桜咲く社で

鳳仙花。

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第三章

第二十二話 懴禍の最期



 死ぬ瞬間、何を思うのかと考えた事があった。


 祖父が他界したあの日、薫子は亡骸を見ながらふと思っていた。
(爺さん、何を望んでいたんだろう。やっぱり婆さんに会いたかったのかな)
何年も前に既に他界していた祖母の話を度々語ってくれていた祖父。その嬉しそうな懐かしむような横顔は忘れられない。幼いながらに「なんて儚く寂しいのだろう」と思っていた。
(もし自分が死ぬ時、何を願うんだろう)
柄にもない事を考えてるなと思っていた。きっともっと生きたかったなとか、家族の心配とかそんな所だろうと当時結論付けていたのを思い出す。
 (不思議だ)
全てがゆっくりと見える眼前に、結界を破壊して迫る黒炎が見えた。蛇歌と虎文が焦った表情で目の前に立ちはだかる。そんな中薫子は脳裏に浮かぶただ一人の姿を思い出していた。
 白銀の髪に唐紅の瞳。愛おしそうに名を呼ぶ声と、優しくて大きな手のひら。桜とお香の香り。そして眩しい程に、世界を愛す不器用な人柄。
 (何を思うのかと思えば)
彼の心配と、会いたいという願望のみである。何も伝えられぬまま終わってしまうのだと分かる頃には黒炎は既に目の前まで迫っていた。
 焼けるような暑さが陽炎を生み出し、世界を歪ませる。
全てが終わってしまう、そう思った刹那。黒炎の前に人影が立ちはだかった。
 松葉色の髪が舞い、黒炎に向かって両腕を伸ばして結界を張る。その後ろ姿は風神にそっくりだった。
「………爪雷」
蛇歌の声が暴風に紛れて聞こえた気がした。
 一拍置いて鼓膜を揺るがす爆音が轟き、業火と雷が一面に走る。まるで地獄の最下層にいた時のような熱が肌を焼き、地割れが足場を崩した。
悲鳴すらも出ず、史に庇われながら身を縮めた薫子は彼女の隙間から薄目で爪雷を見る。
 紙一重で邪気と業火を抑えている彼の背。爪雷は咆哮と共に黒炎を薙ぎ払った。その手には小刀のような何かが握られており、邪気を吸い込んだそれは真っ黒な刃へと色を変えていく。
「………」
何も言わず立ち尽くす爪雷。起き上がった蛇歌は目を見開いていた。
「………爪雷」
絞り出したような蛇歌の声が静かに呼びかける。
「応えよ、爪雷」
震える声で名を呼んだ蛇歌。しかし呼び掛けに振り向くことなく、手から小刀が落ちた。カランと音を立てて転がった刀から邪気の煙が立ち登り、ヒビが入った。
 爪雷はその場に膝を着き、うつ伏せに倒れ込む。遠くの方で愉快そうな笑い声が耳を突いたが、蛇歌にとってそれどころではなかった。
 「爪雷、爪雷…!」
燻る地面を何度も転けそうになりながら駆け抜け、爪雷の元へと向かう。地面に膝をついて彼を抱き起こした。上半身の酷い火傷と邪気に冒された肌から黒い煙が上がっている。蛇歌は震える手で水蛇を出して治癒を始めた。
 直ぐ側で倒れ込んだ風牙が地面を這いながら爪雷に手を伸ばしているのが見える。血反吐を吐き、涙と泥で汚れた顔は死ぬ直前のように衰弱していた。兄程傷は深くないが、運命を分けた双神ゆえに命を削られているようだった。
「死ぬな、頼む死ぬな…ッ。死なないでくれ…」
ボロボロと零れ落ちる涙を拭いもせずに治療を続ける蛇歌。その様子を見ていた薫子は、あまりにもむごい現実から目を背けたくなった。
(なにも考えられない)
 真っ白になる頭に嘲笑う懴禍の声が遠い向こうから聞こえた。ふと見ると、遠目からも分かるほど大笑いした懴禍が山頂付近に見える。
(あの男は、一体なに)
悪意の塊にしか見えず、薫子は畏怖や怒りが混じった感情に飲み込まれそうになる。同時に何もできない己に心底怒りを覚えた。
 懴禍はゲラゲラと大きく高笑いしながら手を叩いていた。薫子の表情を見て目を細める。
「何だ、イイ顔すんじゃねェかあの女。想定外だったが…まあ悪くねぇな」
懴禍は嬉しそうに呟いた。
「…感動するぜ爪雷。惚れた女守って死ぬなんてキザじゃねぇの。尊敬に値する」
言葉とは裏腹に嘲笑を含んだ声音が響く。光の無い懴禍の目が冷たく爪雷を見下ろしていた。
「……って言ったら来るよなお前はよォ!」
振り向きざま刀を横薙ぎに振り抜くと、茜鶴覇の鳳凰刀とかち合った。鍔迫り合いになり、互いの炎が燃え上がる。
「貴様を現世に置いておくわけにはいかぬ。未来永劫、この地は踏ませない」
顔を上げた茜鶴覇の瞳は唐紅から黄金へと変わっていた。熱風が上がり、彼の純白の髪が舞い上がる。懴禍は初めて見るその瞳に眉をひそめた。
「なんだァ、その目は」
その問いに答えることなく茜鶴覇は懴禍を薙ぎ払った。直後背後に迫っていた圓月が風で地面へ叩きつける。
「圓月テメェ…!コソコソしやがって」
 着地した懴禍は空に居る圓月に苛立ちを吐き捨てると、すぐ近くに迫る気配に気が付き地面を殴って地割れを起こした。山全体が揺れ、亀裂と波動が懴禍を中心に四方へと伸びていく。
 その合間を縫って亜我津水尊の水の弓矢が懴禍の瞳に掠った。神力出てきたそれはいとも簡単に失明させる。
 「亜我津水尊ォ…」
片目を失った懴禍は黒炎を放った。亜我津水は岩と折れた木々を足場に身を翻して全てかわし続ける。まるで天女が舞うが如き身の熟しに懴禍は舌打ちをしつつ狂気じみた笑みを浮かべる。亜我津水は捌き切りながらも数本の弓矢を放った。
 懴禍は弓矢を目で追い切り焼き払うと上を見上げる。無数の鋭い岩が雨のように降り注いだ。同じく神力を纏ったそれは懴禍の左腕を飛ばす。愉しそうな顔で笑うと懴禍は右腕で岩を砕き、残りを黒炎で爆発させた。
 懴禍は宙に飛び上がる。その先には槍を構える岳詠穿が見えた。岳詠穿は迫り来る懴禍に対し急降下して槍を突き出した。
 懴禍の刀と槍がぶつかり衝撃波が山という山をこだまするように広がる。黒炎の爆煙が立ち上り、死地になった山肌に勢いよく広がっていった。あらゆる場所から黒煙が噴き出しどんどん視界が暗くなっていく。
 しかし、煙を一刀両断した太陽の如き炎が辺りを制圧した。橙色の炎が真っ直ぐに駆け抜け、岩は溶岩となり、山肌を流れていく。
「地獄の底に戻れ、懴禍」
「無駄な会話嫌いじゃなかったか?茜鶴覇」
肌が焼けただれていく炎の中懴禍はまだ笑っていた。
「最後の命のやり取りといこうじゃねぇか」
刀を握りしめた懴禍は茜鶴覇へと走る。近づく度に上がる炎の温度に懴禍の体は燃えていく。
「死んでも戦いを辞めねェぞ俺は」
叫ぶように刀を振り上げた懴禍。茜鶴覇はそれを避けると一文字に刀を振るう。懴禍の腹を切り裂き黒炎と茜鶴覇の炎が交わり燃え盛った。それでも手を伸ばしてきた懴禍は茜鶴覇の胸に触れる。
「……終わらねェぞ、茜鶴覇。精々足掻いてみろ。地獄の底でお前の死に様眺めといてやるよ」
肉が燃え尽き、骨だけになっても笑い続ける懴禍。次第に骨すらも灰となり、刀と共に宙に霧散していく。
「………」
茜鶴覇は更にその灰を炎で焼き尽くし、やっとの事で懴禍の笑い声は消え去った。

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