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86日前【2】

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 四季宮さんの部屋は、広かった。
 僕の部屋の二倍くらいあるんじゃないだろうか。
 ベッドに勉強机、タンスに本棚、ソファーやクッション。それらが全部収まっても、まだスペースにかなりの余裕がある。

「てきとーに座って?」

 と言われたので、床の端っこに座ろうとしたら怒られた。
 僕のにおいとか付いたら悪いし、あんまりクッションとかソファーとかには、座りたくないんだけど……。

「さて。どうして今日、急に真崎君をお家に呼んだかと言いますと」

 ようやく本題か、と。僕はカーペットの上で姿勢を正す。
 自遊病の話か、幻視についてか、あるいはその両方か。

 長い話になるかもしれない。
 そう、心構えをしていると、

「ファッションショーをしたいと思って」
「…………ふぁっしょん?」
「ショー」

 大真面目な顔で頷きながら四季宮さんが受ける。
 いや、そういうことじゃなくて。

「な、なにゆえ……?」

 びっくりしすぎていにしえの武士みたいな口調になってしまった。

「先日お話した通りにござる」

 乗らなくていいです。

「は、話って?」
「え? 一緒に遊んでくれるって約束だったでしょ?」

 それはそうなんだけど。
 四季宮さんは続ける。

「私さ、いっつもカーディガン着てるでしょ? もう真崎君は気づいてると思うけど、これ、傷を隠すためなんだ」

 僕は頷く。
 手首の手錠の痕。
 そして恐らく、その他にもついているであろう無数の傷痕。
 それを隠すために、四季宮さんは年がら年中、長いカーディガンを身に着けて、下にはタイツやストッキングをはいていたのだ。

「私服も同じでね。大体長袖長ズボン。ロングスカートとかパーカーとか、そんなのばっかり着てるんだ」

 確かに今日の彼女も、小さな花柄があしらわれたロングスカート。
 上は白シャツに、グレーのカーディガンだった。

「でもね、私も女の子なの! 可愛いお洋服をたっくさん着たいの!」

 どんっ、と洒落た丸テーブルに両手を置いて身を乗り出す四季宮さん。
 その気迫におされて、僕はおずおずと頷いた。

「な、なるほど……」
「で、どうせ着るなら、見てもらいたいじゃない? 褒めてもらいたいじゃない?」
「それは……たしかに」
「でしょ! そこで真崎君の登場なわけです!」

 段々と話が見えてきた。
 要するに彼女は、色々な服を着て、他の人の感想を聞きたかったのだ。

 四季宮さんが着替えるために家に招かれて、感想役に自遊病について知っている僕が抜擢された。
 うん、なるほど。理にかなっている。

「どうかな? だめ……かな?」
「いえ。そんなことでいいなら、付き合います」

 彼女が着替えて、僕は見る。そんなに大変なことじゃない。
 正直、一緒にプールに行くよりも余程ハードルの低いお願いだった。

「ほんと!? やったー! ありがと、真崎君! それじゃあ、ちょっと着替えてくるから、待っててね!」

 あ、それと。と四季宮さんは軽い調子で続ける。
 努めて、軽い調子で。

「傷痕……結構ひどい、から。見るの嫌になったら、言ってね?」
「……え、と」
「そ、それじゃあ、四季宮茜、お着換えタイム入りまーす! 覗いちゃダメだからねっ!」

 僕が何か言う前に、部屋の一角にある扉を開けて、四季宮さんは消えていった。
 どうやらあそこはウォークインクローゼットになっているようだった。
 つくづく豪勢な部屋だ。

「……傷痕、か」

 確か彼女は、高校に入学してから自遊病を発症したと言っていた。
 つまり彼女は二年近く、他人の目に触れさせないように傷を隠してきたのだ。

 それを晒すというのは、すごく勇気のいることだと思う。
 たとえ相手が、僕みたいな冴えないクラスメイトだったとしてもだ。

 だけど、人並みの、普通の女子高生らしい経験をしたいという気持ちが、彼女の中には当然あって。
 それを達成するためには、僕に傷痕を見せる必要があって。

 このファッションショーは、そんな彼女の、一つの建前なのではないだろうか。
 僕に傷痕を見せるために、自分を勇気づけて、動機づけているのではないだろうか。

「……応援してあげたいな」

 心からそう思った。
 それからしばらくすると、クローゼットの扉がゆっくりと開いて、四季宮さんがそろりそろりと現れた。

 手も、足も。
 驚くほどに白く、滑らかだった。

 一年中長袖とストッキングを着用しているからだろう。
 まるで家の外に一歩も出たことがないかのような、透き通るような白さだった。目を見張るほどに、魅力的だった。

 だけど。
 だから。
 だからこそ。

 恐ろしいほどに、傷痕が目立った。
 至る所に、青あざがあった。紫色に変色した皮膚は、美しい白を背景として、毒々しくその存在を主張していた。
 赤い擦過傷の上にできたくすんだ褐色のかさぶたは、美しいビロードの上にかかった赤錆のようだ。

 何かで切りつけたのだろうか。
 あるいは、どこかで転んで痛めたのだろうか。
 毎日毎日、死と隣り合わせに生きている彼女の、自遊病との戦いの痕が、体に刻まれていた。

 想像を超えて衝撃的だった。
 思わず息を飲むくらいには悲愴的だった。

「ど、どう……かな?」

 だけど。
 だから。
 だからこそ。

「四季宮さん……」
「う、うん」

 僕は、

「は……花柄が……」
「う、うん?」
「花柄が大きすぎて目線が下に行きます。し、四季宮さんは手足が長くてスタイルがいいので柄物を着るときはもっとポイントを絞るか上につけた方がいいと思います」
「へ?」

 四季宮さんが着ているのは、花柄のキュロットにリボン付きの白いブラウス。袖口と襟首に紺色の指し色が入っていてポイントが高い。キュロットの色も落ち着いていていい。

 だけど、組み合わせが悪い。
 四季宮さんのプロポーションの良さを活かすなら、もっと違う、いい取り合わせがあるはずだ。

「ど、どうしたんですか? 他の服も見せてくれるんじゃないんですか?」

 柄にもないことをしている。
 心臓はばくばくしているし、手汗も冷や汗も出まくっている。
 だけど、ここで僕が頑張らないと……きっと四季宮さんは、背負ってしまうから、

「き、今日はファッションショー、なんですよね?」

 僕は必死にからからに乾いた口を動かした。
 四季宮さんは、目をぱちくりとさせた後、やがてちょっと下を向いて、

「うん、分かった。ちょっと待っててね」

 そう言って、ウォークインクローゼットの中に戻っていった。
 髪の間から垣間見えた表情は、少し笑っていたように見えた。
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