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第1話 ロン、酔う

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 それは俺がまだ小さかった時の話。
たぶん5歳とか、6歳とか、そのくらい。

 そんなに小さい頃の記憶なんて、正直ほとんどない。ないけど、この時の記憶だけは何故か鮮明に覚えている。

 その日は叔母さんの屋敷に行った日だった。ちなみにうちの母と叔母さんは仲の良い姉妹で、しょっちゅう互いの屋敷を行き来している。

 叔母さんの屋敷には子どもがたくさんいる。俺よりも5歳歳上の三つ子の男児らと、俺よりも2歳歳上の女児。この4人は全員叔母さんの子どもだ。

「きたかロン~!!!」
「待ってたぞ!クックック!」
「その綺麗な面貸しな~!!」

 この三つ子たちは兎に角疲れる。相手にするだけ無駄だとこの頃には既に察していた。

「‥‥」

 俺はプイッと視線を逸らして三つ子の横を通り過ぎた。三つ子は俺に腹を立てて飛びかかろうとするが、一気にその勢いをなくして「ぐぅ」っと声をあげる。
 俺はたぶん幼いながらにずる賢かった。誰の裾を引けばアイツらを黙らせることができるのか分かっていたのだ。

「どうしました?ロン様」

「‥なんでもない」

 何もしないから!と首を真横にブンブンと振る三つ子を見て、俺は口の端をあげた。

 俺が裾を引いた相手は母の侍女であるスーザンだ。かたや三つ子たちは公爵家の令息たち(俺もだけど)。どう考えても立場は三つ子たちの方が上だが、どんな馬鹿でも察するのだ。
 スーザンこの人を敵に回してはいけない、と。敵‥というのは極端かもしれないが、謂わば『目をつけられてはいけない』と、恐らく第六感が警鐘を鳴らすのだ。

 まぁ俺は幼い頃からこうしてずっとスーザンを盾にしてきた。勿論、スーザンはそんな俺の小賢しい魂胆など丸見えだったのだろう。そのツケが回って俺はスーザンの玩具と成り下がるのだが、この時の俺はまだそんなこと知る由もない。よって、全力でスーザンを頼りにしていた。

「あ、ロン!きたの?」

 三つ子から離れた俺に声をかけてきたのはジェシカ。俺の2歳上のいとこ。

「‥うん」

 三つ子たちよりはよっぽどマシ。見た目も性格も、ジェシーは親譲りだ。むしろなんで三つ子たちはあんなに横暴なのだろうか、と思う。

 ただ、ひとつ気に入らないことがあるとすれば‥

「ロン、ほら、お姉さんがお庭を案内してあげるっ」

 と、張り切って姉面をするところ。
2歳上だし、実際いとこだし、ジェシーには下の兄弟がいないから仕方ないことだと思う。だけど、

「わっ!!」

 俺の手を意気揚々と掴んで直ぐに、お決まりの如く転んだジェシー。おかげで俺まで道連れだ。

 スーザンがすぐに駆け寄ってくるのが見えた。でもそんな俺の視界を全力で遮ったのは目の前に迫った涙目のジェシーだ。

「ごめんロン!!」

「‥別に」

 ジェシーの手を払って立ち上がった。スーザンにも怪我がないことを伝えて、もう一度ジェシーに目をやる。そして俺は目を見開いた。

「え」

「ジェシー様、失礼ですがお許しくださいませ」

 ジェシーの膝からは血が大量に出ていた。薄水色のドレスが一部真っ赤になっている。スーザンに軽々とお姫様抱っこをされたジェシーはまた俺に謝った。たぶん“鈍臭くてごめん”と思っているんだと思う。俺はそんなことどうだっていいから早く手当てしに行けよ、と思う。

 結果、血は大袈裟に出ていただけだった。
だからジェシーは今ドレスを着替えて俺の隣に座って、にこにこ微笑みながらプリンを頬張っている。まるでリスみたいだ。

「あ、ほら、ロン!溢しそうだよ!」

 ここでも姉面をする。そんなジェシーのスプーンに乗るプリンが揺れに揺れていることを俺は敢えて口に出さない。

「ぅあぁっ!!落ちた!」

 ジェシーのピンク色のドレスにプリンが弾けた。
俺はショックを受けているジェシーを横目にプリンを食べ進める。

 そして、ほらみろ、と思う。
鈍臭くて失敗ばっかりのジェシー。俺を“弟”のように見ているんだろうけど、俺はそれが無性に気に食わない。
 だってほら、俺の方がよほどしっかりしてるじゃないか、と。


 結局俺は、自分とは大きく違ったこの4兄妹が苦手なんだと思う。母と叔母さんの関係上、今後も付き合いは深いんだろうけど。
 幼いながら抱いた苦手意識を自身で分析して納得する。こんな子ども、可愛げがないことなんて重々承知してる。でも致し方ない。だって俺は公爵家のひとり息子なんだから。

 それなのに、ジェシーは俺を弟扱いしたがるんだ。


 無意識のうちに唇の端が尖っていた。何故尖っているのか分からないままに、とりあえずそのまま尖らせておく。尖らせておきながら暫く庭を歩いていると、背の高い垣根の奥から見知った声が聞こえてきた。

「‥スーザンさん。私ね、ロンを弟のように可愛がりたいと思っているんです」

 甘ったるいその声に嫌気がさす。
面倒になるから言わないが、やめろ、と声をあげたいくらいだ。

 ジェシーは別に俺の姉じゃない。姉貴面すんな、と言いたいくらいだ。

「ロン様のように天使のような弟がいたらさぞ可愛くて仕方ないでしょうね」

 と、スーザンは言う。
俺はムッと更に唇が尖った。天使のような見た目だったら誰でもいいのかよ、とでも思ったのかもしれない。

「天使じゃなくてもよくて‥悪魔だっていいんです」

 ジェシーの言葉に思わず”は?”と言いそうになった。

「悪魔のような弟はさすがに‥」

「だってロンはすごいんです。だから悪魔だったとしてもいいんです」

「それは何故ですか?」

「だって‥私は失敗ばかりだけど、ロンは何でもできちゃうんです。だからこんな私となんて一緒に遊びたくないかもしれないけど、私とも遊んでくれるんです。だからすごく優しいんです。
それに、ロンと私が手を繋いでいる時に私が転ぶと、転ぶ瞬間にロンの手に力が入るんです。多分ロンなりに、咄嗟に私を引き上げようとしてくれてるのかもしれないと思って‥。知ってると思いますけど、ロン、すごいんです!!!」

 俺は垣根の向こうから聞こえる声に脳内を乗っ取られたようだった。

「ジェシー様はロン様をよく見てらっしゃるのですね」

 今思えば俺は、弟扱いをされることでジェシーに認められていない気分になっていたのかもしれない。それが無性に気に食わなかった理由だと思う。当時の俺にはそんなこと思いもつかなかったけど、今思い返せば多分そうなんだと思う。

 この時の俺は、脳内に何度も何度も木霊するジェシーの声に酔いそうになった。

 ーーえ?俺のこと褒めてる?
『私は失敗ばかりだけど、ロンはなんでもできちゃう』‥って、そう思ってるのに姉面してたの?
 もしかして、一生懸命姉面しようとしてたの?鈍臭いのに??

 ーーーきゅん、と胸から異様な音がした気がした。


 たぶん、この時不覚にも恋に落ちたんだと思う。幼いながらに生意気にもジェシーのいじらしさを感じてしまったのかもしれない。

 まぁ、もちろんこの時の俺は自分の恋心になんか気付いてないんだけど。



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