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第三章
第三十五話 ふたりの決断
・
天照大御神が助言しに来た夜。薫子は茜鶴覇の部屋に訪れていた。無論、昼間の件についてである。
縁側に座り、いつかのように並んで庭を静かに眺めていると鯉がパシャリと水面を打った。水面に映っていた月がゆらゆらと形をうねらせる。
「………」
茜鶴覇は未だに踏み切れないようだった。彼にしては珍しく判断を迷っている。
(それだけ大事に想ってくれてるのだろうか)
不謹慎ではあるが、薫子は少しだけそれが嬉しくもあった。しかしそんな事を言っている場合ではない。
(この羽はあくまで下級霊魂やそれに準ずるモノたちにしか効果がない)
つまりそれ以上、例えば圓月たちのように力を持ったあやかしや、中級神以上の神々へは殆ど意味をなさないと言うことだ。
薫子は懐に仕舞った羽根をそっと押さえる。
(無いよりあった方が良いとは思うけど)
完全に頼り切ることはしない方がいいと十六夜は言う。それには薫子も賛成せざるを得ない。
(この人はたぶん、産んでくれとも産まないでいいとも言えない)
どちらにしても薫子が危険であることに変わりがないからだ。ただもしどちらかを選ばなければならないのなら。薫子は覚悟を決めて口を開いた。
「………茜鶴覇様」
呼びかけると、茜鶴覇は少しだけ振り向いた。
「天照大御神様の提案についてなのですが、良いでしょうか」
そう聞くと少し間を置いて茜鶴覇は「ああ」とだけ答える。薫子は思い切って口にすることにした。
「私は天照大御神様の提案に賛成です。それしか今方法が思いつかないのであれば尚更」
「……見つかっていないだけという可能性もある」
「恐らくそうだとは思います。でも、それを探す間に私だけでなく、皆様を危険に晒すかもしれないと思うと今ここでこの提案に乗りたいです」
(勿論強いのは知ってるし負けるとも思ってないけど)
だが危険に巻き込まれないに越したことはない。それにもし、自分の村や他の人間たちも巻き込んでしまったら。そうなった時、流石の茜鶴覇達も手が回らないだろう。
「自分も助かりたい、他の人を危険に晒したくない。その理由も大いにあります。でもこの選択をしたのはもっと単純な理由です」
薫子は揺らぎが収まり、再び形を元通りにした水月を見て続けた。
「茜鶴覇様との子であれば、私は欲しいからです」
そう言い切ると、茜鶴覇は視線を膝下へと落とす。
「神と人……その子供が生まれた前例は少ない。母体の生命力を吸ってしまい母子共に死ぬ事もあれば、生まれて間もなくあやかしに食われたという事もある。今のところ無事に育ち、生き抜いた子は居ない」
グッと拳を握りしめる茜鶴覇。薫子はそれを横目に見て少し笑った。
「天照大御神様が居ますし、蛇歌姐さんも付いています。生まれてからの事なら尚更私は心配してません」
笑う薫子を茜鶴覇は見つめる。
「茜鶴覇様なら守ってくれます絶対。今までもそうだったように…」
「……薫子」
「それに、ここにいる人達が子を愛してくれないとは思えません。私は誰よりも付き合いが短いですが、それくらいなら私にもわかります」
(何故なら皆、心配になるほどお人好しで優しいから)
いつかの日に史にお人好しだと言われたことがあった。でもそれはお互い様なのではなかろうか。普通、ぽっと出の人間の娘にここまで寄り添わない。彼らの情の深さは時折心配になるほどだと思う。
茜鶴覇は色々と言いたげな顔をしていた。後悔は無いか、無理はしてないか、辛くはないか。そんな事をきっと問いたいのだろう。だが彼は何も言う事なく、池の水面へと視線を流した。
「最初、あの提案を聞いた時……私は反対だった。無事で済むという確証がない以上、試すべきではないと思っていたからだ」
昼間の茜鶴覇の動揺した様子を思い出し、薫子は視線を伏せる。
「やっと手に入れたお前を失うならいっそ社に閉じ込めてしまえば良いと、そう考えてもいた。だが、不都合もあるのは目に見えている。何より、家族や友人に会うのが困難になるだろう。私の一存でお前を外界から切り離すことはしたくはない」
茜鶴覇は真剣な表情でそう語った。薫子が思う以上に彼は色々と悩んでいたらしい。
(ほら、本当にお人好しだ)
普通なら社に閉じ込めておわり、それで良いのだ。それなら産む必要も危険に身を晒すこともない。そうしないのは薫子の事を思っているからこそなのだろう。
「茜鶴覇様」
「……なんだ」
茜鶴覇は少し息を吐いて応えた。
「色々な事情は一旦置いておくとして、私との子は欲しいですか?それとも欲しくはないですか…?」
(最も重要なのは本来ここだろう)
自分でも何を口走ってるのかと思うが、一番大切にするべき事はきっとこの部分のはずだ。この世には望まれずに産まれてくる子も居る。でも折角産まれてくるのならば、望まれて来て欲しい。
茜鶴覇は少し考えて薫子の方を向く。美しい唐紅の瞳は淀むことなくまっすぐだった。
「要らぬわけが無いだろう、当たり前だ」
そう言い切った茜鶴覇を見て薫子は少し吹き出して笑う。
「………なんだ」
少し眉間にシワを寄せて訊ねる茜鶴覇に「申し訳ありません」とニンマリしながら薫子は謝った。
「なら何も心配無いです。本来こうして望んで子を成すものですから」
薫子のその言葉に茜鶴覇は少しだけ目を見開く。
「これが多分家族というものだと思います。少なくともうちはそうでした。私は、両親から望まれて産まれた子。私があの人達の元に産まれて一番嬉しかった事です」
そう言うと、茜鶴覇も少しだけ笑った。色々と考えが吹っ切れたのかも知れない。
「……そうか」
パシャリと再び揺れる水面と同時に、鹿威しが庭に響き渡る。
「わかった、天照大御神の案に乗ろう」
茜鶴覇はそういうと式神を空に放った。燃え盛る鳳凰は月光に照らされながら宙に現れた鳥居をくぐる。
(羽…)
ふわりと舞った炎の羽が宙で静かに霧散した。
「今日はもう遅い、部屋まで送ろう」
茜鶴覇は薫子の手を取って立ち上がるとそのまま部屋を後にする。薫子は並んで歩く茜鶴覇をちらりと見上げ、胸が一杯になる感覚に頬をほころばせた。
天照大御神が助言しに来た夜。薫子は茜鶴覇の部屋に訪れていた。無論、昼間の件についてである。
縁側に座り、いつかのように並んで庭を静かに眺めていると鯉がパシャリと水面を打った。水面に映っていた月がゆらゆらと形をうねらせる。
「………」
茜鶴覇は未だに踏み切れないようだった。彼にしては珍しく判断を迷っている。
(それだけ大事に想ってくれてるのだろうか)
不謹慎ではあるが、薫子は少しだけそれが嬉しくもあった。しかしそんな事を言っている場合ではない。
(この羽はあくまで下級霊魂やそれに準ずるモノたちにしか効果がない)
つまりそれ以上、例えば圓月たちのように力を持ったあやかしや、中級神以上の神々へは殆ど意味をなさないと言うことだ。
薫子は懐に仕舞った羽根をそっと押さえる。
(無いよりあった方が良いとは思うけど)
完全に頼り切ることはしない方がいいと十六夜は言う。それには薫子も賛成せざるを得ない。
(この人はたぶん、産んでくれとも産まないでいいとも言えない)
どちらにしても薫子が危険であることに変わりがないからだ。ただもしどちらかを選ばなければならないのなら。薫子は覚悟を決めて口を開いた。
「………茜鶴覇様」
呼びかけると、茜鶴覇は少しだけ振り向いた。
「天照大御神様の提案についてなのですが、良いでしょうか」
そう聞くと少し間を置いて茜鶴覇は「ああ」とだけ答える。薫子は思い切って口にすることにした。
「私は天照大御神様の提案に賛成です。それしか今方法が思いつかないのであれば尚更」
「……見つかっていないだけという可能性もある」
「恐らくそうだとは思います。でも、それを探す間に私だけでなく、皆様を危険に晒すかもしれないと思うと今ここでこの提案に乗りたいです」
(勿論強いのは知ってるし負けるとも思ってないけど)
だが危険に巻き込まれないに越したことはない。それにもし、自分の村や他の人間たちも巻き込んでしまったら。そうなった時、流石の茜鶴覇達も手が回らないだろう。
「自分も助かりたい、他の人を危険に晒したくない。その理由も大いにあります。でもこの選択をしたのはもっと単純な理由です」
薫子は揺らぎが収まり、再び形を元通りにした水月を見て続けた。
「茜鶴覇様との子であれば、私は欲しいからです」
そう言い切ると、茜鶴覇は視線を膝下へと落とす。
「神と人……その子供が生まれた前例は少ない。母体の生命力を吸ってしまい母子共に死ぬ事もあれば、生まれて間もなくあやかしに食われたという事もある。今のところ無事に育ち、生き抜いた子は居ない」
グッと拳を握りしめる茜鶴覇。薫子はそれを横目に見て少し笑った。
「天照大御神様が居ますし、蛇歌姐さんも付いています。生まれてからの事なら尚更私は心配してません」
笑う薫子を茜鶴覇は見つめる。
「茜鶴覇様なら守ってくれます絶対。今までもそうだったように…」
「……薫子」
「それに、ここにいる人達が子を愛してくれないとは思えません。私は誰よりも付き合いが短いですが、それくらいなら私にもわかります」
(何故なら皆、心配になるほどお人好しで優しいから)
いつかの日に史にお人好しだと言われたことがあった。でもそれはお互い様なのではなかろうか。普通、ぽっと出の人間の娘にここまで寄り添わない。彼らの情の深さは時折心配になるほどだと思う。
茜鶴覇は色々と言いたげな顔をしていた。後悔は無いか、無理はしてないか、辛くはないか。そんな事をきっと問いたいのだろう。だが彼は何も言う事なく、池の水面へと視線を流した。
「最初、あの提案を聞いた時……私は反対だった。無事で済むという確証がない以上、試すべきではないと思っていたからだ」
昼間の茜鶴覇の動揺した様子を思い出し、薫子は視線を伏せる。
「やっと手に入れたお前を失うならいっそ社に閉じ込めてしまえば良いと、そう考えてもいた。だが、不都合もあるのは目に見えている。何より、家族や友人に会うのが困難になるだろう。私の一存でお前を外界から切り離すことはしたくはない」
茜鶴覇は真剣な表情でそう語った。薫子が思う以上に彼は色々と悩んでいたらしい。
(ほら、本当にお人好しだ)
普通なら社に閉じ込めておわり、それで良いのだ。それなら産む必要も危険に身を晒すこともない。そうしないのは薫子の事を思っているからこそなのだろう。
「茜鶴覇様」
「……なんだ」
茜鶴覇は少し息を吐いて応えた。
「色々な事情は一旦置いておくとして、私との子は欲しいですか?それとも欲しくはないですか…?」
(最も重要なのは本来ここだろう)
自分でも何を口走ってるのかと思うが、一番大切にするべき事はきっとこの部分のはずだ。この世には望まれずに産まれてくる子も居る。でも折角産まれてくるのならば、望まれて来て欲しい。
茜鶴覇は少し考えて薫子の方を向く。美しい唐紅の瞳は淀むことなくまっすぐだった。
「要らぬわけが無いだろう、当たり前だ」
そう言い切った茜鶴覇を見て薫子は少し吹き出して笑う。
「………なんだ」
少し眉間にシワを寄せて訊ねる茜鶴覇に「申し訳ありません」とニンマリしながら薫子は謝った。
「なら何も心配無いです。本来こうして望んで子を成すものですから」
薫子のその言葉に茜鶴覇は少しだけ目を見開く。
「これが多分家族というものだと思います。少なくともうちはそうでした。私は、両親から望まれて産まれた子。私があの人達の元に産まれて一番嬉しかった事です」
そう言うと、茜鶴覇も少しだけ笑った。色々と考えが吹っ切れたのかも知れない。
「……そうか」
パシャリと再び揺れる水面と同時に、鹿威しが庭に響き渡る。
「わかった、天照大御神の案に乗ろう」
茜鶴覇はそういうと式神を空に放った。燃え盛る鳳凰は月光に照らされながら宙に現れた鳥居をくぐる。
(羽…)
ふわりと舞った炎の羽が宙で静かに霧散した。
「今日はもう遅い、部屋まで送ろう」
茜鶴覇は薫子の手を取って立ち上がるとそのまま部屋を後にする。薫子は並んで歩く茜鶴覇をちらりと見上げ、胸が一杯になる感覚に頬をほころばせた。
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