4 / 116
第一章
第四話 村の事
「さあさあ、早く行きましょうね」
神の部屋を出た後、史は薫子の背中を押して廊下を歩く。薫子は急ぎ足の史に声を掛けた。
「何処へ行くんですか?」
「台所よ」
「台所…」
薫子が首を傾げると、史は「ええ、そうよ」と頷く。
「貴女お腹すいたでしょう?だいぶ遅いけど、朝餉を用意してあげるわ」
朝餉という言葉を聞いて、考えるよりも先に腹の虫がまぬけな鳴き声を上げる。顔を赤くして薫子が腹を押さえると、史はコロコロと少女の様に笑いながら「良いのよ」と背中をぽんぽん撫でた。
背を押されたまま台所に着くと、薫子の鼻を木材と薪と味噌汁の匂いが掠める。いつの間にか前掛けを付けて釜の前に立っていた史が、薫子を振り返った。
「今からお味噌汁温めるわね。少ししか経ってないからすぐに温かくなるわよ」
そう言いながら鍋を釜の上に移動させる。史は位置を調節した後、しゃがんで薪を何本か火の中に入れて火加減を調節し始めた。
「私も何か手伝います」
自分の分を人にやってもらうのは、些か居心地が悪い。薫子は薄柳色の袖を捲りながら史の傍に立った。
「あら、本当?じゃあ…そこの戸を出た所に鶏小屋があるから、卵を取ってきてほしいの」
史が指さした先には木製の引き戸がある。
「いくつ取ってきますか?」
「二つかしらね、お願いできる?」
「はい、大丈夫です」
薫子は頷いて見せると、引き戸から外に出た。活発に動き回る数羽の鶏を避けながら小屋に辿り着く。
薫子の村は林業や畑といった植物を中心としたものが盛んだが、鶏や牛などの家畜類も生業とは別に、生活の一部として見慣れていた。実際、薫子の家にも鶏小屋はある。なので初めて入る小屋とはいえ、鶏達がどこに卵を産み落とすかは予想が付いた。
「あった」
寝床であろう藁の山の中に、白い卵が五つほど埋まっている。
(二つ、だったよな)
薫子は両手に卵をひとつずつ取ると小屋を出た。そして行きと同じように鶏を避けながら台所に戻る。コッコッコッと呑気に地面を突いている鶏を横目に引き戸を閉めた。
台所に戻ると、先ほどよりも味噌汁のいい匂いが充満しており、意思とは関係なく腹の虫が再び大きな声で鳴く。その音に気が付くと、史は口に手を当てて笑った。
「もう少しだからね。卵はそこのお椀に入れて置いてもらえる?」
「…はい」
二度目の恥ずかしさを感じながら、まだぬくもりの残る卵をお椀に入れる。
「他に何かありますか?」
「あとは食器を出すだけよ」
「なら私がやります。食器は…」
薫子は台所を見渡し、漆塗りの食器が綺麗に陳列した棚を見つけた。それを一つ一つ丁寧に膳に並べていく。
その姿を見ていた史は思わず声を掛けた。
「随分と働き者なのねぇ」
その言葉に茶碗を並べていた薫子は動きを止める。
「……弟妹がいます。皆幼く、私が一番上の長女でした」
薫子はそう答えて味噌汁を入れるお椀を手に取った。曇り一つ無い漆黒のお椀に、薫子の顔が反射している。
「それで、働き者になっちゃったのね…」
なにかを察したのか、史はお玉を置いて鍋を移動させた。
「はい、たぶん」
薫子はお椀の中の歪んだ自分の顔から視線を逸らし、コトンと膳に載せる。史は薫子の背中を横目で見た後、お椀に卵を割り入れた。
「…両親や村の大人達は林業や畑仕事で忙しく、幼い妹や弟達を傍で見ていられるのは私しか居ませんでした。時折人手が足りず、他の家の子供をまとめて見る時もありました」
懐かしむように語る薫子。浅い鍋に油を引き、パチパチと爆ぜる様を見ていた史は、ぽつりと呟いた。
「…家に、帰りたいわよね」
「……」
薫子は史を振り返る。スッと正されている筈の背中は、何故かとても小さく見えた。
シンと静まり返る台所に油のパチパチという音だけが響く。
「ごめんなさい、帰りたいに決まってるわね。私がこんな事聞くのはずるかったわ」
振り向いた史は、今までと同じ笑顔で笑っていた。少しだけ寂しそうに。
(帰りたい、か)
帰れるものなら帰りたい。だが不可抗力とはいえ、生贄という名目で捧げられた小娘を現世に返せるのだろうか。ちなみに、生贄として捧げられた人間が生還したという話は一度も聞いたことが無い。
(たらればの話ってやつだろうな)
希望は捨てた。あの鳥居をくぐった時から。
黙ってしまった薫子を見た後、史は憂いを浮かべた表情で油の爆ぜる鍋に卵を流しいれた。
「……美味しい」
「あら本当?良かったわ」
お茶を湯呑に注ぎながら朗らかに笑う史。
あの後、米や味噌汁、副菜を膳に並べた二人は居間に来ていた。普段史しか利用しないらしいこの部屋は広く、全開にされた障子の外から気持ちのいい風が吹き抜ける。
手を合わせて食事を始めた薫子の箸は、膳の上を忙しなく動き続けていた。よく考えたら、一日ぶりの食事である。
(この味噌、うちの村の物だ)
ズズッと啜ると慣れ親しんだ風味が口いっぱいに広がった。
薫子は胃に温かい味噌汁が流れていく感覚を感じながら、外の絶景を眺める。
「…私の村は、米を育てるには厳しい土地にありました。多少は稲穂も実っていたのですが、村の人間全員が毎日食っていけるだけの量は採れません。なので、いつも麦を米の代わりに炊いていました」
「そうなのね」
史は湯呑を薫子の膳に載せた。湯気がふわっと漂い、外から入ってきた柔らかいそよ風に乗って霧散する。
「皆にも、こんな食事を毎日食べさせてやりたい。……なんて夢のまた夢ですね」
薫子は手にした茶碗の中にある白米を見ながら淡々と呟いた。史はどう声を掛けてよいか分からず、眉をハの字に下げる。それを横目に見た薫子は少し笑った。
「大丈夫です。安心してください。逃げたりなんかしません」
薫子はそう言うと再び箸を進める。史はそれ以上何も言えなかった。
「本当にこれでいいのかな」
食事を終えた薫子は、竹箒を片手に桜の大樹を見上げていた。足元に揺れる木漏れ日は柔らかく地面を照らし、そよそよと流れる風が薫子の切り揃えられた髪を撫でる。気持ちのいい春の風だ。
「私は、これからどうしたらいいんだろう」
「花弁を集めれば良い」
「それはそうなんだけど」
(ん?)
薫子は桜の木へ向けていた視線を隣に向ける。そこには純白の美しい髪を風に泳がせ、同じように木を見上げている神が居た。
「し、失礼しました」
慌てて土下座をしようと膝をつく。
「よい」
神は薫子を振り返らずに制止の声を掛けた。
「そのままでよい」
「はい…」
薫子は着物に着いた土埃を払い、数歩後ろに下がる。神は相変わらず大樹を見上げていた。
静まる二人の間。聞こえるのは鳥のさえずりと花の揺れる音のみだ。
「その、神様は…なぜここへ」
無言が続き、神を無視して掃除するわけにもいかない薫子は恐る恐る訊ねる。少し間が空いた後、神はようやく口を開いた。
「大した理由はない。この桜を見に来ただけだ」
そう言うと、すっと視線を薫子へ向ける。
「そこにたまたま、お前が居た」
神はそう答え、再び風に揺れる桜を見上げた。その横顔は相変わらず覆面に覆われて見えず、不気味さと同時に神秘的な雰囲気を纏っている。
薫子も神から視線を外し、桜を仰いだ。
「…この桜、かなり大きいですね」
「もう随分な樹齢だ」
「随分、というと…?」
「丁度一万年程前に植えた木だ」
「へえ、一万年。……百年の間違いじゃなくてですか?」
「一万年と言っているだろう」
怪訝そうな声が返ってきたので、薫子は「…すいません」と謝る。
(しかし樹齢が一万年を過ぎているのなら、この大きさにも納得がいく)
改めて見上げると、心なしか一万年の威厳を感じた。やはりやんごとなき方が住まう地は、人間の常識を超越するらしい。
「ふっ」
「え?」
隣から鼻で笑う声が聞こえ、薫子はまぬけな声を漏らしながら神を見上げた。
「冗談だ」
「何がですか?」
「樹齢の話が」
「はい?」
薫子の呆れた顔を見ると、神は数歩歩いて大樹の幹に手を当てる。
「この木は四千年前、ここに植えられた。その翌日から花は咲き続け、一度も散ることはなかった」
神はそう言うと、薫子を振り返る。
「…ここに来い」
「はい」
薫子は竹箒を左手に握りなおして神の隣に立った。すると、神は竹箒を持っていない方の薫子の手を取って幹に当てる。急な行動に驚いたがそれよりも、手のひらから伝わる感覚に意識が集中してしまった。
「……暖かい」
「そうだな」
大樹の幹は陽の光をたくさん吸収しており、とても暖かい。薫子は竹箒を立てかけ、左手も木に当てる。そして額をそっと着け、目を閉じた。
「春の母親みたいですね」
(母さんに抱きしめられているみたいだ)
薫子は自分でもよくわからない懐かしさを感じながら幹を撫でる。
「……今、なんと言った」
すると隣から少し驚いたような声音が飛んできた。
「春の母親、と」
薫子は意味が分からず繰り返す。神は少しの間薫子を見て固まっていたが、暫くした後「何でもない。気にするな」と告げて屋敷へ入って行った。
薫子は慌ててその後ろ姿に深々とお辞儀して見送る。
(何だったんだ、急に)
明らかな動揺を見せた神を思い出し、薫子は首を傾げた。春の母親、その言葉に何か問題があったのだろうか。
「あ、掃除」
視界の端に映った竹箒を見て思い出した薫子は、地面に広がった桜の花弁を集めるのだった。
あなたにおすすめの小説
亡き姉の身代わりとして嫁いだ私ですが、離縁状を置いた翌朝、夫が私の「真実」に気づいたようです』
まさき
恋愛
「サインはもう、いただきました。あとは私がこの屋敷を出るだけです」
五年間の結婚生活。侯爵令嬢エルゼが演じ続けたのは、亡き姉・ロザリーの「身代わり」という配役だった。
夫であるカイル公爵が愛していたのは、かつて雪の中で自分を救ってくれた初恋の少女・ロザリー。
生き写しの妹であるエルゼを娶りながらも、彼は一度も彼女を「エルゼ」と呼ぶことはなかった。
冷淡な視線、姉と比較される日々。
「君はどこまでいっても、ロザリーの代わりにはなれない」
その言葉を最後に、エルゼは静かに離縁状を置き、屋敷を去る決意をする。
しかし、彼女が消えた翌朝。
カイルは、エルゼが大切に遺していった古い小箱を見つける。
そこにあったのは、十五年前のあの日、彼が「命の恩人」に預けたはずの片方のカフスボタン。
そして、幼いエルゼが綴った、あまりにも切ない真実の日記だった。
――「あの日、雪の中で貴方を抱きしめていたのは、お姉様ではなく、私だったのです」
真実を知り、絶望の中でエルゼを追うカイル。
だが、すべてを捨てて「自分」を取り戻したエルゼは、もう二度と、彼の隣で微笑む仮面の妻には戻らない。
これは、名前を奪われた女が自由を掴み、愚かな夫が真実の愛を失うまでの、静かで鮮やかな再生の物語。
遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)
スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」
唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。
四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。
絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。
「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」
明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは?
虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!
「今更、あなたの娘のふりなどできません」〜ずっと支えていた手を、そっと引っ込めただけです〜
まさき
恋愛
父が死んだ日から、私は屋敷の「異物」になった。
継母は新しい夫に夢中で、義姉たちは私を使用人のように扱い、継父は三年経っても私の名前を覚えない。
気づいていなかったのだ、あの人たちは。
私の「静寂の手」がずっと、この家を守り続けていたことを。
ある夜、私は静かに荷物をまとめた。
怒りもなく、涙もなく、別れの言葉すら残さずに。
三ヶ月後、屋敷に原因不明の病が広がり始める。
「リーナを探せ」
今更、ですか。
私はもう、別の場所で別の名前で——ちゃんと生きています。
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
外れ伯爵家の三女、領地で無双する
森のカフェしっぽっぽ
ファンタジー
十三歳の少女アイリス・アルベールは、人生を決める「祝福の儀」で“ゴミスキル”と蔑まれる《アイテムボックス》を授かってしまう。戦えず、稼げず、価値もない――そう断じた家族は、彼女を役立たずとして家から追放する。さらに、優秀なスキルであれば貴族に売り渡すつもりだったという冷酷な真実まで明かされ、アイリスはすべてを失う。
だが絶望の中、彼女は気付く。この世界が、自分がかつてやり込んだVRMMORPG『メデア』そのものであることに。
そして思い出す――
《アイテムボックス》には、ある“致命的なバグ”が存在することを。
市場で偶然を装いながらアイテムを出し入れし、タイミングをずらすことで発生する“複製バグ”。それは、あらゆる物資を無限に増やす禁断の裏技だった。
食料も、装備も、資金も――すべてが無限。
最底辺から一転、誰にも真似できないチートを手にしたアイリスは、冒険者として歩み始める。だがその力はやがて、経済を歪め、権力者の目に留まり、そして世界の“仕様そのもの”に干渉していくことになる。
これは――
ゴミと呼ばれた少女が、“世界の裏側”を掌握する物語。