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第五章
二
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義弟浅野長吉を留守居役に任じ、姫路を発った羽柴勢は、十一日の夕刻には尼崎に入った。
このとき秀吉は、尼崎の外れの栖賢寺で髻を切り、皆に自身の覚悟を示した。
その前日、十日に、秀吉の動きを察知した光秀は、素早い羽柴勢の進軍に対応出来ず、不利な状況下で決戦に望むことを余儀なくされた。
尼崎に入った秀吉は、丹羽長秀、池田恒興、神戸信孝が到着する前に軍議を開き、凡その作戦、それに伴う布陣を決めていた。
翌十二日、長秀、恒興、信孝らが、尼崎の秀吉本陣に到着。これで一万六千余の明智方に対し、秀吉側は二万から四万余りになった。兵の数では優勢に立ったことになる。
その日のうちに秀吉は富田に移る。
ここで先の三人を加え、軍議が開かれた。
その際、秀吉は官兵衛の進言通り、
「御大将は神戸三七郎君に、副えは丹羽殿が宜しいかと」
と両名を立てた。
「否、待て筑前殿。ここはご貴殿が大将を務めるべきであると思う」
長秀は、当然の如く秀吉を推挙する。
「然様じゃ、筑前よ。やはりお主が大将を務めよ」
信孝も長秀の意見に同調した。
「否、やはり御大将は三七君に」
秀吉は固辞し、信孝を押した。
「ここは筑前が就け」
「然様じゃ、筑前殿。三七郎様が申される通り其方が盟主となれ」
こうして秀吉は皆から推される形で総大将となって、戦の采配を揮うことになった。
無論、名目上の総大将は、秀吉が推した信孝である。
その後、陣立てと作戦を決めると、長秀や信孝は其々の本陣へ帰った。
軍議終了後、陣屋に戻った秀吉の許を官兵衛が訪ねた。
「殿、まんまと惟任日州めを誘い出すことが叶いましたな」
「ああ、官兵衛よ。全ては其方の思惑通りことが進んだ」
攻城戦が得意な秀吉にとって野戦は些か不安があった。
しかし、光秀がその居城丹波亀山城ないし、新たに支配下に置いた城に籠られてしまっては元も子もない。
籠城戦となって長期化すれば、北陸の柴田、北関東の滝川などの織田家宿老も参戦することになる。勝利の美酒は独り占めしたいと考えている秀吉としては、短期決戦が望ましいのだ。
「さて殿、明智を討ち取ったのち、織田家の後継者のことでござるが」
「気が早いの官兵衛」
「殿は、亡き上様のお子のうち、どなたをご推挙なさるおつもりか」
「我が養子である秀勝様といきたいところだが、それは他が許さぬであろう。ここはやはり神戸信孝様を以って織田家の家督を継がせるのが筋であろう」
秀吉の考えを聞いた官兵衛は、冷ややかな笑みを浮かべた。
「うん、何がおかしいのじゃ官兵衛」
「殿にご無礼であろう黒田殿」
三成が言った。
官兵衛は秀吉の腰巾着の若造を一瞥すると、
「ここは三法師様を推されませ」
はっきりとした口調で明言する。
高松城から撤退する途中、片上の集落で出会った件と思しき妖怪の予言では、三法師の名前が出た。
官兵衛はそれを片時も忘れることなく頭の隅に置き、ずっと考えていた。
そして官兵衛が導き出した答えが、秀吉が天下を取るには、織田家の後継に信長の嫡孫三法師を立て、秀吉自身がその後見人となるしか道はないということだった。
「さ、さ、三法師じゃと……!? それはあり得ぬ。まだ年端もいかぬ童ではないか」
秀吉は目を白黒させた。
「血迷うたか官兵衛っ」
小六が唸った。
「世迷言も大概に致せっ官兵衛」
秀長も噛み付いた。
三成や吉継に至っては、
「黒田様も焼きが回ったと見える……ここは若い我らに任せ、早々と隠居なされませ」
と嘲笑った。
「焼きが回ったのは佐吉、その方じゃ。分からぬか、織田家の家督を決めるとは、亡き上様の後継者を決めることに非ず。信長様は既に隠居なされ、家督をご嫡男中将信忠卿にお譲り遊ばしておられる。つまりは、信忠様の跡目を継ぐお方はただお一人、三法師様しかおられませぬ。殿はその三法師様の後見人となって織田家を、更に天下を意のままに操るのでござる」
官兵衛の真意を知った秀吉は絶句した。
一方、浅墓なことを口にした三成は面目を失い、赤面した。
「全く官兵衛という男は、恐ろしきことを思い付く」
秀吉は悪魔的な官兵衛の頭脳に舌を巻き、改めて感心した。
「ささ、方々今宵は明日の決戦に備え、其々の寝所にお戻り身体を休められませ」
官兵衛は杖をつき、床机から腰を上げた。
秀吉と、その幕僚たちに頭を下げ、官兵衛は不自由な左足を引き摺り家臣が待つ黒田勢の本陣へ引き上げた。
このとき秀吉は、尼崎の外れの栖賢寺で髻を切り、皆に自身の覚悟を示した。
その前日、十日に、秀吉の動きを察知した光秀は、素早い羽柴勢の進軍に対応出来ず、不利な状況下で決戦に望むことを余儀なくされた。
尼崎に入った秀吉は、丹羽長秀、池田恒興、神戸信孝が到着する前に軍議を開き、凡その作戦、それに伴う布陣を決めていた。
翌十二日、長秀、恒興、信孝らが、尼崎の秀吉本陣に到着。これで一万六千余の明智方に対し、秀吉側は二万から四万余りになった。兵の数では優勢に立ったことになる。
その日のうちに秀吉は富田に移る。
ここで先の三人を加え、軍議が開かれた。
その際、秀吉は官兵衛の進言通り、
「御大将は神戸三七郎君に、副えは丹羽殿が宜しいかと」
と両名を立てた。
「否、待て筑前殿。ここはご貴殿が大将を務めるべきであると思う」
長秀は、当然の如く秀吉を推挙する。
「然様じゃ、筑前よ。やはりお主が大将を務めよ」
信孝も長秀の意見に同調した。
「否、やはり御大将は三七君に」
秀吉は固辞し、信孝を押した。
「ここは筑前が就け」
「然様じゃ、筑前殿。三七郎様が申される通り其方が盟主となれ」
こうして秀吉は皆から推される形で総大将となって、戦の采配を揮うことになった。
無論、名目上の総大将は、秀吉が推した信孝である。
その後、陣立てと作戦を決めると、長秀や信孝は其々の本陣へ帰った。
軍議終了後、陣屋に戻った秀吉の許を官兵衛が訪ねた。
「殿、まんまと惟任日州めを誘い出すことが叶いましたな」
「ああ、官兵衛よ。全ては其方の思惑通りことが進んだ」
攻城戦が得意な秀吉にとって野戦は些か不安があった。
しかし、光秀がその居城丹波亀山城ないし、新たに支配下に置いた城に籠られてしまっては元も子もない。
籠城戦となって長期化すれば、北陸の柴田、北関東の滝川などの織田家宿老も参戦することになる。勝利の美酒は独り占めしたいと考えている秀吉としては、短期決戦が望ましいのだ。
「さて殿、明智を討ち取ったのち、織田家の後継者のことでござるが」
「気が早いの官兵衛」
「殿は、亡き上様のお子のうち、どなたをご推挙なさるおつもりか」
「我が養子である秀勝様といきたいところだが、それは他が許さぬであろう。ここはやはり神戸信孝様を以って織田家の家督を継がせるのが筋であろう」
秀吉の考えを聞いた官兵衛は、冷ややかな笑みを浮かべた。
「うん、何がおかしいのじゃ官兵衛」
「殿にご無礼であろう黒田殿」
三成が言った。
官兵衛は秀吉の腰巾着の若造を一瞥すると、
「ここは三法師様を推されませ」
はっきりとした口調で明言する。
高松城から撤退する途中、片上の集落で出会った件と思しき妖怪の予言では、三法師の名前が出た。
官兵衛はそれを片時も忘れることなく頭の隅に置き、ずっと考えていた。
そして官兵衛が導き出した答えが、秀吉が天下を取るには、織田家の後継に信長の嫡孫三法師を立て、秀吉自身がその後見人となるしか道はないということだった。
「さ、さ、三法師じゃと……!? それはあり得ぬ。まだ年端もいかぬ童ではないか」
秀吉は目を白黒させた。
「血迷うたか官兵衛っ」
小六が唸った。
「世迷言も大概に致せっ官兵衛」
秀長も噛み付いた。
三成や吉継に至っては、
「黒田様も焼きが回ったと見える……ここは若い我らに任せ、早々と隠居なされませ」
と嘲笑った。
「焼きが回ったのは佐吉、その方じゃ。分からぬか、織田家の家督を決めるとは、亡き上様の後継者を決めることに非ず。信長様は既に隠居なされ、家督をご嫡男中将信忠卿にお譲り遊ばしておられる。つまりは、信忠様の跡目を継ぐお方はただお一人、三法師様しかおられませぬ。殿はその三法師様の後見人となって織田家を、更に天下を意のままに操るのでござる」
官兵衛の真意を知った秀吉は絶句した。
一方、浅墓なことを口にした三成は面目を失い、赤面した。
「全く官兵衛という男は、恐ろしきことを思い付く」
秀吉は悪魔的な官兵衛の頭脳に舌を巻き、改めて感心した。
「ささ、方々今宵は明日の決戦に備え、其々の寝所にお戻り身体を休められませ」
官兵衛は杖をつき、床机から腰を上げた。
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