道誉が征く

西村重紀

文字の大きさ
39 / 39
第七章

しおりを挟む
 腐敗が進むのを防ぐため、顕家の首級は美酒に漬けられていた。
 首実検には、道誉も同席していた。
「見事な働きであった褒めて遣わす」
 鷹揚な口調で尊氏は、師直に告げた。
「ははっ、上様のお褒めに預かり、某粉骨砕身した甲斐がありました」
 師直は大袈裟に平伏した。
「美男子も首だけとなってしまったからには、最早何も出来ぬな」
 尊氏は、トラウマだった顕家が討死したことで漸く安堵の表情を浮かべた。
「ちと、臭いまするな」
 と話の腰を折るように言い、道誉は微かに漂う腐敗臭が気になり顔を顰めた。
「下げよ」
 尊氏は近習に命じた。
 近習らの手によって首桶が尊氏たちの前から下げられた。
「されとて上様、先ほどの件でござるが、未だ越前には新田が残っております。吉野にも先の主上がおわします」
「佐渡殿、何のこれしき憶することなどない。此度は御辺にも色々と骨を折って頂いたと聞く」
「いや、身共など高殿のお働きに比べればさほどのことではござらん」
 道誉は、近いうちに確立されるであろう足利政権、つまりの室町幕府の実力者となるに違いない師直を立てた。
「佐渡殿も世辞が上手うござるな……」
「いやいや、御辺ほどではござらん」
 婆沙羅者の道誉は、同じく婆沙羅者の師直とは実に馬が合った。
「して、上様。州軍宣下の日取りはいつ頃に」
 と、さり気なく道誉は、尊氏に征夷大将軍に就くよう背中を押した。
 いつもながら優柔不断な尊氏は、まだ何か引っ掛かっているようで、なかなかその首を縦に振ろうとはしない。
「そうじゃな、間もなくといったところであろうか」
 尊氏は、明確な期日を述べることなく言葉を濁した。
 高倉の館を出ると、道誉は領国勝楽寺城に戻らず、京極高辻の館に入った。暫くは子の館に落ち着き、京に滞在するつもりだ。然るべき時に備えて。
 北畠顕家に引き続き、閏七月二日、越前国藤島の戦いに於いて新田義貞が、足利方の武将斯波高経に敗れ討死した。
 義貞は激戦の末、眉間に敵の放った矢を受け、致命傷を負うと、自らの手で喉を掻っ切って自害して果てたの。
「そうか、新田殿も逝かれたか……」
 嫌いだった新田義貞の死を知ると、道誉は京極高辻の館の庭に接する広縁で、花瓶に水仙を生けながら憮然と呟いた。
 一昨年来から、共に鎌倉幕府を倒した嘗ての仲間だった武将が儚く世を去った。
「吾は生き残った。これは天命ぞっ」
 道誉は誰に言い聞かせる訳でもなく、言葉に力を込めて言った。

 建武五年(一三三八)八月十一日。
 この日、光明天皇によって足利尊氏が正式に征夷大将軍に任ぜられた。
 時代区分の名称として使われる室町時代は、尊氏の孫に当たる三代将軍足利義満が、室町にあった花の御所に居を構えたことから由来する。
 従って尊氏が征夷大将軍となったこの頃は、室町幕府という名称すら存在していない。単なる幕府であった。ただ、この小説では便宜上室町幕府という名称を使用する。
高倉の足利邸の大広間――。
 束帯を纏った尊氏が、武家の棟梁たる堂々とした姿で、北朝方の諸大名の前に現れた。
 普段は華美な直垂姿の道誉もこの日ばかりは、他の武将たちと同じく地味な勝色一色で統一された直垂を着ている。
 同じように、師直やその弟師泰、頼遠などの婆沙羅大名も地味な直垂を纏っていた。
「上様には執着至極、我ら臣下一同謹んでお祝いの言葉を申し上げ奉る」
 足利家家宰である師直が代表して言った。
 尊氏は小さく頷いた。
「征夷大将軍職就任、おめでとうござりまする」
 束帯姿の尊氏の眼前に平伏し、諸大名が声を揃え祝賀の言葉を述べた。
「皆の忠節痛み入る。これからも天子様ならびに余のため、天下万人のため励めっ」
 今や正式な征夷大将軍となった尊氏は鷹揚な口調で言った。
 高倉の足利邸には、祝いの品を持参した公家や町衆が訪れ、華やいだ空気が漂う中和やかな時間が過ぎ去っていった。
 連日連夜祝賀の宴が開かれた。
「のう、高殿。御辺はまたどこぞの公家の娘を手籠めにし、孕ませたと聞くが、その話まことか」
 酒に酔った赤松円心が問う。
「ああ、身共にはそこら中に隠し子がござる。公家共は、今やこの高五郎左衛門尉師直の力を恐れ、見目麗しき姫君を吾の妾として勧めて来る」
 言いながら師直は下卑た笑みを浮かべた。
「佐々木佐渡殿。御辺の望んだ通り将軍になってやったぞ」
 珍しく酒に酔い赤ら顔の尊氏が、それまで一人静に手酌で酒を飲んでいた道誉の隣に腰を下ろした。
 道誉は上目遣いでちらりと尊氏を見やった。
「肝心なのはこれからでござるぞ、上様」
 酒を飲めば飲むほどに頭が冴え渡る道誉は、憶することなく主君に向かって進言した。
「と、申すは如何なる仕儀なるか……」
 怪訝気味に眉間に皺を寄せ、尊氏が問う。
「一つ道を間違えれば、鎌倉のようになり、また、建武の御親政のように潰れる。努々ご油断召されるな」
「……分かっておる」
 尊氏は道誉の忠告を素直に受け止めた。
 成立当初の室町幕府の政治機構は、軍事面を足利尊氏が担当し、政治面を実弟の直義が担っていた。
 ところが、次第に足利家家宰の高師直、師泰兄弟の専横が目立ち始め、直義と高兄弟の対立が深まっていった。それがやがて、尊氏と直義、そして尊氏とその隠し子である直冬(成人したのちの新熊野)の骨肉の争いである観応の擾乱へ発展し、南北朝動乱を泥沼化される要因となった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

元亀戦記 江北の虎

西村重紀
歴史・時代
浅井長政の一代記です

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助

蔵屋
歴史・時代
 わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。  何故、甲斐国なのか?  それは、日本を象徴する富士山があるからだ。     さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。  そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。  なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。  それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。  読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。  

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...