はじまらない物語 ~僕とあの子と完全犯罪~

玄武聡一郎

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解答篇 僕はアイを知る

第四話 (2) 『ヒロイン喪失事件』

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 翌日。
 僕の挟んだ手紙とは違う、可愛らしい便せんに、返事が入っていた。
 昨日の僕の質問はこうだ。

『なんだか投げやりになっているように感じる相手がいます。ですが、どうしてそう感じたのか、僕には分かりません。そこで質問なのですが、人はどんな時投げやりになるんでしょうか?』

 こんな大雑把な質問にも、江口さんは律儀に、とても丁寧に答えてくれていた。


「投げやりな気持ちになる時、ですか。まず、意味の話から入りましょうか。
 投げやりとは、『物事をいい加減に行う事』もしくは『成り行き任せにすること』を指します。
 日向さんが『投げやりだ』と感じたのは、どちらの方でしょうか。
 その方は、何かをいい加減に行っていましたか? それとも、諦観しているように見えましたか? それが分かるだけでも、大分変ってくるのではないかと思います。
 例えば、いい加減に物事を執り行う場合は、拗ねていたり、いじけていたりすることが多いでしょう。その原因は多岐にわたるでしょうが、なんにせよ、自分の思い通りに行かないからやる気をなくした、と考えるのが妥当だと思います。
 一方で成り行きに任せる場合はそうではなく、あきらめてしまった場合が多いでしょう。
 もう自分が何をしても結末は変わらないのだから、ただあるがままに全てを受け止めようとする。それもまた『投げやり』な態度の一つでしょう。
 種類は違えど、二つとも現状に不満がある為に現れる感情である事は間違いありません。
 どうかその方が、そして日向さんが。良い結末を迎えられますようお祈りしております。このような拙い意見ではありますが、少しでもお役に立てれば幸いです」


 流石江口さん、素晴らしい意見だ。色々な人の相談に乗ってきたからだろうか、言葉の重みや年季が違うように感じた。
 そうか、投げやりには二種類あるのか、と僕は頷く。
 ならば、彼女は。
 夢莉さんの偽物は、一体どちらだったのだろう。僕は彼女のどの部分に、それを感じたのだろう。
 現状に対する不満を偽物が抱えているのであれば、それは大きな情報だ。
 どうにかして突き止めたい。

 そんな事を考えながら図書館から出ると、ふわっと雨の香りがした。

 この雨の独特の匂いの元は、確かペトリコールとジオスミン、だったかな。
 地面にしみ込んだ特定の植物の成分が雨に流されて匂いを発するペトリコール。
 雨に打たれたことで活性化した、土中の微生物が発するジオスミン。
 真偽のほどは定かではないけれど、僕はこの匂いが嫌いじゃなかった。

 五月雨、俄雨、篠突く雨、驟雨、天泣、酒涙雨。
 降り方や季節によって呼び名が幾通りもある雨という存在を、僕は美しいと思っていた。


『だから雨の日は嫌いなの』


 いつだったかそう言って笑っていた夢莉さんの顔が脳裏をよぎった。
 そう言えば、僕は雨が好きなんだと伝えることはついぞできなかったなと、少し物悲しい気持ちになった。
 大した雨ではないし、教室まで走って帰ろう。手紙を受け取るついでに借りた本はしっかりボストンバックの中に入れたし、問題ないだろう。

 そう思って走り出そうとした時だった。

 彼女の姿が目に入った。
 夢莉さんのフリをした、偽物。
 彼女は教室の窓から外をぼんやりと見上げ、微動だにしなかった。

 あぁ、この子も雨が好きなんだ、と。僕は直感した。
 僕と同じで雨が好きで。
 夢莉さんとは違って雨が好きで。
 だからやっぱり彼女は、夢莉さんではないのだ。
 何度目になるか分からない確認をした僕は、教室へと足を踏み出した。
 生暖かい雨粒が、頬を濡らした。


◇◇◇ 


 スライド式の扉を開き、教室に入ろうとすると、がんっ、と肩にかけたボストンバッグが扉に当たった。その音に気付いた夢莉さんがこちらを向き、ぱたぱたと走り寄ってきた。

「すごい荷物だねー、図書館で借りてきたの?」
「……。うん、折角の夏季休暇だし、気になってた本全部読んじゃおうと思って」
「あはは、流石奏汰君! うーむ、同じ文芸部員として、私も負けていられませんなー」

 真夏の雲一つない青空みたいな笑顔を浮かべて、彼女はそう言った。

 夢莉さんの真似をして。
 夢莉さんのフリをして。
 夢莉さんであるかのように。

 そう言った。

「で、そんな読書する気満々な奏汰君に頼むのは忍びないんだけど……ちょっとお手伝いしてくれない?」
「何を?」

 君は一体誰なんだ?
 そんな風に誰かの真似をして過ごすことに、一体どんな意味があるっていうんだ?
 君という「個」を押し殺してまで、それは成さねばならないことなのか? 
 あらゆる疑問が生き物のようにがさがさと蠢いて、僕の脳内を這いずり回る。

「スクフェスの準備だよ! あ、文芸部の活動の方じゃなくて、クラス展示の方なんだけど、そろそろ模造紙に書く説明文を決めたいなーって思って」
「あー、なるほどね」

 クラス展示は、模型や壁紙だけでは成り立たない。
 選択したテーマについて、自分たちが調べたことを大きな模造紙に書き、貼り付ける必要がある。
 学習の成果が最も出る部分である反面、文章を考え、それをマジックで丁寧に模造紙の上に書くだけだから、模型や壁紙の作成と比べれば地味で面白くない。
 折角のお祭りなのだから、当然みんな派手で達成感のある方をやりたがるわけで。模造紙を率先してやるような人はいない。

 それを見越して、夢莉さんは模造紙の方に着手しようとしているのだろう。それを何の愚痴も言わず、さらりとやろうとするのだから、本当に夢莉さんらしいというかなんというか……。

「……」

 何言ってるんだ、僕は。
 この人は夢莉さんじゃない。
 夢莉さんがやりそうな事を、なぞっているだけじゃないか。

「……? どうしたの、奏汰君?」
「ううん。なんでもない、じゃぁ一緒に文章考えようか」

 きょとんとした顔でこちらを見る夢莉さんを促して、僕は自分の席に向かう。
 夢莉さんは自分の椅子を持ってきて、僕と相対する形で座った。
 彼女の顔が、嫌でも視界に入ってくる。長いまつ毛、二重でぱっちりとした目、桃色の形の良い唇。すっと通った鼻筋に乗った赤縁のメガネがよく似合っている。とても整った顔立ちだ。

 そんな彼女の顔を見ていると、写真の中の夢莉さんとの乖離をまざまざと見せつけられているようで、僕の信じている現実ががらがらと崩れ去ってしまう様な、そんな言いようのない不安に駆られる。
 彼女を構成していると思っていたパーツの一つ一つが、実は入れ替わっていたと気づいてしまったのであれば。
 ならば、僕がさっき思ったような。
 彼女らしさとは、夢莉さん「」とは、なんなのだろう。

「か、奏汰君……」
「なに?」
「あ、あんまり見ないで……恥ずかしいから……」
「あぁ……ごめんね」

 夢莉さんは少し顔を赤くして、視線を伏せた。
 恥ずかしいから。
 恥ずかしいから、か。

 それはただの建前で、本当は顔をまじまじと見られると気づかれるかもしれないから、だからそう言う風に言っているだけなんじゃないのか?

「え、えっと、それで模造紙に書く内容だけど、まずは地球誕生から海の誕生までを説明する必要があると思うんだ」

 模造紙の内容を説明する夢莉さんをぼんやりと眺めながら、僕はこの人はどんな気持ちで生活しているのだろうかと考えていた。
 自分じゃない人と入れ替わって、その人になりきってばれない様に生活をする。
 もしかしたら夢莉さんとこの人は、全然性格が違ったかもしれない。

 喋り方、考え方、所作、その他諸々、まるっきり対極にいる人間だったかもしれない。

 夢莉さんらしからぬ行動をすれば、不審に思われる。
 そうでなくても、今回の僕の一件の様に、思わぬところからばれてしまう可能性だってある。
 そんな中、少しのミスも許されない、ミスをしていなくても失敗するかもしれないような状況で、どうして笑う事が出来るのだろう。不安には、ならないのだろうか。

「だからね、ここの部分は『雨』がキーワードになると思うんだ。壁紙も雨が降っているシーンを描いてもらう事になってるし」
「雨……」
「そう、雨。四十六億年前に地球ができたばかりの頃は、表面をマグマが覆っていたんだよ。だけど一億年ほど経って、ゆっくりと冷え始めると、空気中の水蒸気が雨となって降り注いだ。沢山、沢山振り続けた雨は、やがて海となって、生命が生まれる源になったって訳。ふふ、壮大過ぎて、ちょっとピンとこないよね」
「雨が、好きなんだね」

 僕の言葉に、彼女はすぐには返答しなかった。
 少し間をおいて、言った。

「えー、雨は好きじゃないよー? 言わなかったっけ?」
「そういえば、偏頭痛持ちだから雨の日は嫌いって言ってたね」
「そうそう、確か礼拝堂の前で言ったよねー」

 そんな細かい所までしっかりと把握しているのか。
 彼女と夢莉さんの関係性にますます疑問が生じる。
 礼拝堂の前で喋ったことなんて、僕と夢莉さんしか知らないはずだ。という事は、彼女はこの情報を夢莉さん自身から聞いたという事になるのではないだろうか。

「……」

 何かが引っ掛かった。
 頭の片隅で、糸くずのようにか細い違和感が。
 そういえば……そう言えばあの時、確か偏頭痛の話以外にも何かしたような……。

「奏汰君?」

 なんの話だったっけ……?
 そもそも、偏頭痛の話の前は、どんな話題で喋ってたんだっけ……?
 あれは確か礼拝堂の前で佐久間さんを待っている時で、礼拝堂の前特有の何かについて話していたような……。 

「かーなーたーくん?」
「……っと、ご、ごめん、ぼーっとしてた」
「大丈夫? 今日なんか変だよ? 熱とかあるんじゃない?」

 そう言うと夢莉さんはぐっと体を乗り出して、僕の額に手を添えた。ひんやりとした柔らかい手の感触と、ふわりとした甘い香り。

「んー? ちょっと熱いかなぁ……でもそんなに高くはなさそうだし……」

 そして、豊満な胸元が視界に入った。
 身を乗り出したことで胸元は強調され、いつもよりも更に迫力を増していた。
 本当に大きいなぁと、僕はしみじみ思った。

「…………あれ?」

 再び覚える違和感。
 その出所は、今回は少し考えればあっさりと見つかった。

  
 そして僕は。
 気付いた。
 理解した。
 
 何故この事件が起こったのか。
 どうして誰も気づかなかったのか。
 その全てに対する解を、僕は掴んでしまった。

 僕は無言でポケットの中に手を突っ込み、スマートフォンを取り出した。
 電源を入れ、写真のフォルダをタップし、撮った写真の一覧を出す。
 そして目当ての写真までスクロールし、僕はその写真をじっと見つめた。
 その様子を、夢莉さんはただ黙って見ていた。
 スマホを持っていることを咎めることもせず、何をしているのか疑問を投げかけることもせず、ただ静かにそこに居た。
 数分の後、僕は彼女に声をかけた。

「少し、場所を移そうか」

 夢莉さんは。
 夢莉さんの偽物は。

「そうだね」

 とだけ呟いた。
 
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