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第三章 龍馬暗殺
九
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池田屋騒動ののち、京での巻き返しを企てる長州藩は、元治元年(一八六四)七月十九日に約三千の長州兵を御所目掛け進軍させた。
長州勢の総大将は、家老の福原元僴である。
元僴は、周防徳山藩主毛利広鎮の六男として生まれ、福原家に養子として入った。
元僴は、久坂玄瑞、来島又兵衛らに率いられた長州勢とともに奮戦するが、薩摩藩・会津藩を中心とした幕府軍に敗れた。久坂玄瑞、来島又兵衛らは討ち死し、元僴自身も負傷した。
世にいう禁門(蛤御門)の変である。
この戦いの最中、長州勢は孝明天皇がいる御所に向けて発砲したため、これ以降朝敵となった。
この騒動の最中、龍馬は先頃知り合ったあの楢崎お龍なる女性と内祝言を挙げている。
龍馬は、以前から懇意にしていた薩摩藩の定宿寺田屋の女将お登勢にお龍を託して、その後も精力的に活動する。
のちに徳川幕府最後の将軍となる一橋慶喜は、この年元治元年(一八六四)三月二十五日に将軍後見職を辞し、新たに禁裏御守衛総督に就任した。このことは、慶喜が徳川幕府の政治管理体制から完全に外れ、朝臣的立場となったことを意味する。
禁門の変から間もない七月二十三日、慶喜は御所に参内した。
「一橋慶喜、御所に向けて発砲した長州を討て」
孝明天皇の詔を受けた束帯姿の慶喜はその場で平伏した。
「この一橋慶喜、天子様に成り代わり逆賊長州を必ず討ち取ってみせましょう」
慶喜は御簾の向こう側に座る孝明天皇に誓うのであった。
宿所となった酒井家小浜藩邸に戻ると、慶喜は直ちに側近の原市之進に告げた。
「長州征伐の詔が下った。直ちに仕度せいっ」
「ははっ」
市之進は首肯した。
原市之進は、元々水戸藩士だった。文久三年(一八六三)、慶喜の将軍後見職就任とともに、側近の一人として一橋家へ移った。そして慶喜が禁裏御守衛総督になると正式に一橋家臣となった。
慶喜の側近だった平岡円四郎はこの年の六月十四日、在京水戸藩士の江幡広光、林忠五郎に暗殺されている。以降、市之進が円四郎に代わり、慶喜の許で重要な機密事項に関わり、支えていくことになる。
一方、長州征伐の勅命を受けた幕府は、西国諸藩に発令し、征長軍を編成する。
征長総督は尾張藩の徳川慶勝である。慶勝は、尾張徳川家の支藩高須藩の出身であり、安政の大獄の際、隠居謹慎を命じられた。彼の兄弟に、幕末の会津藩主で京都守護職の松平容保、桑名藩主で京都所司代の松平定敬、尾張藩主を経たのち一橋家を継いだ徳川茂徳がいる。この四人を高須四兄弟と呼ぶ。
長州征伐の朝命を受け、薩摩藩も出兵することになった。
出兵の支度に追われる慌しいこの時期に、薩摩藩伏見藩邸にいた西郷吉之助をとある人物が訪ねて来た。
「西郷さぁ、ご公儀ん海軍奉行勝安房守殿ん紹介状を持参した者が訪ねて来ちょります」
村田新八は怪訝そうに吉之助を見やり、紹介状を手渡し告げた。
「……そいが、ひどっ汚っさなか恰好をした浪人風ん男で」
吉之助はその紹介状を開き黙読する。
「勝安房守殿んご紹介なら会わん訳にはいかじあっど。今どけおっとじゃ」
「表で待たせおっ。名は、土佐藩ん脱藩浪士で、神戸海軍塾生ん坂本龍馬ち申しちょります」
「坂本龍馬、聞かん名じゃな」
吉之助は腕を組んだま怪訝そうに小首を傾げた。
「追い返すと」
「んにゃ、待て、新八どん。そん男と会うど」
吉之助は、突然何の前触れもなく訪ねて来た土佐脱藩浪士坂本龍馬と名乗る男と会うことにした。
吉之助は、伏見藩邸の奥座敷で龍馬と面会する。
「おいが薩摩藩軍賦役ん大島吉之助でござっ」
吉之助は、この時点ではまだ偽名の大島と名乗っていた。
「西郷さん、おまんを男と見込んで頼みがあるがぜよ。長州に兵を送るがは取りやめにして欲しいがぜよっ」
この会見に同席していた新八は、口に含んだ茶を思わず吹き出してしまった。
「ないをゆどおはんはぁっ!?」
新八は興奮気味に呻った。
襖障子を隔てた隣の部屋には、川路正之進、中村半次郎、三島弥兵衛ら薩摩藩の血気盛んな二才(青年)が潜んでいた。
突然襖が開き、鬼の形相をした二才(青年)が現れた。
「おはんはなにをゆとじゃ。こんおいが西郷さぁん代わりにぶった斬ってやりもんそうっ!」
「待て、半次郎。控ゆっとじゃ」
吉之助が人斬り半次郎と呼ばれた若者を制する。
「じゃっどん、西郷さぁ……」
「まあ落ち着け」
吉之助は低い声で言うと、正面を向き直し龍馬を見やった。
「理由をお聞かせ頂こごたっ、坂本殿」
「そうやな、特に理由はない。強いて言うたら無駄な血を流すがは無意味じゃとゆうことじゃ」
「無駄な血……」
「この狭い日本で、勤王や佐幕や攘夷や開国や言うて争いゆー場合でない。早う国を一つに纏めんとならん」
「ないじゃとっ!?」
興奮した半次郎が刀の柄に手を掛けた。
「落ち着け半次郎っ!」
「じゃっどん、西郷さぁ……」
面目なさげに半次郎は吉之助を見やった。
「兎に角、西郷さん。わしの先生に会うてくれんかよ」
「坂本殿の先生……」
「勝先生にじゃき」
「分かり申した、お会い致しもんそ」
「恩に着るぜよ西郷さん」
龍馬は満面の笑みを浮かべた。
後日、約束通り西郷吉之助は勝海舟と会見した。場所は大坂の専称寺だった。
これを機に、吉之助は長州に対し強硬策を取ることを止め、暖和策を取ることになった。
「どうだった西郷って男は」
海舟が訊ねると、龍馬は腕を組んで暫く瞼を閉じた。
「そうやな、先生。西郷ゆう男は、ちっくと叩いたらちっくと響き、大きゅう叩いたら大きゅう響くような男やった」
「そうか、お前さんのお眼鏡に叶ったかい」
「はい。あとは海軍操練所で気張るだけや」
龍馬はニンマリと頷く。
しかし、こののち事態は思わぬ方向へ動くことになった。
池田屋騒動で望月亀弥太が、禁門の変で安岡金馬が長州勢に加わっていたことが発覚した。二人の神戸海軍塾生が加担していたことが問題視され、海舟と神戸海軍操練所の立場が怪しくなった。
十月十二日、征長軍参謀に任命された西郷吉之助とは裏腹に、勝海舟は老中阿部正外の不興を買い、二十二日に江戸への召還命令が下った。更に翌月十日は軍艦奉行を罷免された。これにより、神戸海軍操練所の継続は不可能になった。正式な廃止は翌慶応元年(一八六五)三月九日である。
海舟は江戸に戻るに先立ち、龍馬たち塾生の行く末を、薩摩藩城代家老小松帯刀に頼んだ。
薩摩藩では、龍馬たち神戸海軍塾生らの航海術の高度な専門知識を重視し、庇護することを決めた。
長州勢の総大将は、家老の福原元僴である。
元僴は、周防徳山藩主毛利広鎮の六男として生まれ、福原家に養子として入った。
元僴は、久坂玄瑞、来島又兵衛らに率いられた長州勢とともに奮戦するが、薩摩藩・会津藩を中心とした幕府軍に敗れた。久坂玄瑞、来島又兵衛らは討ち死し、元僴自身も負傷した。
世にいう禁門(蛤御門)の変である。
この戦いの最中、長州勢は孝明天皇がいる御所に向けて発砲したため、これ以降朝敵となった。
この騒動の最中、龍馬は先頃知り合ったあの楢崎お龍なる女性と内祝言を挙げている。
龍馬は、以前から懇意にしていた薩摩藩の定宿寺田屋の女将お登勢にお龍を託して、その後も精力的に活動する。
のちに徳川幕府最後の将軍となる一橋慶喜は、この年元治元年(一八六四)三月二十五日に将軍後見職を辞し、新たに禁裏御守衛総督に就任した。このことは、慶喜が徳川幕府の政治管理体制から完全に外れ、朝臣的立場となったことを意味する。
禁門の変から間もない七月二十三日、慶喜は御所に参内した。
「一橋慶喜、御所に向けて発砲した長州を討て」
孝明天皇の詔を受けた束帯姿の慶喜はその場で平伏した。
「この一橋慶喜、天子様に成り代わり逆賊長州を必ず討ち取ってみせましょう」
慶喜は御簾の向こう側に座る孝明天皇に誓うのであった。
宿所となった酒井家小浜藩邸に戻ると、慶喜は直ちに側近の原市之進に告げた。
「長州征伐の詔が下った。直ちに仕度せいっ」
「ははっ」
市之進は首肯した。
原市之進は、元々水戸藩士だった。文久三年(一八六三)、慶喜の将軍後見職就任とともに、側近の一人として一橋家へ移った。そして慶喜が禁裏御守衛総督になると正式に一橋家臣となった。
慶喜の側近だった平岡円四郎はこの年の六月十四日、在京水戸藩士の江幡広光、林忠五郎に暗殺されている。以降、市之進が円四郎に代わり、慶喜の許で重要な機密事項に関わり、支えていくことになる。
一方、長州征伐の勅命を受けた幕府は、西国諸藩に発令し、征長軍を編成する。
征長総督は尾張藩の徳川慶勝である。慶勝は、尾張徳川家の支藩高須藩の出身であり、安政の大獄の際、隠居謹慎を命じられた。彼の兄弟に、幕末の会津藩主で京都守護職の松平容保、桑名藩主で京都所司代の松平定敬、尾張藩主を経たのち一橋家を継いだ徳川茂徳がいる。この四人を高須四兄弟と呼ぶ。
長州征伐の朝命を受け、薩摩藩も出兵することになった。
出兵の支度に追われる慌しいこの時期に、薩摩藩伏見藩邸にいた西郷吉之助をとある人物が訪ねて来た。
「西郷さぁ、ご公儀ん海軍奉行勝安房守殿ん紹介状を持参した者が訪ねて来ちょります」
村田新八は怪訝そうに吉之助を見やり、紹介状を手渡し告げた。
「……そいが、ひどっ汚っさなか恰好をした浪人風ん男で」
吉之助はその紹介状を開き黙読する。
「勝安房守殿んご紹介なら会わん訳にはいかじあっど。今どけおっとじゃ」
「表で待たせおっ。名は、土佐藩ん脱藩浪士で、神戸海軍塾生ん坂本龍馬ち申しちょります」
「坂本龍馬、聞かん名じゃな」
吉之助は腕を組んだま怪訝そうに小首を傾げた。
「追い返すと」
「んにゃ、待て、新八どん。そん男と会うど」
吉之助は、突然何の前触れもなく訪ねて来た土佐脱藩浪士坂本龍馬と名乗る男と会うことにした。
吉之助は、伏見藩邸の奥座敷で龍馬と面会する。
「おいが薩摩藩軍賦役ん大島吉之助でござっ」
吉之助は、この時点ではまだ偽名の大島と名乗っていた。
「西郷さん、おまんを男と見込んで頼みがあるがぜよ。長州に兵を送るがは取りやめにして欲しいがぜよっ」
この会見に同席していた新八は、口に含んだ茶を思わず吹き出してしまった。
「ないをゆどおはんはぁっ!?」
新八は興奮気味に呻った。
襖障子を隔てた隣の部屋には、川路正之進、中村半次郎、三島弥兵衛ら薩摩藩の血気盛んな二才(青年)が潜んでいた。
突然襖が開き、鬼の形相をした二才(青年)が現れた。
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吉之助が人斬り半次郎と呼ばれた若者を制する。
「じゃっどん、西郷さぁ……」
「まあ落ち着け」
吉之助は低い声で言うと、正面を向き直し龍馬を見やった。
「理由をお聞かせ頂こごたっ、坂本殿」
「そうやな、特に理由はない。強いて言うたら無駄な血を流すがは無意味じゃとゆうことじゃ」
「無駄な血……」
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「ないじゃとっ!?」
興奮した半次郎が刀の柄に手を掛けた。
「落ち着け半次郎っ!」
「じゃっどん、西郷さぁ……」
面目なさげに半次郎は吉之助を見やった。
「兎に角、西郷さん。わしの先生に会うてくれんかよ」
「坂本殿の先生……」
「勝先生にじゃき」
「分かり申した、お会い致しもんそ」
「恩に着るぜよ西郷さん」
龍馬は満面の笑みを浮かべた。
後日、約束通り西郷吉之助は勝海舟と会見した。場所は大坂の専称寺だった。
これを機に、吉之助は長州に対し強硬策を取ることを止め、暖和策を取ることになった。
「どうだった西郷って男は」
海舟が訊ねると、龍馬は腕を組んで暫く瞼を閉じた。
「そうやな、先生。西郷ゆう男は、ちっくと叩いたらちっくと響き、大きゅう叩いたら大きゅう響くような男やった」
「そうか、お前さんのお眼鏡に叶ったかい」
「はい。あとは海軍操練所で気張るだけや」
龍馬はニンマリと頷く。
しかし、こののち事態は思わぬ方向へ動くことになった。
池田屋騒動で望月亀弥太が、禁門の変で安岡金馬が長州勢に加わっていたことが発覚した。二人の神戸海軍塾生が加担していたことが問題視され、海舟と神戸海軍操練所の立場が怪しくなった。
十月十二日、征長軍参謀に任命された西郷吉之助とは裏腹に、勝海舟は老中阿部正外の不興を買い、二十二日に江戸への召還命令が下った。更に翌月十日は軍艦奉行を罷免された。これにより、神戸海軍操練所の継続は不可能になった。正式な廃止は翌慶応元年(一八六五)三月九日である。
海舟は江戸に戻るに先立ち、龍馬たち塾生の行く末を、薩摩藩城代家老小松帯刀に頼んだ。
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