件と秀吉

西村重紀

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第三章

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 安国寺恵瓊は高松城に乗り込み、織田方に降伏するよう城主の清水宗治の説得を試みた。
「某と我が兄と弟、末近四郎三郎殿の首と引き換えに、城兵の命は助けて頂きたい」
 宗治は目に涙を浮かべ恵瓊に嘆願書を託した、という。
 恵瓊は宗治から託された嘆願書を胸に、再び羽柴勢との交渉の席に着くことになった。
 しかし、その頃、備中高松城から遠く離れた京本能寺で、天下を揺るがす大事件が発生していたことを知る由もなかった。
 官兵衛は件が出たあの晩、門前村から陣城に戻る途中、羽柴方が設けた関所を避けるようにして畦道を行く怪しげな連雀商人(行商人)と出会った。
 この晩、この畦道を官兵衛主従が通ったのは偶然だった。そして連雀商人が荷を背負って畦道を通ったのも偶々だった。
 しかし、偶然が何度も重なるとそれは最早偶然ではなく必然となる。
 連雀商人は、恰も官兵衛主従の視線を避けるかのようにして、日差山の方角に爪先を向け足早に立ち去った。
「気になる今の男」
 官兵衛は呟くように六之助に言った。
「追い掛けてみますか」
 六之助が訊ねると、官兵衛は頷き、
「儂はここで待っておる。行け六之助」
 命を下した。
「はっ」
 官兵衛の命令を拝受した六之助は、先ほどすれ違った連雀商人の後を追った。
 四半刻(約三十分)ほど官兵衛は田圃の畦道で六之助を待った。
 その間、門前村に出現した件のことを考えてみた。
「三度も我が前に現れるとはこれは偶然などではない。何かある。件は一体何をこの黒田官兵衛に知らせようとしておるのじゃ」
 しかし、何度考えてもピンと来ないのだ。
 ほどなくして連雀商人の行方を追っていた六之助が官兵衛の許に戻って来た。
「怪我をしておるのか、六之助っ!?」
 六之助の左手の甲から鮮血が流れていた。
「大事ございません。それより殿、これをご検分下さい」
 六之助は懐から一通の書状を取り出し、官兵衛に差し出した。
「これは……」
 怪訝気味に眉根を寄せ官兵衛が問う。
「先ほどの商人が持っておりました」
「斬ったのか」
「はい。身形は連雀商人でござるが、あの者はやはり武士でございました」
「どこぞの間者か……」
 言いながら官兵衛は、六之助が怪しげな男から奪い取った書状の中身を確かめた。
 黙読する官兵衛はやがて愕然となった。
「殿、如何なされました」
 六之助の問い掛けに、官兵衛は答えず質問で返した。
「その方、この書状に目を通したのか」
 官兵衛の声は恐ろしいほど低かった。
「いいえ」
 六之助はかぶりを振った。
「……上様がお亡くなり遊ばした。惟任日向守殿の謀叛によって……」
「殿っ!? それはまことのことなのですか!?」
 唖然とする六之助の言葉も、官兵衛の耳には半分も届かなかった。
 ここである重大なことに気付いたのだ。
(今思えば件の残した予言はこのことであったのだ。時が来れば立つの時とはときのことでなく土岐のこと。明智は美濃土岐氏の出……また彼奴めの旗印は水色桔梗。つまり桔梗の花が朱に染まるとは、惟任日向目によって上様が討たれ血によって赤く染まるという意味であったのじゃ……そう言えば先ほどの坊主も光秀寺の土岐日州と申しておったな、これも何かのお告げに違いない。迂闊であった……)
「と、殿……」
 六之助に声を掛けられ、漸く官兵衛は我に返った。
「六月二日の未明、洛中本能寺を明智の手の者が襲った。上様はご生涯遊ばした。また、御曹子信忠様もご生涯遊ばした……この書状は明智の重臣おとな斎藤内蔵助(利三の通称)が毛利方の小早川又四郎(隆景の仮名)に宛てた物じゃ」
 官兵衛は読み終えた書状を六之助に手渡した。
 間もなく夜が明けようとしていた。東天にひと際明るく輝く惑星ほしが見えた。
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