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第二章
一
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「鎌倉はそう長くは持たぬな」
鎌倉の街に建つ館に戻った道誉は、開口一番近習の沖野小弥太に告げた。
主君道誉が腰に帯びた太刀を外し、それを受け取りながら、小弥太は、
「持ちませぬか」
と問い返した。
「ああ、持たぬ。我らも身の処し方を考えねばならぬ時が参るかも知れぬ。急ぎ、仁助に遣いを出せ」
「はっ」
小弥太は道誉の双眸を見据え、返答した。
腐り切った鎌倉を見捨てる覚悟は既に付いている。しかし、道誉一人のみの力ではどうす事も出来ないのも事実であった。
彼には、武士全体を動かせるだけの力はない。それを持っているのは、鎌倉殿と北条得宗家当主、執権、そして源氏の棟梁である足利高氏だけだ。だが、その高氏はあのように体たらくで軟弱者、全く以って優柔不断な人物であった。
本来なら高氏という男は、清和源氏の名門足利家の家督を継げる人物ではなかった。
彼には、高義という兄がいた。父貞氏の正室である北条顕時の娘(釈迦堂殿)の子である。文保元年(一三一七)六月二十四日、二十一歳にして早世した。
高氏とその弟高国(のちの直義)の実母は、父貞氏の側室であった。上杉頼重の娘清子だ。
兄高義の急死によって高氏は足利家の家督を継ぐ立場となったのだ。
「得宗殿も体たらくなら、足利の又太郎治部も体たらく。これでは埒が明かん」
道誉は下唇を突き出し、憮然とかぶりを振った。
闘犬に現を抜かす得宗家の高時と、その飼い犬の如く尻尾を振る高氏の呆け顔を脳裏に思い浮かべ、益々陰鬱な気分になった。
因みに又太郎とは足利高氏の幼名、あるいは仮名(けみょう)を指し、治部は高氏の官途名の治部大輔を指す。
本来、足利家の嫡男には三郎の幼名、あるいは仮名(けみょう)が用いられていた。このことから考えても高氏という男は、足利家の家督たる人物ではなかったのだ。
「得宗殿と執権殿に挨拶し、近江に戻るとするか」
道誉は小弥太に吐き捨てるように告げた。
その日のうちに小町亭と赤橋邸を訪れ、高時改め祟鑑と執権である守時に面会し、鎌倉を去る旨を伝えた。
小町亭の北条得宗家の邸宅を離れる時、道誉は長崎円喜に呼び止められた。円喜の息子新左衛門尉高資も父の傍らに立っていた。高齢の父に代わり、この高資が現在、内管領を務めている。
「佐々木佐渡殿……御辺は飽くまでも鎌倉殿と得宗殿に仕える御家人であることをお忘れなきよう心得られよ」
円喜は上から目線で道誉に言った。
たかが北条得宗家被官の身分でありながら、鎌倉幕府征夷大将軍に仕える御家人の身分である道誉を見下した口の利き方に、道誉は腸が煮えくり返りそうだった。
奥歯を強く噛み締め怒りを抑えつつ、道誉は口を開いた。
「長崎殿、何れまたお会い致そう」
「お身もくれぐれ気を付けられよ。どこぞのお方の口車に乗せられぬように」
円喜の息子高資が嫌味を口にした。
「これ、新左衛門。無礼であろう。そなたは内管領とは申せ無位無官。それに引き換え、佐渡判官殿は五位の諸大夫、言葉を慎め」
「はっ、父上申し訳ござらん」
「いやいや、なんのなんの、この佐々木佐渡、別段気にもしておりません。然らばこれにてご無礼仕る」
傲慢な長崎親子に辞去を伝えると、道誉は小町亭の得宗家の邸宅を離れた。
数百騎の手勢を引き連れ、鎌倉を発った道誉は東山道を進み領国の北近江に向かった。
馬上の道誉は、朱一色に染め上げた派手な直垂に、金糸、銀糸で鳳凰や神龍の刺繍を施し、左腕に付けた胡粉色の射籠手には、これまた金糸で獅子の刺繍を施した実に婆沙羅な狩装束であった。
美濃国大柿(大垣)を過ぎ垂井に差し掛かった辺りで、道誉一行の目の前に伊吹の峰が見えて来た。
「戻って来たな近江に……」
道誉は感慨深げに言うと、新緑に染まった伊吹山を見やった。
「半月ほど休んだのち、俺は京に上る。小弥太、然様心得よ」
道誉は徒歩で付き従う少年に伝えた。
「承知致しました」
鎌倉は最早澱んだ水の如くなってしまった。嘗ての武士の都とは程遠い姿だ。道誉の眼は鎌倉から離れ、近江の西、洛中に向けられている。いや、洛中ではなくその外の嵯峨野に建つ例の離宮、亀山殿だ。
どうしておるかの、藤の前殿は……、と藤夜叉こと日野俊基の妹の妖艶な姿を脳裏に思い描き、道誉は思わず破顔してしまった。
「嬉しそうでございまするな殿」
と小弥太が尋ね、道誉はハッと我に返った。
「先ほどから見ておったのか小弥太」
「はい」
「拙いところを見られてしもうたわい」
道誉は自嘲気味に苦笑した。
想い人の顔を脳裏に浮かべながら、道誉は新緑に包まれた伊吹の山道を通り抜け近江の地に入った。初夏の心地よい風が吹き、若葉の香りが鼻腔を擽った。
鎌倉の街に建つ館に戻った道誉は、開口一番近習の沖野小弥太に告げた。
主君道誉が腰に帯びた太刀を外し、それを受け取りながら、小弥太は、
「持ちませぬか」
と問い返した。
「ああ、持たぬ。我らも身の処し方を考えねばならぬ時が参るかも知れぬ。急ぎ、仁助に遣いを出せ」
「はっ」
小弥太は道誉の双眸を見据え、返答した。
腐り切った鎌倉を見捨てる覚悟は既に付いている。しかし、道誉一人のみの力ではどうす事も出来ないのも事実であった。
彼には、武士全体を動かせるだけの力はない。それを持っているのは、鎌倉殿と北条得宗家当主、執権、そして源氏の棟梁である足利高氏だけだ。だが、その高氏はあのように体たらくで軟弱者、全く以って優柔不断な人物であった。
本来なら高氏という男は、清和源氏の名門足利家の家督を継げる人物ではなかった。
彼には、高義という兄がいた。父貞氏の正室である北条顕時の娘(釈迦堂殿)の子である。文保元年(一三一七)六月二十四日、二十一歳にして早世した。
高氏とその弟高国(のちの直義)の実母は、父貞氏の側室であった。上杉頼重の娘清子だ。
兄高義の急死によって高氏は足利家の家督を継ぐ立場となったのだ。
「得宗殿も体たらくなら、足利の又太郎治部も体たらく。これでは埒が明かん」
道誉は下唇を突き出し、憮然とかぶりを振った。
闘犬に現を抜かす得宗家の高時と、その飼い犬の如く尻尾を振る高氏の呆け顔を脳裏に思い浮かべ、益々陰鬱な気分になった。
因みに又太郎とは足利高氏の幼名、あるいは仮名(けみょう)を指し、治部は高氏の官途名の治部大輔を指す。
本来、足利家の嫡男には三郎の幼名、あるいは仮名(けみょう)が用いられていた。このことから考えても高氏という男は、足利家の家督たる人物ではなかったのだ。
「得宗殿と執権殿に挨拶し、近江に戻るとするか」
道誉は小弥太に吐き捨てるように告げた。
その日のうちに小町亭と赤橋邸を訪れ、高時改め祟鑑と執権である守時に面会し、鎌倉を去る旨を伝えた。
小町亭の北条得宗家の邸宅を離れる時、道誉は長崎円喜に呼び止められた。円喜の息子新左衛門尉高資も父の傍らに立っていた。高齢の父に代わり、この高資が現在、内管領を務めている。
「佐々木佐渡殿……御辺は飽くまでも鎌倉殿と得宗殿に仕える御家人であることをお忘れなきよう心得られよ」
円喜は上から目線で道誉に言った。
たかが北条得宗家被官の身分でありながら、鎌倉幕府征夷大将軍に仕える御家人の身分である道誉を見下した口の利き方に、道誉は腸が煮えくり返りそうだった。
奥歯を強く噛み締め怒りを抑えつつ、道誉は口を開いた。
「長崎殿、何れまたお会い致そう」
「お身もくれぐれ気を付けられよ。どこぞのお方の口車に乗せられぬように」
円喜の息子高資が嫌味を口にした。
「これ、新左衛門。無礼であろう。そなたは内管領とは申せ無位無官。それに引き換え、佐渡判官殿は五位の諸大夫、言葉を慎め」
「はっ、父上申し訳ござらん」
「いやいや、なんのなんの、この佐々木佐渡、別段気にもしておりません。然らばこれにてご無礼仕る」
傲慢な長崎親子に辞去を伝えると、道誉は小町亭の得宗家の邸宅を離れた。
数百騎の手勢を引き連れ、鎌倉を発った道誉は東山道を進み領国の北近江に向かった。
馬上の道誉は、朱一色に染め上げた派手な直垂に、金糸、銀糸で鳳凰や神龍の刺繍を施し、左腕に付けた胡粉色の射籠手には、これまた金糸で獅子の刺繍を施した実に婆沙羅な狩装束であった。
美濃国大柿(大垣)を過ぎ垂井に差し掛かった辺りで、道誉一行の目の前に伊吹の峰が見えて来た。
「戻って来たな近江に……」
道誉は感慨深げに言うと、新緑に染まった伊吹山を見やった。
「半月ほど休んだのち、俺は京に上る。小弥太、然様心得よ」
道誉は徒歩で付き従う少年に伝えた。
「承知致しました」
鎌倉は最早澱んだ水の如くなってしまった。嘗ての武士の都とは程遠い姿だ。道誉の眼は鎌倉から離れ、近江の西、洛中に向けられている。いや、洛中ではなくその外の嵯峨野に建つ例の離宮、亀山殿だ。
どうしておるかの、藤の前殿は……、と藤夜叉こと日野俊基の妹の妖艶な姿を脳裏に思い描き、道誉は思わず破顔してしまった。
「嬉しそうでございまするな殿」
と小弥太が尋ね、道誉はハッと我に返った。
「先ほどから見ておったのか小弥太」
「はい」
「拙いところを見られてしもうたわい」
道誉は自嘲気味に苦笑した。
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