元亀戦記 江北の虎

西村重紀

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第七章 謀叛

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「義に悖る織田信長を討つっ!」
 小谷城本丸御殿の評定の間で、浅井長政は主だった家臣を前にして、毅然とした態度で宣言した。既に長政は甲冑に身を固めている。居並ぶ浅井の諸将も甲冑を纏っていた。
「よくぞ申されたお屋形様っ」
 浅井家の重臣(おとな)の一人である海北綱親が歓喜の声を上げた。
「此度の織田殿仕打ち、あまりと言えばあまり」
 同じく重臣(おとな)の赤尾清綱も、綱親に同調する。
「義は我らにありっ!」
 磯野員昌が拳を突き上げ唸った。
 評定の間での軍議を終え、越前朝倉へ援軍を送ると決めた浅井長政は、二十六日夜、小谷城を発った。
 
 評定を始める前、長政は奥座敷に足を運び、愛妻お市に会っていた。
「これより家中の主だった者を集め、評定を執り行う。その前にお市お前に伝えたいことがある故申す」
 甲冑を纏い目の前に現れた夫長政を見て、
「殿、ご出陣遊ばすのですね」
「俺は義兄上に叛くことにした」
 夫長政の決意を知ったお市は、静かに頷くと、
「あの兄は、織田信長という男は恐ろしい男です。自らに害をなす者はたとえ身内であって容赦なく討ち滅ぼします。我が兄勘十郎信勝がそうであったように……」
 お市は、嘗て兄信長に逆らった信勝のこと長政に話した。
 信勝は、お市にとって信長と同じように同じ母親か土田御前から生まれた同母兄だった。信長はその信勝を、実母土田御前の目の前で家臣に命じて殺害したのだ。
「此度の戦で必ずや兄信長を討たねば、浅井家に禍を齎すことになります」
「相分かった、必ずや信長殿を討つと誓おうっ」
「ご武運、お祈り申し上げます」
 お市は長政野の前で恭しく額ずくのであった。

 義兄織田信長を欺き、その退路を断って討つという長政の計画が露見したのは、織田本隊が木ノ芽峠を越えた辺りだった。
 二十九日深夜。
 最初に異変を感じたのは、朝倉と浅井の不穏な動きに備え警戒していた明智光秀だった。
 小谷城下に忍ばせておいた細作(忍者)が、足利義昭の名代として朝倉攻めに随行していた光秀の許に現れた。身なりはみの傘を被った農夫のようであった。
 桔梗の紋が入った旗指物を靡かせ行軍する明智勢の指揮を執る光秀の眼前で、その細作(忍者)は片膝をつき言上した。
「小谷城にて異変あり。恐らくは浅井備前別心した模様」
「んっ!?」
 光秀はカッと目を見開いた。
「浅井勢は既に小谷城を発ち、こちらに向けて進軍しております」
「……相分かった」
 光秀は短く言うと、
「弥平次っ」
 と三宅弥平次秀満を呼ばった。
 甲冑を身に纏った騎馬武者が、光秀に馬を寄せた。
「儂はこれより織田殿の許へ参る。あとのことそちに任せる」
「はっ、心得ました」
 弥平次が頷くのを確認すると、光秀は馬の腹を蹴った。
 馬の尻に鞭を入れ、森閑の中を疾駆する。
 暫く進むと、光秀の眼前に織田木瓜の幟と永楽銭の旗印が見えた。
「明智十兵衛にござる。火急の用にあって織田様にお目通り願いたいっ!」
 夜のしじまを掻き消すように光秀は咆哮した。
 一人の騎馬武者が光秀の許に近付いた。信長の供廻り衆池田恒興だ。
「何用でござるか明智殿っ」
 恒興が血相を変え尋ねる。
「某が近江に放っておいた細作(忍者)によりますれば、小谷城主浅井備前、別心した模様」
「……はぁ? 浅井殿が……斯様なことありえぬ」
「浅井の兵は既にこちらに向かってござるっ」
「……実でござるか?」
 恒興は訝しく思い、小首を傾げた。
「相分かり申した。暫しお待ちを」
 と言い残し、恒興は光秀の許を去った。信長のところへ向かうのだ。
 待っていると、光秀の目の前に煌びやかな南蛮具足を身に着けた信長本人が現れた。
「十兵衛っ、浅井備前が別心とは実かっ?」
 問われ、光秀は直ちに下馬すると、片膝をつき言上した。
「謹んで申し上げまする。我が手の者によりますれば、紛れもなき事実にござる」
「……俄かには信じ難し、虚説たるべき。これは我らを欺くために朝倉方が流した虚報じゃ。下がりおれ、下郎がぁっ」
 信長は光秀を一蹴し、取り合わなかった。
「されど織田様っ、浅井勢は既に目と鼻の先に迫っておりまする。このままでは退路を断たれまする」
 光秀は臆することなく意見を述べた。
 すると忽ち、氷のような信長の瞳がギラリと光り、桶狭間の合戦でかの今川義元を討ち取った折奪い取った宗三左文字(義元左文字)の業物に手を掛けた。
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