桜咲く社で

鳳仙花。

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第一章

第七話 薫子の選択

 




 「そう、帰れるのね」
翌朝。薫子に朝餉あさげを持ってきてくれた上に、新しい着物を着せてくれている史。薫子は背中の帯を作って貰っている間、昨晩の神との話の内容を伝えていた。
「…はい」
「どうしたの?嬉しくないの?」
元気のない薫子の声音を聞いて、史はポンポンと背中を撫でる。
「嬉しいです、とっても。二度と会えないと思っていた家族に会えるなんて…」
薫子は、開いた襖の奥に見える景色を見つめた。昨夜は月光げっこうだったが、今は朝日に照らされて、銀木犀ぎんもくせいが紅葉が元気に光合成をしている。
 「…気になる?」
「え?」
帯を作り終えた史は、くるりと薫子を回転させて正面から着物を整えた。
「茜鶴覇様が気になるのよね」
微笑む史に、薫子は少し頬を赤く染めて「いえ…」と口を開く。
「ただ、寂しそうだなと」
「ふふふ、そうねぇ…」
嬉しそうに少し笑った後、史は薫子の髪を耳に掛けた。
「あの方はとても寂しい方よ。神様って本当に沢山いらっしゃるけど、茜鶴覇様はどの神よりも人間の心を持っていらっしゃる…。それゆえに、傷つく事も多かったのでしょうね」
「…」
史は薫子の頭を、まるで自分の孫のように撫でる。その目はいつくしみに溢れていた。
「薫子さんだけでも、茜鶴覇様の事を知ってくれて嬉しい。とても不謹慎ふきんしんだけど、貴女がここへ来てくれて良かったわ」
ありがとう、そうコロコロ笑いながらお礼を言う史に、薫子は視線を落としてお辞儀をした。

 着物を着た後、荷物という名のお土産を風呂敷ふろしきに詰めて、薫子は史と玄関へ向かう。お土産の中身は団子や大福、新品同様の着物、石鹸、薬など様々だが、どれも一級品だ。普通土産に持たせていいものではない。しかし、「沢山あっても、私と茜鶴覇様しかここにはいないから消費できないの」と言ってかたくなに引かなかった。
 「元気でいてね、薫子さん。風邪やケガなんかにも気を付けて」
薫子が下駄をいていると、史がハの字に眉を下げた。薫子も「はい、史さんも」と応え、風呂敷を持って玄関を出る。外は雲一つない青空で、清々しい空気が漂っていた。
 「…あ」
思わず足を止める。薫子の視線の先には、大きな鳥居の傍にそびえ立つ桜を見上げている神が居た。さらさらと風に舞う純白の髪は、舞い散る桜の花弁と相まってこの世の物とは思えぬ程美しい。
 「あの…神様」
薫子は桜の大樹の近くまでやって来ると、様子をうかがいながら声を掛けた。だが神はその声に何も返さず、桜から視線を外し、薫子の目の前までやって来る。風に乗って桜とお香の匂いが鼻を掠めた。その間、神は何を言うでもなく、ただ薫子と向き合っている。
 無言状態が続き、気まずくなった薫子が挨拶をしようとした瞬間、突風がやしろを駆け抜けた。桜の花弁が大量に宙に舞う。薫子は思わず目を閉じた。
「薫子」
そんな最中さなか急に名を呼ばれ、砂埃から目を守っていた手をどける。覆面がひるがえり、神の口元が見えた。
「…達者で暮らせ」
木々のざわめきの中、確かに聞こえた神の声。神は薫子の横を通り過ぎ、歩いて行く。美しい白髪が視界からふわりと舞って消えた。
 薫子はぎゅうっと拳を握りしめる。そして何かを決心したように息を吐き、思いっきり吸い込んだ。
「待ってください!」
久しぶりに出した大声は震えていて、とても情けない。しかし歩いていた神は、足を止めて振り向いた。薫子も神の方を向いて勢い任せに大声で叫ぶ。
「私は、家族が大好きです!頼もしい父、優しい母、可愛くて生意気な妹と弟たち、全員愛しています!……だけど」
薫子はそこで息をもう一度大きく吸った。
「貴方と史さんを忘れて生きていくなんて、私には絶対出来ないです!」
そういった瞬間、神の後ろで立っていた史が自分の口を押さえ、目を見開く。神はただジッと薫子を見ていた。
「だから、私、明日戻ってきますから!」
言い切った薫子は肩で息をする。そして深々とお辞儀をして背を向けた。
 神は面食らったようでその場で固まっていたが、徐々にふるふると肩を震わせる。そして
「…ふ、くくくっ、はははははっ」
笑った。
 背後から笑い声が聞こえ、薫子は驚いて振り返る。史もぽかんとした顔で神を凝視ぎょうししていた。神は一通り笑い終えると、腰に手を置いて薫子に声を掛ける。その声音はしがらみを取り除いたようにすっきりとしており、普通の青年のようだった。
「…薫子よ。その言葉、しかと聞き届けた」
薫子は唖然あぜんとしていたが、ハッとして慌てて頭を深く下げる。自分がした選択がどれほどの事かを自覚し、今になってドクドクと心臓が脈打った。でも不思議と後悔はない。
 頭を上げると、神の背後で控えていた史と目が合う。薫子はニッと笑って見せた。



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