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第一章 初陣
二
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年が明けた永禄二年(一五五九)正月。
浅井久政の嫡男猿夜叉丸は、齢十五にして元服のその時を迎えることになり、その名を浅井新九郎賢政と改めた。この折、岳父となる平井右兵衛尉定武が烏帽子親を務めた。
賢政元服後間もなくして、定武の娘との祝言が清水谷の館にて恙なく執り行われた。婚礼の儀式の当日、賢政は初めて妻となる女性の顔を見た。良くもなく悪くもない、平凡な女性だった。名は萩の御前という。
祝言から一ヵ月後、梅の花が咲き始めた頃だった。賢政は遠藤喜右衛門直経を伴って遠駆けに出掛けることにした。
二人は、辰の刻(午前八時)に馬を連ね、小谷城を発った。
暫くの間、無言で馬を走らせた。
「若君」
と直経が声を掛け、馬を寄せた。
「如何致した喜右衛門?」
馬の手綱を引きながら、賢政は併走する直経に尋ねた。
「近頃の殿は、白拍子に熱を入れておられるようにお見受け致しまする」
「左様か……」
吐き捨てるように言うと、賢政は馬の尻に鞭を入れた。
「これでは政が疎かになり申す」
直経が苦言を呈した。
「ならば一度、俺の口から父上に申し上げておこう。女子もよいが政を疎かになさらぬように、と」
体温の低い声で言ったあと、賢政は鞭を入れ更に馬を責め立てた。
虎御前山、山本山を越え、琵琶湖の畔尾上辺りまで走らせた。
目の前に広がる冬の湖は、鈍色に輝いていた。
目を凝らすと、湖面に数十羽の鳰が泳ぐ姿が見える。その遥か彼方に竹生島の影があった。
奥琵琶湖の方に視線を移すと、寒空に暗澹たる雲が垂れ込めていた。雷鳴が轟いた。
「雪起こしの雷か……」
「左様で」
直経が相槌を打つ。
「雪が降り出す前に城へ戻ると致すか」
賢政は唇の端に薄く笑みを作った。
直経は小さく頷いた。
数日後、賢政は平井の娘を離縁した。彼女に何の落ち度もなかったが、故あって離縁するに至った。
「何故、室を郷に返したっ」
案の定、父久政が清水谷の賢政の屋敷に乗り込んで来て、鬼の形相で叱りつけた。
「六角殿に如何に申し開き致す所存じゃ、新九郎?」
「父上、某は六角と手を切るつもりでござる」
賢政は父久政を見詰めたまま、毅然とした態度で答えた。
息子の真意を聞いた途端、久政の顔から一気に血の気が引いていき、忽ち蒼白となった。よろよろとよろめき、足下が覚束ない。
「殿、大丈夫でござるか?」
この場に同席する中老赤尾美作守孫二郎清綱が、心配そうに声を掛けた。
この赤尾清綱と、海北善右衛門綱親、雨森弥兵衛清貞の三名が、所謂浅井三将である。
「若殿は、六角殿と合戦に及ぶお覚悟があると……?」
清綱が賢政の双眸を見据え尋ねた。
すると賢政は、無言のまま小さく頷いた。
「勝つ自信はある」
賢政は澱みのない明瞭な言葉で告げた。
「近頃の若殿は、尾張の大うつけにかぶれてござる」
賢政の母方の叔父に当たる井口経親が、渋面を作り苦言を呈した。
賢政の母は、阿古の方(小野殿)といい、経親の姉に当たる。
井口一族は、高時川左岸の豪族だった。享禄四年(一五三一)の箕浦の合戦に於いて亮政が六角頼定と対峙した際、経親の父井口越前守経元が主君の身代わりとなって討死した。戦後、亮政はその恩に報いるため、経元の娘阿古を嫡男久政の正室として迎え入れたのだ。斯くして天文十四(一五四五)に誕生した男子が、猿夜叉丸のちの浅井長政(賢政)だった。
祝言のあと阿古の方は、夫久政が六角氏に恭順の意を示すため、人質として観音寺城下で生活していた。賢政は観音寺城下で生まれ、そこで幼少期を過ごした。
人質として六角氏のお膝元で過ごし、辛酸を舐めた日々を思い出すと、賢政は肩の震えを覚えずにはいられなかった。
「叔父上……」
賢政は、叔父経親を睨みつけた。
「大うつけを買い被り過ぎでござる。所詮、うつけ者はうつけ、直ぐに一色左京大夫(斎藤義龍)殿に討たれ、織田は滅びる」
経親は、信長を高く評価する甥賢政を嘲笑った。
「されど叔父御、左京大夫の父蝮の道三入道は、彼の仁を――」
と賢政が言った言葉に、経親が被せた。
「山城守殿は見誤ったのでござる。それ故、倅左京大夫殿に敗れた」
「叔父上、其方が何と申されようと、もう既に決したこと。六角と手を切る」
「若殿、今一度お考え直しを」
経親は真顔で訴えた。
「早まるでない新九郎……」
久政は苦渋に満ちた表情になった。
「父上が何を申されようとも、某は六角と縁を切るっ」
「新九郎……」
久政は息子の名を口にすると、然も残念そうに大きく溜め息を吐いた。
結局、この日久政は、息子を説得することが出来ず退散した。
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祝言から一ヵ月後、梅の花が咲き始めた頃だった。賢政は遠藤喜右衛門直経を伴って遠駆けに出掛けることにした。
二人は、辰の刻(午前八時)に馬を連ね、小谷城を発った。
暫くの間、無言で馬を走らせた。
「若君」
と直経が声を掛け、馬を寄せた。
「如何致した喜右衛門?」
馬の手綱を引きながら、賢政は併走する直経に尋ねた。
「近頃の殿は、白拍子に熱を入れておられるようにお見受け致しまする」
「左様か……」
吐き捨てるように言うと、賢政は馬の尻に鞭を入れた。
「これでは政が疎かになり申す」
直経が苦言を呈した。
「ならば一度、俺の口から父上に申し上げておこう。女子もよいが政を疎かになさらぬように、と」
体温の低い声で言ったあと、賢政は鞭を入れ更に馬を責め立てた。
虎御前山、山本山を越え、琵琶湖の畔尾上辺りまで走らせた。
目の前に広がる冬の湖は、鈍色に輝いていた。
目を凝らすと、湖面に数十羽の鳰が泳ぐ姿が見える。その遥か彼方に竹生島の影があった。
奥琵琶湖の方に視線を移すと、寒空に暗澹たる雲が垂れ込めていた。雷鳴が轟いた。
「雪起こしの雷か……」
「左様で」
直経が相槌を打つ。
「雪が降り出す前に城へ戻ると致すか」
賢政は唇の端に薄く笑みを作った。
直経は小さく頷いた。
数日後、賢政は平井の娘を離縁した。彼女に何の落ち度もなかったが、故あって離縁するに至った。
「何故、室を郷に返したっ」
案の定、父久政が清水谷の賢政の屋敷に乗り込んで来て、鬼の形相で叱りつけた。
「六角殿に如何に申し開き致す所存じゃ、新九郎?」
「父上、某は六角と手を切るつもりでござる」
賢政は父久政を見詰めたまま、毅然とした態度で答えた。
息子の真意を聞いた途端、久政の顔から一気に血の気が引いていき、忽ち蒼白となった。よろよろとよろめき、足下が覚束ない。
「殿、大丈夫でござるか?」
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この赤尾清綱と、海北善右衛門綱親、雨森弥兵衛清貞の三名が、所謂浅井三将である。
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すると賢政は、無言のまま小さく頷いた。
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「近頃の若殿は、尾張の大うつけにかぶれてござる」
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