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2日前【3】

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 少し進んだ先に、テラスに出る場所があったので、僕は空いた手で扉を開いて、外に出た。
 扉が閉まると、パーティー会場から聞こえる喧騒はくぐもった音になって、ほとんど聞こえなくなった。

「真崎君、あの、手……」

 冷たい空気が急速に頭と体を冷やして、僕はあわてて手を離した。

「ご、ごめんなさい……」
「ううん、ちょっとびっくりしちゃっただけだから、気にしないで?」

 四季宮さんは急な僕の行動に、疑問を挟まなかった。
 夜空を見上げて「風、気持ちいいね」と静かに言った。

「あ、あの、すみません。突然こんなところに連れてきて……。さ、寒いですよね」
「大丈夫。ほっぺた火照ってるから、ちょうどいい感じだよ」
「なら、よかったです」
「それに、私も真崎君と二人きりになりたかったから」

 え? と声と視線をあげると、四季宮さんが後ろ手に持っていた紙袋を持ち上げた。
 誰かからもらったものとばかり思っていた、上品な紙袋。
 それが今、僕に差し出されている。

「こ、これは?」
「クリスマスプレゼント。よかったら、もらって欲しいな」
「く、クリスマス!?」
「プレゼント」

 頷きながら、四季宮さんは笑った。僕の反応が面白かったらしい。
 僕は彼女の笑顔に目を奪われそうになりつつも、あわてて口を開いた。

「え、と。その、でも僕なんかが貰うのは悪いと言うかというか、もちろんすごく嬉しいんですけど袋を見る限りすごく高級そうですしそれに……」
「もー、真崎君!」

 もごもごと喋っていた僕にもたれかかるように、四季宮さんはきれいにラッピングされた袋を押し付けた。

「はやくもらってよ! せ、せっかく、選んだんだから……」

 四季宮さんは目をそらしながら呟いた。頬がわずかに上気している。
 これ以上断るのは失礼だと言うことに、さすがの僕も気付いた。

「ありがとう、ございます……」

 僕はお礼を言いつつ、そっと袋を開けた。
 中から出てきたのは、青藍色のマフラーだった。

「ど、どうかな……?」
「う、嬉しいです……すごく」

 試しに巻いてみると、とても暖かく、肌触りも素晴らしかった。
 僕の言葉を聞いて、四季宮さんの表情はぱっと華やいだ。

「よかったぁ! うん、すっごく似合ってるよ! その色、絶対真崎君に合うと思ってたんだ!」
「その……大切に、します」
「ふふ、とーぜん! 擦り切れるまで使ってね?」
「擦り切れるような使い方はしませんよ」
「えへへ、そっかそっか」

 弾むような足取りで、四季宮さんはテラスの端に向かった。
 僕は黙って、その隣に並ぶ。

 心臓がバクバクと鳴る。
 期せずして、流れは完璧だ。
 渡すなら……今しかないだろう。

「あ、あの!」

 情けないことに裏返ってしまった声を必死に咳払いで戻しながら、僕はポケットの中から箱を取り出す。

「一日早いですけど、お誕生日おめでとうございます」
「……え?」

 四季宮さんはぽかんと口を開け、僕と、僕の手の上にある箱を交互に見た。

「これ、私に……?」
「はい」
「開けても、いい……?」
「はい」

 かぽっと、スライド式の箱が開く。
 シンプルな、シルバーのブレスレット。
 御影と織江さんに何度も相談して、ようやく決めたものだった。
 織江さんのお墨付きだし、デザインは問題ないはずだけど……。

 四季宮さんは、箱を開けたまま、動かない。
 やばい、もしかして失敗した……?

「え、えっとその、形に残るものと残らないもの、どっちがいいかなあって悩みはしたんですけど、すぐなくなっちゃうのも味気ない気がして、ブレスレットって、多分四季宮さん持ってないんじゃないだろうかなあと思ったり……思わなかったり、つまり、その……」

 間が持たなくなって。
 僕は正直に、言う。

「手首の傷が消えた後も、僕のことを思い出してもらえたらな、なんて……」

 おそるおそる。
 様子を伺う。
 はっとした。

「四季宮、さん……?」

 音もなく。
 四季宮さんの両目から、涙があふれていた。

「ご、ごめ……」

 四季宮さんは今自分の涙に気付いたように、慌てて両手の甲でそれをぬぐった。後から後からあふれ出る涙は、頬を濡らし続ける。

「ち、ちがうの真崎君、これは違うんだよ……」
「四季宮さん……も、もしかして僕、何か変なこと――」
「違うの! 真崎君は悪くない!」

 桜色の唇が、細やかに震える。

「ご、ごめんね、真崎君……。今日は、ずっと笑ってようと思ってたのに……、明るく振舞ってようと思ったのに……」
「……あ」

 最後、と言った。
 その言葉を、僕は聞き逃さなかった。

「真崎君にマフラー渡して、今までのお礼を言って、今までのお詫びもして、そ、それできっちり、ケジメをつけようと思ってたのに……」

 やがて、その美しい声すらも震え始めて。
 頬の上を流れる透明な涙は、止まる気配すらなくて。

「真崎君……」

 言葉とは裏腹に、透き通るような声音は悲嘆にくれていて。

「君のくれたプレゼント、すっごく嬉しいんだよ……? 心臓がドキドキして止まらないんだよ? ほんとは、とびっきりの笑顔で受け取りたいんだよ?」

 崩れた笑顔が、彼女の心の痛みを表現しているようだった。

「嬉しい……嬉しいんだよっ……。こんなに……こんなに嬉しいのにっ……」

 やがて四季宮さんは、僕の胸に、額を付けた。

「苦しいよ……真崎君っ……!」

 それはもしかしたら。
 僕が彼女に出会ってから初めて聞いた。
 四季宮さんの弱音だったかもしれない。


 そして――僕は知る。
 僕は聞く。
 銀山成明の口から、その言葉を聞く。

「――僕は明日、四季宮茜と結婚する」

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