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第22話 ロン、叱られる

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 ジェシーの紅潮した頬に手を置く。潤んだ果実のような唇を伏せ目がちに見つめながら、ゆっくりと顔を離した。

 ーーーキ、キスしてしまった‥‥‥。

 ドン、ドン、ドン、と心臓が痛い。耳も熱くて、現実味がない。

 でもなんだか、柔らかくてふわふわしていた俺たちの関係が急にギュウっと濃縮されたような不思議な感覚がある。

 ジェシーもこういうことに興味があったんだな、と思っているうちに段々と冷静になってきた。叔父さんとの約束が少しずつ脳裏に過りだす。

 別に“真面目で良い子”でいたいから約束を守りたかったわけじゃない。怒られることが嫌なわけでもない。

 ただ、大切に大切に育てられた愛娘であるジェシーを、同じように大切にしていきたいからこそ、叔父さんとの約束を守ろうとしていた‥‥‥のだけど。


「ロン‥‥後悔してる?」

 耳を赤くしたまま項垂れる俺に、ジェシーが心配そうに声を落とした。ジェシーの柔らかな髪が、すぐ目の前で揺れている。

「してない」

 自然とすぐに出てきた言葉。これは紛れもなく本心だ。

 ずっと好きだった女の子とキスをして後悔するやつなんていない。だってほら、もう、隙あればしたくなる。思春期のせいなのかなんなのか分からないけど、視線が簡単にジェシーの唇を捉えてしまう。

 でも‥

「後悔なんてするはずない。‥‥けど、叔父さんには言う」

「‥‥‥えっ」

 ジェシーは丸い瞳を更に丸くさせた。いちいち可愛くて本当に困ってしまう。

「‥言わないといけない気がする」

「で、でも‥お父様に言ったら面倒なことになるかも‥」

 まぁ確かに、それはそう。下手すりゃ暫くジェシーに会わせてもらえないかもしれない‥。結婚するまで会えないとかだったらどうしよう。


 ちょうど馬車はジェシーの屋敷に着く頃だった。屋敷の前にうちの馬車がある。母がお茶をしにきているのかもしれない。

 ーー執務室に叔父さんはいるだろうか。

 そんなことを考えながら、ジェシーの屋敷に足を踏み入れる。ジェシーはというと、少し戸惑い気味に俺の後ろを歩いていた。


 今思えば俺はこの時、男同士の約束だとかジェシーを大切に思っているからこそ、とか‥

 そんなことばかり考えていて、ジェシーの気持ちを考えられていなかったんだ。



 ギュ、と袖が引かれる。


 振り返るとジェシーは目を伏せたまま、何かを言い淀んでいた。

「‥‥ジェシー?」

「ーーロ、ロン‥やっぱりやめよう‥?言わなきゃ分からないことだし‥そもそも、キスしたいって言ったのは私だからロンは何も悪くないよ‥」

「‥‥‥でも」
 

 なんと伝えればジェシーに納得してもらえるんだろう。そんなことを考えていた時だった。

 ーーーーパチン、と聞き慣れた音が響く。これは勢いよく扇子が閉じる音。

「は、母上‥‥」


 ちょうど廊下の曲がり角。俺たちの今の会話は偶然通りかかった母と叔母さんに聞かれていたらしい。

「あらロン君いらっしゃい」

 にこにこと笑う叔母さんとは違い、母は少し怖い顔をしている。どうやら今の会話で俺たちの事情を瞬時に理解した様子だ。

 ‥手を出してしまったことに心底呆れているんだろう。無理もない、俺だって未来が分かっていたくせに回避できなかった自分の理性の無さに呆れている。まぁあの神具で見た未来が回避できる物なのかは分からないけどさ。

「ロン‥あなたまさか、マティアス様に許しを乞いに行こうとでも?」

 いつもよりも冷たく棘のある母の声。こうして叱られるのは何年振りのことだろうか。

「‥‥はい」

「筋を通したいと言うことかしら?」

 成長に伴い、いつのまにか父と母にも敬語を使うようになった。ピリピリとした空気の中で小さく頷く。

「その通りです。ーー今から直接お伺いするつもりでした」

 母は俺の顔とジェシーの顔を見比べた後に、はぁ、と大きな溜息を吐いた。

「あなた自分のエゴでジェシーに恥をかかせるつもり?」

「‥‥‥え?‥恥?」

「あなたは我慢できずキスしたとでも報告するのでしょうけど、ジェシーがあなたのフォローもせずに黙っている子だと思っているの?ジェシーはマティアス様に正直に「自分がお願いした」とでも言うんじゃないかしら。思春期の娘が、娘LOVEなマティアス様に直接“自ら迫った”と報告することがどれだけ恥ずかしいことか、検討もつかないとは言わせないわよ」

 捲し立てるような母の早口。そう、母は怒るとこうして口数が増える。でも大抵、毎回ハッと気付かされることばかり。


 ーーー確かに、ジェシーは俺を庇うかもしれない。庇わないでと言っても庇うような子だ。どうしてそこに思い至らなかったんだろう。

「それにねぇ、あなたたちは婚約してるのだし、気持ちが互いを向いているからキスに至ったわけでしょう?それの何が悪いのよ。素晴らしいことじゃないの。‥子どもは親に隠し事のひとつやふたつするものよ。一から十まで親の言う通りにする必要なんてないわ。マティアス様が真に望むのは“ジェシーの幸せ”よ。そのジェシーが望んだのなら何も問題ないでしょう?マティアス様が許さなくても、私とジュリアが許すわ」

「そうよ~ロンくん。2人が仲良く幸せにしているなら、私たちは安心なの」

 長い母の話のあとに、叔母さんは相変わらず緩い口調でそう言った。

「‥‥‥ロン、あのね、お父様‥私にはその約束について何も言ってこなかったの。たぶん、私が嫌だって言ったらお父様はそんな約束すぐに無かったことにすると思うの。でも、たぶん隠れてシクシク泣いちゃうと思うんだ。
今回キスしたっていうのも、ロンとお父様の2人きりなら怒るかもしれないけど‥、私がいたら多分怒らないし許すと思うの。でも、たぶん隠れて泣いちゃうの‥。だから、秘密にしたいなぁ‥」

 ジェシーはそう言って困ったように笑った。

「‥‥‥うん。分かった。ごめん、俺‥ジェシーの気持ちまで考えられてなくて‥」

「ううん、いいの。ロンがお父様との約束を真剣に考えてくれてるのは嬉しかったよ」

 自分では気づかなかったけど、俺の頭は結構ガチガチだったのかな。
 ーーキスしたり、手を繋いだり。していいのかな、これからも‥。

「‥‥‥あ、」

 俺とジェシーのやりとりをにこやかに見ていた母が、俺たちの背後を見て小さく呟く。

 なんだ?と思って振り返ると‥‥‥目をうるうるさせた叔父さんが立っていた。

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