19 / 25
十九話
しおりを挟む
「ただいま……って、緒方ぁ、お客さんか?」
新堂が帰ってきた。
玄関の見慣れぬ靴を見て、疑問を口にしながら部屋に上がってくる。
鉢合わせした客人の顔を見て、新堂はむっと唇を引き結んだ。
「お帰り、新堂。ごめん、ちょっと仕事の打ち合わせなんだ」
「新堂です。どうも、緒方がお世話になってます」
「あ、日野といいます。こちらこそいつもお世話になってます」
丁重な言葉とは裏腹に、目つきが剣呑そうだった。
男を連れ込んだという誤解は解けたはずなのに、まだ根に持っているみたいで冷や汗が出る。
特に二人を紹介する必要もないかと思っていたら、新堂が丁寧過ぎるくらいにきっちり挨拶をした。
慌てて日野さんも頭を下げる。
それに、緒方がお世話になってます、なんて、身内がする挨拶みたい。
日野さんに対し、新堂がマウントを取ろうとしているように聞こえて、俺は一人で焦った。
「仕事なんですよね。俺ちょっと外で時間潰してきましょうか」
「お邪魔して申し訳ない。後10分くらいで終わるんで、ここに居てくださって結構ですよ」
新堂は、携帯のイヤホンを耳に付ける。
仕事の話が耳に入らないようにという配慮だろう。
そして、帰り道にあるスーパーのレジバッグから食材を取り出し、備え付けの小さい冷蔵庫に入れた。
腰をかがめて棚の奥から缶コーヒーを二本取り出す。
パソコンの大型画面を覗き込む日野さんと俺の手元に、どうぞとそれを置いてくれた。
「ありがとう。いただきます。あ、僕、この銘柄好きなんだよね」
日野さんが親しげに新堂に声を掛けたので、新堂は足を止めて片方のイヤホンを外した。
どうやら本当に音楽が鳴っていて、こっちの音が聞こえていなかったらしい。
「このコーヒーの、特にこのブラックが好物でね。ありがとう」
「ああ、それは良かった」
少しだけ愛想良く笑って見せ、新堂はイヤホンを耳に戻すと、ベッドに腰掛け携帯を操作し始めた。
その様子を目の端で追い、日野さんはにっと笑ってこう続ける。
「なーんだ、緒方君。ちゃんとカレシと仲良くやってるんだね」
「カレシって……、大学時代の友達ですよ。今日はたまたま……」
「いいって、ごまかさなくても。君、こっち側の人でしょ?」
そんな素振りを見せたつもりはなかったし、ずばり他人に言い当てられたのも初めてだった。
それに、こっち側ということは、日野さんもゲイだというのだろうか。
何と答えていいものか、うろたえて日野さんの顔をマジマジと見た。
「あのオトコマエ、しばらく前に僕が夜にここに来たとき、入れ違いに来た人だよね。
玄関を出たら、階段を上がってきた彼と目が合って、怖い顔して僕のこと睨んでたからピンときた」
「え……?」
「睨まれたもんだから、僕、つい煽るようなこと言っちゃった。
君が欲しい、狙った獲物は必ず落とす、なーんてね」
「は?」
新堂がその言葉に過剰反応して、理不尽に責めてきたことを思い出す。
わざとだったのかと、あっけに取られて言葉を失う。
「緒方くんが食欲が落ちるほど悩んでたのは、彼のせいなんだろ?
良かったよ。元気になって」
おかげさまで、なんて暢気に肯定できるはずもなく、日野さんの視線を避けて俯いた。
「もし、カレシと上手くいってないのなら僕が立候補できないかなと、
密かに狙ってたけど、この様子じゃ無理そうだね。残念」
「……?!」
思いもよらない話の流れに、俺は素っ頓狂な声を上げそうになった。
日野さんは悪戯が成功したかのように、嬉しそうに笑っている。
「付け込めそうな気がしたけどなぁ。
気に障ったらごめんね。でも、あんまり幸せそうに見えなくて。
若いのに、何を考えてるのかなってさ」
「はは……、そう……ですか」
新堂といて不幸だったわけじゃない。
むしろ俺がもっと割り切っていたら、十分大事にされていたと思う。
でも、新堂が好きすぎて、常に燻る別れの予感に苦しめられた。
「僕なら、緒方くんにそんな顔させないよって口説くつもりだったのに、ほんと残念」
「スミマセン……俺……」
「あー、いいのいいの。良かったねって話だよ」
冗談っぽいその口調に、ずっと年上の日野さんの包容力を感じる。
仕事の上でも本当に頼りになる人で、迷ったときには、必ずはっきり最適な答えをくれた。
「もしまた何か悩んだら、一人で思いつめないで。僕に相談してよ」
「ありがとうございます」
「それから、正社員の件だけど、下心があって勧めてたわけじゃない。
それはそれで、ちゃんと前向きに考えて」
正社員になることは、本気で考えねばならないと思っていた。
新堂は今、とても厳しい状況に立たされている。
今日も、弁護士事務所に打ち合わせに行っていた。
大丈夫だと新堂は言う。信じていないわけじゃない。
でも、側にいる俺が、いつまでも新堂に依存しているわけにはいかない。
何かの時に、何かの役に立てるように、多少は甲斐性のある男になりたかった。
「正社員のこと、考えてます。でもまだ、日野さんの会社にお世話になるかどうかは決められなくて」
「そっか。それはいいね。うちの会社がベストかどうかは分からない。
ちゃんと人材バンクに登録して探してごらんよ」
「はい、遠慮なくそうさせてもらいます」
「結果的に別の会社に決まっても、僕と緒方くんの縁が切れるわけじゃない。
この業界って意外に狭いしね。
仕事でもプライベートでも、いつでも相談にのるよ」
「はい」
うんうんと、日野さんは屈託なく笑ってくれた。
新堂を見ると、スマホに何か打ち込んでいる。
いつまでも、日陰者だとおどおどしているようじゃダメだ。
日の当たる場所で新堂の横に立ち、胸を張っていられる自分でいたい。
日野さんと内緒の話を切り上げて、仕事の続きを終わらせた。
新堂が帰ってきた。
玄関の見慣れぬ靴を見て、疑問を口にしながら部屋に上がってくる。
鉢合わせした客人の顔を見て、新堂はむっと唇を引き結んだ。
「お帰り、新堂。ごめん、ちょっと仕事の打ち合わせなんだ」
「新堂です。どうも、緒方がお世話になってます」
「あ、日野といいます。こちらこそいつもお世話になってます」
丁重な言葉とは裏腹に、目つきが剣呑そうだった。
男を連れ込んだという誤解は解けたはずなのに、まだ根に持っているみたいで冷や汗が出る。
特に二人を紹介する必要もないかと思っていたら、新堂が丁寧過ぎるくらいにきっちり挨拶をした。
慌てて日野さんも頭を下げる。
それに、緒方がお世話になってます、なんて、身内がする挨拶みたい。
日野さんに対し、新堂がマウントを取ろうとしているように聞こえて、俺は一人で焦った。
「仕事なんですよね。俺ちょっと外で時間潰してきましょうか」
「お邪魔して申し訳ない。後10分くらいで終わるんで、ここに居てくださって結構ですよ」
新堂は、携帯のイヤホンを耳に付ける。
仕事の話が耳に入らないようにという配慮だろう。
そして、帰り道にあるスーパーのレジバッグから食材を取り出し、備え付けの小さい冷蔵庫に入れた。
腰をかがめて棚の奥から缶コーヒーを二本取り出す。
パソコンの大型画面を覗き込む日野さんと俺の手元に、どうぞとそれを置いてくれた。
「ありがとう。いただきます。あ、僕、この銘柄好きなんだよね」
日野さんが親しげに新堂に声を掛けたので、新堂は足を止めて片方のイヤホンを外した。
どうやら本当に音楽が鳴っていて、こっちの音が聞こえていなかったらしい。
「このコーヒーの、特にこのブラックが好物でね。ありがとう」
「ああ、それは良かった」
少しだけ愛想良く笑って見せ、新堂はイヤホンを耳に戻すと、ベッドに腰掛け携帯を操作し始めた。
その様子を目の端で追い、日野さんはにっと笑ってこう続ける。
「なーんだ、緒方君。ちゃんとカレシと仲良くやってるんだね」
「カレシって……、大学時代の友達ですよ。今日はたまたま……」
「いいって、ごまかさなくても。君、こっち側の人でしょ?」
そんな素振りを見せたつもりはなかったし、ずばり他人に言い当てられたのも初めてだった。
それに、こっち側ということは、日野さんもゲイだというのだろうか。
何と答えていいものか、うろたえて日野さんの顔をマジマジと見た。
「あのオトコマエ、しばらく前に僕が夜にここに来たとき、入れ違いに来た人だよね。
玄関を出たら、階段を上がってきた彼と目が合って、怖い顔して僕のこと睨んでたからピンときた」
「え……?」
「睨まれたもんだから、僕、つい煽るようなこと言っちゃった。
君が欲しい、狙った獲物は必ず落とす、なーんてね」
「は?」
新堂がその言葉に過剰反応して、理不尽に責めてきたことを思い出す。
わざとだったのかと、あっけに取られて言葉を失う。
「緒方くんが食欲が落ちるほど悩んでたのは、彼のせいなんだろ?
良かったよ。元気になって」
おかげさまで、なんて暢気に肯定できるはずもなく、日野さんの視線を避けて俯いた。
「もし、カレシと上手くいってないのなら僕が立候補できないかなと、
密かに狙ってたけど、この様子じゃ無理そうだね。残念」
「……?!」
思いもよらない話の流れに、俺は素っ頓狂な声を上げそうになった。
日野さんは悪戯が成功したかのように、嬉しそうに笑っている。
「付け込めそうな気がしたけどなぁ。
気に障ったらごめんね。でも、あんまり幸せそうに見えなくて。
若いのに、何を考えてるのかなってさ」
「はは……、そう……ですか」
新堂といて不幸だったわけじゃない。
むしろ俺がもっと割り切っていたら、十分大事にされていたと思う。
でも、新堂が好きすぎて、常に燻る別れの予感に苦しめられた。
「僕なら、緒方くんにそんな顔させないよって口説くつもりだったのに、ほんと残念」
「スミマセン……俺……」
「あー、いいのいいの。良かったねって話だよ」
冗談っぽいその口調に、ずっと年上の日野さんの包容力を感じる。
仕事の上でも本当に頼りになる人で、迷ったときには、必ずはっきり最適な答えをくれた。
「もしまた何か悩んだら、一人で思いつめないで。僕に相談してよ」
「ありがとうございます」
「それから、正社員の件だけど、下心があって勧めてたわけじゃない。
それはそれで、ちゃんと前向きに考えて」
正社員になることは、本気で考えねばならないと思っていた。
新堂は今、とても厳しい状況に立たされている。
今日も、弁護士事務所に打ち合わせに行っていた。
大丈夫だと新堂は言う。信じていないわけじゃない。
でも、側にいる俺が、いつまでも新堂に依存しているわけにはいかない。
何かの時に、何かの役に立てるように、多少は甲斐性のある男になりたかった。
「正社員のこと、考えてます。でもまだ、日野さんの会社にお世話になるかどうかは決められなくて」
「そっか。それはいいね。うちの会社がベストかどうかは分からない。
ちゃんと人材バンクに登録して探してごらんよ」
「はい、遠慮なくそうさせてもらいます」
「結果的に別の会社に決まっても、僕と緒方くんの縁が切れるわけじゃない。
この業界って意外に狭いしね。
仕事でもプライベートでも、いつでも相談にのるよ」
「はい」
うんうんと、日野さんは屈託なく笑ってくれた。
新堂を見ると、スマホに何か打ち込んでいる。
いつまでも、日陰者だとおどおどしているようじゃダメだ。
日の当たる場所で新堂の横に立ち、胸を張っていられる自分でいたい。
日野さんと内緒の話を切り上げて、仕事の続きを終わらせた。
26
あなたにおすすめの小説
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
《完結》僕が天使になるまで
MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。
それは翔太の未来を守るため――。
料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。
遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。
涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。
平凡な僕が優しい彼氏と別れる方法
あと
BL
「よし!別れよう!」
元遊び人の現爽やか風受けには激重執着男×ちょっとネガティブな鈍感天然アホの子
昔チャラかった癖に手を出してくれない攻めに憤った受けが、もしかしたら他に好きな人がいる!?と思い込み、別れようとする……?みたいな話です。
攻めの女性関係匂わせや攻めフェラがあり、苦手な人はブラウザバックで。
……これはメンヘラなのではないか?という説もあります。
pixivでも投稿しています。
攻め:九條隼人
受け:田辺光希
友人:石川優希
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグ整理します。ご了承ください。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
幸せな復讐
志生帆 海
BL
お前の結婚式前夜……僕たちは最後の儀式のように身体を重ねた。
明日から別々の人生を歩むことを受け入れたのは、僕の方だった。
だから最後に一生忘れない程、激しく深く抱き合ったことを後悔していない。
でも僕はこれからどうやって生きて行けばいい。
君に捨てられた僕の恋の行方は……
それぞれの新生活を意識して書きました。
よろしくお願いします。
fujossyさんの新生活コンテスト応募作品の転載です。
彼の理想に
いちみやりょう
BL
あの人が見つめる先はいつも、優しそうに、幸せそうに笑う人だった。
人は違ってもそれだけは変わらなかった。
だから俺は、幸せそうに笑う努力をした。
優しくする努力をした。
本当はそんな人間なんかじゃないのに。
俺はあの人の恋人になりたい。
だけど、そんなことノンケのあの人に頼めないから。
心は冗談の中に隠して、少しでもあの人に近づけるようにって笑った。ずっとずっと。そうしてきた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる