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序
三
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静寂と闇の中、意識だけがどこかを漂っている。身体は重くなく、痛みもない。ただ、深い水の底を彷徨っているような、そんな感覚だけが続いていた。
――顧秋霖。
誰かの声が、遠くで呼ぶ。
懐かしくはない。だが心を突き動かす響きだった。
次の瞬間、視界に淡い金色の光が満ちあふれた。目を開けると、白く広がる雲の海が果てしなく空へと伸び、金の装飾が施された純白の柱がずらりと並ぶ殿宇があたりを取り囲んでいる。空はどこまでも澄みわたり、ほんのりと香る清浄な空気が心地よく肌を撫でていた。
秋霖は白い薄絹の衣をまとい、石造りの床に静かに横たわっていた。やがてゆっくりと膝を折って立ち上がる。すると目の前には、都の宮殿とは異なる趣の荘厳な大殿が建っていた。陽光と雲海に照らされ、神々しい気配が満ちている。
彼は躊躇いなくその大殿へと引き寄せられるように一歩を踏み出した。入口へと進むと玉座の間に翡翠玉の簾が下げられており、その先には玉座があった。張り詰めた威厳と、どこか優しさを秘めた存在が、そこで彼を手招きしているようだった。
秋霖は自然に玉座の前に膝をつくと、向こう側から凛とした優しい声が響いた。
「ここは天界である」
簾の奥から発せられたその声は高く澄みわたり、神々しさを帯びていた。
「お前の魂は天命によりここへ導かれた」
その声の主は柔らかくも重々しい口調で告げた。秋霖は驚きの色を隠せずに口を開く。
「貴方様は…」
「私は天帝、天界を統べる者だ」
秋霖は息を呑んだ。ここが夢ではなく死後の世界であることを、体の奥から徐々に実感した。現世の帝に処刑された後で、天の帝に迎えられるとは、まさに稀有な状況であるともいえる。
天帝は静かに語りかけた。
「顧秋霖よ。お前は現世で忠義と徳行を尽くした。その功績により、天吏として神に仕える資格を授ける」
耳に響くその勅令のような言葉に、秋霖は深々と頭を下げた。神に対し、そうすることが当然だと思えたからだ。
「承知しました」
彼が素早く返答すると、すぐに奥から待て、と声が続く。
「お前が天吏となることは強制ではない。天吏がどのような存在かも分からぬうちに、安易に承諾するものではない」
天帝はさらに説明を続けた。
天吏とは天の命を受け、人と天との架け橋となり、地獄の鬼から人々を守る者である。現世において功績を積み、忠義に秀でた者のみが選ばれる役目なのだと。
秋霖は静かに耳を傾けた後、問いかける。
「私が天命を授かることなど光栄です。しかし、もし天吏にならなければ、私はどうなるのでしょうか」
天帝は慈愛に満ちた声音で答えた。
「そなたの魂は新しい命として来世へと繋がるだろう」
来世へ行くということは、すなわち別人として生まれ変わるということだ。顧秋霖としての記憶はここで途切れ、新たな人生が始まるのだろう。
秋霖は虎渓の面影を思い浮かべた。心はすでに固く決まっていた。
「天吏として、天帝にお仕えいたします」
決意を込めて口にしたその言葉に、天帝は静かに頷き立ち上がった。その時宮殿の入り口からふわりと風がふき込み、秋霖の髪を揺らした。
――顧秋霖。
誰かの声が、遠くで呼ぶ。
懐かしくはない。だが心を突き動かす響きだった。
次の瞬間、視界に淡い金色の光が満ちあふれた。目を開けると、白く広がる雲の海が果てしなく空へと伸び、金の装飾が施された純白の柱がずらりと並ぶ殿宇があたりを取り囲んでいる。空はどこまでも澄みわたり、ほんのりと香る清浄な空気が心地よく肌を撫でていた。
秋霖は白い薄絹の衣をまとい、石造りの床に静かに横たわっていた。やがてゆっくりと膝を折って立ち上がる。すると目の前には、都の宮殿とは異なる趣の荘厳な大殿が建っていた。陽光と雲海に照らされ、神々しい気配が満ちている。
彼は躊躇いなくその大殿へと引き寄せられるように一歩を踏み出した。入口へと進むと玉座の間に翡翠玉の簾が下げられており、その先には玉座があった。張り詰めた威厳と、どこか優しさを秘めた存在が、そこで彼を手招きしているようだった。
秋霖は自然に玉座の前に膝をつくと、向こう側から凛とした優しい声が響いた。
「ここは天界である」
簾の奥から発せられたその声は高く澄みわたり、神々しさを帯びていた。
「お前の魂は天命によりここへ導かれた」
その声の主は柔らかくも重々しい口調で告げた。秋霖は驚きの色を隠せずに口を開く。
「貴方様は…」
「私は天帝、天界を統べる者だ」
秋霖は息を呑んだ。ここが夢ではなく死後の世界であることを、体の奥から徐々に実感した。現世の帝に処刑された後で、天の帝に迎えられるとは、まさに稀有な状況であるともいえる。
天帝は静かに語りかけた。
「顧秋霖よ。お前は現世で忠義と徳行を尽くした。その功績により、天吏として神に仕える資格を授ける」
耳に響くその勅令のような言葉に、秋霖は深々と頭を下げた。神に対し、そうすることが当然だと思えたからだ。
「承知しました」
彼が素早く返答すると、すぐに奥から待て、と声が続く。
「お前が天吏となることは強制ではない。天吏がどのような存在かも分からぬうちに、安易に承諾するものではない」
天帝はさらに説明を続けた。
天吏とは天の命を受け、人と天との架け橋となり、地獄の鬼から人々を守る者である。現世において功績を積み、忠義に秀でた者のみが選ばれる役目なのだと。
秋霖は静かに耳を傾けた後、問いかける。
「私が天命を授かることなど光栄です。しかし、もし天吏にならなければ、私はどうなるのでしょうか」
天帝は慈愛に満ちた声音で答えた。
「そなたの魂は新しい命として来世へと繋がるだろう」
来世へ行くということは、すなわち別人として生まれ変わるということだ。顧秋霖としての記憶はここで途切れ、新たな人生が始まるのだろう。
秋霖は虎渓の面影を思い浮かべた。心はすでに固く決まっていた。
「天吏として、天帝にお仕えいたします」
決意を込めて口にしたその言葉に、天帝は静かに頷き立ち上がった。その時宮殿の入り口からふわりと風がふき込み、秋霖の髪を揺らした。
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