垣家を訪ね百両を借りた。更にその翌年には百両を借り、合計で二百両の借金を作った。全額返済は、倒幕後の明治五年(一八七二)のことだった。
「蘭癖があっ新しきお殿様は、鶴丸城ん中に天狗を匿うちょらるっげな」
「そんた本当ん話しか?」
「嘘じゃなか。本当ん話や。殿様が藩主とおなり遊ばしたそん日に、琉球ん方でお役人に天狗がとっ捕まったげな」
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漂流から十年目、意を決した万次郎は帰国するが、この当時の日本は、徳川幕府の下鎖国状態にあった。万次郎は、琉球の番所で薩摩藩の役人による詰問を受け、薩摩本土へ移送された。幸運にもこの時の薩摩藩主は、蘭癖大名として名高い斉彬だったため、厚遇を受けることになった。
「島津のお殿様、メリケンじゃー将軍様のことをプレジデントというがやきす」
万次郎は身振り手振りを交え語った。
「プレジデント?」
斉彬は問い返した。
「はい、プレジデントやか。このプレジデントは、メリケンの民が入れ札で決めるのぜよ」
「入れ札だと……? 世襲ではなく入れ札で?」
「はい、入れ札やか」
万次郎は平然と頷いた。
斉彬は、思いもよらないことを告げられ、呆気に取られた。
その後万次郎は、薩摩藩士や船大工らに洋式の造船術や航海術について教示し、長崎に送られ、長崎奉行所での取り調べの後、その身柄を土佐藩に引き渡されることになった。
年が替わり嘉永五年(一八五二)、吉之助は両親の勧めで薩摩藩士伊集院兼善の娘須賀を嫁にもらった。須賀が吉之助の許に嫁いで間もなくして、労咳を患っていた祖父竜右衛門が他界した。七月のことだ。その二ヶ月後の九月には父吉兵衛が、更に二ヶ月後の十一月には母政佐が相次いで他界した。
「呪われちょっ、こん嫁は……」
祖母が孫の吉之助に耳打ちする。
すると吉之助は台所に立つ須賀を見やり、
「ばっばん、そげんこっをいってはいけん」
と祖母に意見した。
この年、西暦でいう一八五二年十一月、アメリカ合衆国第十三代大統領ミラード・フィルモアの親書を携え、東インド艦隊司令長官マシュー・カルブレイス・ペリーは、フリゲート艦ミシシッピー号に乗船し、バージニア州ノーフォークを出航した。
翌一八五三年七月八日(嘉永六年六月三日)、フリゲート艦サスケハナ号を旗艦とした四隻の黒船は、相模国浦賀に入港。
同月十四日(六月九日)、ペリーは江戸幕府側が指定した久里浜に僅かな護衛を引き連れ上陸し、浦賀奉行の戸田伊豆守氏栄と井戸石見守弘道に開国を求める合衆国大統領の親書を手渡した。
老中首座阿部正弘は、早期開国を求めるペリーに対し、翌年までの猶予を提示する。ペリーは幕府側の意の汲む形を取り日本を離れた。
鎖国政策存続の危機に対し、幕政の中心にいる正弘は、朝廷、諸大名、市井からも意見を募った。しかし、抜本的な打開策が見出せないまま無駄に時間だけが経過した。その間正弘は、越前福井藩主松平左近衛権中将慶永(春嶽)や薩摩藩主島津薩摩守斉彬の意見を取り入れ、御三家の一つ常陸水戸藩の前藩主権中納言徳川斉昭を海防掛参与に任命した。
嘉永六年(一八五三)の五月に入って間もなくことだった。吉之助の友である正助は、漸く謹慎を解かれ記録所に復職し御蔵役となった。
数日後、正助の復帰を祝う宴が、大久保家で催された。
「よかな、正助さぁ」
「これも吉之助さぁを始めとした精忠組ん皆さぁのお蔭ごわす」
正助は、酒席に集まった精忠組の面々に頭を下げた。
「で、今でも吉之助さぁは殿に建白書を書いちょっとか」
薩摩の焼酎をなみなみと注いだ杯を片手に、税所喜三左衛門が訊ねる。
「ああ」
頷く吉之助を見やり、正助は、
「亡き赤山様んいいつけを今も守っちょっとか、吉之助さぁは」
「ああ、さすりゃおいん名も何れ殿が覚えて下さっ」
吉之助は焼酎を飲み干すと、ぐつぐつと煮え滾る鍋に箸を伸ばした。薩摩の地鶏の水炊きだ。
「美味かぁ」
更に箸を進めながら、吉之助は口を開いた。
「俊斎さぁと大山どんが早よ江戸に来えと、五月蠅くてかなわん」
有村俊斎と大山格之助の二人は、ともに精忠組の中心人物で、西郷、大久保に先駆けて斉彬の供を務め江戸入りしていたのであった。
内心、吉之助は俊斎と格之助の両名を羨み、嫉んでいた。些か焦っていた。
そして吉之助以上に焦っていたのが正助だった。
「江戸か……おいも行こごたっ」
しみじみと呟くと、正助はあまり酒が強くないくせに、杯を口に運んで一気に飲み干した。
黒船来航が薩摩に届いたのは数日後だった。
「江戸は夷狄ん襲来で大騒ぎじゃちゅう」
吉之助の直ぐ下の弟吉二郎が、夕刻訊ねて来た。正助は床に臥せる母副を見やると、顎を屋敷の外に向けた。吉二郎が小さく頷く。
「そいで夷狄はないちゆちょっ」
歩きながら正助は吉二郎に問い掛けた。
「おいもよう分かりもはん」
兄吉之助に似て体躯のよい吉二郎は、憮然とかぶりを振ると、
「夷狄など、こんおいがぶった斬ってやっ」
薩摩藩で盛んな示現流の構えをしてみせた。蜻蛉の構えだ。
「勇ましかことじゃな吉二郎さぁは」
正助は、その酷薄な唇に涼し気な笑みを浮かべた。彼は幼い頃から胃腸が弱く、剣術の方は駄目だった。その分学問に励み、加治屋町の郷中一の秀才と謳われる程までになった。
「吉之助さぁなどうゆちょっ」
正助の問い掛けに、吉二郎は怪訝そうに眉根を寄せた。
「兄さぁは、今それどころじゃなか」
「ないごてだ」
訝しく思い、正助は下顎を摩りながら訊ねる。
「去年、爺様お父っどん、お母っかんに死なれ、日々ん暮らしら儘なりもはん。兄さぁは、家んこっをこんおいに任せて、朝から晩までお役目に追われちょります」
「……そんた気ん毒じゃな。まあ、おいもあまり変わらんどんな」
日々の暮らしぶりの困窮は、大久保家も西郷家と大して変わりなかった。この頃の薩摩藩下級武士は皆貧困に喘いでいた。
昨年亡くなった父の吉兵衛は、弘化四年(一八四七)吉之助とともに、薩摩郡水引郷の油問屋の板垣家を訪ね百両を借りた。更にその翌年には百両を借り、合計で二百両の借金を作った。全額返済は、倒幕後の明治五年(一八七二)のことだった。
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