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第一章 初陣
一
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伊吹の峰に三度雪が降ると、里にも積もるという。
永禄元年(一五五八)師走半ば。
この日の朝、小谷城から望む伊吹山は、一面白銀一色に染まっていた。
小谷城下清水谷の浅井屋敷の一室で、漢書を黙読する浅井猿夜叉丸は、降り始めた粉雪が舞う庭先を見やると、読み掛けの漢書に視線を戻した。
そこに、ふらりと父が現れた。
「父上……」
猿夜叉丸は、父である北近江小谷城主浅井下野守久政の仏頂面をちらりと見た。
「年が明けたら元服じゃ……」
久政は嫡男猿夜叉丸の精悍な顔を一瞥すると、白く染まり始めた庭石に目を向けた。その庭石の奥に植わる松の枝には、冬越しのため北国から渡って来た鶫が止まっている。
庭を凝視する父の背中を見詰めていた猿夜叉丸は、舌先で奥歯をひと舐めしてから口を開いた。
「実に有り難きこと」
猿夜叉丸は、素っ気ない態度で形ばかりの礼の言葉を述べる。
「諱は既に決めてある」
「はぁ?」
猿夜叉丸は首を傾げた。
「新九郎賢政と名乗れ」
久政は息子の顔も見ずに告げた。
「……賢政?」
猿夜叉丸にとって、その諱は認めたくない名前だった。
「六角左京大夫殿より偏諱を頂いた……不服か?」
久政は振り返りもせず問い掛けた。
「否……別に」
猿夜叉丸は短くかぶりを振ると、父の背中から漢書に視線を戻し黙読を再開した。
猿夜叉丸が、この度目出度く元服した暁に名乗る賢政という諱は、南近江半国守護職六角左京大夫四郎義賢の偏諱によるものだった。それは屈辱を意味する。
猿夜叉丸の祖父浅井新三郎亮政の代には、主君である北近江半国守護京極氏から下刻上によってその地位を簒奪して戦国大名にまで上り詰めた浅井家も、久政の代には六角の家臣に成り下がってしまった。勇猛果敢な祖父亮政に比べ、父久政という人物は凡庸な男だった。そんな父を猿夜叉丸は心の底から嫌っていた。
「祝言の日取りも決まった」
「祝言?」
半音上がった声を発した。
「相手は、六角殿のご家来衆平井右兵衛尉殿の娘御じゃ」
「……また勝手なことを」
猿夜叉丸は遂不満を口にした。
「不服なのか?」
「父上、某は承服致しかねまする」
毅然とした態度で告げる。
「断れば、六角と戦になるぞ」
「既にその覚悟は出来ておりまするっ」
猿夜叉丸は語気を荒げた。
その声に驚き、庭の松の枝に止まっていた鶫が飛び立った。薄墨を流したような冬の空に羽ばたいていく鶫を目で追う。
「六角相手に戦は出来ぬ……辛抱してくれ」
弱気な父久政の声を聞き、猿夜叉丸は気怠く溜め息を吐いた。
戦国大名浅井氏は、元々近江国浅井郡を本貫とした国人領主であった。浅井氏の自出は諸説存在し、『浅井氏系図』によると、伝承される『三条公綱落胤説』もその一つだ。
正親町三条実雅の長子公綱が、嘉吉年間に勅勘を蒙り、佐々木源氏の名門北近江の京極持清に預けられ、三条家の領地があった近江浅井郡丁野村で蟄居するに至った。その間、公綱は土地の有力者の娘と結ばれ男児をなした。その後、許された公綱は今日に戻り、成人した男児が浅井重政を名乗り京極氏の被官となった。
しかし、嘉吉年間に正親町三条公綱が勅勘を蒙ったという記述はどこにも存在せず、後日浅井氏の本姓を藤原姓にする目的で創作されたものだ。
他には、六世紀後半、敏達天皇の大連であった物部守屋の末裔という説もある。『物部守屋末裔説』によると、守屋の曾孫に当たる藤原忠次なる人物が、浅井郡五カ村を知行して武士になったというのだ。その二十九代目に当たる人物が、浅井長政の祖父亮政だった。
だが、この『物部守屋末裔説』も『三条公綱落胤説』同様確たる証拠がなく、後日創作されたものに過ぎない。
浅井氏の名が記載されている最古の年号は、『竹生嶋古縁起』の『承平元年(九三一)奥書』で、それによると天平勝宝五年(七五三)には、浅井郡大領浅井直馬養なる郡司がいた。このことから分かるように、奈良時代には既に浅井氏を称する豪族が江北に存在していたということになる。ただ、戦国大名浅井氏に直接繫がる先祖かどうかは明言出来ない。
浅井氏が発祥した近江国は、源平合戦で武功を立てた佐々木定綱が、鎌倉時代に守護として治めた。定綱の孫に当たる人物が泰綱で、六角東洞院にある京都屋敷を譲り受けて、その子孫は六角氏を称し近江守護職を世襲することになった。泰綱の弟氏信は、京極高辻の屋敷と、江北の高島、伊香、浅井、坂田、犬上、愛智の六郡を相続し、以降子孫は京極氏を称した。
南北朝時代に、佐々木高氏(京極道誉)が北朝足利尊氏側について戦い、佐々木一門は鎌倉時代に引き続き室町時代も権勢を振るうことになった訳だ。
さて、『江北記』によれば『根本当方被官之事』とあり、今井、河毛、今村、赤尾、堀、安養寺、三田村、弓削、浅井、小野、二階堂らの十二家が記載され、浅井氏は彼ら江北国人豪族とともに京極氏の根本被官の一人だった。
室町中期に入ると、室町幕府侍所頭人兼山城守護、出雲、隠岐、飛騨、近江守護となった京極持清は佐々木本家筋に当たる六角氏を凌ぐほどの権勢を得た。ところが、当主持清の死後、家督争い(京極騒乱)が続いて京極氏は衰退していく。応仁の乱と家督相続の混乱によって、京極氏は所領の大半を失い、遂には北近江のみとなってしまった。
その後、隣国美濃国で土岐氏の家督争いに端を発する内乱が起こった。当然、近江も美濃の紛争に巻き込まれ、結果、持清の孫高清は六角高頼と対峙することになった。
高清の晩年には、再び家督争いが生じた。京極家中は、高清の長男高広(高延)側についた浅見貞則、浅井亮政ら有力国人衆と、次男高吉を押す高清と上坂信光らに二分した。大永三年(一五二三)、両陣営は戦端を開く。結果、高吉側は破れ、近江を追われ、高清、信光共々尾張に逃れた。高広はその後、貞則、亮政らに北近江守護に祭り上げられる。しかし、所詮は貞則の傀儡に過ぎなかった。以降、貞則の専横が目立ち、北近江の実権を握る。すると次第に国人衆の不満が募り始めた訳だ。そして遂に、国人衆に推された亮政が、打倒京極高広、浅見貞則を掲げ挙兵した。結果は、北近江の有力国人たちが味方した亮政側が勝利した。
戦後、亮政は小谷山に城郭を築き上げ、そこを居城として戦国大名へと成長していく。
戦国大名浅井備前守亮政は、元々浅井氏の庶流蔵人家の出であった。実父の名は、直種という。直種の甥に当たる浅井宗家の直政には男子がなく、亮政は直政の娘婿として浅井宗家を継ぐことになった。因みに直正の娘の名は蔵屋という。蔵屋との間には女子しか出来なかった。娘は鶴千代と名付けられた。浅井氏は二代続けて娘婿を迎えることとなる。婿に選ばれたのは、浅井一族の田屋氏の出の明政だ。ところが、亮政の側室馨庵(尼子氏)が男子を産み、亮政は誕生した男子を猿夜叉と名付け、嫡男として家督を継がせることに決めた。後の久政である。
六角、京極氏との決着しないまま、天文十一年(一五四二年)一月六日、亮政は急死した。享年五十二歳だった。
家督を継いだ久政にはまだ北近江を治めるだけの力はなく、明政が高広(高延)と結んで久政を攻めるという事態が起こった。
辛くも家督争いに勝利した久政ではあったが、その後天文二十二年(一五五三)に起こった六角義賢との戦いに敗れ、地頭山城に追い詰められ、六角勢に和議を申し入れ降伏するに至った。
勝利した六角側は、浅井氏に対し屈辱的な和議の条件を出した。
浅井は六角の下知に従うこと。
嫡男猿夜叉丸は、元服後に義賢の偏諱を受け、賢政と名乗ること。
賢政は、六角家臣平井右兵衛尉定武の娘を娶ること。
この屈辱的な条件を受け、当然の如く、浅井家臣の中には異を唱える者もいたが、当主久政はこの条件を甘んじて飲むことにした。
幼児から青少年へと成長した猿夜叉丸は、この屈辱をいつの日か晴らし、六角を討つという野望を人知れず胸中に抱いていたのだ。
永禄元年(一五五八)師走半ば。
この日の朝、小谷城から望む伊吹山は、一面白銀一色に染まっていた。
小谷城下清水谷の浅井屋敷の一室で、漢書を黙読する浅井猿夜叉丸は、降り始めた粉雪が舞う庭先を見やると、読み掛けの漢書に視線を戻した。
そこに、ふらりと父が現れた。
「父上……」
猿夜叉丸は、父である北近江小谷城主浅井下野守久政の仏頂面をちらりと見た。
「年が明けたら元服じゃ……」
久政は嫡男猿夜叉丸の精悍な顔を一瞥すると、白く染まり始めた庭石に目を向けた。その庭石の奥に植わる松の枝には、冬越しのため北国から渡って来た鶫が止まっている。
庭を凝視する父の背中を見詰めていた猿夜叉丸は、舌先で奥歯をひと舐めしてから口を開いた。
「実に有り難きこと」
猿夜叉丸は、素っ気ない態度で形ばかりの礼の言葉を述べる。
「諱は既に決めてある」
「はぁ?」
猿夜叉丸は首を傾げた。
「新九郎賢政と名乗れ」
久政は息子の顔も見ずに告げた。
「……賢政?」
猿夜叉丸にとって、その諱は認めたくない名前だった。
「六角左京大夫殿より偏諱を頂いた……不服か?」
久政は振り返りもせず問い掛けた。
「否……別に」
猿夜叉丸は短くかぶりを振ると、父の背中から漢書に視線を戻し黙読を再開した。
猿夜叉丸が、この度目出度く元服した暁に名乗る賢政という諱は、南近江半国守護職六角左京大夫四郎義賢の偏諱によるものだった。それは屈辱を意味する。
猿夜叉丸の祖父浅井新三郎亮政の代には、主君である北近江半国守護京極氏から下刻上によってその地位を簒奪して戦国大名にまで上り詰めた浅井家も、久政の代には六角の家臣に成り下がってしまった。勇猛果敢な祖父亮政に比べ、父久政という人物は凡庸な男だった。そんな父を猿夜叉丸は心の底から嫌っていた。
「祝言の日取りも決まった」
「祝言?」
半音上がった声を発した。
「相手は、六角殿のご家来衆平井右兵衛尉殿の娘御じゃ」
「……また勝手なことを」
猿夜叉丸は遂不満を口にした。
「不服なのか?」
「父上、某は承服致しかねまする」
毅然とした態度で告げる。
「断れば、六角と戦になるぞ」
「既にその覚悟は出来ておりまするっ」
猿夜叉丸は語気を荒げた。
その声に驚き、庭の松の枝に止まっていた鶫が飛び立った。薄墨を流したような冬の空に羽ばたいていく鶫を目で追う。
「六角相手に戦は出来ぬ……辛抱してくれ」
弱気な父久政の声を聞き、猿夜叉丸は気怠く溜め息を吐いた。
戦国大名浅井氏は、元々近江国浅井郡を本貫とした国人領主であった。浅井氏の自出は諸説存在し、『浅井氏系図』によると、伝承される『三条公綱落胤説』もその一つだ。
正親町三条実雅の長子公綱が、嘉吉年間に勅勘を蒙り、佐々木源氏の名門北近江の京極持清に預けられ、三条家の領地があった近江浅井郡丁野村で蟄居するに至った。その間、公綱は土地の有力者の娘と結ばれ男児をなした。その後、許された公綱は今日に戻り、成人した男児が浅井重政を名乗り京極氏の被官となった。
しかし、嘉吉年間に正親町三条公綱が勅勘を蒙ったという記述はどこにも存在せず、後日浅井氏の本姓を藤原姓にする目的で創作されたものだ。
他には、六世紀後半、敏達天皇の大連であった物部守屋の末裔という説もある。『物部守屋末裔説』によると、守屋の曾孫に当たる藤原忠次なる人物が、浅井郡五カ村を知行して武士になったというのだ。その二十九代目に当たる人物が、浅井長政の祖父亮政だった。
だが、この『物部守屋末裔説』も『三条公綱落胤説』同様確たる証拠がなく、後日創作されたものに過ぎない。
浅井氏の名が記載されている最古の年号は、『竹生嶋古縁起』の『承平元年(九三一)奥書』で、それによると天平勝宝五年(七五三)には、浅井郡大領浅井直馬養なる郡司がいた。このことから分かるように、奈良時代には既に浅井氏を称する豪族が江北に存在していたということになる。ただ、戦国大名浅井氏に直接繫がる先祖かどうかは明言出来ない。
浅井氏が発祥した近江国は、源平合戦で武功を立てた佐々木定綱が、鎌倉時代に守護として治めた。定綱の孫に当たる人物が泰綱で、六角東洞院にある京都屋敷を譲り受けて、その子孫は六角氏を称し近江守護職を世襲することになった。泰綱の弟氏信は、京極高辻の屋敷と、江北の高島、伊香、浅井、坂田、犬上、愛智の六郡を相続し、以降子孫は京極氏を称した。
南北朝時代に、佐々木高氏(京極道誉)が北朝足利尊氏側について戦い、佐々木一門は鎌倉時代に引き続き室町時代も権勢を振るうことになった訳だ。
さて、『江北記』によれば『根本当方被官之事』とあり、今井、河毛、今村、赤尾、堀、安養寺、三田村、弓削、浅井、小野、二階堂らの十二家が記載され、浅井氏は彼ら江北国人豪族とともに京極氏の根本被官の一人だった。
室町中期に入ると、室町幕府侍所頭人兼山城守護、出雲、隠岐、飛騨、近江守護となった京極持清は佐々木本家筋に当たる六角氏を凌ぐほどの権勢を得た。ところが、当主持清の死後、家督争い(京極騒乱)が続いて京極氏は衰退していく。応仁の乱と家督相続の混乱によって、京極氏は所領の大半を失い、遂には北近江のみとなってしまった。
その後、隣国美濃国で土岐氏の家督争いに端を発する内乱が起こった。当然、近江も美濃の紛争に巻き込まれ、結果、持清の孫高清は六角高頼と対峙することになった。
高清の晩年には、再び家督争いが生じた。京極家中は、高清の長男高広(高延)側についた浅見貞則、浅井亮政ら有力国人衆と、次男高吉を押す高清と上坂信光らに二分した。大永三年(一五二三)、両陣営は戦端を開く。結果、高吉側は破れ、近江を追われ、高清、信光共々尾張に逃れた。高広はその後、貞則、亮政らに北近江守護に祭り上げられる。しかし、所詮は貞則の傀儡に過ぎなかった。以降、貞則の専横が目立ち、北近江の実権を握る。すると次第に国人衆の不満が募り始めた訳だ。そして遂に、国人衆に推された亮政が、打倒京極高広、浅見貞則を掲げ挙兵した。結果は、北近江の有力国人たちが味方した亮政側が勝利した。
戦後、亮政は小谷山に城郭を築き上げ、そこを居城として戦国大名へと成長していく。
戦国大名浅井備前守亮政は、元々浅井氏の庶流蔵人家の出であった。実父の名は、直種という。直種の甥に当たる浅井宗家の直政には男子がなく、亮政は直政の娘婿として浅井宗家を継ぐことになった。因みに直正の娘の名は蔵屋という。蔵屋との間には女子しか出来なかった。娘は鶴千代と名付けられた。浅井氏は二代続けて娘婿を迎えることとなる。婿に選ばれたのは、浅井一族の田屋氏の出の明政だ。ところが、亮政の側室馨庵(尼子氏)が男子を産み、亮政は誕生した男子を猿夜叉と名付け、嫡男として家督を継がせることに決めた。後の久政である。
六角、京極氏との決着しないまま、天文十一年(一五四二年)一月六日、亮政は急死した。享年五十二歳だった。
家督を継いだ久政にはまだ北近江を治めるだけの力はなく、明政が高広(高延)と結んで久政を攻めるという事態が起こった。
辛くも家督争いに勝利した久政ではあったが、その後天文二十二年(一五五三)に起こった六角義賢との戦いに敗れ、地頭山城に追い詰められ、六角勢に和議を申し入れ降伏するに至った。
勝利した六角側は、浅井氏に対し屈辱的な和議の条件を出した。
浅井は六角の下知に従うこと。
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