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第五章
四
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夕刻、宝積寺の秀吉の本陣。
勝利の祝杯を挙げ美酒に酔う秀吉の許を官兵衛が訪れた。
「ご戦勝おめでとうござりまする」
官兵衛は不自由な左足を伸ばしたまま、主君秀吉に祝いの言葉を述べた。
「これもみな、官兵衛、其方のお蔭じゃ。礼を申す」
「いいえ、ただ某はあの折、これにて天運が開け申したなと述べたまで。全て殿のご武運の為せる業でございまする」
官兵衛は飽くまで主君秀吉を立てるのであった。
「されど、一つ気掛かりなことがござる」
「うん、何じゃ官兵衛申してみよ」
「惟任日向の首級が未だ見付からず。もしや、我らが差し向けた追手から逃れ、落ち延びたのではないかと」
官兵衛は、山崎の合戦で敗れた光秀が生存している可能性があると秀吉に告げた。
「……否、それはあるまい。仮に金柑が生きておったとしても彼奴に儂を討つ力など残っておらぬわっ」
そう言い捨てると、秀吉は手にする杯を官兵衛に授けた。
「官兵衛。お主もやれ」
「ははっ。ご相伴に預かりまする」
官兵衛は恭しく杯を受け取り、秀吉手ずからの酌で酒を呑んだ。
空き腹に呑んだ所為か、胃の腑が焼けるように熱かった。
「こののちのことじゃが、官兵衛、其方が以前申した通り、儂はご嫡孫三法師様を推すことに致す」
「それが宜しかろう」
言いながら官兵衛は杯を秀吉に返し、その杯に酒を注いだ。
「されど、柴田は黙っておるまいな」
「ええ、それと神戸信孝様も」
「三七殿か……」
山崎の合戦で勝利するまでは、信長の三男信孝を、三七郎様と尊称で呼んでいた秀吉であったが、今では同格のような扱いをした。
「何か妙案はないか、三七殿を黙らせる手立ては」
「北畠信雄卿を使われて如何でござろうか」
「うん、お茶筅殿か」
秀吉は信雄の幼名を口にした。
「あのお二方は共にいがみ合っておられまする。それを使わぬ手はないかと」
「派手に兄弟喧嘩をさせようと考えておるのか」
「御意。柴田修理殿を巻き込んで……」
にんまりと嗤い官兵衛は首肯した。
さてここで、山崎の合戦で敗れた光秀の行方について語ることにする。
光秀は、居城坂本城を目指し落ち延びる途中、小栗栖の竹藪の中で落ち武者狩りに遭遇し落命した。
しかし、当時の一級資料である文献には、光秀の首級を秀吉が確認したという記述がない。
これはつまり、光秀がどのような最期を迎えたか誰も分からないのである。
伝承によると、小栗栖の竹藪の中で落ち武者狩りに遭遇した光秀は深手を負い、家臣溝尾茂朝に介錯を頼み自刃して果てた。
この折、光秀は自らの首を地中に埋めるように頼んだ。
後日、それを掘り出した農夫が、恩賞欲しさに秀吉の本陣へ届けたということだ。
届けられた首級は腐敗が進行し、これが誰の首なのか判断がつかなかった。
実は山崎の合戦ののちに落ち延び、天海と名を改め徳川家康の側近として仕えたという説も存在した。
光秀はその死も謎に包まれているが、信長に仕えるまでの前半生も、実に謎の多い人物だった。
『明智軍記』によると、美濃源氏の土岐氏の庶流明智一族の出であるとされるが、これもいま一つ定かではない。
また、『淡海温故録』によると、近江国犬上郡佐目の出であるという説や、他にも室町幕府奉公衆進士晴舎の息子藤延であるという説も存在する。
ところで、秀吉は山崎の合戦の翌十四日、勝龍寺城に入った。
評定の間には、秀吉他主だった重臣が集った。皆、戦時ということもあった当世具足を身に纏い、床机に腰掛けている。
中央首座には神戸信孝、次いで左右に丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興と続く。
「筑前、其方のお蔭で我が父の仇を討つことが叶った。改めて礼を申す」
「いえいえなんのなんの、これ偏に三七郎信孝様のお力によるもの」
「何を申されるか筑前殿。全ては貴殿のお蔭ぞ。我らは貴殿の采配に従ったまで」
長秀が秀吉を立てる発言をした。
「ところで明智の首は見つかったのか」
恒興の問い掛けに、秀吉は徐にかぶりを振った。
「未だ見つからず。只今手の者に命じ探しておる次第で」
「あ奴、何処へ逃げたのか」
怪訝そうに長秀が首を捻った。
「筑前、坂本と丹波亀山には」
信孝が訊ねる。
「ご懸念召さるな三七郎様。兵を差し向けておりまする」
この秀吉の回答を、補足するように、
「堀久太郎(秀の仮名)殿の手勢を、坂本城を預かる明智左馬助(秀満の仮名)の許に差し向けてござりまする。丹波亀山城には中川瀬兵衛(清秀の仮名)殿、高山右近殿の手勢を差し向けてござりまする。追っ付け吉報が届くと思われまする」
末席の官兵衛が報告する。
「流石は切れ者と称された黒田官兵衛だけあって、やることが早いな」
「丹羽様、畏れ入りまする」
官兵衛は末席から上座の長秀に向かって頭を下げた。
坂本城に向かった堀秀政の手勢と、打出の浜でぶつかった光秀の娘婿秀満は大敗を喫し、十四日のうちに主君光秀の妻子を殺し自刃した。
この折、明智家秘蔵の宝を目録と共に秀政に渡した。
翌十五日、丹波亀山城に向かった中川・高山両隊によって城が落とされ、光秀の嫡男光慶は自刃した。
これにより、本能寺の変以前に、仏門に入った者を除く明智の血脈は全て途絶えた。
勝利の祝杯を挙げ美酒に酔う秀吉の許を官兵衛が訪れた。
「ご戦勝おめでとうござりまする」
官兵衛は不自由な左足を伸ばしたまま、主君秀吉に祝いの言葉を述べた。
「これもみな、官兵衛、其方のお蔭じゃ。礼を申す」
「いいえ、ただ某はあの折、これにて天運が開け申したなと述べたまで。全て殿のご武運の為せる業でございまする」
官兵衛は飽くまで主君秀吉を立てるのであった。
「されど、一つ気掛かりなことがござる」
「うん、何じゃ官兵衛申してみよ」
「惟任日向の首級が未だ見付からず。もしや、我らが差し向けた追手から逃れ、落ち延びたのではないかと」
官兵衛は、山崎の合戦で敗れた光秀が生存している可能性があると秀吉に告げた。
「……否、それはあるまい。仮に金柑が生きておったとしても彼奴に儂を討つ力など残っておらぬわっ」
そう言い捨てると、秀吉は手にする杯を官兵衛に授けた。
「官兵衛。お主もやれ」
「ははっ。ご相伴に預かりまする」
官兵衛は恭しく杯を受け取り、秀吉手ずからの酌で酒を呑んだ。
空き腹に呑んだ所為か、胃の腑が焼けるように熱かった。
「こののちのことじゃが、官兵衛、其方が以前申した通り、儂はご嫡孫三法師様を推すことに致す」
「それが宜しかろう」
言いながら官兵衛は杯を秀吉に返し、その杯に酒を注いだ。
「されど、柴田は黙っておるまいな」
「ええ、それと神戸信孝様も」
「三七殿か……」
山崎の合戦で勝利するまでは、信長の三男信孝を、三七郎様と尊称で呼んでいた秀吉であったが、今では同格のような扱いをした。
「何か妙案はないか、三七殿を黙らせる手立ては」
「北畠信雄卿を使われて如何でござろうか」
「うん、お茶筅殿か」
秀吉は信雄の幼名を口にした。
「あのお二方は共にいがみ合っておられまする。それを使わぬ手はないかと」
「派手に兄弟喧嘩をさせようと考えておるのか」
「御意。柴田修理殿を巻き込んで……」
にんまりと嗤い官兵衛は首肯した。
さてここで、山崎の合戦で敗れた光秀の行方について語ることにする。
光秀は、居城坂本城を目指し落ち延びる途中、小栗栖の竹藪の中で落ち武者狩りに遭遇し落命した。
しかし、当時の一級資料である文献には、光秀の首級を秀吉が確認したという記述がない。
これはつまり、光秀がどのような最期を迎えたか誰も分からないのである。
伝承によると、小栗栖の竹藪の中で落ち武者狩りに遭遇した光秀は深手を負い、家臣溝尾茂朝に介錯を頼み自刃して果てた。
この折、光秀は自らの首を地中に埋めるように頼んだ。
後日、それを掘り出した農夫が、恩賞欲しさに秀吉の本陣へ届けたということだ。
届けられた首級は腐敗が進行し、これが誰の首なのか判断がつかなかった。
実は山崎の合戦ののちに落ち延び、天海と名を改め徳川家康の側近として仕えたという説も存在した。
光秀はその死も謎に包まれているが、信長に仕えるまでの前半生も、実に謎の多い人物だった。
『明智軍記』によると、美濃源氏の土岐氏の庶流明智一族の出であるとされるが、これもいま一つ定かではない。
また、『淡海温故録』によると、近江国犬上郡佐目の出であるという説や、他にも室町幕府奉公衆進士晴舎の息子藤延であるという説も存在する。
ところで、秀吉は山崎の合戦の翌十四日、勝龍寺城に入った。
評定の間には、秀吉他主だった重臣が集った。皆、戦時ということもあった当世具足を身に纏い、床机に腰掛けている。
中央首座には神戸信孝、次いで左右に丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興と続く。
「筑前、其方のお蔭で我が父の仇を討つことが叶った。改めて礼を申す」
「いえいえなんのなんの、これ偏に三七郎信孝様のお力によるもの」
「何を申されるか筑前殿。全ては貴殿のお蔭ぞ。我らは貴殿の采配に従ったまで」
長秀が秀吉を立てる発言をした。
「ところで明智の首は見つかったのか」
恒興の問い掛けに、秀吉は徐にかぶりを振った。
「未だ見つからず。只今手の者に命じ探しておる次第で」
「あ奴、何処へ逃げたのか」
怪訝そうに長秀が首を捻った。
「筑前、坂本と丹波亀山には」
信孝が訊ねる。
「ご懸念召さるな三七郎様。兵を差し向けておりまする」
この秀吉の回答を、補足するように、
「堀久太郎(秀の仮名)殿の手勢を、坂本城を預かる明智左馬助(秀満の仮名)の許に差し向けてござりまする。丹波亀山城には中川瀬兵衛(清秀の仮名)殿、高山右近殿の手勢を差し向けてござりまする。追っ付け吉報が届くと思われまする」
末席の官兵衛が報告する。
「流石は切れ者と称された黒田官兵衛だけあって、やることが早いな」
「丹羽様、畏れ入りまする」
官兵衛は末席から上座の長秀に向かって頭を下げた。
坂本城に向かった堀秀政の手勢と、打出の浜でぶつかった光秀の娘婿秀満は大敗を喫し、十四日のうちに主君光秀の妻子を殺し自刃した。
この折、明智家秘蔵の宝を目録と共に秀政に渡した。
翌十五日、丹波亀山城に向かった中川・高山両隊によって城が落とされ、光秀の嫡男光慶は自刃した。
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