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第一章
第一話 生贄の薫子
薫子は暖かい風を受けて空を見上げた。のどかな淡い色の空と、フワフワとした真っ白な雲が視界いっぱいに広がっている。時折聞こえる木々のざわめきは、風の舞を歓迎して拍手でもしているようだった。
「おい、行くぞ」
白い袴を着た初老の男が縄を引いた。その縄の先は、薫子の手を背できつく縛っている。
なんの為かは知らないが、男に横髪を雑に切られ、歩くたびにその毛先が薫子の視界に映った。
(もうちょっと綺麗に切ってくれたら良かったのに)
みすぼらしくなった毛先を見て、嫌でも自身の置かれた立場を思い出させるのだった。
薫子は今登っている山の麓にある村で育った。
昨日村の女達と山菜を収穫しに行った際、通り雨に降られてしまい、雨宿りをする為に洞窟で座っていた。
雨宿りをする場所を求めて少しばかり遠くまで来てしまっていた薫子は、気づかぬ内に他村の領域に入ってしまったらしく、不運にもこの男達に見つかってしまったのだ。
侵入者だと思われたのか、あれよあれよと言う間にそのまま拘束され、今に至るというわけだ。
そして冒頭に戻る。
山を登る事半刻。辿り着いたのは今にも消えて無くなりそうな貧しい村だった。
家と呼べるような建物は無く、あったとしても隙間風の酷い荒屋だらけで、かなり厳しい生活を強いられているのだと安易に予想がついた。
(糞尿もそのまま、か)
厠がないのか、道の端に汚物がちらほら見える。
(厠が普及してなければ人々の生活は致命的だ)
衛生面が著しく落ち、その結果病を患い易くなる。薫子の村の医者がそう言いながら厠の掃除をしていたのを思い出す。もしかしたら嘗てあったのかもしれないが、維持する為の人手も体力も気力もないのかもしれない。
歩いていると村の住人達が、ひとり、またひとりと虚ろな顔で家から出てきた。
「ああ、これで…やっとまともに暮らしていける…」
「ありがたや…ありがたや…」
(老女や男ばかり…)
青白い顔で手を合わせ、天に拝み続ける村人達。不思議なことに若い娘が居なかった。居ても赤子か男か女かも判らぬ程幼い女児である。
「明日までの辛抱だ、みんな頑張れ!」
薫子を捕まえた男の一人が、皆に呼びかけた。薫子を攫って何が解決するのか。経したら村同士の戦にだって発展しかねないというのに。
嬉し泣きをする村人を前にその時疑問に思ったが、その晩なんとなくの予想がついた。
「村の娘達が逃げ出した時はどうしようかと思ったが…何とかなって良かったな」
月が空高く上り、梟すら鳴かぬ夜中。木に縛り付けられた薫子の近くで、見張り役の村人ふたりが胸を撫でおろして居た。
「ちげぇねぇ。今のガキがある程度育つまでこの村が持つとは思えねぇし…」
「そもそも食わせるものがないんだから育たねぇよ。五つになる前にみんなあの世行きさ」
「そりゃそうだな。丁度よく娘が見つかって助かった」
(見つかってって……あんたらが攫ってきたんじゃないか)
青筋を立てて見張りの会話に耳を傾ける薫子。腹立ちはしたが、ようやっと状況は把握できた。
この村には定期的になのか、何かの機会になのかは分からないが、若い娘を神に生贄として捧げる儀式があるようだ。それを怠ると、この村の様に貧しくなっていくのかもしれない。食わせるものが無いという事は、農作物が不作な上に、動物も狩れないのだろう。
異国の地ではこういった状況は環境のせいだ、天候のせいだと考えるらしく、時折「神なんてものは存在しないのだ」と異国の者達が街中で騒いでいる。
だが、この国の民は信じない。他の国ではどうか知らないが、理由は明白。確実にここでは神が存在しているからである。
その根拠は神が実態を持ち、姿を見た者が大勢居るからだ。どれ程の人数かというと、それぞれの村の祭司達は全員面識がある程度である。
人は見えない物は信じないが、逆に見える物はそこに在るものとして疑うこともせずに認識する。
在るモノを無いと言われれば、頭でも打ったのかと白い目で見られてしまうのは仕方がないことだ。
しかし神といっても、人がそれぞれ十人十色であるように、神にも個体差というものがあるらしい。
異形の神もいれば、形が保てず炎や木のような自然物だったりするし、寂しがり屋や好戦的な神だっている。
そして領地を納める神ともなれば人に与える影響もかなり強く、街や村の栄え方や気候等もガラリと変えてしまうのだ。
神同士に多少上下関係というものは存在するらしいが、人間には到底知り得ない領域の話である。
(ここの神様は一体どんな人なんだろう)
神を人と括ってしまうのは変な気分だが、やはり性格が気になる所。余程意地の悪いやつなのか、はたまたここの村人が罪を犯し、その罰なのか。
(理由がどうであれ、私が巻き込まれていい理由はないんだけどな)
ぐう、と情けない音が腹から鳴った。朝餉を食って以来、何も口にしていない。しかしこの貧しい村には、どうせ生贄として捧げる娘に食わせてやる程の余裕は無いだろう。
薫子はため息を吐いて眠りにつく事にした。本当は叫んで暴れて助けを呼びたいが、この状況じゃ無理だ。更に拘束が厳しくなるだけである。
そしてその翌朝。太陽が昇るか昇らないかという早朝に薫子は起こされる。そのまま白い着物に着替えさせられ、肩に着くか着かないかの所で髪を切り落とされた。
どうやらここの村の風習らしく、紙に一房包んで儀式の際に生贄と共に捧げるらしい。だから初めに横髪を切り落とされたのかと薫子は理解する。
ギザギザのおかっぱ頭にされた自分の髪を見ていると、中々心に来るものがあった。恋沙汰に今の所興味のない薫子だが、いつでも嫁に行けるように髪だけは大切にしろと母親に言われていた。
だが傷心に浸っている暇は与えてくれない。日の出と共に村を出て、攫ってきた男達と山を登る。
ここら一帯を治めている神は、山の上にある社に住んでいるらしい。ちなみに、薫子は一度も祭事に参加していなかったので社には行ったことは無い。村の祭司や両親によれば、社周辺は綺麗に整備され、とても神聖な空気だったという。
少し引っかかるのは、薫子の村では生贄などという古い捧げものは無かった。その年に取れた農作物や発酵食品、着物等を供物として祭司役の村人達が持っていき、奉納の儀式をしていたはずである。だが、この村で生贄というものが浸透しているのを見ると、その辺の歴史や仕様は村によってだいぶ違うのかもしれない。
そしてそんな理不尽極まりない経緯で男達に連れられて山を登っている訳なのだが、薫子は諦めずに、村を出た後も逃げ出そうと辺りを伺っていた。しかし機会が都合好く訪れずれる訳もなく、薫子は山の頂上付近まで到着してしまう。
「着いたぞ。止まれ」
(…随分、荒れているな)
男に縄を引っ張られて立ち止まったその場所は酷く荒れていた。草木が枯れ、生き物の気配の消えた廃神社。その石階段の前に薫子達はいた。
(本当にここが社なのか)
石階段といっても整備されておらず、ただただ大きな石を積み上げ、階段形式にしてあるだけのような感じだ。ひとつだけ、神らしきモノが居ると確証できるのは、鳥居の向こうから先に張られた結界である。白い膜が張られ、奥の景色が何一つ見えない。
「茜鶴覇様、生贄を捧げに参上致しました。どうか、村にお恵みを……!」
最前列に居た男が階段に向かって薫子の髪を掲げ、頭を垂れる。それに倣って他の男達も額を地面に擦り付けた。その内のひとりが薫子の後頭部を掴んで地面に無理やり擦り付ける。
(小石が擦れて痛い…)
頬の痛みに耐えながら暫く土下座を続ける。二つの意味で頭に血が上ってきているのか、薫子の後頭部を抑えている男の手の握力が、段々と強くなっていた。中々現れない神に憤りを感じているのがよく分かる。
全員の足も痺れ、男達の怒りの限界が近くなってきたその時、突風が石階段から吹き降ろした。その瞬間、枯れ果てていた大地に生気が宿り、木々や草花に命が芽吹く。廃れていた石階段や鳥居は綺麗に整い、薄汚れていた大気が浄化されていった。
「…女、顔を上げよ」
シャラン、という神楽鈴のように美しい声音は、天上の者の声だとすぐに分かった。透き通るような声は下に居た薫子達にもはっきり届き、それでいて威厳溢れる雰囲気を醸し出している。
(私だけ……)
薫子は冷や汗を顎に伝わせて、恐る恐る顔を上げた。階段の上には布の覆面を着けた白髪の人物が立っていた。
否、あれは人などでは無い。
(あれが、神…)
固唾を飲み、ただただ見上げる薫子。やんごとなきお方は依然として薫子達を見下ろしていた。
「こちらに来い」
白髪を風に靡かせ、神が命令する。薫子に首を横に振るという選択肢は存在しなった。
ザリッと地面を踏みしめてゆっくり立ち上がる。痺れて感覚のない足に、血液が一気に回っていくのを感じた。
薫子は神から視線を逸らさずに一段、また一段と美しく揃えられた石階段を登っていく。階段下からぶつぶつと祈り続ける男達の声が聞こえ、薫子はそれを振り払うように最後の一段を踏みしめた。
「……」
近づくと、神は思ったよりも普通の人間らしい身体をしていることに気が付く。
(変わっているとすれば、背が高いことくらいだろうか)
村にも体躯大きい男は何人かいるのだが、この神は体の部位の比率がとても良い。狩衣故に身体の線こそ見えづらいが、それでも分かるとなると、かなり良い体型なんだろう。
神は階段下にいる男達を見た後、薫子を見る。
「後ろを向け」
「は…はい」
薫子は言われた通り神に背を向けた。スッと神は薫子の手首に手を翳す。縄によってきつく縛り上げられた手首には、縄目の痣が浮かんでいた。
「えっ…」
ボォッという音と共に縄が燃え落ちる。一日ぶりに自由になった両手を片方ずつ見た後、神の方を振り返った。
「…行くぞ」
神は短く告げると男達に背を向ける。焦った男達は顔を上げた。
「お、お待ちくださいっ!茜鶴覇様!」
「私共の村をどうか、どうかお救い下さい!」
「生贄が足りなければまた連れてきます」
「お願いします、もう食べるものが少しも無いのです!助けてください!」
男達の目は狂気を孕んでいる。神との対面をなんとか活かそうとしているのが見え見えだった。
「無礼な」
そう一言呟くと、男達を見下ろす。
「貴様らは今後この一帯の地に踏むことを禁ずる。村の人間諸共ここから去れ、二度と戻るな。もし私の領域に足を踏み入れる事があれば、その時は村の人間全てを祟り殺す。貴様らが今までこの山に滞在出来たのは私の情であると知れ」
神の言葉を聞いた瞬間、自分達がどれ程無礼な真似をしたのか理解したらしく、男達はさぁっと青ざめた。
それを見た後、神は美しい白髪を靡かせて結界の中に入って行く。薫子はチラリと階段下を見た。男達は恨みの籠ったような憎悪の目で薫子を見上げている。
(……こわ)
だが薫子に腹を立てられても困る。勝手に連れてきたのはそちらであって、好んでついて来た訳ではない。過度な期待をしておいて、結果思い通りにならず、その怒りを薫子に向けるというのは、それこそ理不尽極まりないと言える。
薫子はスッと視線を逸らして結界と向き合った。この先はどんな場所なのだろうか。
地獄か、天国か。
それとも何もない世界なのか。
(行くしかない)
薫子は覚悟を決め、結界の内側へと足を踏み入れるのだった。
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