傾国の女 於市

西村重紀

文字の大きさ
12 / 32
第一章

十一

しおりを挟む
 その頃、那古屋城本丸主殿の奥書院では、信光が近習たちと密談していた。
「孫八郎の様子は如何じゃ」
「これと言って特に変わった様子は」
「然様か……」
「やはり直に会って、彼奴に問い質すしか他に術はないであろう」
「某らは如何致しましょうか」
「抜刀したまま次の間で控えておれ。儂の合図があり次第、彼奴めを成敗致せ」
「ははぁっ」
 腕に覚えのある近習たちは信光の厳命を受け、仰々しく頭を下げた。そしてすぐさま行動に移した。
 近習たちが去ったあと、
「して……我が室は、今何処じゃ」
 信光は訝し気に眉根を寄せると、傍に侍る小姓の一人に訊ねる。
「昼前にお出掛けになられたきり、未だお戻りにはなられておりませぬ」
「亡き義父の御霊を弔うため、経を上げると申して出掛けたそうじゃが……」
 最初、信光は妻が坂井孫八郎と密会する目的で城を抜け出したと思っていたのだが、その密通相手である当人の孫八郎は、今現在登城し謁見の間で待機している。しかも彼是半刻(約一時間)近く待っている。にも拘らず北の方は、城に戻った気配もなく、そればかりか行方すら分からないのだ。
 これには些か信光も困惑していた。
「さて、いつまでもこうしておっても何も始まらぬ。孫八郎の詮議を致すとするか」
 独り言のように口にすると、信光は腰を上げた。
 小姓が障子を開ける。
 信光は廊下へ出て、書院から謁見の間へ足を運んだ。
 孫八郎が待つ謁見の間に入ると、彼は床板に頭を垂れ額ずいていた。
「待たせたな孫八郎……」
 額ずく孫八郎の背中を見やり、低い声で告げると、信光は上座に着いた。
「面を上げよ」
「ははっ」
 孫八郎はゆっくりと顔を上げた。訝し気に主君信光の双眸を見やる。
「火急に登城致せとは、殿、一体某に何用がござるのか」
「まあ、そう硬くなるな……」
 信光は唇の端に薄い笑いを作り告げた。
「本日、その方を召し出したるは儂の儀にあらずっ」
 信光は扇子で孫八郎を差しながら語気を荒げる。
 すると忽ち孫八郎は狼狽え、困惑したように首を傾げる。
「と、殿……、某に一体どのような落ち度が……」
「噂は既に我が身に入っておる。孫八郎、その方家来の分際で我が室と通じておるそうじゃのぉっ!?」
 既に激昂している信光は、両肩を震わせつつ一歩前に身を乗り出し、大音声を発して問い詰めた。
「はぁっ……!? 某がお方様と……? 殿、世迷言を申されまするな」
 孫八郎は顏を紅潮させ、素早くかぶりを振って否定する。
「その方が我が室と密会しているところを、この目で見たと申し出た者もおるっ」
「……ぬ、濡れ衣でござる。この孫八郎、神仏に誓って不義密通などと大それたことしておりませぬっ」
 憤慨した孫八郎は怒りにませ、大声を張り上げた。
「孫八郎っ、その方主君である儂に楯突く所存かぁっ!?」
 信光の咆哮とともに、別室に待機していた家臣が雪崩れ込んで来た。彼らは既に抜刀した状態だった。
「くくく……、殿は端から某を斬るおつもりでござったか……」
 皆まで言わないうちにこの状況を理解した孫八郎は脇差を抜いた。自分よりも身分の高い者に会う場、帯刀してはいけないので、孫八郎はこの場に太刀を持参していない。
 それに比べ討手方四人は皆、太刀を正眼に構え、孫八郎を取り囲んでいる。少し不利な状態ではあるが、これも仕方がない。
「不届き者坂井孫八郎を成敗致せっ」
 信光の厳命を受けた家臣が斬り掛かった。
 しかし、腕に些か覚えのあった孫八郎は、一人めの攻撃を躱し、逆にその男を返り討ちにした。倒した男の手から太刀を奪い取り、孫八郎は次々と討手を斬り捨てた。
 最初、簡単に始末がつくと思っていた信光も、目の前で追手が討たれる様を目撃し、俄かに焦り出した。
「ま、待て……孫八郎……。お、落ち着けぇぇ……」
 腰を抜かした信光は、恐怖で顔を歪ませ、後退った。背中が壁に当たり、もうこれ以上後ろに下がることが出来ない。
「殿、某、決してお方様と不義密通など致しませぬ。信じて頂けぬとは無念でござる。お覚悟召されませ」
「ま、待てぇっ。は、早まるなぁぁ……孫八郎ぉぉ……」
 信光は己の非を認めるかのように命乞いをしたが、孫八郎は聞く耳を持たなかった。
 白刃が頭上に光った。
 享年四十。
 織田信光は不慮の死を遂げた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【アラウコの叫び 】第1巻/16世紀の南米史

ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。 マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、 スペイン勢力内部での覇権争い、 そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。 ※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、 フィクションも混在しています。 また動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。 HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。 公式HP:アラウコの叫び youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス insta:herohero_agency tiktok:herohero_agency

元亀戦記 江北の虎

西村重紀
歴史・時代
浅井長政の一代記です

【アラウコの叫び 】第3巻/16世紀の南米史

ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎週月曜07:20投稿】 3巻からは戦争編になります。 戦物語に関心のある方は、ここから読み始めるのも良いかもしれません。 ※1、2巻は序章的な物語、伝承、風土や生活等事を扱っています。 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。 マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、 スペイン勢力内部での覇権争い、 そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。 ※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、 フィクションも混在しています。 動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。 HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。 公式HP:アラウコの叫び youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス insta:herohero_agency tiktok:herohero_agency

【アラウコの叫び 】第2巻/16世紀の南米史

ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。 マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、 スペイン勢力内部での覇権争い、 そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。 ※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、 フィクションも混在しています。 HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。 公式HP:アラウコの叫び youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス insta:herohero_agency tiktok:herohero_agency

【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助

蔵屋
歴史・時代
 わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。  何故、甲斐国なのか?  それは、日本を象徴する富士山があるからだ。     さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。  そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。  なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。  それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。  読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。  

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

処理中です...